●特集U● 大震災・原発災害の中で子どもたちは

原発災害と教育現場の課題

 大森 直樹
 
 いまも福島の子どもの大半は放射性物質による汚染地でくらしている。 この状況を前に、 全国の教育現場で取り組むべき課題は何か。 3 点について論じたい。
  1. 子どもを汚染地にとどめる政策
     第 1 の課題は、 なぜ子どもを汚染地にとどめる政策が続けられているのか事実を検証することだ。 結論の半分を先回りして述べると、 政府が発した 3 つの政策の影響が大きかった
     1 つは、 原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定だった (2011年 4 月22日より。 公立15校が臨時休業、 同50校が臨時移転となった)。 とくに計画的避難区域の設定【1】により年20ミリシーベルト (mSv) を超える区域の住民に避難を求めたことの意味は重大だった。 年20mSv以下の区域の住民には最小限の対応しかおこなわない、 という政策の方向性が鮮明になったからだ。 チェルノブイリ原発事故から 5 年後の1991年チェルノブイリ法が年 5 mSvを超える区域の住民に避難を求めたことと比較すると、 日本では安全の基準が 4 倍も緩和されてしまった。
     2 つは、 文部科学省が2011年 4 月19日に発した 「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について (通知)」 【2】により、 警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域以外の福島県 (平常教育区域と呼称する) の学校を対象として、 教育を継続する判断の 「目安」 を年20mSv以下としたことだった。 具体的には、 校庭が 1 時間 3.8 マイクロシーベルト (μSv) ( 24時間と365日を乗ずると年33.8mSv、 同通知の計算式で年20mSv) 未満の場合、 「校舎・校庭等を平常どおり利用して差し支えない」 とした。 同通知は、 「こんなに線量が高い中で教育を続けても良いのか」 という人々の不安を怒りへと転化させた【3】。 しかし、 それと同時に、 教育行政職に対しては、 「国が大丈夫と言っているのだからそれに従おう」 という意識と行動を引き出していった。
     3 つは、 文部科学省が2011年 8 月26日に発した 「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について (通知)」【4】により、 平常教育区域の 「目安」 を年 1 mSv 以下に 「転換」 したことだった。 具体的には、 校庭が 1 時間 1 μSv未満の場合、 校舎・校庭等を平常どおり利用して差し支えないとした。 1 時間 1 μSvを換算すると年8.8mSvとなり、 本来であれば、 年 1 mSv以下の 「目安」 と矛盾する。 だが、 同通知は、 @365日ではなく学校滞在の200日の放射線量のみを問題として、 A 4・19通知では 8 時間とみなしていた屋外滞在時間を 2 時間とみなすことで、 換算後の数値を年 1 mSv以下に収めていた。
     さらに問題なのは、 4・19通知と 8・26通知が、 たとえ地域における線量がどんなに高くても、 学校内が一定の 「目安」 以下にとどまっていれば、 通常の教育活動を認めることを共通の本質としていたことだ。 実際、 両通知の後に、 平常教育区域内で新たに臨時休業や臨時移転をおこなった学校は存在しない (久之浜 1 小・久之浜 2 小・久之浜中は緊急時避難準備区域に準じての臨時移転)。 とくに 8・26通知は、 年20mSvの撤回を求めてきた世論の要求を吸収しつつ、 年20mSvの避難基準を下支えしてきた (8・26通知は失効することなくいまも生きている)。
  2. 子どもの被災現実を見つめる取り組み
     第 2 の課題は、 平常教育区域における子どもの生活の現実を見つめて記録することだ。 福島市内の県立定時制高校の教諭中村晋は、 生徒の言葉を次のように記している。

     先生、 福島市ってこんなに放射能が高いのに避難区域にならないっていうの、 おかしいべした。 これって、 福島とか郡山を避難区域にしたら、 新幹線を止めなくちゃなんねえ、 高速を止めなくちゃなんねえって、 要するに経済が回らなくなるから避難させねえってことだべ。 つまり、 俺たちは経済活動の犠牲になって見殺しにされるってことだべした。 俺はこんな中途半端な状態は我慢できねえ (朝日新聞 「声」 欄2011.5.26)【5】

