特集T 検証 「高校改革推進計画」 | ||||
教育討論会に参加して 「高校教育改革」 について思う |
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飯 田 寿 治 | ||||
はじめに 2010年11月20日に開催された、 教育研究所主催の教育討論会 「検証 高校教育改革」 に参加した。 行政の側で中心的に高校教育改革を推進してきた山本正人元教育長をシンポジストとして招いてのシンポジウムということに、 なにより興味を惹かれた。 山本氏に行政の側からの評価等を自由に語らせるより、 現場側が持っている疑問点を質すといった形式の方が議論としては深まったのかな等と思いながら、 当日はシンポジストや参加者の発言を聞いていた。 今回、 そのシンポへの参加をきっかけに教育研究所から思うところを述べてみないかとのお誘いを受けたので、 「高校教育改革」 について思うところを、 以下に述べてみたい。 ごく簡単な経過 1997年 4 月に設置された将来構想検討協議会での協議、 「中間まとめ」 の公表、 翌年 9 月の県教委への答申 『これからの県立高校のあり方について』 の提出。 そして、 翌99年 8 月の 『活力と魅力ある県立高校をめざして 県立高校改革推進計画 (案)』 を県教育庁は公表するに至る。 当時、 発表された神高教見解には、 「今後の県立高校のあり方について、 どのような高校教育を提供していくべきかという目標を掲げ、 再編整備をそれに包摂されるものとして位置づけている基本骨格については、 将来構想検答申の段階からの姿勢が貫かれたものとしてまず評価しておきたい」 とある。 「県立高校改革推進計画」 が様々な問題を孕んでいることは認識しながらも、 単なる廃校によるリストラではなく、 新たな学校作りへの志向と教育条件整備に繋がる可能性というところで、 「高校再編」 反対のスタンスには立たず、 基本的に 「高校再編」 を容認してしまった。 このことが、 これを淵源として次々に押し寄せる県の諸施策に有効に対峙することができなくなってしまったと考えている 現場段階でも、 教育条件の整備につながるのではとの淡い期待がなかったわけではない。 そういう中で、 再編該当校では、 様々なアイデアを持って青写真づくりを進め、 施設・設備の要望づくり等を、 県の示した限られた時間の中で精力的に進めていった。 しかし、 結果は県の計画の押しつけでしかなかった。 該当校では 「最初からこうだ」 と示された方がよほどよかったとの失望感と徒労感に満ちた声が聞かれた。 再編期間を終えるに当たり、 2010年 8 月には 『県立高校改革推進計画10年間の成果と課題』、 12月には 『これからの県立高校のあり方 (中間報告)』 を県教委は出した。 行政の出すもののお定まりとして、 きちんとした検証・批判はなく、 自ら進めてきた施策を自画自賛的に評価し、 その延長上で 「今後の課題」 を提示しているに過ぎない。 現在の高校生やそれを取り巻く社会の情勢については、 それなりの記述が見られるにしても。 高校リストラ計画 「県立高校改革推進計画」 は、 まず 「削減ありき」 の高校リストラ計画であった。 その結果として、 全日制進学率は1997年の92.5 %をピークに低下し、 2006年以降は90%以下という状況となり、 2010年は88.2%という全国最低水準の状況になっている。 99年の策定時には 「計画進学率は現在93.5%、 今後も段階的に引き上げていきます」 と明記されていたものが、 2005年 (93.5%) を最後に、 計画進学率の策定・公表は行われなくなった。 その一方で、 定時制+通信制への進学率は、 2010年には 8.7%と10年で 2 倍以上に増えている。 もちろん、 6 4 の公私立高校全日制定員枠の問題 (実際には私学の募集枠は 私学枠 を充足していない) や私学の 「空枠」 問題などもあり、 単純に 「県立高校改革推進計画」 による高校リストラが原因とは言えない面もある。 しかし、 長年にわたり、 募集枠自体が 私学枠 を充足していないことを含めて、 この状況を放置し続けている行政の責任は重い。 