特集T 公立高校入学者選抜制度
高校教育の立場から

 
本 間 正 吾
 
  1. 中学校と高校の接続をどう考えるか
     最初に考えたいことは、 すべての中学卒業生に後期中等教育の機会が保障されなければならないということです。 いまは高校を卒業していることが社会生活上の重要な条件になっています。 すべての中学卒業生に高校で学ぶ機会が保障されていなければならないということは、 おそらくだれもが認めざるをえないところではないでしょうか。
     二つ目に考えたいことは、 中高の教育が入試の重みにより歪められてはならないということです。 入試が重すぎれば、 中学校の教育活動は入試を意識し、 それに引きずられてしまいます。 授業も学力検査を意識します。 生徒会や部の活動も入試という観点から見られてしまいます。 この重責から中学校の教育活動は解放されるべきだと思います。 高校もまた、 選抜によって望ましい集団を確保することを前提にして教育活動を展開するようなことがあってはならないと思います。
     こう考えるならば、 入試そのものがないことが望ましいと言うことになるでしょう。 しかしいま、 入試廃止を現実的な目標としてかかげられる段階だとは思えません。 次善の策、 まだましな制度をつくっていくしかないと思います。 その場合はどんな視点が考えられるのでしょうか。
     入試制度を考える上の視点をとりあえず三つあげておきます。 一つ目は、 いまの話と重なりますが、 受検生、 中学校、 高校にとって負担が軽いしくみであるかどうかです。 二つ目は、 一定の意味が見えるしくみかどうかということです。 何のためにこの検査を受けるのか、 その意味が見えるしくみであることが必要です。 そうでなければ受検生は負担に苦しむだけです。 三つ目は、 一定の信頼が得られるしくみかどうか、 言いかえれば合否の結果に納得が得られるかどうかです。 もちろんすべての人を納得させることができる制度が可能だとは思いません。 不合格になった受検生にとっては、 どんな制度でも納得できるわけはありません。 しかし少なくとも、 その結果に大方の信頼が得られるようなしくみになっている必要はあると思います。
  2. 今回の 「改善案」 について
     こうした視点を踏まえながら、 今回の入選改革を考えてみます。
     前期・後期の二段階になっていた選抜が一段階になることは大きな改善点です。 現行の入試制度の最大の問題点はここにあったと言えます。 受検生の大半が一回は不合格を経験していました。 「先生どうして私は不合格だったの」 と新入生から聞かれることがいくどもありました。 本人にしてみれば一所懸命練習をし、 完璧に面接ができたつもりだったのでしょう。 何が悪かったのか分からず悩んだのだと思います。 後期で合格したから良かったのかもしれません。 それでも前期での不合格は大きな傷を残すことになったのです。
     次の改善点は調査書の記載事項の点数化がなくなることです。 記載事項の点数化はポイントを数える側から見ても、 数えられる側から見ても、 納得のいかないものでした。 同じようにがんばっても役職の違いによって点数になったりならなかったりします。 同じ部活でも、 ある中学校は運良く県大会に出場でき、 別の中学は運悪くできないこともあります。 それによって点数は開きます。 こうしたやり方が教育的とは思えませんし、 信頼が得られるとも思えません。 それがなくなるという点では改善といえるでしょう。
     さらには独自問題がなくなる方向も改善といえるでしょう。 一部の学校が、 あたかも特殊な学校のシンボルでもあるかのように独自問題をつくり、 他の学校との違いを際だたせる、 こうしたやりかたには大きな問題がありました。 そして現場の負担も途方もなく大きいものでした。
     しかし、 これで受検生、 中学校、 高校現場にとって負担が軽くなった、 問題はなくなったといえるでしょうか。 新しい問題が発生してくる予感があります。
  3. 「一体化」 がもたらす問題
     くりかえしになりますが二回に分けていたものが一回になることは改善だと言えます。 しかし二回に分けていた内容を一回にまとめた、 つまり 「一体化」 したことは重い負担を負わせることになると思います。 面接と学力検査の両方を全員が受けることになったわけです。 受検生は、 学力検査で緊張しています、 面接で緊張しています。 手と足が上手く動かなくなるほどです。 それが 2 日か 3 日にかけて続くわけです。 負担が小さくなったとはとてもいえないでしょう。 そしてまた受検生をサポートする中学校の負担も軽くはないと思います。 さらに高校側の負担も大変です。 たしかに二回だったものが一回になります。 しかし事実上 1 週間かかります。 会場準備に 1 日、 学力検査に 1 日、 面接に 2 日 ( 1 日では無理です)、 採点日が 1 日、 土日を考えるならば 1 週間が必要です。 3 年生が大学などを受験している 2 月、 1 、 2 年生が進級を控えている 2 月の一週をまるまる入試に使うことには大きな問題があると思います。
     今回の改善案の柱は、 前期・後期の二段階の制度を 「一体化」 したところにある、 だから一回の負担が重くなるのはあたりまえだと言うかもしれません。 しかし重い負担に見合っただけの意味が見えなければ、 納得が得られるとは思えません。 ここに今回の制度改革の成否がかかっています。 制度改革の意味が、 中学校、 高校、 とりわけ受検生に見えなければ、 ただ 「一体化」 による重い負担だけが残ることになります。
  4. 可能な改善策は
     ここでいくつかの提案をさせて頂きたいと思います。 いまの段階で考慮の余地が残されているかどうかはわかりません。 しかし私なりに思いつくことを並べさせていただきます。
     私は中学校が作成する調査書が選抜資料としてはもっとも信頼できるものだと考えています。 中学校では生徒の成績をつけるのに大変な時間と労力をかけています。 試験をし、 提出物を出させ、 発表させ、 様々な材料を使い、 様々な角度から評価しています。 それに比べれば面接はどうやっても 1 人あたりわずか10分程度しか時間をかけることができません。 そこで得られる情報は限られたものでしかありません。 学力検査は一日を費やすとはいえ、 一回だけのものです。 しかも 5 教科に限られています。 しかも当然ながらペーパーテストでしかありません。 中学校で時間をかけ学校として責任を持って作成した調査書が、 わずか10分程度の面接と同等、 あるいは一回の学力検査よりも小さな扱いになることは説明がつかないと思います。 私は中高接続にあたっては、 中学校の調査書がもっとも重視されるべきだと考えます。
     ただし調査書にも問題があります。 過去の資料であり、 修正がきかないという問題です。 それを補う意味で学力検査や面接の役割もあります。 しかし重い負担を負わせて、 二つとも実施する必要はありません。 学力検査か面接のどちらかひとつで十分だと思います。
     大部分の学校は学力検査の方を選ぶ結果になるかもしれません。 しかし面接には志願理由や意思を明確にするといった意味もあります。 受検生は面接にそなえて一所懸命考えます。 なぜこの学校、 この学科を選んだのか、 考えをまとめるよい機会になります。 そういう意味で面接を選ぶ学校もあると思います。 学力検査をおこなわず面接試験だけをおこなうという選択肢は、 クリエイティブスクールに限ることなく残されるべきだと思います。
    ただ面接については注意しなければならないことがあります。 あくまで面接で評価対象になるのは、 聞かれたこと、 答えたことだけです。 調査書の記載事項であろうが、 特長や実績を自分で書いた書類であろうが、 どれほど書いてあっても参考資料にすぎません。 実績があろうがなかろうが、 面接を受ける時点では同列にあつかわれるはずです。 そうでなければ、 公平な面接とはいえません。
     
