特集U |
「変わったこと、 変わってないこと」 |
田 中 真 実 |
3 月11日の東日本大震災以来、 何かがすこぶる変わったかと言われると、 そんな気はしていない。 ただ、 自分の中で、 もやもやと日頃思っていたことや、 疑問、 不安がクリアに感じられるようになったというのが、 実感していることだ。 そういう意味では、 何もかもが変わってしまったのかもしれない。 私は普段、 学校などに芸術家と出かけていき、 いわゆる芸術を専門とはしていない人たちと一緒に芸術活動を行っている。 私自身が人前に立って歌ったり、 演じたり、 絵を書いたりするわけではないが、 両者の間に入り、 調整をする。 その場にいる人たちの立場が、 自分も含めて対等になるように、 それぞれやりたいことができるように。 企画が立ち上がるところから、 振り返りやその後にどうやってつなげていくかというところまで、 最初から最後まで立ち会い、 考える。 仕事をしていると、 顔を突き合わせている人たちのことを考えるようになる。 学校を例にとってみれば、 先生や子どもたち、 そして芸術家のことだ。 その人になってみることはできないけれど、 どんな日常を送っているか、 何に興味があるのか、 どんなことを考えているのか。 その人たちとなるべく同じ視点を持ちたいと思っている。 時には障害のある子どもたちが通う、 特別支援学校に出かけていくこともある。 障害のある人たちとそんなに密に接した経験があるわけではないので、 戸惑うこともたくさんある。 けれど、 通えば通うほど、 触れれば触れるほど、 自分との違いが分からなくなってくる。 目が見えない、 耳が聞こえない、 立てない、 落ち着いて座っていられない。 どれも 「ない」 という言葉で表現されてしまう、 彼/彼女らの特性は、 その分、 「ある」 もたくさん持っている。 気配を察することができる、 触覚が繊細である、 立っているのとは違う視点でものが見られる。 個性というには、 大きすぎるのかもしれないけれど、 怒りっぽい、 気がつく、 せわしない、 寂しがり、 涙もろいというように、 もう少し、 その人のこととしてとらえてもいいんじゃないかと思っている。 障害があろうとなかろうと、 生きている以上は対等で、 問題は社会にその準備がまだまだ整っていないことなのだから。 人には、 他者と出会ったときに二つ考え方があると思っている。 一つは、 自分とは違うものとして、 線を引いて考えること。 もう一つは、 同じかもしれないと思って、 違いを自分の中に取り込んで考えること。 私は、 後者の考え方に近い。 近いというか、 後者のような居住まいでいられたらと思っている。 芸術文化の世界でも、 被災地支援ということは考えられているし、 たくさん行われている。 この支援という言葉に、 線を感じてしまう。 支援という言葉がどうもしっくり来ないのは、 「あなた」 と 「わたし」 は違っていて、 傷ついているあなたを元気なわたしが助けてあげる、 そんな風に聞こえてしまうからかもしれない。 それは、 先ほどの障害がある人たち対して引かれる線と大して変わりがないように思う。 もっとも実際の現場はそんなに単純ではなくて、 渾然一体になっているのだけれど。 もっともどんなにその線をなくそうとしたって、 なくすことはできない。 やっぱり 「あなた」 と 「わたし」 は違うから。 でも、 想像したり、 同じものを見つめてみたり、 ご飯を一緒に食べたり、 よくよく話をしてみたりするところから始めてみたい。 こうやって書きながらも、 自分の中にある線について考え、 迷い、 悩んでいる。 やっていることは正しいか、 この判断は正しかったのか、 この書き方で伝わったか。 考え続けることは大変だけれど、 ぼちぼち折り合いをつけながら、 これからも考え続けていきたいと思う。 |
(たなか まみ NPO法人STスポット横浜) |
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