特集U 支援教育
支援教育の全体像を探る
 
村 田 耕 作
はじめに
 この特集に専門家でもない私が原稿を書いている理由は 2 つある。 第一は、 中田正敏 (なかた まさとし) 氏が前号 『ねざす』 No.46 巻頭言 「支援ができる組織を創る   神奈川の支援教育の方法論」 において述べていることに、 感銘を受けたからである。 なぜかというと私は一時期 「支援教育」 の基礎研究に関わったことがあり、 以来 「支援教育の方法論」 について強い関心を持っている。 当時、 中田氏は 『これからの支援教育の在り方 (報告)』 (2002) に至る、 基礎研究のブレーンの一人として活躍されていた。
 中田氏は、 ここで 「対話」 の必要性を述べる。 「教育改革の中においては、 ユーリア・エンゲストロームが指摘しているように、 焦点はフォーマルなシステム改革や授業改革に絞られてきた。 これらのフォーマルで明示的な問題の陰で見過ごされてきたことがある。 それは生徒と教職員の関係性、 生徒同士の関係性、 教職員同士の関係性である。 関係性を具体化するものは対話であり、 対話により支援が共感と共に浮かび上がる。 多様なニーズを持っている生徒達への対応は、 支援のニーズが浮かび上がるようなツールを必要とする。 実態把握のためのツールとして、 対話が必要である。」 と述べている。 そして、 教育の現場に 「多様なコミュニケーションが自在にできる土壌が創られるべきであり対話ができる職場が不可欠である。」 という提言をしている。
 第二の理由は、 現場には新しい世代の教職員が増えてきた。 現場は多忙で、 「対話」 する時間もない。 先輩方が積み重ねてきた研究や、 臨床知ともいえる経験やカンが、 伝わりにくくなっている。 そこで神奈川の 「支援教育」 に至る歴史的経過をここで整理することによって、 私たち高等学校教職員の立ち位置を若者たちと一緒に確認してみたいという思いがある。 毎年300を超える新採用の先生方に、 「後期中等教育における支援教育」 が、 高等学校において大きな課題であることを認識して欲しい。
 尚、 参考にさせていただいた各報告書には、 膨大な時間と、 旧第二教育センター、 教育相談センターのスタッフ、 研究者や検討委員や現場先生方のご努力が費やされている。 これらの方々に敬意を表しつつ、 引用させていただく。 「支援教育」 の内容が多岐にわたるため、 引用は 「後期中等教育」 に関するところに焦点を当てた。 (【0】は【報告0】からの引用という意味である。)
 さらに中田氏の言う 「フォーマル」 な部分だけでなく、 「インフォーマル」 な記述も加えさせていただいた。 もし間違いなどありましたらお寄せいただきたい。

