特集T 通信制高校は今
横浜修悠館高校は今
 
井上 恭宏
 
  • はじめに
    2011年度の教育研究所の公開研究会。私は「横浜修悠館高校の今」として報告を行い、討論に参加した。
    神奈川県立横浜修悠館高校は、2008年度に開校した通信制独立校である。それまで、神奈川県立の通信制高校は、湘南高校通信制(全日制・定時制併置)、横浜平沼高校通信制(全日制併置)、厚木清南高校通信制(全日制・定時制併置)の「県立3通信」であった。横浜修悠館高校は、湘南高校の通信制の課程と横浜平沼高校の通信制の課程とを集約して2008年度に開校している。通信制単独で公立高校を設置するというケースは全国的にも珍しい。厚木清南高校通信制が単年度の募集人員を270名とするのに対して、横浜修悠館は1250名の募集人員である。約5倍の人員である。現在、在籍総数は5000名近くに上り、2011年度の実活動生徒数は2863名となっている。教職員は管理職、専任の養護教諭、図書館司書、現業職員を含め60名弱が配置されている(大要として、通信制の教員配置は全日制の5分の1となる)。学級は40学級、担任は40名であり、1クラスの在籍数は約120名。学校全体をみれば「小さな村」にも匹敵する。研究会での報告は、「村人の一人」としての視点からのものである。
  • 横浜修悠館は通信制
    開校初年度、横浜修悠館を全日制だと思って入学してくる生徒が相当数いた。「公私6:4の比率の合意」によって、公立中学校3年生の8割が公立高校全日制を希望しているのに、2割の生徒が定時制や通信制への進路をとらざるを得なくなっているといったことを背景に、「平日に通える通信制」を特色とする横浜修悠館が開校したからである。何冊もある報告課題集(レポート)をはじめて見て、「これはいったい何・・・?」というミスマッチが起こっていたのである。現在では、横浜修悠館が通信制であること、自学自習を基本とすることを学校サイドからアピールするようになっている。
  • さまざまな課題と工夫
    近頃は、通信制をスポーツ、芸能など各方面で活躍するスーパー高校生や有名大学への進学をめざす生徒のための高卒資格取得システムととらえる傾向もあるが、実際に多数の生徒を受け入れていく横浜修悠館の最重要の役割はさまざまな課題を抱えるさまざまな生徒たちのセーフティーネットになることとなっていった。私自身は、みんなの課題が集まる、みんなにとっての課題としての学校。そうした意味もこめて「みんなの課題集中校」などという言い方で、横浜修悠館の存在を各方面へと伝えていった。
    多様な課題に対応するため、いきおい教職員はさまざまな工夫を試みていくことになった(工夫というよりも、ゼロからの作り上げだという教職員もいるかもしれないが)。開校時に導入されていた科目の分割単位認定のシステムを廃止し、標準の年度間単位認定にもどす。1〜6限までの時間割を1〜4限へ変更し、5・6限を個別支援プログラムにあてる。評価、評定を「試験重視の評価」から「総合到達度評価」へと変更する。生徒指導の面では、「教員の指示に従うこと」が徹底化されていった。これらの工夫の背景には、広い意味での支援教育の考え方がある。通信制は、複雑なシステムを持つ学校だが、それは働きながら学ぶ人たちのために編み出された「いつでも、どこでも、だれでも」のシステムである。それは、使いこなせれば驚くほど自由で深い学びにつながっていく。しかし、使いこなせなければ、無重力空間に放り出されたのと同じ。何をどうすればよいのかわからなくなってしまう。そこから、「わかりやすさ」がより追求されることとなった。教員が指示を明確に出し、「こうしたら、こうなる」「これをやらなければ、こうなる」といったことをしっかりと伝えることで、不安をとりさることが大切になってくるからである。また、膨大な数の生徒の声を聞く、困り感を知るということに懸命にとりくむようにもなっている。それが「わかりやすさ」への工夫へとふたたびつながっていく。
  • 変わっていかないこと
    工夫がなされる一方、変わっていかないことも多々ある。絶えず生徒が増加する。さまざまな課題を抱えるさまざまな生徒がその課題の質と量ともに増加する。これに伴って、添削をはじめとする「作業」の量が増加していく。平日のスクーリングに参加する生徒の数が増加し、スクーリングに参加せずに「溜まる」生徒の数も増加する。そして、これらに対応するために工夫をしつづけなければならなくなる。こうした点は変わっていかない。
  • 3つのことがら
    私は、1997年から2004年までの8年間、厚木南高校の通信制に勤務している。2校の通信制経験をふりかえると3つの点が浮かび上がってきた。@として。通信制の教員はよく工夫をするということである。通信制にいると教員が工夫をするようになるということなのだろう。たとえば、体育である。通信制では、体育が工夫されていく。体育が苦手な生徒が通信制には多い。そこで、厚木南通信では気功が取り入れられていたし、横浜修悠館では個々の生徒の状況に応じた「声かけ」や「個別の対応」などについて工夫が試みられている。それは、通信制の生徒がどういった生徒なのかを通信制の教員がわかるようになるということでもある。Aとして。「通信制は近代学校を超える実践の場」。このイメージが通信制に対する私のイメージのかなりの部分を占めるものであった。ところが、横浜修悠館は学校に行けない、学校に行かない子どもたちをとりあえず収容しておくところの、「学校に行かなければ一人前じゃない」という価値の制度化をすすめる学校化の補完物のようにしか見えなかった。けれども、それでも、通信制のシステムは強かったようである。通信制のシステムによって、さまざまな課題に対応しつづけること。この通信制のシステムが無ければ、横浜修悠館は完全に機能不全に陥っていたはずである。Bとして。「通信制は冷たい学校だ」「通信制は先生と生徒のつながりがうすい」。通信制に勤めていると、そうした声を耳にすることがある。それでも、「通信制という場によって生徒と教員のつながりが深くなる」という経験を私はしてきた。それは、横浜修悠館においても程度の差こそあれ「同じ」である。高校受験。不合格をくりかえし、たどりついた横浜修悠館でふてくさっている生徒がいる。彼ら、彼女らに「おまえたちが悪いんじゃない。がんばれ、がんばれ」と声をかければ、それに応えてくれる者も出てくる。生徒と教員のつながりが通信制の場によって深くなる場合もある、ということである。
  • 横浜修悠館のこれから
    現在、私立の通信制は過当競争の段階に入り、右肩上がりの開校数が下降へと転じている。通信制を取り巻く状況は、横浜修悠館を含め、さらなる変化の時代に入ることだろう。通信制はその柔軟なシステムから、時代ごとのさまざまな教育課題に対応する役割を担ってきた(たとえば、1980年代の「中退問題の時代」においては、転編入生の「受け皿」の役割を担った)。横浜修悠館が担うことになる課題もまた変化していくことになるであろう。「横浜修悠館のこれから」である。

  (いのうえ やすひろ 教育研究所所員)

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