特集 T 検証 「高校改革推進計画」 |
新教育課程編成は「高校教育改革」 の質を問う試金石 |
南 重 行 |
みなさんこんにちは。 鶴見総合高校の南といいます。 よろしくお願いします。 数多くの大先輩の方を前にお話するのは大変恥ずかしいんですが、 私自身が経験してきたこと、
あるいは見てきたことも含めて、 神奈川の高校教育改革についてのお話をさせていただきます。 最初に簡単な自己紹介をします。 私は1984年に神奈川の教員となりました。 最初の学校が大師高校でした。 大師では、 総合学科との関連で言いますと、 開設に向けての準備を 2 年間、 実際に総合学科が設置されてからは 3 年間、 総合学科高校づくりにかかわりました。 私が主に担当したのは、 1 年次に置かれている原則履修科目の 「産業社会と人間」 の学習計画づくりでした。 この 「産業社会と人間」 の実践を進める中で、 私は生徒や地域から非常に多くのことを学びました。 そのことについても時間がありましたら、 またあとでふれたいと思います。 それで大師の次が港北高校、 そして今鶴見総合高校にいます。 総合学科設置前夜の高校現場 3 点についてお話をしたいと思います。 まずは 「総合学科設置前夜」 である90年代初頭の神奈川の高校教育をめぐる状況をどのように見るかです。 先ほど、 前教育長の山本さんの方からお話がありましたし、 このあと永田さんの方からもお話があるかもしれませんが、 「100校計画」 が完了し、 そして 「推進計画」 が作られていく、 そのちょうど中間にある90年代初頭の神奈川の高校現場がどういう状況にあったのかということを、 まずきちんと押さえていく必要があるんではないかと私は思います。 先ほど言いましたように、 私は当時、 大師にいましたので、 その大師の中で何を考えていたかをもう一度自分で整理をしてみました。 当時を思い出して、 非常に印象に残っている言葉が二つあります。 一つは生徒からの言葉で、 朝のホームルームで私が 「今日は放課後、 臨時の職員会議があるので、 45分授業にします。 30分早く終わります。」 と話した時です。 今ではその日にいきなり授業カットするっていうのは考えられないかもしれませんが、 当時大師ではよくあったことです。 早く終わりますという話をしたところ、 ある非常にまじめな男子生徒から、 「先生、 うちの学校、 会議ばっかやってるけど、 なかなか良くならないね」 という話を本当にまじめな顔でされました。 私はその時ハッとしました。 今から思えば、 「今日はちょっと早く終わるよ」 「会議だから放課後、 話する予定だったけどできないよ」 っていうことをたびたび言っていました。 課題解決の糸口を見出せない もう一つは、 教員の中からよく出ていた言葉で、 「もう少し生徒の数が少なくなれば、 生徒指導だとか、 学習指導もやりやすくなるんじゃないの。」 というものです。 大師で言いますと、 90年度に入学した生徒が最後の12クラスです。 そのあと91年度の入学生からクラス数が減りまして、 9 クラスになりました。 そのあと 8 クラスがあって最後は 6 クラスになっていくんですが、 教員同士で、 もう少し生徒の数が減れば何とかなるんじゃないかという希望のようなものがありました。 しかし、 実際に12クラス規模の 「過大校」 が解消されていく、 そして45人学級から40人学級へと学級の規模も小さくなっていくにもかかわらず、 学校が抱えている、 あるいは生徒が抱えている様々な課題はなかなか解決の糸口を見いだせないという状況にありました。 社会的な背景としては、 新設校ができるたびに偏差値によるスライス化がどんどん進む、 そういった中で 「輪切り」 が固定化され、 「課題集中校」 が生まれていったという現実がありました。 学校生活や学習活動に目的意識を持てない生徒が増え、 学校を途中でやめてしまう生徒も非常に多くなっていました。 生徒に学校を合わせていく そういった中、 94年から教育課程が新しくなるということで、 91年、 92年あたりから教育課程編成に向けての議論が大師でも始まっていました。 