1 『これからの支援教育在り方 (報告)』 (2002)【報告1】に向けて
(1) 神奈川の 「支援教育」 を支える基礎的研究

 手元に 2 冊の報告がある。 共に長い題がついている。 『教育上配慮を必要とする子どもたちの教育の在り方研究委員会   インクルージョンをめざした学校教育の在り方   研究報告書インクルージョンをめざした学校教育の改革』 (1998.3 )【報告2】と 『インクルージョンの展開に向けた地域教育資源ネットワークシステムのあり方研究報告   教育上配慮の必要な児童生徒のためのチームアプローチ等の具体的支援に関する研究   』 (2002)【報告3】である。
 これらの報告書のもとに 『これからの支援教育の在り方 (報告)』 (2002)【報告1】が作成されたと考える。 この 2 冊の報告書の内容は多岐にわたるが、 長い題にはすべての 「支援教育」 のコンセプトが包含されている。 それは 「学校の改革」 「教育上配慮を必要とする児童生徒」 「インクルージョン」 「地域教育資源ネットワークシステム」 「チームアプローチ」 「具体的支援」 である。
1. 学校改革=学校教育全体をより個に応じたものへと変革
 教育改革が叫ばれて久しいが、 1998年といえば 「学級崩壊」 や 「きれる17才」 という言葉が初めてマスコミに登場した年である。 当時はかなりセンセーショナルな受け止め方をされた。 【報告 2 】は98年から少し時代をさかのぼりのぼり、 1981、 82年当時 「県内のみならず全国的な規模で校内暴力、 暴走行為、 万引き、 怠学などが多発し、 時には子どもの自殺などといった痛ましい事件なども表出し 『教育の荒廃』 ということばが流行語となった。」【2】そして、 当時の県知事が 「県内いたるところで 騒然たる教育論議」【2】を呼びかけ、 その結果、 83年には 「自然、 人とのふれあい (臨床の知、 体験の重視) を」 『ふれあい教育』 として結実」【2】し、 様々な教育実践が進められてきたと述べている。 さらに90年代における、 子どもの 「生活環境の変化」 や 「学校の荒れ」 「いじめ」 「不登校」 「校内暴力」 等の問題を取り上げ、 「個より多数を重視した教育観が一般通念とされてきた」【2】従来の学校教育を強く批判し、 「学校全体をより個に応じたものへと変革できるのではないかという仮説」【2】を提示した。 当時行われた研修会において、 多くの養護学校の先生が 「今の養護学校は、 登校拒否の生徒であふれている。 全日制の高校は切り捨てないで面倒を見て欲しい。」 と述べていたのは実に印象的であった。
2. 教育上配慮を必要とする児童生徒
 アメリカにおける 「スペシャルエデュケーション」【2】を受けている児童生徒の割合は 「10〜15 %」【2】とし、 それを 「神奈川の 0.83 %」【2】と比較することによって、 「特段の教育サービスを受けることなく通常の学級、 学校で教育を受けている」【2】児童生徒が多数存在することを指摘した。 また、 イギリスにおける 「障害の有無や学ぶ場の違いによって教育の内容を考えるのではなく、 個々の子どもの持つ 「教育ニーズ(SEN)」 から出発してそのニーズに応じた教育的サービスを講じていこうとする考え方」【2】に注目した。
 これらの 「教育上配慮を必要とする生徒」 には 「例えば身体機能や発達等に障がいのある子どもばかりではなく、 著しい学習の遅れや特定の教科につまずきや偏りが激しい子ども、 学校生活になじめず登校できない子どもなど、 様々なケースが想定される。」【2】としている。
3. 「インクルージョン」
 1981年は国際障がい者年であった。 1983年〜1992年を国連・障がい者の10年とし、 その間ユネスコの 「子どもの権利条約」 (1989) など様々な施策が国連を中心に行われた。 続いて、 国内では、 「子どもの権利条約」 発効 (1994) や家庭科の男女共修 (1994) が実施されている。
 とりわけ注目しなければならないのは 『特別なニーズ教育の原則、 政策、 実践に関するサラマンカ宣言』 (1994) 及び 『特別なニーズ教育に関する行動大綱』 (1994) である。 ここでは、 インクルーシブな教育を推進するためには基本理念を転換することが必要であり、 すべての子どもたち、 特に、 特別な教育ニーズのある子どもたちに、 学校が適切なサービスを提供することを検討し、 「万人のための教育」 が実際に行われるための 「教育改革」 が実現されることが求められている。 この 『宣言』 と 『行動大綱』 を特徴づけているのは 「インクルージョン」 の原則である。 誰であろうと排除することなく、 個々の人間の違いをむしろ尊重し、 学習を支援することに留意し、 個々のニーズに的確に応じられるような学校をめざして努力し 「通常の学校は、 特別なニーズ教育によって重大な改革を求められる。 そのため、 『行動大綱』 においては、 国家的なレベルにおける行動のためのガイドラインが詳細にわたり述べられているのである。
 この 『宣言』 と 『行動大綱』 を受け、【報告 2 】は 「インクルージョンは、 学校教育の中で子ども全体を一つの固まりとして捉えるが、 子ども一人ひとりはそれぞれ違う個性とニーズを持つユニークな存在であり、 一人ひとりが違うのは当然という人間観に基づいている。 このすべての子どもを学校教育として一体に包み込む概念の中で、 個々の違いに応じた教育システムを柔軟に進めるという観点に立っているところがインクルージョンという理念の大きな特徴である。」【2】と述べている。