なによりもそういう状況の中で、 全日制高校への進学 希望 率自体が低下していることが大きな問題である (実際の受検者はさらに減少する)。 定時制・通信制入学者の多くが全日制で学びたかった 不本意入学者 であることからも明らかなように、 「全日制への進学希望が減少し、 定時制・通信制への進学希望が増加している」 ということではない。 早い段階から 「諦める」 中学生が増えているということである。 それを 『県立高校改革推進計画10年間の成果と課題』 の中では 「定時制課程に通う生徒の約半数が昼間の時間帯での学びを希望している」 とし、 「全日制希望」 に一種のすり替えを行い、 「昼間定時制」 という方向を打ち出している。 さらに 『これからの県立高校のあり方』 では 「昼間の時間帯に定時制のしくみで学びたいというニーズに対応するために多部制定時制高校を新設し、 設置趣旨に沿って、 生徒一人ひとりが抱える課題に向きあう取組みが評価されているが、 志願者数が多く、 地域的にも十分対応している状況にないことから、 ニーズを踏まえながら、 さらなる設置について検討する必要がある」 としている。 これは11/20のシンポにおける、 山本元教育長の 「相模向陽館と同様の昼間定時制を横浜市内ともう 1 校を検討中」 との発言とも重なる。 話が逸れたが、 行政目標として計画進学率引上げを掲げながら、 それに見合う実態をつくってこなかったということ、 そしてそれに伴い多くの中学生を全日制から押し出している実態こそが問題である。 この状況には、 今の社会に蔓延しているすべてを個人の責任に帰してしまう 「自己責任論」 の冷たさがある。 かつての 15の春を泣かすな (中学卒業者急増期の百校計画のスローガン) の影もない。 新タイプ高校 「県立高校改革推進計画」 では、 第 2 章 「計画の基本的な考え方」 の中で 「1 県立高校をめぐる現状と課題」 として、 次のように記載されている。
以下 「生徒数減少への対応」 「生涯学習社会への対応」 と続く。 そして、 具体的に示されるのが、 「単位制による普通科高校」 「フレキシブルスクール (単位制)」 「総合学科高校 (単位制)」 「新たな専門高校・専門学科」 等々である。 単位制による選択の幅の拡大が柱と言える。 これは神奈川県独自のものではなく、 文部科学省の 「ゆとり教育」 路線上のものである。 ここに 「県立高校改革推進計画」 とは別に、 クリエイティブスクール、 多部制定時制高校が加わる。 高校再編として、 目を引く 新タイプ高校ではあるが、 実態はどうなのであろうか。 それぞれの学校で教職員が様々な努力と工夫を、 多忙な中で、 重ねていることは想像に難くない。 全県的な大規模な高校再編なので、 時間的なスパンは長くなるとしても、 結果はこれまでの 「特色づくり」 と同様なのではないだろうか。 11/20のシンポの報告でも、 次のような指摘がなされていた。 「総合学科高校が全国的にも進学重視にシフトしており、 選択科目もコース選択のようなものが増えている」。 これはある意味で当然のことであろう。 第三の学科としての総合学科を文部科学省が打出した理由・意図等はそれとして、 入学してくる生徒や保護者のニーズというものは厳然と存在するし、 内部にいる教職員としてはそれに応えようとする。 大学全入時代 と言われる状況となる中、 大学の中退率の高まり、 大学から社会へ出て行く時点における展望の持てなさ等々、 大学に進学することの意味が問い直される必要も感じるが、 とりあえず生徒・保護者のニーズという点で言えば、 大学への進学希望は強い。 である以上、 高校再編に際してどう理念を開陳しようと、 結局は一定程度 「大学進学」 を視野に入れたカリキュラム等に収斂されざるを得ない。 さらに財政的・人的裏付けがない中では、 多様な科目の展開や外部の人材の活用といっても、 自ずと限界は見えており、 長期に渡っての維持は困難なことは火を見るより明らかである。 11/20のシンポで、 山本元教育長からも現場の教員からも、 総合学科の実態として〈進学重視〉に向かっていることが語られた。 これは生徒・保護者のニーズから考えれば、 必然であった。 