その中で、 小集団学習を入れようとか、 生徒が興味を持ちそうな科目や講座を置いていこうという議論はなされましたが、 こういった形で学校を作っていこうという大きなビジョンというのは、 なかなか学校全体では確認することができない状況にありました。 ちょうどその時期です。 私の記憶が正しければ、 93年の年末から94年初頭にかけて、 県教委の方から総合学科高校を設置するかどうかの検討を行わないかというような要請が、 学校長の方にありました。 職員会議でもその話がされまして、 職員の間でも様々な議論がありましたが、 最終的には設置するかどうかを検討することを引き受けようじゃないかという話になっていきました。 その議論の中で、 私が一番感じ取ったのは、 学校の規模が大きすぎる、 生徒が教員の言うことを聞かないという中で、 とにかく学校に生徒をどう合わせていくかが発想の出発点で、 そのことだけを一生懸命にやるような状況に追い込まれていたということです。 私は総合学科の理念等をいろいろ勉強していく中で、 これはもう学校に生徒を合わせるんではなくて、 生徒に学校を合わせていくしかないと考えるようになりました。 別の言い方をすれば、 今の状況を変えていくには、 新しい教育のシステムを導入する、 そういう判断がやはり学校として必要ではないのかという気持ちを強く持つようになっていきました。 システムづくりと実践の連動 同時に考えていたのは、 大師は川崎の南部にある学校で、 在日韓国・朝鮮人の生徒が多く通っていたということで、 学校づくりの中に人権を考えるという視点や、 公害などとの関連で環境ということも、 そのコンセプトに取り込むことができないかということでした。 そういったことなども含めながら、 総合学科というシステムは有効活用できるんじゃないかというふうに、 私自身考えるようになっていきました。 あと実際の授業のレベルで言えば、 昔ながらの黒板とチョークを使った授業というのはやはり生徒の実態に合っていない、 そういった授業に関しても改善を行っていかない限り、 新しいシステムを導入したからといって、 状況が改善されるわけではないということも同時に考えました。 参加型の学習であるとか、 外に出ていく授業であるとか、 複数の教員が生徒にあたるTTであるとか、 地域の人たちの力を活用するような社会人講師など、 できる限りいろいろな形で生徒に対して学習機会を提供していく、 そういう授業改革が行われない限りは、 総合学科高校というのはやっぱり動いていかないということも考えるようになっていきました。 そういったことを考えながら私自身は、 やはり総合学科高校という選択が当時の大師にとってみれば、 様々な形で批判もされましたが、 一つの正しい選択であったのではないかというふうに考えています。 「推進計画」 をどう評価するか 次に 「推進計画」 の評価に関して、 少し意見を述べさせていただきます。 1999年のこの教育研究所のシンポジウムが開かれた際に、 私は発言をする機会がありまして、 二つの点で問題の提起をしました。 一つは、 教科 「情報」 や 「総合的な学習の時間」 が導入される2003年度実施の教育課程では、 やり方によっては、 普通科高校は総合学科高校に近いものになっていくのではないかということ。 もう一つは、 神奈川の高校教育改革の問題は、 再編対象校だけの問題ではなく、 本格的な議論を普通科高校でもやってかなければ再編校の取り組みも非常に浮いたものになるんではないかという、 この二つです。 大師での経験を踏まえて、 2003年度実施の教育課程の中で、 どういった視点を盛り込むことが必要かという考えからの提起です。 このことが、 実際にどれくらい学校現場でできているかを私自身がコメントする立場にはありませんが、 この提起は 「推進計画」 の精神とも重なる部分があるんではないかと私は思っています。 そういったことも踏まえまして、 「推進計画」 について、 10年たって、 評価できる部分と、 ここはやっぱり大きな課題だなというところをいくつか話したいと思います。 