特集U 支援教育 |
特別支援学校の現在・過去・未来 |
田 村 順 一 |
1. 特別支援学校は不要か? 平成21年12月に発足した 「障がい者制度改革推進本部」 は、 「障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備をはじめとする我が国の障害者制度の集中的な改革を行うため、 内閣に設置したもので、 構成員は本部長である内閣総理大臣の下、 すべての国務大臣となっている。」 (内閣府ホームページより) とされている。 この方針を受け、 意見集約のために 「障がい者制度改革推進会議」 が設置され、 内閣はその第一次意見を踏まえた段階で22年 6 月に閣議決定を行い、 「障害者制度改革のための基本的な方向について」 を発表した。 一連の検討の中で教育のあり方について、 「障害のある子どもが障害のない子どもと共に教育を受けるという障害者権利条約のインクルーシ ブ教育システム構築の理念を踏まえ、 体制面、 財政面も含めた教育制度の在り方について、 平成22年度内に障害者基本法の改正にもかかわる制度改革の基本的方向性についての結論を得るべく検討を行う。」 などが決定した。 (平成22年 6 月29日閣議決定より抜粋) こうした部分を抜き出して全体を論ずるようなことは好ましいものではなく、 全体の構成や理念の動きを展望する必要がある。 しかしながらここでポイントとなるのは、 「インクルーシブな教育システム」 というキーワードである。 これはどういう意味で、 現在の特別支援教育とどのように異なるものなのか、 そうした大きな流れについて考察してみたい。 2. 特殊教育から特別支援教育へ 学校教育に期待されるものは、 どの国でも国家の繁栄をになう人材の育成であり、 それには国民の教育水準を上げることが急務である。 そのため、 義務教育には全国津々浦々どこに行っても同等の教育が受けられる権利を保障することが何より求められてきた。 そうした公教育の大きな流れから外れてきた障害のある子どもたちには保護者の強い願いにより盲聾養護学校等が整備され、 それらの教育も義務教育の範疇に加えられたのが昭和54年の養護学校の義務教育化であり、 これによって障害のある子どもたちの 「特殊教育」 がシステムとして整った。 「特殊教育」 というのは諸外国で言うところの Special Education を訳したものと理解されているが、 他国における Special Education は必ずしも障害のある子どもの教育という意味合いではないが、 我が国では一般に障害児に対する教育と理解されている。 こうした我が国の 「特殊教育」 は、 一斉指導による通常の教育の形態ではカバーできない、 障害の重い子どもたちの教育の場を求める声に応えたものであり、 その目的を達成するには専門性の高い教育環境 (学校や学級) を別に設け、 そこで十分な発達を保障し、 学習や訓練を経た上で通常の学校教育あるいは社会自立につなげる方がよいという考え方が基本にあった。 そこで学ぶ場を分けることが合理的と考えられ、 これが前述の制度改革推進会議からは 「分離教育」 であるとの批判の元になっている現在の形態である。 だが着目すべきは、 我が国の特殊教育はあくまで障害の重い子どもを対象にしたもので、 全学齢児の中に占める特殊教育対象児の構成比率は 1 %未満であった。 対象的にアメリカで Special Education を受けている子どもは州によって異なるがおよそ10〜15%、 イギリスでは15〜20%である。 ところが障害のある子どもの専門の教育の場を設けることで、 「障害のある子は皆そこに行くべきだ、 行かなくてはいけないのだ」 という誤解が生まれたことは事実である。 さらにその結果、 障害のあるこどもたちは他の同年代の子どもたちと接する機会が少なくなり、 通常の学級に学ぶ子どもたちは障害のある子どもたちと生活を共にする経験が失われてしまった。 こういった、 分離教育の弊害の部分を、 前記制度改革推進会議では厳しく指摘している。 さて一方、 国際的な潮流として、 発展途上国がこれからの公教育を整えるにあたり、 かつての我が国のように障害のある子どもたちを除外してしまうことのないよう、 1993年の第48回国連総会では、 「障害者の機会均等化に関する標準規則案」 が採択された。 その中の 「教育」 の項目では、 障害のある子どもたちも他の子どもと同じ環境で公教育を受ける権利を保障するよう求められている。 その理念を踏まえ、 翌1994年にスペインのサラマンカで、 有名なサラマンカ宣言が発せられ、 教育においては 「インクルージョン」 (一体化、 包括化などと訳されている) をその基本とすることが主張されている。 すなわち、 通常の教育制度の中に障害のある子もない子も包み込み、 同じ環境で教育を行っていこうとする考え方である。 