「産業社会と人間」 やキャリア教育における取組みを評価するとしても、 新しいタイプの高校づくりという意味での高校再編には意味があったとは言えない。 それらが高校生にとって必要なものであるのであれば、 既存の普通科高校の条件整備をはかればよいのである。 総合学科の教員定数の優位性を言うのであれば、 普通科をすべて総合学科 (生徒・保護者の多数のニーズが 大学進学 である以上、 内実は普通科に収斂していくのであるから) にしてしまえばいいというだけのことである。 乱暴な言い方ではあるが、 そもそもが 「新タイプ高校に合う生徒はどういう生徒か」 「どれくらいのニーズがあるのか」 等々を事前に調べた上での再編ではないのであるから当然の結果である。 「目新しさ」 としての賞味期限が切れれば、 「新タイプ」 であるということだけでやっていくことは困難であり、 期待に応えざるを得なくなる。 「当初ついていた予算や人がつかなくなった」 「当初からいた教員が異動して講座維持が難しくなった」 という声はよく耳にする。 今回のシンポでも 「財政難を理由に加配、 非常勤講師等の人的配置が後退している」 「教員配置こそが最大の教育条件整備である」 との課題指摘がなされていた。 教員の過重負担を前提にしたような状況の実践を長続きさせることはできない。 身の丈にあった、 無理なくできる範囲で、 というのは当然の帰結である。 結局は、 目の前に生徒がいて、 その生徒たちの実態を踏まえたところで、 何ができるのか、 どうすることがよいのか、 ということでしかない。 それにしても、 今回のシンポで印象的であったのは、 山本元教育長の発言である。 「多様なニーズへの対応ということで、 課題集中校を中心に再編した総合学科高校は、 再編前よりよくなっている」 「『総合学科がよくなった』 は、 訪問した際の学校の様子・印象として 『変わった』 ということ。 入学してくる生徒が変わったという面はあると思う。 システムで 輪切り は改善できない」。 計画が出された当初から 「『課題集中校』 に入学できていた生徒の居場所がなくなる」 (希望者が増えれば入学できなくなる/入学しても定着できずにシステム的に排除されてしまう) という声は多くあった。 しかし、 全県的な高校生の状況といった視野をもたず、 当該校のみを点として見る、 こういう評価の発想は何なのだろう。 行政が机上で考えたものは何も解決しはしないということをつくづくと感じた。 と同時に、 「『計画』 を実施する中で起こった課題」 として 「定時制へのしわよせ」 ということを繰り返していたが、 これも 「入学者の集中」 ぐらいのところでしか捉えていないのであろう。 コミュニケーションが苦手となり、 仲間意識が希薄な現在の高校生を考えるならば、 あるいは不登校や学習障害など現在の高校生が抱えるさまざまな課題を少しでも改善しようとするならば、 単位制か学年制かなどということではなく、 しっかりとしたHRを中心とした学校体制であることが必要であり、 それもできるだけ少人数であることが望ましいのは言うまでもない。 これはかつて課題集中校で実践されてきたものである。 現在の高校生はいわゆる学力とは関係なく、 いろいろな課題を抱えていることは、 私たちが日々実感しているところである。 しかし、 県教委にそういう問題意識があるかは甚だ疑問である。 それは2010年 8 月に発表された 『県立高校改革推進計画10年間の成果と課題』 を見ても、 見当たらない。 あるのは、 県教委の施策を 実績 として羅列した上で、 入試倍率や県等が実施している各種調査やアンケートの数字を恣意的に活用した 自画自賛 的な評価でしかない。 「新たな学校運営組織」 高校再編が高校にもたらしたものは、 結局のところ、 多忙化、 管理強化、 協力・協働による創造的な教育活動の停滞、 教員個々人の主体的な実践の沈滞でしかない。 乱暴な言い方だが、 現在の学校現場の閉塞感の元凶が高校再編計画であると考えている。 「県立高校改革推進計画」 の10年間を振り返ったとき、 もっとも学校現場に大きな影響を与えた部分は、 「第 7 章 改革推進のための条件整備等 2 学校運営等の改善・充実」 ではないか。 そこにはこうある。
