特集U 支援教育 |
高校と特別支援学校 「分教室」 の共存を考える 座間特別支援学校有馬分教室のケース |
本 間 正 吾 |
はじめに 有馬高校は最寄りの駅から15分ほど歩いたところにある。 まわりには田んぼが広がり、 道路沿いには各種の工場がならんでいる。 出会う登校途中の生徒は 「おはようございます」 とよく声をかけてくれる。 そんな中、 ほかとは違った制服を着た生徒たちがまじっている。 いや制服というにはまちまちである。 そろった服をきているわけではない。 座間特別支援学校の有馬分教室の生徒たちである。 その分教室の生徒たちも、 「おはようございます」 と大きな声であいさつをしてくれる。 高校の生徒と特別支援学校の生徒は同じ駅でおり、 同じ通学路を通り、 同じ校舎の中で授業を受け、 生活している。 高校の中にまったく組織を異にする学校、 特別支援学校分教室がある。 そこにどんな問題点があるのか、 どんな意味があるのか、 同居する高校の教員という立場から考えてみた。 まずは開設時から話を始める。 (このリポートをまとめるにあたって、 分教室の活動や問題点について、 分 教室の職員から情報をいただいた。 また有馬高校の生徒や同僚職員からも話を聞かせてもらった。 ただし以下の記述についての責任はすべて筆者が負うものである。) 1. 開設の経緯 有馬高校の校舎の一部をあてて座間特別支援学校の分教室を設置することは、 すでに決定された事項として職員に知らされた。 開設の計画がとくに秘密にされていたわけではない。 分教室設置の話はそれ以前に職員にある程度は流れていた。 ただし正式な話としては、 決定済みの議論の余地のない事項として伝達されたのであった。 特別支援学校の分教室と同居する上で考えなければならない様々な問題があるだろう。 しかしそれを職員全体で議論する機会もないままことはすすむことになった。 この最初の段階で議論し考える時間がなかったと言うことが、 職員全体で問題を受け止める機会を逃すことになったのではないかと後からは思う。 ただしこれはこの学校独自の問題でも、 この件にかぎられた問題でもない。 いま学校現場では職員全体で議論し合意を形成していくという手続きがとられないままことが進んでいく。 そうした全体的な状況の中でおこった事態ともいえる。 さて議論する場はなかったものの、 分教室開設についてのもれ聞こえる職員の反応は複雑であった。 職員の間から多数の反対意見がでたという意味ではない。 むしろ反対意見はほとんどなかったといえる。 有馬高校が分教室受け入れには適当ではないという指摘が多少あった程度であった。 もともと有馬高校は交通の便のいい学校ではない。 近くにはバス路線もない。 電車は本数も少なく、 最寄りの駅には昼間の一部の時間を除き駅員が配置されていない。 何か事故があっても即応できない。 駅から遠くはないが、 その道には信号機の設置された横断歩道は一カ所しかない。 周辺の工場や建設現場に向かう車がかなりのスピードで通る。 分教室は自力で通える生徒が対象といっても、 かなり危険な通学路である。 じっさい分教室開校後間もなく分教室の生徒が車にはねられる事故もあった。 通学の安全を考えるならば分教室設置にあまり都合のいい学校とは言えない。 さらに言えば、 有馬高校自体はそれほど施設的に余裕のある学校ではない。 専門コースを抱え、 さらに在県外国人等生徒の募集枠もある。 それに要する教室もある。 分教室にはおそらく北棟の 1 フロアを当てることになるだろう。 これによって有馬高校としては施設的にかなり厳しい状況が生まれることが考えられる。 とはいえ、 だから受け入れに反対と言うほどの強い意見だったわけではない。 逆に積極的な受け入れの声もあったわけではない。 いずれにせよ職員全体で議論する時間も場もないまま、 担当になった数人の職員がすでに分教室が設置されている高校を急いで見学し、 実務的な作業を進めていく結果になった。 2. 分教室の現状 こうして2008年に分教室は開設され、 初年度は 9 人の生徒を受け入れることになった。 そして現在は 3 学年がそろい、 在籍生徒は38名、 1 年生15名、 2 年生14名、 3 年生 9 名となっている。 以下、 現状をかんたんに整理しておく。 (1) 生徒 有馬分教室に限らず、 県立高校に設置された特別支援学校の分教室に入学する生徒には一定の志願条件がある。 @自力通学が可能であること。 A集団活動中心の学習が可能であること。 B給食がないので昼食が持参できること。 この三点である。 そして入学にあたっては学力検査と集団・運動能力検査を課す。 