ただし、 それは単純に場を同じにすればよいと言うことではなく、 個々の教育ニーズに応じた専門的な対応をも保障するという、 Special Needs Education (SNE) の考え方も同時に確認されている。 以後各国の障害児教育のキーワードは 「インクルージョン」 となり、 様々な教育制度改革が試みられてきた。 我が国では、 この段階ですでに確たる特殊教育の制度を作り上げており、 すべての子どもに学籍を保障することに力を注いできたため、 すぐにこの流れに乗ることができないまま現在に至っている。 平成19年 (2007) になって、 国は従来の 「特殊教育」 から、 「特別支援教育」 への大きな転換を図った。 これは単に対象を広げただけではなく、 これまで 「場」 (在籍する学校、 学級) の違いの問題と思われていた特殊教育から、 すべての学校種で特別支援教育を行うものとし、 場に限らず特別な教育ニーズを持つ子どもに必要な教育的支援を行うことを目的としたものである。 当然この背景には世界的なインクルージョンの思想があり、 それに一歩近づくものであった。 しかしながら長年障害のある子どもの教育は分離して行われてきたため、 小中高等学校と言った通常の教育環境に特別支援教育を行うノウハウが乏しい。 そこで、 特別支援学校 (盲聾養護学校から呼称も変更された) には自らの持つ専門性や知識を地域で共有する 「地域センター的機能」 を置くことが規定された。 この間、 国連は障害者の人権を保障するための施策として冒頭に記した 「障害者権利条約」 を提唱し、 続々と諸外国がこの条約を締結している。 我が国がこれを締結するためには、 国内の法律や諸制度を組み立て直す必要があって前記の制度改革に着手したのである。 3. 神奈川県の取り組み 神奈川県では、 総合福祉政策の観点から、 かねてより 「ともしび運動」 が提唱されてきた。 昭和59年度 (1984) の県総合福祉政策部会の提言で、 教育のあり方について触れ、 「これまで、 障害があると言うだけで特殊教育諸学校、 特殊学級に措置されると言うことはなかったか。」 と課題を指摘し、 「今後の教育の形態としてすべての子どもたちが共に学ぶ 『統合教育』 の方向を模索する必要がある」 と述べている。 ただ、 形式的・機械的な推進は破壊的な結果を及ぼすこともあるので注意が必要であるとも述べている。 驚くことに、 ここで述べられた内容はその10年後に国連やサラマンカ宣言で述べられた内容と全く符合しており、 先人の卓見にただ敬意を表するしかない。 これ以降、 神奈川の学校教育は 「共に学び共に育つ教育」 と称され、 様々な調査や研究が行われてきた。 最も大規模に行われたのが、 昭和61年度 (1986) から平成 4 年度 (1992) まで行われた、 「小中学校に在籍する障害をもつ児童生徒の多様な教育形態による指導のあり方の研究」 通称 「多様研」 である。 これは、 小中学校に在籍する児童生徒にとって、 通常の学級か特殊学級 (当時) かという二律背反では十分ニーズに応じた教育ができないのではないかという仮説の元に、 その二者の間に 5 つの形態を想定した。 すなわち、 通常の学級で何らかの配慮をしながら学習を進める 「通常型」、 校内にアメリカで言うリソースルームのような形態の通級指導の教室を設けて、 そこに必要なときに通級して指導を受ける 「通級型」、 専任の教師が校内および近隣数校を受け持って巡回する 「巡回型」、 通常の学級と特殊学級が交流しながら行う 「協力型」、 そして特殊学級で専門的な教育を行う 「専門型」 である。 このうち、 人的配置を必要とする通級と巡回について、 県下10地区に12人の専任教員を県が配置し、 実験を行った。 これらの研究の結果、 大きな効果がみられたが、 当時の教員配当では在籍のない学級には教員配置ができなかったため、 どう人的資源を確保するかが課題であったが、 この成果を踏まえてか、 国が通級による指導の制度化を進め、 在籍児がなくても設置できる 「通級指導教室」 が発足した。 一方特別支援学校においても、 諸外国の実情を視察した上で、 指導の客観性を保つためにアメリカにおけるIEP (個別教育計画) の発想を取り入れ、 平成 5 年 (1993) から本県独自の個別の教育計画策定を特別支援学校に呼びかけ、 併せて地域を支援する機能を打ち出して、 盲聾養護学校 (当時) の機能強化を行った。 そしてそれらの機能を支えるためにアメリカで言うスクールサイコロジスト (学校心理士) の力量を持つ教員の養成を大学とタイアップして行うという人材育成に着手した。 これらもその後の学習指導要領の改訂等に取り入れられ、 国の制度改革に直結している。 特別支援教育に切り替わって以降も、 神奈川県では障害の有無によって分けるのではなく、 すべての子どもたちに (程度の差や支援の内容・方法の差はあれ) 支援が必要なのだという発想から、 「支援教育」 という言い方を採用している。 