県の言うところの 「学校運営組織の改善」 の結果が、 今の学校の閉塞した状況であるといえる。 この計画は 「現場に任しておくとろくなことはないので、 すべてを役人が管理する」 というメッセージ、 だったのではないか。 当時、 果して、 そのメッセージを読み解けていただろうか。 いや、 読み解けてはいた。 しかし、 私たちの中には 「そう思い通りにいくはずがない」 という、 ある種の慢心があっただと思う。 「県立高校改革推進計画」 の出された時期は、 次々と学校のありようが変えられていった もちろん、 私たちの良しとしない方向にである─時期であった。 『組合員手帳』 の巻末の 「神高教沿革」 を見ると、 「1999年 1 月 新勤評実施」 「1999年 8 月 『日の丸・君が代』 法制化」 「2000年 3 月 『日の丸・君が代』 完全実施を強行」 「2000年 4 月 職員会議を校長の 『補助機関』 とする管理規制強化」 「2000年 6 月 県教育長 『教職員の勤務における服務の厳正化』 を通知」 「2001年 9 月 教職員人事制度研究会報告」 (これが現在の査定昇給・一時金の差別支給へとつながっていく) など、 と続く。 また、 この時期は県の財政状況の悪化も顕著になる時期で98確定の 「一時金 8 %カット」、 99確定 「基本賃金 2 %カット」 などの記載も見られる。 この後、 「高校給料表の小中給料表への一本化」 により多くの教員が 現給保障 の状況となり、 賃金は下がることはあっても上がることのないものとなった。 そして、 新たな職と新たな学校運営組織が2006年に導入され、 現在の状況が生まれる。 忘れてはいけないのは、 「県立高校改革推進計画」 に 「新たな学校運営組織」 等も盛り込まれていたということである。 結果、 強引に 「校長によるリーダーシップ」 という名の県教委からの上意下達体制がつくりあげられ、 「各学校ごとの実態」 を無視した新たな校内運営組織がつくりあげられた。 職員会議校長の 「補助機関」 化することで、 現場の教職員からあらゆる学校運営等に関する決定権を奪い、 県の傀儡でしかない校長に 校長のリーダーシップ の名の下に県の意向を各校で具現化させるという、 まさに行政主導の体制がつくりあげられたのである。 実態は各学校ごとに大きな差はあるにしても。 先にも記したように、 再編にある種、 教育条件整備の期待を持った面はあり、 再編該当校では真剣に様々な設計図をつくった。 しかし、 それらはことごとく否定され、 県の雛形を押し付けられた。 そして、 現場に残ったのは徒労感と 「これなら最初からこうだ」 といってもらった方がよかったという無力感・諦めであった。 これはこの後の県のやり方を象徴するものと言えるのではないか。 その後、 多くの職場は、 校長の権限強化 (リーダーシップ) と職員会議の形骸化の前で、 活力を失い、 県─校長の一方的な学校運営がまかり通るようになっていく。 さまざまな意味で、 現在の教育の、 学校のありようを決めたのは、 この 「高校再編計画」 であったように思う。 先に 「慢心」 という語を用いたが、 たとえば 「服務の厳正化」 に際して、 当時の馬鳥書記長は 「1 、 2 年我慢すれば元に戻るよ」 という言い方をしていたし、 多くの組合員もそんなものであろうと思っていたと思う。 新たな職の導入に際しても、 「『誰しも 3 級に渡る』 ということが 5 年すれば明らかになる」 と当時の中野副委員長は繰り返していた。 「服務の厳正化」 のときほどにのほほんとはしていなかったにせよ、 今ほどの状況は最悪の状況として想定していなかたように思う。 なぜなら、 「自分たちが学校をつくってきた」 という実感も自負も持っていたからである。 自分たちのつくりあげてきた学校のありようがそんなに簡単に変えられてしまうという事態が起きるとは思っていなかったから。 そういう意味で、 「慢心」 もしくは 「油断」 があったのではないだろうかと思う。 新タイプ校等という意味での高校再編は、 生徒や保護者のニーズは踏まえていないものであり、 いずれそのニーズに合致する形で変容していくと考えている。 