学校から・学校へ (X)

教員生活の終わりに若い世代に伝えたいこと

井本 みち子
               
 再任用の4年を経て計34年の教員生活が終わった。
 採用の段階から女性差別、既婚者差別と闘いながら得た仕事であったが、職を得てからも出産子育てと仕事が両立できる働きやすい環境を求めて、神奈川県高等学校教職員組合(神高教)の女性委員会で議論したり県と交渉したり、一方でジェンダーフリー教育を追求した34年であった。
 この34年の間に働く環境も女性をとりまく状況もずいぶん変化した。
1976年6月ある高校に非常勤として働きはじめた。採用試験がすぐにあるというので必死に勉強、採用試験は十分手ごたえがあり、合格の結果に安心した。その高校は新設校で、次年度からクラス規模が増え、数学の教員は2人増だと聞いた。しかし、私に話はなかった。思い余って校長室に行くと「びりでも男がほしい。」と言われた。そういうことを管理職が平気で言える時代だった。教育委員会に電話すると、もう採用枠は決まっていて、採用予定者は健診も済んでいるとのこと、頭にきた私は受話器を思い切りたたきつけた。東京都の採用試験にも合格しており、東京で働こうと決意したその翌日神奈川県から電話があった。電話の切り方のすさまじさに、この人はやってくれるだろうと思ったとの話、急に勤務校があてがわれた。しかし、差別された者は決してそのことを忘れない。女性差別と闘おうと決意した原点である。
女性差別はどの学校にも普通にあった。朝や職員会議のお茶汲みは若い女性の仕事だった。やらない私は先輩に叱られた。受付や卒業式の介添えは女性の役とされた。セクハラだって日常茶飯事だった。文句を言うほうがヒステリーだと言われた。職員会議は煙草の煙で前がよく見えなかった。数年後、妊娠したときその煙に泣きたくなった。お腹の子を守ってやれないと不安になった。今ではそんな光景はまったく見られない。女性たちが声をあげてひとつひとつ解決していったからである。85年に女性差別撤廃条約が締結されるという時代の流れもあった。出産、子育てと仕事の両立のための条件もずいぶん整備された。この先若い人が増え、これまでに獲得した諸権利を行使しながら出産、子育てをしていくだろう。個人としてはそれでいいのだろうが、これらの権利が当たり前に存在したのではないことを知っていてほしい。この先新しい問題に直面したときに、これまでの女性の一歩一歩に思いをめぐらし、自らも問題解決に努力して後人に残していってほしい。
 初任で勤めた高校は第2組合の強い高校だった。運営委員会という校長が選んだ職員で構成された組織で大事なことはすべて決められた。職員会議は形だけだった。つまり今の企画会議が30年前にも存在していたのだ。多くの議題が運営委員会の報告事項として提出され、反対意見を言っても修正されることは少なかった。大量採用で着任した職員たちはなじめなくて不満が募り、職員一丸となって運動をすすめた。職員会議が学校の中心ととなり、学校の様々なシステムが民主化された。30年前民主化運動はあちこちの高校で展開されたが、担った人たちも退職したか、退職を目前にしている。あの民主化運動が教職員の記憶のかなたに消えることが残念だ。忘れてはならない運動だったと思う。
 今30年前のような民主化ができるとは思わない。でもいつか民主化できる日が来ることを信じてほしい。企画会議の存在は私のような世代の者には到底認めがたい。一部の人の中に年毎に強く醸成される、自分は選ばれた優秀な人であるという意識は鼻持ちならない。この状況がいいと思っている人は少ないだろう。何とかしたいと皆が思っているなら、いつか必ず変えることができる。それは私たちが通ってきた道が示している。
 職員会議が学校の中心でなくなったことは大きな損失をもたらした。自ら意思決定に参加できない状況では若い人の育ちが期待できない。つい最近まで職員会議は若い人の学びの場でもあった。責任をもって議論や採決に参加するから育つ。そういう大事な場を今のシステムは取り上げてしまった。このままではしっかり教育を考える人が育つとは思えない。
教育とは何か、生徒に何を伝えればよいか、教育に迷いはずっと付きまとう。県の研修で学べないことが組合では学べる。組合は人生の学校である。若い人の育ちの場としてぜひ組合に加入してほしい。これまで積み上げてきた組合の財産、ジェンダーフリー教育などの人権教育や平和教育を継承し、生徒に返してほしい。それを先々まで伝えてほしい。
たとえば混合名簿は私たち組合の女性解放教育小委員会が全国に向けて発信し、全国的な運動となったものだ。その結果男女別名簿を使用している高校はわずかになった。神奈川では皆無である。若い人は当然のように思っているがそうではない。女子にスカートのみを強制する性別制服についても私たちがその廃止を提案してきた。今ではスカートのみという高校は神奈川では少なくなった。県が導入している男女平等教育などの研修のなかには実は日教組や神高教の教研で提起し議論してきたテーマを県が取り上げたものもある。組合活動の成果である。しかし県とは立場が違う。やはり組合で学んでほしい。
 生活指導の最近の状況をみて思う。ゼロトレランスでないとだめなのかと。悩まずに指導している人は少ないと思うが、生徒に厳しい管理を押し付けていると、いつか自分に跳ね返ってくるよと言いたい。大阪の橋下市長の単純な思考回路も、橋下市長になびく若者を育てたのも、自主性や深い思考の芽を摘む管理教育のせいではないかと思ってしまう。権力に従順な教師に育てられた生徒がファシズムを受け入れる。組合離れと表裏一体である。
 「困っている人」の著者大野更紗さんに感心するのは、入院中の厳しい管理に屈せず、自らの道を築き上げて行ったこと。最近長崎に旅行したが、バスガイドさんが永井博士の「この子を残して」を15分にわたって空で朗読してくれた。平和教育がここに生きていると感動した。あるテレビ番組で橋下氏に「誰のための教育ですか。私は橋下さんを反面教師として、自ら教師となるべく進路に向かってがんばっていきます。」と涙ながらに語った若者もいる。私は3人をはじめとする若者の存在に未来を信じたい。この3人のような若者に寄り添える教育を今後も目指してほしいと切に願う。
                           
 (いもとみちこ)
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