このように神奈川県は国の施策に先駆けて先進的な試みを行い、 インクルーシブな教育についても向かうべき方向として研究を進めている。 4. 今特別支援学校では こうして共に学び共に育つ教育は本県でも徐々に浸透し、 インクルーシブな教育も実現に向かうと考えられた。 特に平成19年度 (2007) の特別支援教育への転換で、 なおいっそう世界的な波であるインクルージョンに近づいていくものと期待が集まった。 ところがここで大きな課題として、 一見これまでの流れと逆行するような現象が起き、 全国の特別支援学校共通の悩みとなっている。 それは大都市圏の知的障害特別支援学校への入学希望者の増大による過密化 (本県では過大規模化と呼んでいる) の問題である。 特別支援学校には大きく分けて 5 つの障害種別がある。 盲、 ろう、 知的障害、 肢体不自由、 そして病弱である。 これらの中では厳密に言うと、 盲・聾・病弱については児童生徒数の変動はさほど大きくない。 肢体不自由は微増、 知的障害は激増の傾向である。 少子化の時代を迎えながら、 なぜ知的障害特別支援学校だけが急増するのか、 その明確な答えは未だに得られていない。 付け加えるならば、 小中学校の中にある特別支援教室はさらなる入学希望の増加と大規模化にあえいでいる。 もとより特別支援学校は障害の重い子どもたちを少人数で指導するように作られており、 そこに想定規模を超える児童生徒を受け入れては、 教室は不足し、 教育環境は悪化するばかりである。 各学校では特別教室を普通教室に転用したり、 教室をパーテーションやカーテンで仕切って見かけ上の教室数を増やすことまでして対処しているが、 想定人数の 2 倍、 3 倍の児童生徒を受け入れている学校も少なくない。 入学を希望するどのケースも意に反して特別支援学校に来るのではなく、 積極的に専門性や個別対応性を求めて特別支援学校を選択してくる。 その期待に応えるためには、 この過大規模化による教育環境の悪化は決して看過できる事態ではない。 その具体的な対応として、 神奈川県でも特別支援学校新設に努めるとともに、 高等学校に教室を借りて特別支援学校 (神奈川では旧称の養護学校という名称を使っている) の分教室を設置して受け皿を増やす努力をしている。 これらの努力にもかかわらず、 過大規模化はいっこうに解消していない。 5. 今一度、 特別支援学校は不要か? 世界的な潮流の中で我が国の学校教育は大きな転換点にさしかかっている。 しかしこれまでの経緯をみると、 インクルーシブな教育を推し進める中でややもすると 「通常の学級にみんな入れればいい」 と行ったかつての考え方と逆に振れた短絡的な 「場」 の論理に戻ってしまいかねない危惧を感じる。 そうなれば本県の先人たちがいみじくも指摘したように、 形式的・機械的な推進は子どもたち自身に 「破壊的な」 結果を及ぼす。 インクルーシブ教育の理念は、 支援ニーズに対する適切な支援サービスを多様な教育の場で、 個に応じたきめ細かな工夫によって講じていくことが必要だというところにある。 そうした多様な教育ニーズを持つ子ども、 個に応じた教育を期待する保護者が数多くいるにもかかわらず、 それに対応できる体制が現在の学校教育全体に乏しいために特別支援学校、 学級に過大な期待が集まり、 そのニーズを切り捨てることができずに受け入れ続けているために現在の過大規模化が起こっている。 これでは特別支援学校、 学級は疲弊し、 破綻してしまう。 制度改革推進会議は 「障害のある子どもとない子どもが、 同じ場で共に学ぶことができることを原則とする…。」 と意見書で提案している。 それはよい。 だが、 だからといって特別支援学校、 学級が不要と言うことではない。 そうした閉ざされた環境でこそ、 のびのびと力を発揮できる障害の重い子どもたちは存在する。 誰をも例外としない理念の中で、 選択肢のひとつとしての特別支援学校、 学級の存在意義は大きい。 ただし、 現在の過大規模化して疲弊した特別支援学校、 学級ではその力を発揮できない。 逆説的なようだが特別支援教育の質と内容の維持のためには、 学校教育全体における多様性、 誰をも切り捨てない教育のあり方が求められる。 それこそがインクルーシブな教育の実現である。 学校教育全体の質的転換および意識の改革のために、 支援教育の理念に今一度立ち帰り、 これまで先進的な試みをしてきた神奈川県こそ、 新たな教育のあり方を、 ビジョンをもち率先して推進していく必要があるのではないだろうか。 |
(たむら じゅんいち 帝京大学、 元神奈川県立瀬谷養護学校長、 元県立特別支援学校校長会長) |
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