     ここには、 平常教育区域の設定とは何だったのか、 その本質へと迫る手がかりがある。 さらに、 「俺はこんな中途半端な状態は我慢できねえ」 という言葉には、 人間が人間らしく生きていくために必要とされる心意気が表現されている。
     2013年 5 月 1 日現在で県外に避難している福島の子どもは 1 万986人 (幼稚園・小学校・中学校・高等学校・中等教育学校・特別支援学校) に及び全国で就学している。 神奈川県の学校園において受入れた子どもは536人で、 山形・新潟・宮城・埼玉・東京・茨城に次いで 7 番目の数だ (指定都市の公立学校における受入れ数を含む)。 埼玉県の学校園に2012年に就学していた福島の子どもは1017人だったが、 その中の 1 人について、 所沢市の小学生が次の作文を書いている。

      『みんなの放射能入門』 (アドバンテージサーバー2013年…引用者) を読みました。 …いちばん 「びくっ」 とした所は、 大人より子どもの方が放射線をとりこみやすいことが書かれていたページでした。 ももちゃん (同書掲載の避難した子どもの名前) が大へんだとゆうことがわかりました。 それは友だちとはなればなれにならなければいけないことです。 …たった 1 年でしたがぼくのクラスにも、 福島から原発のえいきょうで転校してきた子がいました。 その子も、 ももちゃんと同じ気持ちだったのかなと思いました (2013.9.10)

     福島から避難した子ども、 福島に戻っていく子ども。 こうした子どもの生活の現実を見つめる教育実践をつくりだすことが、 いま全国における共通の課題となっている。
  3. 学校の集団避難と保養を前進させる条件
     第 3 は、 平常教育区域における子どもの生活の現実をふまえて、 そこにある問題を解決していくことだ (提言とその具体化の課題)。 この間、 子どもを汚染地にとどめる政策だけが力を発揮してきたのではない。 汚染地の子どもの被ばくを少なくするための様々な取り組みも重ねられてきた。 ここでは、 教育行政への具体的な働きかけや学校による取り組みを中心に、 5 つの動きを概観しておきたい。

学校集団避難・保養の提言と具体化
 1 つは、 2011年 4 月26日に、 福島県教職員組合が、 福島県教育委員会に 「放射線による健康被害から子どもたちを守るための具体的措置の要請」【6】をおこなっていたことだ。 全19項のなかに次の 1 項があった。 「放射線量の高い学校での授業はおこなわず、 休校もしくは、 放射線量の低い地域への移転など、 子どもたちの受ける線量を減らすため具体策を講じること」。 最初期における学校集団避難の提言である。
 2 つは、 6 月24日に、 郡山市の児童生徒14名の保護者が、 福島地裁に民事仮処分の申し立てをおこない、 郡山市に 「学校ごと疎開する措置」 を求めていたことだ【7】。
 3 つは、 被災した学校の集団避難を受入れる提案が、 他県の自治体や団体によりおこなわれていたことだ。 3 月31日、 熊本県人吉市は、 「集団疎開支援絆プロジェクト」 を発表し、 中学校丸ごと 1 校 (生徒、 教職員、 及び、 生徒と教職員の家族) の受入れを東北 3 県の教育委員会に表明した (朝日新聞2011年 4 月 1 日)。
 5 月12日、 全国に13ヶ所ある国立ハンセン病療養所の入所者でつくる全国ハンセン病療養所入所者協議会も、 学校の受入れに特化したプランではないが、 療養所の職員施設の空き部屋や空き地などに震災の被災者を受入れる方針を表明していた (朝日新聞2011年 5 月12日夕刊)。
 4 つは、 5 月15日から、 郡山市に立地する福島朝鮮初中級学校が、 「新潟における合同授業」 を実施していたことだ。 在校生15人全員が校長・教員と一緒に新潟朝鮮初中級学校に移動して泊まり込み、 両校が合同授業をおこなってきた。 そのことを通じて、 放射線の被害から子どもを守ろうとした。 2 週間に 1 度、 週末に郡山の保護者のもとに戻ることを繰り返し、 2012年11月18日までのべ204日の県外への学校集団避難を継続した8。 県外への学校集団避難を可能にした条件とは何だったのか。 梁英聖リャンヨンソン が 2 点を指摘している9。
 ・日本の教育行政体系から排除されてい   る。
 ・在日同胞社会の存在と、 その再生産の核  としての朝鮮学校。
 いずれも重要な指摘だが、 とくに第 1 点は重い。 「文部科学省」 → 「教育委員会」 → 「校長」 という教育行政のラインを通じて、 「校舎・校庭等を平常どおり利用して差し支えない」 との判断が下されていた日本の公立学校。 それとは異なり、 そうしたラインの外に置かれていた福島朝鮮初中級学校では、 「子どものためにいかなる判断が必要か」 をめぐって教職員と保護者が協議を重ね、 その協議の結果を行動に移すことができた。
 5 つは、 2012年度から、 伊達市では、 市内21小学校のうち 9 校が、 新潟県見附市における 「移動教室」 に取り組んできたことだ10。 学校を単位として子どもたちを一時的に県外で過ごさせる 「保養」 の取り組みとして注目される。 しかし、 子どもたちの 「保養」 の取り組みは、 主にNPOなど民間の団体が担っており、 伊達市のような教育行政と学校としての取り組みはなかなか広がっていない。