4. 地域教育資源ネットワークシステムとチームアプローチ
 【報告 3 】においては県内各地の幼稚園から高等学校までの18校を訪問し、 実態調査を行い各学校の開放性や資源の活用という視点で、 類型化を行い、 分類し、 論点を拾い出すという、 極めて困難な調査研究を行っている。 そして、 教員や担任の個人的な 「抱え込みからの脱却」【3】のため、 「ネットワークの形成」【3】 に向け、 「校内のコーディネート」【3】、 「キーパーソン」【3】、 「校外、 地域資源の活用頻度」【3】、 「問題対応ではなく事前配慮」【3】 「校長、 教頭のマネジメント」【3】、 情報の引き継ぎとしての 「個別支援シート」 【3】などが論点となっている。
5. 具体的支援
 旧文部省が設置した 「21世紀の障がい児教育の在り方に関する協力者会議」 が2001年 1 月にまとめた最終報告書に基づき、 国は 「特殊教育課」 を 「特別支援教育課」 に改めた。 報告では従来の障がい児教育に加え、 学習障がい児や注意欠陥/多動性障がい児、 高機能自閉症児等、 通常の学級に在籍する 「特別な教育的支援を必要とする子どもたち」 への積極的な対応をはかることを求めている。 これを受け、【報告 3 】において 「支援教育」 の今後の課題として 5 つをあげた。 中でも後期中等教育に関わるものとして 「中学校・高等学校におけるチームアプローチとネットワーク研究」【3】「養護学校等と小・中・高との連携」【3】「校内のコーディネーターの地域ネットワーク形成」【3】「地域における相談機関のネットワーク形成」【3】を中心課題とした。
(2) 高等学校に対する痛烈な批判及び提言
 【報告 2 】には、 教育的支援をするための 3 つの仮説を示している。 「<仮説 1>学校教育の改革には、 従来の学校像からの質的制度的な発想の転換が必要。 <仮説 2>学校教育の改革には、 障がい児教育の持つ教育力の活用が有効。 <仮説 3>学校教育の改革には、 学校内外の教育システム改革が必要。」【2】そして各仮説についてかなり厳しい表現で補足している。 <仮説 1>については 「近代学校教育の形態は明治 5 年の学制施行以来大きく変わらずに 1 世紀以上が過ぎている。 そのような保守的な分野は今やどこにも存在せず、 学校教育のみが19世紀の影を未だに引きずっているとも言える。」【2】「そしてその形態や制度の不十分さによって、 これだけ多くの子どもたちの悲鳴が上がっている」【2】従って 「保守性に甘んじるのではなく、 発想を思い切って転換し、 子どもにとってなにが必要なのか、 という原点に戻って検討を進める必要がある。」【2】<仮説 2>については 「近年の学校における指導上の課題の大部分は、 個々の子どもの個別ニーズに対応できるシステムやノウハウを持ち得ないこれまでの学校教育体制の破綻によって起こっている。」【2】この個別ニーズに対応できるのは 「障がい児教育が積み重ねてきた実践」【2】であると述べている。 <仮説 3>では 「学校内だけではなく、 子どもを取り巻く学校内外の諸機関の連携なども含む広域的なシステム整備が必要である。」【2】としている。
 これらの仮説に基づき 5 つの<提言>が示されている。 特に<提言 2>には高等学校段階における改革案として 「一般的に専門高校と呼ばれている高等学校に養護学校高等部の分校を併置するという構想」【2】が提案されている。 同時に当時の高等学校体制や教員の意識を次のように批判している。 「義務教育ではないという意識も手伝って、 高等学校の教師にとっては、 障害児への教育と通常の高等学校教育とは全く別のものという意識が強い。 しかし93%を超える中学生が高等学校に進学している現状から、 実際には高等学校にも様々な障がいや特別な教育ニーズを持つ子どもたちが在籍するようになり」【2】「第二教育センターへの相談件数が増えている」【2】ので 「高等学校は義務制ではないからとか、 学校種別ごとの独自性があるなどと、 大きな機構改革を逡巡していることからは何も生まれない。」【2】「後期中等教育における生徒の心の荒廃を見るにつけ、 養護学校、 高校の教育資産を共有し、 互いに活用し、 補完し合うことで個別の教育ニーズに応えることができると予測される。」【2】と述べられている。
(3) 参考のために1990年代後半から 『これからの支援教育の在り方 (報告)』 (2002)までの事件及び県や国の施策をあげてみたい。
1. 画期的なSC (スクールカウンセラー) の導入
 2002年 4 月本県独自事業としてスクールカウンセラー (学校心理士、 臨床心理士を含む) の配置がなされた。 県立高校を18ブロックに分け、 各ブロックの拠点校に 1 名のSCが週一日 8 時間おり、 拠点校での相談活動を行ない、 派遣要請に応じて他校にも赴くという事業がスタートした。
2. その他
 地下鉄サリン事件 (1995)、 連続児童殺傷事件 (1997)、 中教審答申 「心を育てるために」 (1998)、 女性教諭殺傷事件 (1999)、 教育国民会議による 「道徳」 「奉仕活動」 (2000)、 学力低下 (2001)、 「学びのすすめ」 (2002)、 完全学校週 5 日制 (2002)、 『心のノート』 (2002) 等があげられる。