そういう意味では失敗なのだと思う。 ただし、 企業や地域などとの連携、 体験活動等、 外部の力を学校に入れていくという点では、 今後も可能性があると思う (とはいえこれらも各校で独自に取り組まれていたものであり広く認知されて取り入れやすくなったということに過ぎない)。 失敗の最たるものという意味でも、 学校運営体制の改編は犯罪的であると思う。 県は 『県立高校改革推進計画10年の成果と課題』 の中で、 「X 教職員の意識改革と資質向上 教職員の教科指導力を高めるため、 校長や副校長・教頭による授業観察と事後指導を行うとともに、 教職員自らが授業改善に取り組めるよう、 生徒による授業評価を導入するなど、 県立高校の改革を推進するため、 教職員の資質向上に取り組んできた。 /また、 学校運営等の改善を図り、 各学校が校長のリーダーシップのもと、 教職員が一致協力して県立高校改革に取り組むための体制づくりを推進してきた。」 とした上で、 「取組みの成果」 「今後の課題」 として次のように記している。
また、 『これからの県立高校のあり方』 では、 「3 これからの県立高校のあり方(具体的な取組みの方向性)」 の中に、 次の記述がある。
現在、 新採用教員の自死や公立学校教員の病気休職者における精神疾患者の増加が問題となっている。 精神疾患以外の病気休職者数はこの20年間3000人前後で推移している。 それに対して精神疾患による休職者は1990年代から急増しはじめ、 1000人台前半だったものが、 2000年には2000人を超え、 2009年には5458人 (病気休職者の63%) に上っている(12/24文科省発表)。 こういうふうに教員が追い詰められていく要因の一つに、 「学校・教員制度改革がもたらす圧迫」 ならびに 「傷つけられる 『教職アイデンティティ』 (=教員としての誇り)」 という状況があると、 久冨善之一橋大学名誉教授らは指摘している (『現実と向きあう教育学』 田中孝彦・藤田和也・教育科学研究会編 大月書店 2010年 2 月など)。 とりわけ、 賃金・処遇に反映する 「人事評価制度」 はすぐにもやめるべきだという。 雑誌 『教育』 2011年 1 月号の関西学院大学教授野田正彰氏の 「壊れゆく学校と奪われる教師の良心」 という文章の中に、 次のようにある。 「マスコミはこのような病める学校のデータ (注:文科省発表の精神疾患による病気休職教員数等) にたいし、 文科省の解説を添える。 1.精神科受診の抵抗感が弱まっている─受診するから困る、 と言わんばかりである。 2.教育内容の変化への対応が難しい、 3.教員同士のコミュニケーションが減少、 4.保護者の要望が多様化などによる、 としている。 /教員の教育への創意工夫を許さず、 上からの 『させられる教育』 を押し付けてきたのは、 誰か。 職員会議を認めず、 校長、 副校長、 主幹、 主任による命令伝達をすすめ、 パソコンによる書類づくり、 報告書作りで教員を忙殺し、 思考力も感情も枯渇させてきたのは、 誰か。 コミュニケーションを減少させたのは、 誰か。 学校を格差づけ、 進学校、 中高一貫校に予算を多くし、 保護者の要望なるものを歪めて煽ってきたのは、 誰か。 (中略) /企業ならば、 ある課や部で二人、 三人と休職者がでると、 人事部はすぐに調査に入る。 その課や部の人間関係、 管理、 モラール (士気) はどうなっているのか、 調べる。 有為の社員を送り込んで、 潰されては会社がもたないからである。 しかし学校はあまりにも違う、 教育の場は違う。 職場の労働環境を悪くした者たち、 教育にたずさわったこともない役人たちが、 教育を行っている先生たちを罵っている。 こんな行政犯罪を、 いつまでも許してはいけない。」 「行政犯罪」 とは言い得て妙である。 今はまだ、 県立高校教員の多数は、 権利を手に入れ拡大してきた過程を経験し、 その中で様々な 自分たちの手による 教育実践を行ってきたという実感を、 学校をつくるのは生徒と教員だ という自負を持っている者たちである。 