特集 運動部活動
部活動に携わって
夢に向かって選手とともに
 
利根川  勇

  1. 執念と責任で貫き通した部活動歴
     はじめに部活動を熱心に指導されている先生方に感謝申し上げます。
     昭和44年 4 月に県立追浜高校に新採用として着任し、 先輩教師のはからいで、 3 月から野球部の手伝いができた。 現役 1・2 年生選手の素質は高く、 もっと努力すると勝てるチームになれるのにと感じた。 4 月から野球部監督を命じられ、 選手とのミーティングの中で、 きまりを 3 つ掲げ 「必ず守ることができると、 勝てるチームになれる」 と約束をした。 (1) あいさつを元気良くする (すぐ出来るようになったが、 上級生から下級生に対してのあいさつができなかった。 この点を修正)。
      (2) 時間を守る (上の学年になるにしたがい、 だらしなく遅刻が目立ったので約束をした)。 「 1 分遅刻するごとにグランドうさぎ跳び一周する。」 10分も遅刻すれば、 グランドうさぎ跳び10周。 できる訳がないが、 やらせた。 この日を境に遅刻はなくなった。 (3) 感謝の気持ちを持ち続ける。 (家族に、 仲間に、 指導者に、 グランドに、 用具に) この約束が実行できてから、 練習態度、 意欲、 仲間意識が高まり、 並行して授業への取り組みにも成果が現れた。 ぐんぐんチーム力が高まり創立創部 5 年、 夏の大会で勝てないチームが、 ベスト 8 という快挙を成し遂げた。
     昭和49年県立平塚商業高校に転勤、 前年度ソフトボール部はインターハイ県予選で優勝し、 全国大会出場を果たしていたが、 主力メンバーがほとんど卒業し、 現 2・3 年生 6 名、 新 1 年生待ちの状況の部活動だった。 幸い10名近い 1 年生が入部して活気を取り戻した。 最初に関東大会県予選に向けてできる限りの努力を選手と共に行ったが、 上手くいかなかった。 続くインターハイ県予選に向かっては今まで以上の努力をするが結果が出ず、 これ以上の努力はできないと考え、 「おれには優勝させるだけの力がない、 顧問をやめようと考えた」。 3 年生が抜けて新人チームでの練習が始まり、 1・2 年生は秋の新人戦に向かってグランドでがむしゃらにボールを追いかけてる姿を見るに、 この選手のために何かしなくてはと、 心を動かされた。 選手の、 前を向いて努力するエネルギーには心を打たれた。 その選手のパワーによって秋の新人戦は平塚商業での初優勝になった。 しかし、 毎年部員不足が続き、 秋になると他の部活動の選手を数名借りたり、 マネージャーに試合に出てもらったりの繰り返しが続き、 苦労の連続の活動だった。 昭和56年頃から優秀な選手が入学し、 昭和58年群馬国体初優勝、 翌年59年秋田インターハイ初優勝と今までの卒業生の努力の歴史が報いられた瞬間だった。
     平成 3 年県立厚木商業高校に転勤、 転勤先が決まってから、 何度も放課後厚木商業のソフトボール部の練習風景を金網越しに見に行った。 色々のタイプの部活動があって当たり前だが、 私の考える部活動は選手とともに人間力を高める、 「目標レベルを上げ、 各自が自分に挑戦し、 夢の実現を果たす」 という人間集団を築きあげることが目標だった。
     着任後ソフトボール部の顧問として初めてのミーティングの時に私の夢 「近い将来日本一になる」 と話した。 15〜16名の 2、 3 年生はきょとんとした顔で私を見ていた。 翌日の練習には 4、 5 名いなくなっていた。 1、 2 週間後新入部員が 5、 6 名入部してくれて活気が出たが、 5 月の終わりのインターハイ県予選が 3 年生の最後の試合のため、 すぐに 1、 2 年生の新人チームへと切り替わった。 夏休み前に保護者会を開き 「山梨県で私的な大会があるから遠征に行きたい」 と伝えたところ、 「お金がかかる、 勉強をさせたい、 家族での計画が入っている等」 反対意見ばかりだった。 夏を過ぎて、 秋の新人戦、 部員が 6 名になり、 他の部 (剣道部、 陸上部) から 4 名の助っ人を借り試合に参加した、 当然一回戦で負け、 それをきっかけに 2 年生 3 名が辞め、 残ったのが 1 年生 3 名になった。 「 3 名では部活動ができないからやめてほかの部に行きなさい。」 と言うと 3 名から 「来年新入生が入ってきます、 頑張らなければ」 と返事が返ってきた。 私は何校もの中学校の顧問に 「 3 年後に日本一になるから、 私を信用して、 意欲のある選手を誘ってください」 とPRに出向いた。 冬の練習と言えば、 グランド作り、 休日は仲間にブルトーザーやショベルカーを持ってきてもらいグランド整備、 3 名は整備が終わってから 1 時間程度の練習に明け暮れた。 平成 4 年 4 月中学校の先生方のおかげで選手10名、 マネージャー 1 名の新入部員が入り、 部員数14名で活動が始まった。 春、 夏の大会と練習をやってもやってもすぐ負けてしまう状況の中、 秋の新人戦、 奇跡の初優勝 (春の全国選抜大会初出場決定)、 平成 5 年選抜大会 1 回戦負け、 夏のインターハイ県予選初優勝 (栃木インターハイ初出場ベスト16)、 この結果をきっかけとして、 常勝厚木商業高校の歴史が始まった。 全国選抜大会 ( 7 回優勝、 2 位 2 回、 3 位 2 回)、 インターハイ (優勝 5 回、 2 位 1 回、 3 位 3 回) 国体 (優勝 3 回、 2 位 2 回、 3 位 2 回)、 公立高校がこれだけの歴史を作り上げることは奇跡に近いことであった (残ってくれた 3 名のおかげであった)。
