特集U 支援教育
養護学校分教室の現状と可能性
 
飯 塚 友 康
<はじめに>
 私は県立高校に勤務していたが、 人事交流で養護学校に異動、 一昨年 (2009年) 度、 分教室の立ち上げを担当することになった。 軌道に乗るまでは担当するつもりでいたが、 心身の不調から 1 年間で担当を替わってもらった。
 そのような訳で、 私の分教室経験は 1 年に過ぎないが、 今回、 「ねざす」 の原稿依頼を機会に感じたことを整理してみたい。 学校再編の在り方を考えるに当たり、 少しでも参考になれば幸いである。 なお、 以下の文は私個人の見解であることをお断りしておく。

<分教室とは?…設立の経緯>
  「分教室」 と言ってもよく分からない方もおられるだろう。 まず、 簡単に説明させていただく。
  1. 分教室のスタートは緊急避難
     分教室を作った最大の理由は養護学校に在籍する児童・生徒の増加である。 増加の理由は定かではないが、 それに対する県の施策は追いついていない。
     そこで、 窮余の策として浮上したのが、 生徒減で空き教室のある普通校の施設使用である。 養護学校には必要とされる設備が多く、 建設には多額の予算が必要になる。 しかし、 軽度の障害を持つ生徒だけに限れば、 そこまでの設備は要らない。
     こうして、 2004 (平成16) 年度スタートした分教室には、 緊急避難の施策ということで、 5 年の時限設定があった。
  2. 分教室の形態と生徒
     分教室の構成は、 各学年 1 クラス (現在は学年定員15名【1】。 高校の 5 教室を借りて、 うち 3 教室は各学年のHR、 1 教室は職員室と保健室(教室の中央を書棚等で間仕切り)、 もう 1 教室を多目的室【2】とする形が一般的である。
     県の挙げた生徒の条件は、 公共交通機関または徒歩による自力通学ができること (養護学校では送迎が必要な生徒もいる)、 集団活動が可能なこと、 昼食は各自持参 (養護学校では給食が出る) の 3 点。 この 3 条件は比較的軽度の障害を持つ生徒を対象とすることを意味する。
  3. 分校と分教室の違い
     一見同じように思えるが、 分教室と分校は大きく違う。 分校の場合は、 そこに在籍する生徒に対し教職員が配置される。 事務職員もいるし、 管理職もいる。 一方、 分教室の生徒は本校の生徒と一緒にカウントされ、 教職員の定数も学校全体でカウントされる。 分教室に何人配置するかはその学校の判断である【3】。 この方が教員が少なくて済むし、 事務職員や管理職もいらない。

<分教室の課題>
  1. 5 年の時限設定をとりやめ
     分教室は、 その後も増え続けている。 過大化を根本的に改善する施策が行えなかったからである。 結局県は、 わずか 3 年後の2007 (平成19) 年に時限設定を取りやめ、 分教室を恒久的なものに位置づけた。 養護学校でも、 この方針変更については見通しの甘さを指摘する声が少なくなかったが、 高校、 特に分教室を受け入れた学校には不信感を抱かれた方もいらしたのではないかと思う。
  2. 負担感を感じる高校、 活動が限られる分教室
     県は高校の 5 教室を借り、 保健室の水道等、 一部の設備改善まではやるが、 その後は現場任せ。 各校で事情が違うので一律的指導ができない、 というのがその言い分だが、 明確なビジョンを持たないからではないか。
     高校と養護学校分教室は、 いわば大家と店子の関係。 誤解のないように念押ししておくが、 大家である高校は何かと気遣ってくれている。 教室を空けたり、 気を遣ったりと、 負担感はかなりあるが、 その割に見返りになるメリットは見えてこないのではないか【4】。
     店子の分教室だが、 基本的スペースは 5 教室のみ。 体育館や特別教室の使用は可能だが、 高校が使わない時に限られる。 時間割作成は高校側の時間割確定を待たなくてはいけない。 雨の日などに体を動かす場所も十分にないし、 生徒指導やクールダウンの部屋もない。 また、 高校入試の日は原則として校舎内に立ち入れない【5】ので、 その場合は校外での活動を余儀なくされる。
     そのような問題はどの分教室にも共通しており、 県当局がもっと解決に向けて動くべきである。
  3. 配慮が必要な分教室生徒たち
     県の条件からしても、 分教室には比較的軽度の障害を持つ生徒が通学するはずだが、 自力通学が難しい生徒もいる。 また、 「集団活動が可能」 という条件を満たす生徒ばかりではない。 集団活動には、 安定した情緒、 他者への共感能力、 そして集団に対する帰属意識も必要なのだが、 分教室に通う生徒たちの中には、 心理・情緒面での課題を持ち、 不安定になったり、 トラブルを起こしたりする生徒もいる。
     中学の進路指導も問題で、 よく分からないまま分教室を選ぶしかなかった生徒もいるのだ。【6】
  4. 分教室という、 システムの問題
     分教室は金をかけないためのシステムだ。 その分、 担当者にかかる負担が大きい。 分教室の 5 教室でできることは限られるので、 地域に出て、 実習や作業を体験させてもらうことも多い。 そのような活動場所の開拓はすべて分教室教員の仕事である。 教材や教室が限られた中で、 授業の工夫もしていかなくてはならない (養護学校では生徒に合わせて授業を行うので、 教科書はほとんど使わない)。
     また、 同じ施設内にあっても高校とは別組織なので、 紙や事務用品も養護学校から持ってこなくてはいけないし、 物を借りるのも担当者間で打ち合わせてから学校間での書類のやりとりが必要だ。

