フレキシブルスクールの 「全定一体」 と 定時制高校の 「全定同一」 |
手 島 純 |
定時制を巡る二つの意見 2009年11月14日に開催された当研究所主催の教育討論会において、 シンポジストの山根俊彦氏は、 フレキシブル高校として出発した川崎高校の特徴を 「全定一体」 という言葉で表現した。 全日制の生徒が夜間定時制の授業を受けてもいいし、 逆に定時制の生徒が全日制の授業を受けてもよく、 当然それが単位取得につながるというものである。 さらに、 授業だけではなく、 入学式・文化祭・体育祭・修学旅行もいっしょにやっているという。 困難な点も多々あるが、 全日制と定時制を区別し差別しない、 それがフレキシブルスクール川崎高校の姿勢であるとのことであった 1 。 それに対して、 フロアーから次のような意見が出た。 「だいぶ話がかみ合わないですね。 全定同一の理念というのは無理ですね。 定時制生徒は希望して定時制に来ているわけではないので、 形だけ全定同一の理念にして何の意味があるのでしょうか。 私は逆に、 生徒に対しては、 お前たちは定時制なんだと、 だから定時制に来て良かったと思えるように、 まず卒業しよう、 4 年間がんばろうじゃないかと言います。」 (発言要旨。 以下、 この発言をA氏発言とする。) 山根氏は川崎高校の取り組みを 「全定一体」 と呼び、 A氏は、 このことを 「全定同一」 という言葉に置き換えて論じた。 しかし、 これらの語句は歴史的には違う言葉である。 それゆえ、 「かみ合わない」 のは仕方がない。 「全定一体」 とはフレキシブルスクールである川崎高校の取り組みの特色を表す新しい概念であり言葉である。 一方、 「全定同一」 という言葉は、 定時制の歴史を語る上で、 教育の機会均等を保障するキーワードであった。 ここで混乱を避けるために整理すると、 山根氏の 「全定一体」 を受けてA氏は 「全定同一」 と言ったが、 これは正確に 「全定一体」 と言うべきであった。 しかし、 「全定同一」 は、 定時制の歴史上重要な言葉なので、 この言葉の意味を考えていきたい。 機会均等と 「全定同一」 「全定同一」 の言葉の意味を明らかにするために、 定時制発足の歴史を俯瞰する。 1947年 3 月に成立した学校教育法では、 高等学校教育が、 通常課程 (いわゆる全日制課程のこと)・夜間課程・定時制課程の三つの課程でおこなわれるという規定であった。 夜間課程と定時制課程は別であった。 夜間課程は文字通り夜間に学ぶ者のための学校であるが、 この場合の定時制とは、 地方の農村漁村で農閑期を利用して学ぶことをも想定にいれたものであった。 定時制は、 昼間にも学べるし、 季節を選んで集中的に授業も受けられるという制度として出発した。 まさにパートタイムスクールである。 また、 夜間課程の前身は旧制の夜間中学で、 定時制課程の前身は青年学校であったので、 夜間と定時制は別の系統なのである。 青年学校とは、 戦前に小学校卒の勤労青少年に対して実業教育・普通教育・軍事教育を行なった学校のことである。 ただ、 この青年学校は正規の学校体系からはずれた社会教育の機関であった。 そんな事情もあり、 当時の夜間教育関係者からは夜間課程を定時制課程のなかに吸収させないでほしいという訴えがあった。 それゆえ、 学校教育法にも夜間課程という文字が残ったといわれている。 この夜間課程という文字は、 1950年の学校教育法の改正では消されてしまった。 夜間も含めて、 定時制でくくられてしまったのであるが、 現在に至る定時制高校は、 正規の学校からはずれた青年学校の系列ではなく、 正規の学校である夜間課程の系列として存在している。 今でも夜間定時制ということばが一般に使われるのは、 もともと定時課程と夜間課程は別であったことと、 現在も昼間定時制が存在するからである。 定時制高校は戦後教育界改革における教育の機会均等という理念を実現させる中心的な教育機関であった 2 。 教育の機会均等の保障とは具体的には何なのかという点について、 「新制高等学校実施の手引」 (以下 「手引」 と表記) を引用したい。 3 定時制の課程は、 新制中学校を卒業していろいろな理由で全日制の新制高等学校に進めない青年男女に、 新制高等学校の教育を受ける機会を與えることを目的とする。 したがって、 勤労青年男女はもちろん、 職をもたずに家庭において新制高等学校程度の学問や技能を身につけたいと考えている者は、 誰でも定時制の課程に学ぶことができる。 そして、 今回の討論会での問題点である全日制と定時制についての 「同一」 性について手引はまったく同じ教育内容ですと力説した。 定時制の教育が 「全日制課程の教育と卒業資格が同じであるばかりでなく内容においても、 それに劣らないものでなければならない」 と書かれている。 定時制が全日制より決して劣っているものではなく、 同じ中身であるという意味である。 これこそ、 「全定同一」 といわれているものであり、 代々の定時制教師が大切に守ってきたものである。 今でもそのことをしばしば口に出す定時制教員は少なくない。 それは、 定時制の名称をどうするかという点でも顕著である。 以下、 「手引」 から引用する。 定時制の課程のみをおく新制高等学校の名称も、 これを例えば 「中央定時制高等学校」 などとする必要はない。 「中央 (新制) 高等学校」 だけでよい。 この新制高等学校が、 通常の課程をおく新制高等学校と、 教育内容においても、 設備の程度においても、 教員の素質においても、 少しも変わりがないのであるから、 通常の課程の新制高等学校より劣るような印象を與える名称をつけることはよくない。 「全定同一」 とは、 定時制は決して全日制より劣っているのではなく、 教育内容は同じであるということを意味する歴史的な用語なのである。 しかし、 その 「思い」 とは別に、 全日制と定時制に対して、 世間は優劣をつけてきた。 「全定一体」 への期待 一方、 A氏発言のなかで、 「お前たちは定時制なんだと、 だから定時制に来て良かったと思えるように」 という取り組みは定時制生徒にとって意味がある。 本来、 全日制と定時制を差別するべきではないのに、 定時制だということだけで、 就職差別や学歴差別に晒された現実があるからだ。 その現実から逃避するのではなく、 定時制で学ぶことを誇りにすべきであるとの意味が込められている。 例えば水平社宣言の 「吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ」 にも通底する 「制度 (構造) と実存」 の関係であろう。 制度としては同等・平等であっても、 実質的には差別と格差がある。 残念ながら、 それが全日制と定時制の関係の歴史的な経緯である。 A氏発言は、 そうした部分を切り取っての 「反論」 なのだが、 「全定一体」 の取り組みは、 課程の枠を前提とした 「全定同一」 とは違う位相にある。 つまり、 課程の枠を実質的に取り払おうとしているまったく新しい取り組みである。 「全定一体」 という取り組みは、 「全定同一」 という理念がなしえなかった差別を解消するための試みであるように思える。 そして、 それを突き抜けていけば、 最終的に全日制や定時制といった課程もなくしていく (少なくても調査書などに表記しない) という方向が大切だろう。 それは、 教育の機会均等の保障を重視した文部省の 「手引」 における前述の 「学校名称」 にもつながる精神だと思うからだ。 【1】「全定一体」 の詳しい内容については、 『ねざす』 44号の岩村論文と山根論文を参照のこと。 【2】定時制高校の歴史については、 拙著 『格差社会にゆれる定時制高校』 から引用、 加筆した。 【3】文部省 「新制高等学校実施の手引」、 1947年 |
(てしま じゅん 教育研究所員) |
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