とはいえ検査の結果を見て選抜するわけではない。 定員を超えた場合は抽選によって人数を絞ることになる。 (2) 施設 有馬高校の北棟の 2 階を分教室は利用している。 4 教室を生徒の活動場所として使い、 廊下をはさんだ特別教室を職員室、 保健室として利用している。 他に 1 階にある更衣室を 1 つ使って作業室としている。 視聴覚室、 体育館、 音楽室、 図書室などを使うこともある。 もちろん有馬高校と調整をとり、 高校側の授業で使わない時間にそれらの教室を利用することになる。 (3) 分教室の活動 一般の特別支援学校に比べると、 教科指導の時間が多い。 そして同居する高校の時間の区切りに合わせているため授業時間も長くなっている。 また、 卒業後の職業自立・企業就労を目指していることもあり、 職業教育に割く時間をかなりとっている。 しかし、 校内には更衣室を転用した作業室がひとつあるだけである。 昇降口や階段などの清掃活動もひとつの作業体験としておこなっている。 いずれにせよ施設内での作業体験は不十分になる。 結局職業的体験の場としては外に出て行くしかない。 近隣の事業所の協力を得て、 仕事の体験をすることになる。 3. 高校の側から見て 分教室の現在の状況をおおまかに説明すれば以上のようなところである。 では高校と分教室の関係、 交流はどうなっているのか。 行事での接点はある。 文化祭の時には分教室も出店している。 年度末の合唱コンクールには分教室の生徒もステージに立つ予定だった (残念ながら震災と停電、 電車の不通により中止になった)。 体育祭の場合は見学にとどまっている。 芸術鑑賞教室に分教室の生徒も一緒に参加する。 いまのところ接点はこの程度である。 あとは有馬高校の生徒会の本部役員が分教室の生徒と一緒に工芸制作をしたことがあるが、 それも継続的に行われているわけではない。 有馬高校の生徒と分教室の生徒が会う機会は限られている。 通学の時に一緒になることがある、 ときおり行事の時に見かけることがある、 たまたま教室移動やその他の活動の時にすれ違うことがある、 それぐらいの機会があるにすぎない。 生徒自身はどう受け止めているのか。 調査と言うほどでもない。 何人かの有馬高校の生徒に分教室のことを聞いたことがある。 当然のことながら、 生徒も分教室があることは知っている。 ただそれ以上のことはあまり知らない。 最初に書いたように、 朝は一緒に門を通ってくる。 あるいは廊下や階段を掃除している分教室の生徒たちを見ている。 だから分教室の生徒と接する機会はある。 しかし分教室の生徒と話した経験があるかと聞くと、 ほとんどいなかった。 「あいさつしたことがある」 という生徒以外には、 私の聞いた限りで分教室の生徒と話した生徒はいなかった。 もっとも同じ高校の生徒どうしでも、 あるいはクラスの中であっても、 それなりのつながりができていなければ、 あいさつしたり話をしたりはしない、 それが今の高校生にとってはふつうなのかもしれない。 そう考えると分教室の生徒と話したことがないというのも当然かもしれない。 たまに大きな声を出す分教室の生徒もいるが、 それについてどう思ったか、 そんなことも聞いてみたことがある。 「びっくりすることもあるけれど、 分かっていれば別に驚きはしない」 という答えだった。 とくに冷ややかなわけではない。 しかしとくに関心があるわけでもない。 少なくとも特別なこととは思わないということのようである。 話を聞いた生徒にとっては、 分教室は入学したときから存在する。 だから分教室があることをごく自然に、 「あたりまえなこと」 と受け止めているのかもしれない。 すでに言ったように、 分教室の生徒と高校の生徒が何かを一緒にやるという機会はない。 だからといって共にいることの意味がないと言うこともない。 特別支援学校の生徒がごく自然にいる、 ここにそれなりに意味があると思っている。 とくに接点をもたなくとも、 空間を共有しながら一日をすごしているところに意味がある。 もちろんそこから先に進むことができるならば、 それは望ましいことかもしれない。 ただあせるべきではないだろう。 それでは高校の職員の方はどうか。 職員室では分教室のことはほとんど話題にならない。 ときどき行事や入試等の特別なことがあるときに、 分教室の方がどうなっているかを話題にする程度である。 もしかしたら生徒よりも職員の方が分教室の存在を意識していないのかも知れない。 そんな中で分教室との接点を持っているのは養護教諭である。 分教室の生徒の状況について、 必要に応じて情報交換をおこなっている。 