<分教室の今後>
 分教室が設置されて数年、 一定の評価が得られている分教室もあり、 これからはどうすればより良い場所になるかを考えるべきだろう。
 2007 (平成19) 年 9 月に、 「養護学校分教室の今後の在り方について」 (上記注4) が出されている。 以下の何点かはその報告と重なるが、 担当した者の率直な思いとして述べさせていただく。
  1. 分教室 (分校) の役割を明確にし、 周知を図る
    ア. 狭いけれど落ち着いた学習の場
     最初に述べたように、 緊急避難としてスタートした分教室。 その結果、 さまざまな生徒が入学して、 教員がその対応に追われるケースも少なくない。 狭い場所でも落ち着いて集団活動できる (できるようになる) 生徒でないと分教室ではつらい。 軽度の障害を持つ生徒でも、 分教室には向かない生徒がいることを、 中学校などにも分かってもらわなければいけない。
    イ. 自分を見つめ、 力を付ける場
     養護学校高等部を卒業すると、 福祉の施設で支援を受けながら働くケースと、 企業に就労するケースに分かれる (福祉施設から企業就労にステップアップというケースも最近は多い)。 福祉施設と企業では給料がかなり違うということもあり、 軽度の障害を持つ生徒の場合、 企業就労が期待される。 大学進学が高校の評価基準の一つとされることがあるように、 養護学校では企業就労が評価基準の一つという面もある。
     そこで、 企業就労を目標にする分教室もあるが、 これはどの分教室でもできることではない。 心理・情緒面での課題を持つ生徒が落ち着くためには、 さまざまな体験を通して自己理解を深める必要がある。 そして、 それには時間も必要なのだ。 分教室はそのような場でありたいと思う。 その結果、 意欲と力を付けて企業就労できるなら、 もちろんそれに越したことはない。
  2. 分校にして十分な人的配置を
     予算的な問題はあろうが、 分校にして、 教員が本来の業務 (教育活動) に専念できる環境を作るべきだ。 実際、 他県では分校にしているところもある。 養護教諭は現在29時間の非常勤だが、 正規職員にするのが当然だろう。 教員と情報交換をする時間は不可欠なのだから。
     進路先や校外での活動場所開拓を担当するスタッフも必要だ。 養護学校では卒業後のフォローも行っている。 それは、 進路先に足を運ぶなどの 「営業活動」 を伴うので、 片手間にできるものではない。
  3. 縦割り行政を超えた、 県の支援を
     分教室は何かと事務量が多い。 物や施設を借りるにしても、 時間と手間がかかる。 それらがもっとスムーズに行われるようなルール作りを県はやるべきだ。 また、 事務用品や教材の共用、 健康診断の高校での実施など、 行政のリードで改善される点は多い。
  4. まず、 教職員の交流を
     心理面の課題が多い生徒たちにとって、 生徒間の交流は容易ではない。 中学時にいじめに遭ったり、 一段低く見られていたという思いを持つ生徒が多いからだ。
     その前に教職員の交流が必要だろう。 高校には発達障害の生徒も少なからず在籍していて、 その指導には養護学校教員の持つノウハウが生かされるはずだ。 また、 音楽や美術などの専門教科については、 高校の教員が分教室生徒に指導する【6】、 ということがあってもいい (それが持ち時間にカウントされればやりやすい)。 そのように、 教員が相手校の理解を積み重ねて行くことが、 生徒間交流のベースになるだろう。 毎日の業務に追われるのが実情だが交流を広げて行くことが望まれる。
     現在でも、 高校との交流を活発に行っている分教室がある。 行事交流だけでなく、 授業の交流も行う中でお互いの理解も深まり、 自然な雰囲気で学校生活が行われている。 そこに至るまでには、 高校・分教室の努力が少なからずあったはずだが、 その事例は分教室の一つのあるべき姿と言えるだろう。 いわゆる健常者と障害のある人が場を共有する、 インクルーシブな社会のモデルがそこにはある。