生徒実態に合わせた教育課程の弾力化 評価できる点の一つ目としては、 生徒実態に合わせた教育課程の弾力化、 そして先ほども言いましたように生徒に学校を合わせていくという取り組みが、 一定程度進んだんではないかということです。 これについては、 新しいタイプの学校を中心に、 生徒の学習活動を支える様々なシステムが設けられていますが、 それをうまく活用できる生徒と、 そうじゃない生徒がいるというのも事実だと思います。 評価できるんだけど、 まだまだ課題があるなというところです。 二つ目は、 教育課程編成における大学や専門学校、 そして地域との連携が進んだことがあげられると思います。 これは学校、 教員が自らの垣根を越える、 学校だけでできないことは積極的に外部に働きかけていく、 ということだと思います。 私自身も総合学科高校を創るときに 「産業社会と人間」 の渉外担当でしたから、 市役所に出向いたりだとか、 いろんな事業所に行ったりしました。 極端な話、 今と違いましてネットワークがそんなに整備されてない時代ですから、 市の便利帳を見て上からいろんな施設に電話をかけまくる、 そして生徒の受け入れをお願いすることを毎日のように行っていました。 同じように系列の科目を起こすときに先生を探さなくてはいけないということで、 たとえば体育の先生がダンスの先生を探すのに、 ハローページを見て、 ダンス教室の電話を上から手当たり次第にかけていって、 「ちょっとうちの学校で教えてもらえませんか」 ということをやり続けました。 そういう取り組みをする中で、 やはり学校の側がこういったことをやりたいんだ、 こういったことに協力してもらえないかというのを、 きちんとこちらの方から出向いていって、 説明していけば、 多くの方は今の学校の置かれている状況がわかったということで、 積極的に協力していただくことができました。 ですから私は、 教員がやっぱり、 学校の外にきちんと出ていって、 そこでの関係を深めていくというのは、 教員にとっても地域にとってもこれはプラスになることだなあというのを自分自身の経験の中で強く感じました。 教員加配こそが最大の教育条件整備 課題の部分ですが、 やはり 「推進計画」 は上からのトップダウンの改革ということで、 あれもこれもやれってのがどんどん来ますので、 現場がかなり疲れている、 疲弊しているという現実があると思います。 最初に枠組みが一方的に用意されて、 学校の主体的な判断での取り組みが非常にやりづらい状況があるというのは現実だと思います。 あと最近の情勢で言いますと、 財政難を理由に教員の加配や非常勤講師の時間数等の人的配置が非常に後退しているということで、 私の学校も来年加配が減るということで、 それをどうしようかっていうのがすごく大きな問題になっています。 やはり教員加配こそが最大の教育条件整備であるという前提を確認する必要があると思います。 学校は先生がいて生徒がいて何ができるかというところですから、 やっぱり先生がきちんと学校に配置されない限りは、 教育活動っていうのは大きく前進しないな、 というふうに考えています。 「知識・理解」 に傾きはしないか 最後の 三つ目ですが、 「学びのすすめ」 が2002年に文科省から出され、 そのあと、 2007年から県教委が 「学力向上推進及び特色ある県立学校推進事業」 を展開します。 今年度からは別の事業になりましたが、 そういった中で、 基礎基本の充実という考えから、 「知識・理解」 に傾いてしまうような学力観が強まるのではないかと思います。 これは総合学科高校の設置の趣旨であるとか、 「推進計画」 の趣旨とは、 やはりずれるところがあると私は感じています。 そういった中で、 「高校教育改革」 を、 ここまで進んでしまった改革を、 等身大のものにしていくためには、 どういった視点が必要なのかというのを少し考えてみました。 一つ目として、 「改革」 の中で語られているいろいろな言葉がありますが、 その意味性がすごく拡散化していて、 人によって全然とらえ方が違うというのがあるのではないかと思います。 たとえば、 「選択」 「ガイダンス」 「学習計画づくり」 「基礎学力」 「キャリア教育」 「コミュニケーション能力」。 教育改革の中で語られる言葉ですが、 これが人によって全然とらえ方が違っています。 