“検証 高校改革推進計画”を読んで |
高校に求められている社会的要請とは何なのか |
中田 康彦 |
本誌47号以降の 3 回にわたる 「検証」 を読むと、 背景にある前史に始まり、 政策理念、 政策の帰結とを分節化し、 冷静かつ、 ていねいに検討されていることがわかる。 たとえば、 前期計画と後期計画とでは、 社会構造の変化への対応から教育政策の転換への対応が求められるようになっているという指摘にはなるほどと思った。 また、 推進計画策定前後の時期に、 「教職員組合、 教育行政、 それぞれの立場を反映して表現の仕方や力点の置き方は違うが、 次のような点では改革の方向はほぼ同じであった」 という点は部外者には新鮮であったが、 政策の評価すべき点は評価するという現実的姿勢にはうなずけるものがあった。 「検証」 その 1 は、 本誌のバックナンバーをはじめさまざまな文献・文書をふまえた歴史が描かれている。 「推進計画」 が立案・実施された十年より前に何があったのかという現代史の叙述は、 若い世代に一読をすすめたい。 歴史的背景を知ることは制度改革を分析するうえでも、 教育運動の方向性を固めるうえで重要なはずだからである。 「検証」 に対する感想はそのぐらいにしておき、 高校改革推進計画そのものへの感想にうつりたい。 高校制度改革とは、 だいたい、 (1)多様化と、 それと連動するように実施される統廃合にどう向き合うか、 (2)入学時の適格者主義にどう向き合うか、 (3)出口保障としての職業・キャリア教育をどうするか、 という点にあるように思う。 選択科目の拡大をどう考えるか、 単位制高校や総合学科の導入への対応をどうするか、 といった論点は(1)に含まれる。 「百校計画」 時代 (1973〜1988) の高教組の 「高校教育問題総合検討委員会は、 高校の将来像として総合制を目指すとし、 普通科を目指すことがあってはならないと述べていた。 だが、 それはあくまで理念であった、 実践は伴っていなかった」 と記されている。 総合高校・総合学科が一通り展開され、 <総合制>の理念と総合学科の現実との距離が明らかになりつつある現在、 既存の総合学科をどうするかという具体的な検討が次の課題になるだろう。 全員入学や希望者全入、 全日制進学率や計画進学率の問題は、 入試の方法と並んで(2)に含まれる。 学校間格差の問題も(2)に含めてよいのではないだろうか。 「改革は課題集中校の問題の多くを定時制、 通信制に送ってしまっている」 という総括は重要である。 定時制は固有の教育実践空間になりうる一方で、 不本意入学者の受け皿と位置づけられているという両義性から逃れられない。 この現実の中で、 今日課題となるのは、 通信制をどう考えるかではないだろうか。 通信制は定時制よりも<負担>や<圧力>が少なく、 そのぶん自己管理が求められる世界であり、 実際には高校中退からのステップとなっているとすれば、 全日制普通科からはみでた生徒の受け皿となっているとはいえないだろうからである。 これまで以上に資源の選択と集中が行われるようになるだろう。 高校の多様化とは、 生徒の多様な自己実現の経路となる可能性をもつ一方で、 こうした格差を格差と感じにくくする作用をもつという点で両義的である。 進学機会の保障という点での有利不利が露骨になることの問題性は自覚しやすい。 しかし、 出口保障の方向性が大学進学のみに収れんしていくことを自明視しがちだという点は自覚しにくい。 高校多様化政策に対する意見がわかれるとすれば、 「生徒の自己実現を支えるとはどういうことか」 という問いへの立場が鋭く問われるからだと思う。 この問いについて教職員組合はどういう姿勢をとるのだろうか。 最近議論がとみに盛んになっている、 普通高校における職業・キャリア教育などは(3)そのものである。 雇用情勢の悪化と社会構造の変動により、 学校から社会への移行が高校教育政策にとっても現場にとってもプライオリティを高めてきている状況を、 高校教育の位置づけが完成教育ではなく準備教育へと変わった、 と把握している点が印象的だった。 専門高校における専門科目の単位数の減少=普通高校への接近という変化も、 いうなれば後期中等教育段階で実施可能な専門教育と職業社会の要請に乖離がみられるようになってきた、 と説明できるだろうか。 学校教育法には高等学校の目標として、 「高度な普通教育と専門教育」 が掲げられている。 これは普通高校、 専門高校、 総合高校すべての学校類型に共通しているはずである。 「心身の発達及び進路に応じて」 という修飾語がついているが、 普通高校、 専門高校、 総合高校といった高校の類型がそのまま高校生の 「進路」 を意味するわけではない。 それでは 「普通教育」 と 「専門教育」 のかねあいをどうとらえればよいか、 専門教育を狭義の職業教育=職業準備教育に矮小化してよいのか。 これは 「検証」 や 「推進計画」 そのものに対する問いではないが、 高校に求められている社会的要請とは何なのか、 改めて基本に立ち返ってみようと思わされた。 |
(なかた やすひこ 一橋大学) |
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