“検証 高校改革推進計画”を読んで
「改革」 後の光景に思う
 
阪本 宏児

  1. 「検証」 の読後感
      「検証 高校改革推進計画」 その 1 〜 3 は、 「検証」 と銘打つにふさわしい労作だった。 検証は都合46頁にわたるが、 総じて端的な記述は、 むしろ読みやすかった。 神奈川の高校改革を検証する視点として、 「1990年代に… 『ねざす』 等で再三にわたって指摘されてきた学校の問題点をどう改革していくか」 「社会構造の変化やさまざまな課題に対応した改革を次々と提起する教育政策とどう向き合うか」 (本誌47号48頁) の二つがあげられている点にも説得力を感じた。
     とりわけ刮目すべきは、 「検証」 3 に掲載された高校と入学者との相関を論じるためのデータ群だろう。 「研究所が使えるデータは限られており、 …県教委に、 データを出した上で検証していただきたい」 (49号、 42頁) とも記されているが、 検証とはそれを必要とする側が、 客観性が担保されたデータを自力で用意し、 自ら行うしかないものなのだ、 ということを逆に教えられた気がする。

  2. 「改革」 への挫折感
     私は2008年度から 4 年間、 神奈川県高等学校教職員組合の本部役員をしていたが、 統廃合と新タイプ校の創設に象徴される 「推進計画」 は、 多くの教職員にとって依然ネガティブな位相にある、 というのが、 その間に得た偽らざる感想である。
     当局側の担当者なら、 こう言いそうだ。
    「現場の先生方はいつもそうです」
     しかし、 (これも個人的印象にすぎないかもしれないが) 高校再編や新タイプ校を 「学校を変える機会」 と捉えようとした現場教職員も少なからずいた。 すなわち 「縦方向に幅をもった多様な生徒が学ぶ学校があってもよい」 「目の前の生徒たちに現状のカリキュラムは合っていない」 といった志向性から、 少しでもマシな 「改革」 をめざすスタンスとでも言おうか。
     なにより私自身もそうした一人であった。 高校改革に関連して、 横浜翠嵐高校定時制での教育課程改革 (24号、 1999年)、 その結果をめぐる座談会 (31号、 2003年)、 厚木南 (現厚木清南) 高校での 「前期再編」 体験について語った座談会 (36号、 2005年) と、 本誌に過去 3 回も執筆・登場させてもらった所以だ。
     にも関わらず、 いま 「改革」 へのネガティブな評価に接しても、 別の角度から意見を供していこうという気持ちは失せかけている。 多分、 以下のような光景が挫折感を抱かせるのだと思う。

  3. 定時制・通信制の課題集中校化
     今回の検証で言及された、 「改革前には別のものさしで測られていた定時制、 通信制が、 一つのものさしで測られるようにな」 り、 「縦の多様化は強化されたとも言える」 (49号、 45頁) 点は、 まさに裏切りの現実である。 その原因が 「現場の先生方」 などにあるのではなく、 公私の定員枠問題や 「進学重点校」 指定など、 当局の政策的誘導にあることは、 検証によって改めて明らかにされたと考える。
     2000年の前後、 定時制では教育課程のあり方が論点となっていた。 県教委が求めた 「改革」 諸々の当否はともかく、 多様さを増す生徒たち (年齢・入学理由・進路等々はもちろん、 のぞむ生徒指導までが極端に違った) を前に、 さまざまな判断が可能だったからこそ議論が成立したのだと思う。 ただし、 夜間定時制ならではの 「よさ」 が、 その小規模性にあることは誰もが認めていた。 問題は、 その 「よさ」 を活かして、 いかなる学校づくりをするかにあった。
     なのに、 「改革」 による統廃合と、 それと同時進行で起きた定員枠問題は、 結果的に 「課題集中校の問題の多くを定時制、 通信制に送って」 (49号、 42頁) 今日に至る。 翠嵐高校定時制の生徒数は、 この10年間でほぼ倍増した。 教育課程以前に、 「先生」 や 「教室」 の数が最優先課題となっているのが 「改革」 後の光景なのだ。

  4. 新たなタイプの多忙化
     新タイプ校の教職員からしばしば聞かされる 「多忙」 にまつわる話も、 改革を論じることをためらわせる。
     高校改革の先駆けとなった総合学科づくりに関わり、 現在も総合高校に勤務する南重行さんは、 「推進計画」 の評価点をあげる一方、 「…上からのトップダウンの改革ということで、 あれもこれもやれってのがどんどん来ますので、 現場がかなり疲れて」 おり、 「教員加配こそが最大の教育条件整備」 だと述べている (47号、 14頁)。 行論が全体的にフェアであるだけに、 「疲弊」 の指摘には強いリアリティを感じる。
     2004年度、 厚木南高校で再編後の講座数をめぐって当局担当者と協議した際、 「(一日の労働時間である) 8 時間全部授業をやってはいけないという決まりはない」 と言われたことがある。 「まずは理念を語れ、 持ち時間数から逆算などするな」 というのが本旨らしかったが、 「あれもこれもやれ」 の根本思想が垣間見えてはいないか。 持続可能な 「下」 からの改革をめざす側にとっては、 ほとんど 「外患」 である。

  5. 持続可能な改革こそ
     新タイプ校は新たなタイプの多忙化を生み出し、 学校間格差に一石を投じているかどうかも疑問…これもおそらく、 多くの教職員に印象づけられつつある 「改革」 後の光景の一つではなかろうか。
      「検証」 3 では新タイプ校の 「横の多様化につながる可能性」 (49号、 47頁) も指摘されており、 何事かを結論するのは早急すぎるかもしれない。 しかし、 「推進計画」 を立案し、 実施させた側には、 持続性への思慮があまりにも欠けるのではないか。
      「改革」 後の光景、 そして持続可能性を無視した高校改革は、 もはや語れなくなったと考える。

  (さかもと こうじ 旭高校教員)

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