同じ施設内にいる以上、 分教室の生徒についても、 高校側でもある程度は情報を共有しておく必要がある。 他方で、 高校側でおこった問題について分教室の教員に相談に乗ってもらう場合もある。 多様な生徒に接し、 様々な事例を経験している分教室の教員の意見は参考になる。 高校側で開く救急救命法の講習会に分教室の教員が参加する場合もある。 しかし分教室の職員と高校の職員が出会う場はその程度である。 せっかく同じ校舎にいるのだから、 高校と分教室の全職員が話し合う場がもう少しあってもいいだろう。 おたがいに得るものはあるはずである。 生徒間の接点をつくる前に、 職員間の接点をつくることの方が先なのかもしれない。 ただしその方向は見えてこない。 忙しさもある。 最初から話し合い考える場がなかったということもある。 4. 分教室の立場に立って さてこんどは分教室の立場に立って考えてみる。 分教室にとって、 高校と同居するメリットはあるのだろうか。 今の段階で思いつくものは残念ながらほとんどない。 施設は窮屈である。 視聴覚室や体育館、 音楽室を利用する場合も、 高校側がまず時間割を組み、 その中に割り込むしかない。 そもそも高校の時間割そのものが様々な制約の中でかなり無理をして組んでいる状態である。 高校側で配慮しようと考えたとしても、 いまの状況では無理な相談である。 施設の不自由さ以上に、 分教室にとってやっかいなのは、 おそらくチャイムや放送だろう。 高校側の授業に合わせてチャイムは鳴る。 50分授業であるから、 長すぎるかもしれない。 しかも高校側の行事によってチャイムの鳴る時間は変わる。 45分授業になる場合もある。 あるいは試験の時は休み時間だけが15分になる。 さらにそれ以上に変則的な区切りになる場合もある。 分教室はそれに振り回される。 放送も同じである。 高校側が流す放送は分教室にも流れる。 先生を呼んだり、 生徒を呼んだり、 まったく分教室とかかわりのない放送が流れる。 せめてこれぐらいは何とかすべきだとも思うが、 放送回線を別にする工事すらされていない。 また不必要な放送が流れている一方で、 高校と分教室の間で急いで連絡を取ろうとする場合は、 たがいの職員室に走っていくか、 外線電話をかけるしかない。 内線回線はつながれていないのだ。 そもそも分教室開設に当たっては、 放送回線を変えたり、 内線電話を設置したりする程度の工事すらなかった。 それどころか掃除用具や下駄箱、 傘立てなどの物品まで高校側から中古品を譲りうけて使うところから分教室は始まっている。 皮肉な言い方をすれば、 そうした物品を高校側から融通できるところに同居の利点があるのかもしれない。 ただその利点は設置者にとっての利点であり、 分教室の生徒にとっての利点ではない。 またあたりまえな話であるが、 分教室と本校を行き来するにはかなりの時間がかかる。 そして分教室の職員集団は小規模である。 自力通学が可能な生徒に限っていると言っても、 かかえている障がいは多様であり、 その程度にも差がある。 それぞれの生徒の状況に応じたきめ細かい対応をしようとしても、 それができる条件はない。 本校から離れた分教室であることのデメリットはこの点で大きい。 同居しながらもまったく別の学校である高校に支援を求めることもむずかしい。 もっとも支援を求められたとしても、 高校側にその準備はまったくない。 分教室にとってメリットがみとめられるとすれば、 分教室の生徒と高校生との間にそれなりの交流ができるようになった場合だろう。 しかしすでに述べたように、 今のところ交流といえるほどのものはできていない。 そしてまたこんな指摘もある。 「知的障がいが軽度であればあるほど交流を嫌う生徒が少なくないという現実がある」。 通常級に通っているときにいじめにあった経験を持つ生徒もいる。 そうでなくとも、 様々な嫌な思いや経験がある。 かんたんに仲良くしましょう、 と言ってできるものではない。 一方、 高校の側も生徒間の交流をすすめるだけの準備ができてはいない。 こう見てくると、 いまのところ高校と同居することのメリットが分教室の側にあるとはとても思えない。 5. 手狭な施設 有馬高校は 「百校計画」 の中では後期の1983年に開校された学校である。 最大時には他の新設校と同じく 1 学年12クラス、 全体で36クラスであった。 その後しだいに規模は縮小し、 2005年には全学年が 6 クラスになった。 それならば相当の余裕があるはずだ、 と言われるかもしれない。 だが今思えば、 どうやって12クラスを入れていたのだろうと首をかしげるほどである。 