2 『これからの支援教育の在り方 (報告)』 (2002) 【報告 1 】
(1) なぜ 「特別支援教育」 ではなく 「支援教育」 なのか

  「支援」 「ニーズ」 とは極めて曖昧な言葉である。 それに 「特別」 「教育」 「様々な」 がつくとややこしくなると思われる方も多いと思うが 「支援教育」 は、 神奈川の教育の独自性を表す言葉である。
  「支援教育」 とは、 「単に障がい児教育の延長と言うことではなく、 障がい児教育や通常の教育という区分なしに、 様々な悩みを抱えているすべての子どもたちに目を向けて、 学校はもちろんのことすべての大人たちが、 子どもたちを支援し働きかけていくものである。」【1】つまり障がいの有無にかかわらず、 子どもたちの一人ひとりの教育的ニーズに適切に対応していくことを目的にした、 神奈川の教育の源流である 「共に学び共に育つ教育」 であるとも言えるのではないだろうか。
(2) 「支援教育」 の方法論
  「支援教育」 の方法論について【報告 1 】から引用を多数用いて述べたい。
  「学校にはさまざまな子どもたちがいる。 人間関係づくりに悩んだり、 不登校という状況の中で自らと闘いあえいでいる子どもたちがいる。 いじめや校内暴力もある。 言葉や文化の壁にぶつかり悩みを抱えている外国籍の子どもたちもいる。 障がい児もいる。 「学習障がい (LD)」 や 「注意欠陥/多動性障がい (AD/HD)」 と呼ばれる子どもたちもいる。 このようなくくりのできない子どもであっても、 一人ひとりがさまざまな悩みを抱え、 様々な課題を持っている。」【1】「こうした子どもたち個々への働きかけについては、 組織だったものではなく、 教員がまさに個人的に対応してきたものであることから、 その力量に左右されることが多かった。」【1】「不登校児の多くに見られるように心因性の課題を抱え、 集団や社会に適応しにくい子どもたちも増加してきている。」【1】「自らの力で解決することが困難な課題 (教育的ニーズ) を抱え、 周囲からの支援が必要な子どもたちを支援教育の対象として優先的に位置付け、 様々な働きかけを行うことが必要である。」 【1】「指導を展開するにあたっては、 本人や保護者の意志を十分に尊重しながら、 すすめていく必要がある。」【1】支援には 「高等学校に在籍する生徒の教育的ニーズを的確に把握し、 指導計画を作成すること、 また、 実際に指導に関わる教員チームを編成し、 学級や担任を支援する協力体制が計画的に考案されるなど、 教員の意識改革によって全校で取り組む協力体制 (校内支援システム) の確立が必要である。」【1】教職員の 「教育的ニーズと切り捨てないという意識が求められている。」 【1】そのため 「障害児教育や不登校などの研修に加えて、 子ども一人ひとりの課題を見抜く力の養成や、 学級の中で個別に配慮したりする研修」【1】が大切になる。 「管理職の意識や意欲が、 教職員の意識改革や支援教育推進の大きな鍵を握っていることから、 学校管理職の意識改革のための管理職研修の設定は極めて重要となる。」【1】そして 「教科指導だけが教員の本分であるというような意識を変えると共に、 子どもの指導に戸惑い、 信頼関係の成立に悩んでいる教員を支援し」【1】決して孤立させない必要がある。 また、 「学校の多忙化」【1】を排し、 「子どもの指導の在り方を十分に協議し、 検討する時間が保証されなければならない。」【1】その 「時間を最優先」 し 「共通理解を深め、 指導の観点を一致させて学校全体としてシステム的に子どもに関わっていくこと」【1】で、 一人で抱え込むのではなく、 子どもを中心において協働で仕事をすることを方法論としている。 加えて 「教育相談におけるカウンセリングやコンサルテーションによる問題解決」【1】をも方法論としている。 特に高等学校には 「調査研究校を指定し、 一般入学定員と別途に特別の入学枠を設けて受け入れを図る」【1】提案もなされている。 「様々な教育的ニーズの子どもたちが、 共に学び合い支えあうことによって、 やがて彼らが大人になったとき、 他者と共に生きることが自然である社会、 すなわちノーマライゼーションの社会が実現されることになる。 支援教育はノーマライゼーションの実現に向けた一つの取組である。」【1】とむすんでいる。