  2. 部活動指導の考え方
     部活動=人間教育。 人間教育とは 「心を育てる」 ことが最も大切なテーマだ。 『選手は宝、 指導者は手伝い』 選手の潜在能力を何処まで高め自己表現させることが出来るかが、 指導者に課せられた責任である。 私の指導の原点は 『努力・感謝・マナー (礼儀)』 である。
    (1) 『努力』
     誰でも目標があると努力をするが、 一人ひとりその努力に差がある。 「この努力が精一杯」 という目標はレベル 1 〜レベル10まで個人差があって当たり前であるが、 努力できる限界のレベルを何処まで上げることができるかが重要だ。
    (2) 『感謝』
     練習密度が濃くなってくると自分のことで精一杯になり、 周りのことが見えなくなってしまう。 その時、 今、 この好きなスポーツがやれているのは誰のお陰であるかを知る事が大切になる。 第一に親、 家族に、 そしてチームメートに、 指導者 (監督・コーチ・先生) に、 チームをサポートしてくれている学校地域社会にと沢山の人々に守られている事を確認することが必要になってくる。
    (3) 『マナー (礼儀)』
      「全ての事に対して上級生が模範を示す」 あいさつ・返事・グランド整備・清掃・用具の手入れや整理整頓など、 できる事は率先して上級生がやって見せ、 下級生が一緒に行う事で自然に覚えていくものだ。 なぜそうする事が大切かと言うと、 上級生は2年間かけて部活動総てを理解し、 行動できる。 上級生が積極的に行動することにより、 下級生は迷惑かけまいとして知らず知らずの内に当たり前を覚えていく。 命令調に 「あれやれこれやれ」 と言われなくても、 できるようになり、 上級生に対して憧れと尊敬を持つものである。
      「勝った時は選手の力、 負けた時は監督の責任」 を肝に銘じ、 指導者は常日頃から選手以上に研究心を持ちアンテナを高く張り巡らせて情報入手、 指導法の幅を広げる努力をする。 指導者自身のレベルを上げることによって選手からの信頼を勝ち得ることができる。
  3. 部活動と入試制度
     昨年までは、 各学校が 「特色ある学校作り」 を掲げ、 それぞれが学校の特色作りを必死に考えてきたが、 平成25年度入学生 (平成25年 2 月入試) から入試制度が変更され、 今年度までの前期試験 (特技特色に重点をおく) と後期試験 (通常の一般試験) の形式が変更され、 一般試験だけになる。 ここで何が弊害になるかと言うと、 部活動に興味を持って大きな目標を立て、 今まで努力してきた生徒が、 学校選択の枠が狭まり、 希望する学校をあきらめる、 いわゆる学力だけでの選択幅しかなくなることだ。 今回の入試制度の変更によって、 いくつもの問題点が浮き彫りになる。
    1. 部活動の歴史のある学校の衰退、 学校の 特色 「目玉」 がなくなる。
    2. 高い目標設定を持って中学校での部活動を行う生徒 (人材) が少なくなる。
    3. 公立中学・高校での部活動の低迷につながり、 学校運営の活性化が失われる。
    4. 県が掲げるスポーツ神奈川の土台が崩れていく。
    5. 部活動は私学だけのものになりかねない。 現在、 種目によっては公立高校がかろうじて上位を維持している種目もあるが、 数年後はすべてなくなってしまい、 私学絶対の部活動 (スポーツ) になってしまう可能性が高い。
    6. 意欲を持って顧問をされる先生がいなくなり、 優秀な先生 (人材) を失う恐れがある。
       
     教科指導、 HR指導、 公務多忙の中、 部活動を通して、 生徒と時間の許す限り触れ合い、 一緒に汗を流し、 悩みを共有し、 目標に向かって突き進む先生が増えれば増えるほど生徒と人間としての触れ合いが深まり、 生徒、 保護者から信頼される人材になれる。
     生徒の部活動での能力、 努力、 活躍は教科の評価と同等かそれ以上と考える。 個人の特技特徴を反映させた入試制度でなければ不平等だ。 それは、 生徒が興味を持ち、 ひたむきに努力してきたものは最高に尊いものだからだ。 人間を教科の点数だけで判断してはならない。 生徒の能力 (特技・特性) を公立高校で開花させる為の、 生きた教育の原点に改定すべきである。

(とねがわ いさむ 日本体育大学女子ソフトボール部監督)

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