理科の実験室や、 美術室、 音楽室、 社会科教室などの特別教室をのぞけば、 ホームルーム教室として使えるすべての部屋を使って12クラスを押し込んでいたのである。 クラス数が半分になったといっても、 やっと正常になったにすぎない。 有馬だけではなく、 「百校計画」 でつくられた高校はすべて同じような状況だろう。 とくに有馬の場合は1993年に外国語コースを設置した。 そのため国際理解教室、 コンピュータLL教室などを特別につくる結果になった。 さらに英語の授業を少人数で展開するための特別教室も設けなければならなかった。 その上2005年から在県外国人等生徒の受け入れもはじめた。 日本語を母語としない生徒のための 「取り出し授業」 に使う教室も必要である。 このようにクラス数の減少によりできた 「空いた教室」 はさまざまな用途に振り向けてきた。 そこに分教室を受け入れたのである。 かなりの無理が生じたことは言うまでもない。 授業展開にも制約が生ずる。 時間割が一応できても、 教室配当がうまくいくなったために修正しなければならないようなことにもおきた。 さらに授業とは別に、 文化系の部活の活動場所、 補習教室などにも様々な支障が生じている。 しかも2010年度の 1 年生からは 1 クラス増えて 7 クラスの募集になった。 2011年にはさらに 2 年生までが 7 クラス、 おそらく2012年には全学年が 7 クラスにそろうだろう。 無理をしているのは分教室の方も同じである。 職員室も教室も空間をめいっぱいつかっている。 廊下さえ活動場所としなければならないほどである。 いろいろな問題を抱えている生徒がいるだけに、 個別に対応できるように余裕のある部屋も必要だろう。 しかし現実はそれどころではない。 作業実習の場所もかんたんには確保できない。 先ほどふれたように、 更衣室を借りて作業実習をやっているが、 教室とは場所も離れているし使いにくいだろう。 もっとも更衣室がなくなってしまう高校の方も困る。 いずれにせよほとんど空きスペースがない中で高校の授業も分教室の授業も展開している。 多様な生徒が学ぶ場を共有し、 生活する場を共有することは、 すべての学校において追求されるべきもっとも基本的な教育条件と言っていいと思う。 ただしその教育条件が意味あるものになるためには、 それを支える物理的条件が整備されなければならない。 そうでなければ、 そこで学習し生活する生徒とそこではたらく職員が犠牲を払うだけに終わってしまう。 おわりに 朝の光景にもどる。 有馬高校はめぐまれた学校だと思う。 高校生と分教室の生徒が同じ門を通ってくる。 在県外国人等の受け入れ枠もあるので、 高校の中には 「外国につながる生徒」 もいる。 多様な生徒が同じ校舎の中にいる。 たしかに分教室との交流は不十分かもしれない。 それでも高校の生徒と分教室の生徒が空間を共有することにそれなりの意味がある。 少なくともたがいに存在を意識していることはたしかである。 そしていまのところ目立ったトラブルも起きていない。 ではこの 「分教室方式」 はこのまま継続していいのか。 皮肉な言い方ではあるが、 このトラブルがないというところに、 ある種のひっかかりを感じる。 最後にこの点にふれてリポートを閉じたい。 なぜ目立ったトラブルがないのか。 くりかえしになるが施設は狭く無理がある。 しかし特別支援学校分教室は施設を借りている高校に迷惑がかからないように遠慮して活動している。 高校の方もいろいろな不便をかかえながらも、 何とかやりくりして分教室に施設を貸し協力している。 これはこれで美しい光景というかもしれない。 だがこれは統合でも共生でもない。 ただがまんを学んでいるだけである。 特別支援学校の過大解消の手だてとして、 「空いている」 高校の教室を利用して分教室を設置しているかぎり、 この構図はなくならない。 「しばらくおじゃましますのでよろしく」 ということなのだから。 そうではなく、 発生する様々な問題を、 ひとつの学校の中でとりくみ解決していかなければならない課題として受けとめることができたとき、 この構図はかわっていくと思う。 つまり、 高校と分教室がひとつの学校を構成するかけがえのないパートナーとしてたがいを位置づけることができたとき、 はじめて 「共に育ちあう場」 が可能になるのだと思う。 だが、 いまはまだその方向は見えていない。 |
(ほんま しょうご 有馬高校教員) |
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