3 中等教育段階における子どもたちの課題
(1) 発達と青年期の課題

 「中等教育段階」 の子どもたちは、 主に中学生、 高校生である。 この時期に経験する変化は、 劇的なものであり、 時に危機的な場合もある。 「第二次性徴を経験する期間すなわち思春期の変化に伴って、 心理的変化や、 対人関係を中心とした社会的変化が避けがたく展開される。 思春期の変化に対して起こる心理・社会的側面の変化の時期を、 青年期と呼ぶ。」【4】この青年期は、 E.H.エリクソンが言うところの 「自我同一性」、 あるいは 「パーソナリティー」 獲得に向けた大切な期間であると言われている。 また、 「社会心理的なモラトリアム」 の時期と重なっている場合もある。 私たち教職員は、 「個体分離」【4】、 「独立」、 「不安」、 「反抗」、 「退行」、 「逸脱」、 「心の危機」 「友情」 「心の理論の獲得」【4】 「自己愛」 「自己破壊的」 「成熟拒否」【4】などで表される子どもたちの変化や課題は、 多かれ少なかれ、 必然であることを認めなければならない。 子どもたちが大人になるために、 無意識に通過しなければならないこと、 いってみれば通過儀礼である。 青年期の子どもたちの心から湧き出るエネルギーは、 創造的に、 時には外に向かい、 時には内に向かう。 生徒は時に、 群れたり、 暴力的になったり、 感情的になったり、 自己中心的になったり、 夢中になったり、 自傷的になったり、 自己愛に浸ったり、 自分の殻に閉じこもったり、 引きこもったりする。 大人や教職員から見ると否定的に評価をせざるを得ないことがらが実に多い。 しかし、 私たちは、 生徒たちに起こるこれらの事象や変化をまのあたりにしつつ、 理解しつつ、 教育していかなければならないことは、 自明であると心に留め置きたい。
(2) 発達障がいについて
 繰り返しになるが、 01年の国による最終報告書に基づけば、 発達障がいとは、 「学習障がい」 や 「注意欠陥/多動性障がい」、 「高機能自閉症」 等であり、 その対象は、 通常の学級に在籍する 「特別な教育的支援を必要とする子どもたち」 も含むということである。
 以来これらの障がい等の定義や理解を巡り、 今日的、 社会的状況や社会文化的価値観の変化や、 その専門性もあいまって、 一般に間違った理解をされることもある。 杉山氏は、 発達障がいとは、 「発達の道筋の乱れ、 あるいは、 発達の凹凸」【5】であると定義する。 そして 「医療や福祉の領域において、 さまざまな年齢層で論議を引き起こしている。」 【5】と述べる。 加えて 「被虐待児を第 4 の発達障がい」 と呼び、 これらの 4 つのグループの 「診断と治療」 を行う専門家の存在が他国に比べて不足している状況を指摘している。 そしてこれらが、 引き起こす 「悪循環」【5】や 「二次的障がい」【5】へのケアを 「療育や教育」【5】にもとめている。
 こうして青年期の課題や発達障がいについて考えてみると、 神奈川の 「支援教育」 の現場における役割が見えてくる。 その役割を引き受ける覚悟をしなければならないと思う。