 最後になりますが、 気がついたいくつかの項目をあげておきます。
 一つ目は再募集制度の改善です。 不合格になっている生徒に大きな負担を課すべきではありません。 できるだけ簡易なしくみにすべきだと考えています。 結論を言えば、 再募集は書類審査だけでもいいのではないでしょうか。
 二つ目は通学区域、 学区の設定です。 高校が地域に理解されていてこそ、 生徒たちの育つ場が成り立ちます。 高校が地域に理解されるためには、 地域に見える学校、 地域に住む子どもが通う学校であることが必要です。 学区が持つ積極的な意味をもう一度見直す必要があると思います。
 三つ目は公立全日制高校の募集枠の拡大です。 神奈川県では全日制高校への進学率はすでに90%を割り込んでいます。 その結果、 全日制に通うことが可能であり、 入りたいと願いながらも、 全日制への進学がかなえられない中学卒業生が毎年たくさん出る結果になっています。 そうした生徒のかなりの部分は、 定時制、 通信制高校に進学することになります。 全日制高校の受け入れ枠が十分にあってこそ、 全日制とは違ったしくみによって高校教育を保障するという、 定時制、 通信制の役割も生きてくるようになるはずです。
 こうした問題についても入試制度の改善案をつくっていく中で、 ぜひ考えてもらいたいと願っています。


おわりに
 入試で必要だから勉強しなさい。 入試で評価されるから、 これをやりなさい、 あれをやりなさい。 勉強に、 学校内外での様々な活動に、 子どもたちはこんな言葉で駆り立てられてきました。 もうこのやり方からは卒業すべき時期ではないでしょうか。 むしろ接続を軽くすることによって、 中学校と高校における教育活動を、 自由で柔軟なものにしていくことができるはずです。 「学力」 をめぐる最近の議論を見ても、 中高接続についての考え方を根本的に切りかえる時期に来ているのではないかと思っています。

  (ほんま しょうご 教育研究所員)

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