これで高校教育改革ができるのかなあっていうことを最近つくづく思っています。 と同時に、 総合学科についても、 先ほど山本さんの方から、 神奈川でもそういう傾向は見られるとありましたが、 全国の総合学科を見た場合に、 進学型を目指すものであるとか、 ほとんどコース制に近いもの、 昔の専門学科に戻るような、 そういうものも見受けられ、 総合学科というコンセプト自体もとらえ方が全然違っていると思います。 これについては、 やはり実践を通して最低限の共通項づくりが必要なのではないかと思います。 「改革」 は豊かな教育実践の上に成り立つ 二つ目は、 「高校教育改革」 というのは神奈川におけるこれまでの豊かな教育実践の上に成り立つものであるということをやはりもう一度確認をしていく必要があるんではないかと思います。 活用できるシステムとして、 上からこんなのができるよという形でそれを取り入れていくのは別に私は構わないと思うんですが、 そのベースにあるのはやはりこれまで神奈川の中で培ってきた豊かな教育実践だと思います。 そういった意味においては、 私たち教員はもっと自信を持つ必要があるんではないかと思います。 それは、 やはりこの間、 私たちが創りあげてきた 「大きな遺産」 だと思います。 港北にいる時に、 40周年の記念誌を作るということで、 過去の資料をいろいろパラパラ見ていると、 1969年の開校当初の先生が書かれたこういう文章がありました。 私自身、 この文章を読んで、 ハッとさせられたところがあります。 ちょっと長いですが、 読ませてもらいます。 「1 期生の 3 学年における教科の履修方法をどうするかが学校にとって大きな課題であり、 類型方式、 自由選択方式等、 それまでにいろいろと案がねられていた。 いずれにせよ一長一短あるが、 生徒の能力・適性や進路を考え、 多様な希望をできるだけかえるためには自由選択方式がより望ましいという観点から最終的にはこの方式の導入に踏み切ったのである。」 そのあとなんですが、 「しかし大幅な自由選択は、 はっきりした目的と計画をもたない生徒にとっては安易で気ままな科目の選択に陥りやすく、 系統的な学習計画も立てにくいという危険性があるため、 事前にきめ細かなオリエンテーションと希望調査を行い、 進路に応じた適切な選択ができるかひとりひとりチェックした」 とあります。 1970年代の初めに、 港北では自由選択制が取り入れられるんですが、 その際にガイダンスの重要性が既に指摘されています。 学校が持つ教育力の再構築 当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、 私はこの文章に出会ったときに、 総合学科の精神をある意味では20年先取りしている、 非常に斬新なモデルだなということを強く感じました。 これ以外にも、 神奈川の教職員が、 これまでに培ってきた豊かな教育実践は数多くあると思います。 その土壌の上にやはり、 「高校教育改革」 があると思いますので、 特に私も含めて経験のある教員が、 これから若い先生が増えていく中で何をどう伝えていくのかが非常に重要な課題になってくるんではないかと思います。 最後に、 今、 学校に最も必要なのは、 学校が本来的に持っている教育力というものをどう再構築していくかという議論だと思います。 もう昔のやり方に戻るということはできませんので、 本当に生徒にとって学校にとって必要なものを取捨選択して、 新たなものとのバランスを考えていく必要があると思います。 生徒にとってみれば、 居場所としてやっぱり学校が落ち着ける場所であるところ。 教員同士はお互いを信頼し、 同僚として認めあって高め合っていくような、 そういう人間関係をきちんと作っていく必要があるんではないかと思います。 そういった意味も含めて、 2013年実施の新教育課程の編成は、 これまでの 「高校教育改革」 の質を問う試金石になっていくんではないかと私は考えています。 |
(みなみ しげゆき 鶴見総合高校教員) |
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