当然だが、 選抜制度や検査内容の変更は、 中学生の学びや生活に大きな影響を与える。 そこに生じるさまざまな不安や期待は、 生徒・保護者の要望に応えることを第一義とする学習塾にとって、
重大な関心事である。 提供する商品やサービスの内容を、 変更・改善する契機になるからである。 学習塾で働く者が選抜制度について強い関心を持っている所以である。
そこで、 この稿の前半では、 学習塾から見た新しい選抜制度の疑問点を提示する。 また、 後半では、 今回のシンポジウムにおける議論が、 学習塾からはどのように見えるのかを話題にしたい。
私自身、 昨年 7 月から始まった 「入学者選抜制度検討協議会」 (以下、 「協議会」 とする)を毎回欠かさず傍聴してきた。 そのため、 今年 7 月に県教育委員会が公表した 『神奈川県公立高等学校入学者選抜制度改善方針 (案)』 (以下、 『改善方針案』 とする) には、 特に驚くところがなかった。 3 月に協議会がまとめた 『入学者選抜制度改善について (報告)』 (以下、 『改善報告』 とする) から、 十分に予想がついたからである。 しかし、 『改善報告』 が具体化された 『改善方針案』 には、 幾つか納得感の低い点があった。
- 面接を共通の資料とし、 その比率を最低でも2割とする
『改善方針案』 では、 主体的に学習に取り組む態度 (学習意欲) を測るためのものとして、 面接を共通の検査の一つとしている。 現行制度での面接の内容は、 調査書の記載事項 (とくに課外活動の実績) と深い関連がある。 面接の参考資料になる自己PR書には 「自分の良いところ」 と 「入学を希望する理由」 を記入する欄があるが、 そこに記入する内容の多くは課外活動の実績をベースにしているからである。 『改善方針案』 でも、 面接の参考資料として自己PR書に類似する文書を提出することになっているが、 一方で、 調査書の記載事項は選考資料にしないとしている。 面接内容の裏付けともなっていて、 客観性もある記載事項を資料にはしないで、 面接で学習意欲を測ることは妥当といえるのだろうか。
また、 面接の比率を最低でも 2 割 (200点) とすることにも問題を感じる。 現行制度の下では、 学習塾のみならず中学校においても、 面接訓練や自己PR書の指導が熱心に行われている。 したがって、 短時間の面接では、 受検生の間に大きな差はつかないはずである。 かりに差がついたとしても、 それは傾向と対策の差であって、 学習意欲の差とはいえない。 そもそも、 多い高校でも30段階ほどにしかならない面接の評価を、 200点にまで拡大することが妥当とは思えない。 協議会による 『改善報告』 では、 学習意欲を測るためのものとして面接や作文などを挙げていたが、 『改善方針案』 では面接のみになっていた。 この点も疑問である。
- 独自の問題による学力検査を廃止して、 同一の学力検査とする
独自問題による学力検査の実施は、 県教育委員会が推し進めてきた学力向上事業の一環であり、 実施校における特色ある教育を支える重要な要素の一つだったと受け止めている。 現在の実施校がまだ全校共通の学力検査を実施していた頃、 その合格者平均点は230点程度まで高騰していた。 この状態では学力検査による差がつきにくく、 その比率を 6 割に設定しても、 結局は調査書の評定が高い受検生が合格することになった。 また、 導入から 6 年余が経過したが、 この間、 実施校を志す生徒たちの学びの質も確実に変わった。 独自入試の導入以前、 学力検査に向けた学習は、 広く浅く、 ミスを最小限に抑えるという点に注がれていた。 ところが、 独自問題によって、 受検生は知識と技能をより深く理解し、 その活用のための思考力を鍛えるようになった。 これは実施校における大学進学実績の向上にも大きく貢献し、 延いては県民が公立高校の 「進学」 に対する評価を改める契機ともなった。 協議会の 『改善報告』 では、 独自問題について 「そのあり方について検討する」 とあった。 しかし、 『改善方針案』 にはそれに替わるものがなかった。 学力検査については 「これまで以上に 『思考力、 判断力、 表現力等』 を測る内容とし」 とあったが、 全校での使用に合わせたレベルにせざるを得ない以上、 独自問題に替わるものにはならない。 各校独自の実施はありえないとしても、 学力検査の複線化はできなかったのであろうか。 独自問題の成果をどのように評価したのであろうか。
一方で、 「共通の検査に加え、 各校が特色に応じて総合的な能力や特性をみる検査を実施することができる」 とあるが、 これについては以下の課題がある。
- すべての検査結果が簡易開示の対象となるのか
現行制度では、 面接やその他の検査 (自己表現活動・作文・実技) の評価は、 簡易開示の対象となっていない。 したがって、 受検生自身が承知している調査書の評定と、 簡易開示が可能な学力検査をおもな資料にしている後期選抜は、 受検生にとって客観性が高く、 合否の結果に関する納得感も高い。 前期選抜はその逆であるが、 不合格となっても、 再び後期選抜を受検できるという救いがあった。 一方、 新しい制度では、 少なくとも 2 割を面接が占める。 これに特色検査が加わると、 現状の規定のままでは、 さらに簡易開示のできない割合が増すことになる。 選抜制度の改善の目的の一つは、 現行制度の複雑さを解消して、 分かりやすいものにすることだったはずである。 計算方法が簡素化されても、 肝心の得点を容易に知りえなければ意味がない。 これらについても、 簡易開示の導入を期待したい。
以上のような疑問点を抱いて、 今回のシンポジウムに参加した。 私の興味は、 上記の疑問に対してどのような回答やヒントが得られるかという点と、 公立高校と公立中学校の先生方が新しい制度をどのように見ているのかという点にあった。 果たして、 上記 1 については議論の対象となり、 上記 2 はほとんど話題にならなかった。 上記 3 については、 まったく異なる視点から触れられていた。
面接の比率を 2 割にするという問題に対して、 高校側から述べられたのは面接の評価の公平性や妥当性という課題だった。 実際に検査に当たられてきた人たちの意見なので、 説得力があった。 一方、 中学校側の意見はこれとは異なり、 調査書と面接が同じ比率で扱われる (可能性がある) ことに批判が集中していた。 その背景には、 中学校での学習活動を軽視するのではないか、 中学校が掌握できる選考資料 (=調査書) の占める割合が低くなることで、 進路へのアドバイスが困難になるのではないか、 という危惧があるようだった。 また、 検査結果の開示については、 面接の評価は受検者からの開示請求に堪えられるのか、 という視点から疑問が投げかけられていた。 独自問題の廃止についてはほとんど話題にならなかったが、 学力検査がこれまで以上に思考力、 判断力、 表現力等を測る内容になることについて、 中学校側から対応への不安の声が挙がっていた。
これらの議論から私が感じたのは、 受検する中学生や保護者の主体性という視点である。 中学校における学びや、 高校受験に向けた学習準備、 受検校の選択は、 中学生とその保護者の主体性に負うところが大きい。 調査書の比率が低いと、 中学校での学習活動を軽視するのだろうか。 学力検査への対応は、 中学校内の学習活動だけで完結するものなのだろうか。 それが主体的な学習姿勢を育んだ生徒たちの姿なのだろうか。 受検校の選択においても、 その可能性とリスクは、 最終的に受検生とその保護者に帰するものではないのか。 選抜制度や検査の内容は、 受検を通じて主体的な学習姿勢を育むのに妥当なものであれば、 それで十分なのではないかと考える。
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