職員会議や諸委員会等で侃々諤々の、 時には喧嘩腰の議論を戦わせ、 自分たちの学校 の中身を、 文字通り 自分たちで 決めてきた。 職員会議を通すために丁寧に原案を練り、 予想される反論に対する対策を考え、 それでも否決されたり差し戻されたりということを通して、 学校の意思決定・合意形成がなされていた。 基本的には、 校長も教員と同様に、 自分の考えを語る一参加者であった。 今のような 「校長の決裁がすべて」 などという体制ではなかった。 昨今の、 職員会議よりも校長一人あるいは企画会議での了解の方を重視する風潮の中での、 粗雑なその場凌ぎ的な原案など、 許されなかった。 自分たちの議論の結果なので、 一人ひとりが責任を持って事に当たることができた (今のどこかが勝手に決める流れでは、 責任など持ちようがない)。 しかし、 今の体制がこれから 5 年、 10年と仮に続いていってしまったとしたら、 一体どうなるのであろう。 かつて 「学校は校長・教頭以外はみな 『教諭』 であるという なべぶた型 組織であることが問題だ」 という批判があった。 しかし、 なべぶた型 であったからよかったのではないか。 それぞれが目の前の生徒の実態を踏まえたところで、 理想や夢を語りながら、 「ああしてはどうか」 「こうしてはどうか」 と自由に試行錯誤できた中で、 様々なものを身につけていったのではなかったか。 今、 必要なことは、 自分たちの議論の中から学校をつくれる、 そういう学校のありようを取り戻すことである。 新タイプ高校の学校改革であろうが、 旧来の普通科高校であるかは関係ない。 自由な議論の中で楽しみながら学校をつくれてこそ、 生徒にとっても楽しい学校はできるはずである。 少なくとも現場の実態も理解していない 役人の机上のプラン に基づき納得もできない状態で運営される学校よりは余程ましなはずである。 「県立高校改革」 を妨げているのは、 まさに県教委、 そのものである。 私たちの手に学校を取り戻すには、 いったいどこから手をつけたらよいのだろうか。 手始めは 「企画会議廃止」 であり、 職員会議を中心とする学校運営の復活であるのは間違いないと考える。 最後に 教育活動は 「効率」 が求められるものではなく、 むしろ回り道こそが大切である。 時には失敗するとわかっていても、 失敗を経験させることに意味が、 その経験の中にこそ意味が、 生徒にとっても教員にとってもある。 また、 経験は一般ではなく、 特殊な特定なものであるので、 経験交流の場として教研活動は重視されてきたのである。 所謂進学校の生徒に対する求め方と、 課題集中校の生徒に対する求め方は自ずと異なる。 そこに自分の経験の中でしか見ない、 見えない難しさがある。 「○○高校でそれならうちの子たちがこれだけやれればとりあえずOKかな」 「それだけやれるんなら、 もう一歩行けないかな」、 そういう中からいろいろな実践のアイディアも意欲も生まれていた。 高校改革を少しでも真剣に考えるのなら、 行政による上からの押し付けをやめ、 教員集団の、 教員個々の主体的な創造的な取組みを尊重すべきである。 生徒や保護者の笑顔や喜びの声を糧に、 次へと取組みを広げていくのが教員の性である。 例えば、 かつてのフロア・対面式の卒業式の自主編成の取組みの中に、 「みんなで子どもたちの旅立ちを祝おう」 とする気持ちと工夫がどんなにこめられていたことか。 競争のための特色でしかない、 些細な差異づくりなど、 多忙と 「やらされている」 感しかもたらさない。 そこから活力の生まれることはない。 どうでもいいとしか感じられない事務処理に、 自分のせいで他人に迷惑を掛けてはいけない (「他人に足を引っ張られたくない」 の裏返しであったりするとなお悲劇的であるが) と思いながら、 忙殺される、 今の日々は何とも貧しい。 生徒との触れ合いで喜んだり、 怒ったりという心の躍る瞬間はあるにしても。 |
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(いいだ としはる 大和高校教員) | ||||
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