今、ここを起点とするインクルージョン |
中 田 正 敏 |
「インクルーシヴ教育システムの構築」について国レベルでも最近になって大きなテーマとなってきている。 まずは、障害者権利条約をめぐる動きである。2010年、国連の「障害者権利条約」の批准に対応するため、内閣府は「障がい者制度改革推進会議」を設置した。検討の結果は「障害者制度改革の推進のための基本的な方向(第一次意見)」にまとめられ、これを「最大限に尊重し、我が国の障害者に係る制度の集中的な改革の推進を図る」こととして閣議決定し「障害者制度改革の推進のための基本的な方向について」が6月に打ち出された。11の領域の中に教育もあり、「障害のある子どもが障害のない子どもと共に教育を受けるインクルーシヴ教育システム構築の理念を踏まえた制度改革の基本的な方向」を検討するとしている。 2つめは特別支援教育をめぐる動きである。中央教育審議会では、ほぼ10年前からの調査研究協力者会議の報告を踏まえ「特別支援教育を推進するための制度の在り方について(答申)」が報告され、これを受ける形での文部科学省の「特別支援教育の推進について(通知)を出し、既に方針を確立していたことは周知の事実である。 しかし、障害者権利条約をめぐる動きは教育の領域を含むものであり、このため、2010年に中教審の初等中等教育分科会に「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」が設置され、審議の中間とりまとめとして「論点整理」が発表されている。 そこでは、「インクルーシヴ教育システム(包容する教育制度)の理念とそれに向かっていく方向性に賛成」であるとしている。その上で「インクルーシヴ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある児童生徒に対して、その時点で教育的ニーズに最も的確にこたえる指導を提供できる多様で柔軟な仕組みを整備することが重要」であるとし「子ども一人ひとりの学習権を保障する観点から、通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある『多様な学びの場』を用意しておくことが必要」であるとしている。 ところで、インクルージョンをめぐっては多様な見解がある。対象について「特別な教育的ニーズ」という表現をするにしても、サラマンカ宣言の行動大綱のように、「多くの子どもたちは学習の困難を経験しており、それゆえ、学校教育を受けている期間にはいつでも誰かが『特別な教育的ニーズ』をもっている」としてかなり幅広く捉えているものもあるし、かなり限定して対象を捉えている見解もある。 また、どこでどのような支援を想定するのかという点に着目してインクルージョンには4つのバージョンがあるという研究がある。 第1バージョンは「ノン・エクスクルージョン的フル・インクルージョン」である。通常の学校システムの中で特別な支援は一切ない形で多岐にわたる多様性に対応しようとするものである。通常の学校システムの大きな変革が鍵になるとしている 第2バージョンでは、「同一の場所への参加重点型」である。特別な支援については通常の学校のシステムの通常の学級に必要な場合に提供するものであり、場を別にする特別な教室は設定しないというものである。 第3のバージョンは、特別な場所での個別学習などの支援については一次的な利用に限定して受け入れるが、基本的には通常の学校へのインクルージョンを軸とした「個別のニーズ重点型」である。 第4バージョンは、「選択的インクルージョン」である。これは、通常の学校や学級に参加する権利を維持しつつも、特別な条件整備を正しいとする路線にまで及んでいる。特別な環境やプログラムが選択できるようにしておくシステムである。 先に触れた「多様な学びの場」という考え方は、第4バージョンに近く、「理念及び向かっていく方向性」として抽象的に触れられたものは第3、第2、第1バージョンに近いのかもしれない。 こうした研究や、先に触れた「報告書」の背景にも、「インクルーシヴ教育システムの構築」についてはかなり広範で、相互に対立する多様な意見がある。 このような状況の中で多様な考え方のうちどれを選択することが適切なのだろうか、という問題の立て方もある。しかし、インクルージョンについては多様な理解があることを前提として、「どこまで行くか」という問題の立て方を採らない方法もある。そのひとつに、イギリスのインクルーシヴ教育研究センターの「インクルージョンのための指標」がある。 そこで示されたインクルージョンについての考え方は示唆的なものがある。 まず、誰でもインクルージョンのような複雑なコンセプトについてはそれぞれ相互に異なる見解をもっていることを前提としている。しかし、それぞれ異なる見解をもっていたとしても、というより、むしろ、そうした相違があることによって、それぞれが多様な見解を日々の実践的な活動に結びつけて協働することが促進されるとしている。 すべての生徒たちは日々の学習やその他の諸活動へ参加する際になんらか障壁に出会うことがある。それが苦境として、困り感として生徒に経験される。生徒との教職員のあいだのやりとり、教職員のあいだのやりとりの中で、ある生徒の活動への参加を阻む特定の障壁を見出され、それを最小限化する実践的な取り組みが行われる。このプロセスを開始することによって継続的なプロセスとしてのインクルージョンが開始される。 起点は、自分の学校での日々の実践、現在の生徒の様々な活動、教職員の様々な活動であり、それらについて特定の指標を軸に一定の分析を現場の視点で実施し、インクルージョンの契機を見出すという考え方である。 例えば、「授業は生徒の参加を促進しているか」という指標がある。これらについて、うちの学校ではどうなのか、という形で大まかな印象を語り合った後で、「生徒の視点から教えることや支援をする試みをしていますか?」「授業では生徒たちのあいだの対話はもちろん、教職員と生徒のあいだの対話を奨励していますか?」などの問いの例示があって、吟味を深めるプロセスが示されている。また、こうした問いの立て方自体についても吟味を加え、学校独自の問いを立てることを推奨している。その意味で、例示的に示された問いは、批判的に現状を吟味する「叩き台」のような役割を果たしている。言い換えると、ふだんあまり意識していなかった考え方の違いがお互いに浮き彫りになり、そうした違いが解消される方向性ではなく、その違い差自体が資源となる可能性を追究している。 今、この現在の実践の場で、学習やその他の活動への障壁があり、困難を感じている生徒がいるのではないか、また、さらに、それは生徒に限らず、学校を構成している人たちすべてについても多様な活動に困難を感じているのではないかを吟味をしていく、という視点を基本としている。さまざまな障壁を顕現化させ最小限化する運動をインクルージョンとして捉えているのである。その意味では、インクルージョンの問題を、「どこまで」ではなく、「どこから」というように、着実に歩むプロセスとして考えているとも言える。 インクルーシヴ教育システム構築は、それぞれの学校現場における実践の吟味から構想していく道もある。実践を通して組織文化もしだいに変革される。 |
(なかた まさとし 教育研究所代表) |
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