<分教室を特別支援学級にすることは?>
 分教室が高校の中で定着し、 生活を共にするようになれば、 いっそ高校の中に位置づけた方が合理的ではないか、 そういう考えも生まれてくる。
 ご存じの方もいらっしゃると思うが、 実は小中学校だけでなく、 高校にも特別支援学級を設置することはできる (学校教育法 81条− 2)。
 この問題については、 永田裕之氏による綿密な考証がある【7】。 これは戦後の教育を俯瞰し、 ノーマライゼージョンの流れの中で高校も変化すべきではないか、 という問題提起を行った労作だ。
 永田氏はその中で、 新制高校の 「矛盾した二つの性格」 を指摘する。 それは、 「相当程度の高い教育」 を求める高等教育としての性格、 もう一つは 「希望者全入で地域に根ざした新しい教育機関」 としての性格である。 その矛盾がどのようにして生まれたかは氏の論文に詳しいので重複は避けるが、 前者は高校の適格者主義として今までの高校を形作ってきた。
 高校に特別支援学級を設置するためには、 入学試験制度を初めいくつもの課題があり、 簡単に結論づけることはできない。 しかし、 今まで顧みられることがなかったこの問題も、 広く議論される時期になったのではないだろうか。 ノーマライゼーションの理念が高校教育にも求められる今、 高校の生徒たちが障害のある生徒たちと、 イベント的な交流にとどまらず、 学校生活で日常的に場を共有することも意味があることだと思う。  

<おわりに>
 高校の再編整備により、 高校進学への選択肢が広がったという見方もあるが、 行き場を狭められた生徒も少なからずいるように思える。 分教室 (分校) はそのような生徒の学習の場の一つになり得るだろう (繰り返しになるが、 限られた施設とスタッフという条件はある)。 確かに彼らは障害を持つが、 できることはたくさんある。 個々の特性に応じた教育により、 一人ひとりの長所を生かし、 苦手な部分については日常生活に困らないような対応を学ぶ。 それによって生きる力と自信を身につけ、 彼らは社会で活躍できるのである。 また、 そのような教育の視点は、 普通高校の教育力を幅広くするものにもつながるはずだ。
 ぞれぞれの子どもたちにとって、 何が必要か、 ふさわしい教育の場はどこか、 その場しのぎではなく、 しっかりしたビジョンに基づく後期中等教育のシステム作りが求められている。


*この文章を書くに当たり、 「養護学校分教室について」 (平成19年・神奈川県教育委員会) と前述の 「養護学校分教室の今後の在り方について−かながわの特別支援教育推進プロジェクト会議報告−」 (平成19年) を参考にさせていただいた。 分教室設立の経緯、 課題などの詳細については、 これらを参照いただきたい。 また、 注 7 で紹介した永田氏の論文には多大な示唆を頂いた。

【1】分教室発足当初は12名だったが、 17名入学というケースも出てきた。 それでは多いということで現在は定員15名になっている。
【2】多目的室は物品を置いたり集会等で使用する。 更衣室で使うこともある。 分教室には更衣室がないので様々な部屋を更衣に使うが、 同じ部屋を時間差をつけて男女で使う場合もある。
【3】分教室が本校と至近の距離にあるなら分教室と本校を一緒にカウントすることは可能だろうが、 実際は遠い所にある分教室がほとんどである。 結局、 本校と分教室に教職員を分けると、 現場の教職員が少なくなるというのが実態である。
【4】2007 (平成19年) に発表された 「養護学校分教室の今後の在り方について−かながわの特別支援教育推進プロジェクト会議報告−」 では、 「高校生にとっても、 障害のある生徒との関わりの中で学ぶことも多い」 という観点から 「新たな教育活動の展開が期待できる」 としている。 そして、 その方向性は現在も継承されている。
【5】2010年度の高校入試までは、 採点日も原則校舎内立ち入り禁止だった。
【6】分教室に通うには、 自力で通学できる、 集団活中心の学習が可能である等の条件があるので、受験生は養護学校を受験して結果的に分教室に通うのではなく、 最初から養護学校 (高校名) 分教室を選んで受験する。
【7】高校の教員が単独で分教室の生徒たちを指導することは制度上難しいし、 現実的でもない。 分教室の教員とティームを組んで、 生徒たちのへの配慮事項などを理解しながら、 専門的分野の指導に当たる形が取られるべきだろう。
【8】 『ねざす』 No.10 1992年10月号所収 「戦後 『障害』 者教育の歴史」  

  (いいづか ともやす 三ツ境養護学校教員)
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