学校集団避難・保養を前進させる条件
 上記 5 つの動きから浮かび上がる問いがある。 なぜ、 日本の公立学校は、 学校集団避難や 「保養」 の取り組みに大きく踏み出せないのか。 どうしたら踏み出していけるのか。 この間に、 東日本大震災・原発災害後に教育界で出された475件の資料を収集・整理してきたことをふまえ (注 1 と 2 と 8 の資料集参照)、 今後の教育現場の課題として次のことを指摘したい。
 第 1 に、 「子どものためにいかなる判断が必要か」 をめぐって教職員と保護者は協議ができるし、 協議の結果を行動に移すことができる。 このことについて確信をもつこと。
 第 2 に、 「子どもは自然の中でこそのびのび育つ」 ことが教育現場で確認されてきたことをふまえ、 それを思想として確立し諸提言の基礎にすること。
 第 3 に、 学校集団避難に関しては、 財政措置が可能であることについて認識を深めること。 2011年度以降、 双葉町の住民が埼玉県加須市に集団避難したことに伴い、 双葉町の公立小中学校の教員 (2011年度は 6 人) を、 加須市の公立小中学校に勤務させてきた実例がある。 公立小中学校の教職員を各県に配置する根拠法である 「義務教育標準法」 の震災対応運用により、 学校集団避難の所用経費のうち過半を占める教職員人件費を賄うことができる【11】。
 第 4 に、 教育委員会・教職員組合・研究者は、 「子どものためにいかなる判断が必要か」 をめぐる教職員と保護者の協議と行動の事実をふまえ、 改めていま必要とされている取り組みについて提言をおこない、 その具体化に行政・運動・研究の立場をこえて力を尽くす必要があること。
 原発災害への対応は長期戦でもある。 私自身も教育現場の一員として多くの人々と協力して以上の 4 点に取り組んでいきたいと考えている。


【1〜5】大森直樹・渡辺雅之・新井正剛・倉持伸江・河合正雄編 『資料集 東日本大震災と教育界−法規・提言・記録・声』 明石書店、 2013年、 269、 319、 357、 344、 162頁
【6】国民教育文化総合研究所東日本大震災と学校資料収集プロジェクトチーム編 『資料集 東日本大震災・原発災害と学校 岩手・宮城・福島の教育行政と教職員組合の記録』 明石書店、 2013年、 528頁
【7】注 1 、 282頁
【8】具永泰・大森直樹編 『原発災害下の福島朝鮮学校の記録−子どもたちとの県外避難204日』 明石書店、 2014年参照
【9】梁英聖 「原発事故後の新潟・福島朝鮮初中級学校を取材して」 『人権と生活』 第33号、 2011年11月 (同論文は注 1 の380〜384頁と注 8 の52〜58頁にも収録)
【10】白石草 「福島の子どもたちに 「自然」 を」 『世界』 2013年 2 月号
【11】大森直樹 「東日本大震災後の教員配置の検証」 『季刊教育法』 173号、 2012年 6 月 (同論文は注 1 の249〜265頁にも収録)


 付記 本稿は大森直樹 「原発災害と教育界の課題」 『教育と医学』 62巻 1 号 (2014年 1 月) に加筆修正をして作成した。

(おおもり なおき 東京学芸大学)
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