4 「後期中等教育段階」 における 「支援教育」 の未来図 
  『かながわ教育ビジョン』 (2007) の 「共に育ち合う教育」 につづいて、 神奈川の特別支援教育プロジェクト会議による、 『後期中等教育段階における様々な支援の在り方 (報告)』 (2009)【報告 6 】がなされた。 これは、 この十数年にわたる関係者の熱意や実践が結実したものと評価していいと思う。 報告は、 「後期中等教育段階」 に具体的な 「5 つのプログラム」【6】を示し、 それぞれのプログラムに 「アクションプラン」【6】をあげ、 県立高等学校と県立特別支援学校に具体的な実践を促している。 アクションプラン 1 は、 「コーディネーターと校内支援体制の構築」【6】や 「支援シート等の活用による学習面の支援」 【6】求めた。 特に 「県立高校における日常的な校内支援体制のイメージ図」【6】は詳細を究めている。 また、 アクションプラン 2 では 「研究指定校」【6】や 「分教室の設置校、 クリエイティブスクール、 定時制高等学校等による、 先進的取組の推進」【6】を求めている。 さらに 「支援教育拡大協議会」【6】の設置によって 「支援教育の取組成果の普及」【6】を促している。 そして、 アクションプラン 3 は、 「分教室」【6】に 「障がいの軽度な生徒の学習の場としての、 積極的な学習活動の展開」【6】を求めた。
 これらの 「アクションプラン」 を実践していくのは、 容易ではないと思う。 まもなく 「研究指定校」 の報告があるだろう。 今回の特集には 「分教室」 からの投稿があると聞いている。 楽しみにしたい。

おわりに
 この原稿を書いている半ばに、 東日本大震災が起こった。 被災し、 学ぶ場さえ奪われた子どもたちや、 教育関係者をまのあたりにした。 「支援」 するとは何か、 「教育」 とはなにかについても考えさせられた。 正直言って専門家でもなく、 たいした実践もできていない私にとって恥ずかしくもあり、 原稿を断ろうかとも考えた。 だが、 連続性や日常性に甘んじてきた自己への反省も含めて、 敢えて書きつづけた。
 さて、 神奈川は、 長年の研究によって 「支援教育のあり方」 を育ててきた。 同時に、 パースペクティヴに見ると 「生徒指導」 から 「生徒支援」 へのパラダイム転換をも促してきている。 「問題行動」 の 「指導」 には、 「発達障がい」 の理解が不可欠であるとも言及している。 これらは、 先見性において、 また、 論理性において、 日本においては高いレベルにあると思う。 だが、 高ければ高いほど、 現場と乖離する可能性もあるのではないか。 今回の原発事故はその危うさを物語っているようにも感じられる。 中田氏は、 その危機を直感し、 「神奈川の支援教育の方法論」 について、 「多様なコミュニケーションが自在にできる土壌が創られるべきであり、 対話ができる職場が不可欠である。」 という提言をおこなったのではないのか。


【報告 1 】 『これからの支援教育の在り方 (報告)』 平成14年 3 月28日
【報告 2 】 『インクルージョンをめざした学校教育の改革』 平成10年 3 月 教育上配慮を必要とする子どもたちの教育の在り方研究委員会による
【報告 3 】 『インクルージョンの展開に向けた地域教育資源ネットワークのあり方研究報告―教育上配慮の必要な児童生徒のためのチームアプローチ等の具体的支援に関する研究』 平成14年 3 月
【4】山本晃 『青年期こころの発達 ブロスの青年期論とその展開』 星和書店 2010
【5】杉山登志郎 『そだちの臨床 発達精神病理学の新地平』 日本評論社 2009
【報告 6 】 『後期中等教育段階における様々な支援の在り方(報告)』 平成21年 6 月 神奈川県教育委員会

 (むらた こうさく 釜利谷高校教員)
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