はじめに
2000 (平成12) 年にスタートした県立高校改革推進計画は、 2009 (平成21) 年度をもって10年間の取組みを終え、 神奈川県教育委員会 (以下 「県教育委員会」 という。) では、 2010 (平成22) 年度にその検証を行うこととしている。
筆者は県教育委員会で県立高校改革推進計画の実施に携わっている 1 。 本稿では、 主に筆者が仕事を進める中で抱いた高校教育改革についての雑感を綴りたい。 なお、 筆者の雑感であるから、 筆者の属する県教育委員会の見解を示すものではない。 また、 本稿での記述のすべては、 筆者の責任にあることをお断りしておく。
- 高校教育改革の動向
高校進学率は戦後一貫して上昇し、 1950 (昭和25) 年に42.5%であったのが、 1974 (昭和49) 年には90%を超えるにいたり、 高校は中学校卒業者のほとんどが進学する国民的教育機関となる 2 一方、 受験競争の弊害が指摘されるとともに、 入学する生徒の能力・適性・進路希望等は極めて多様になった。 このような背景のもと、 高校教育改革は、 受験競争の弊害の緩和、 「多様な生徒」 への対応を政策理念として展開されることになる 3 。 具体的に今日にいたる高校教育改革の大きな契機とされているのは、 1979 (昭和54) 年の都道府県教育長協議会高校問題プロジェクトチームが取りまとめた研究報告書である。 この報告書では、 単位制高校、 集合型選択制高校、 全寮制高校、 単位制職業高校、 中高一貫 6 年制学校、 地域に開かれた高校などの構想が示された。
この後、 臨時教育審議会答申 (1985 (昭和60) 年) や中央教育審議会答申などにおける個性の尊重や学校教育の多様化の提言を受けて、 文部省 (当時) はその実現に向けた制度化を1980年代から90年代にかけて順次行った。 主な制度改正には、 単位制高校の定時制・通信制課程への導入 (1988 (昭和63) 年度) ・全日制課程への導入 (1993 (平成 5 ) 年度)、 総合学科の設置 (1994 (平成 6 ) 年度)、 中高一貫教育学校の設置 (1999 (平成11) 年度) などがある。
このように整備された新たな制度の活用により、 高校教育改革が全国的に実施された結果、 高校教育が多様化したと言われることが多い。 「多様化」 は多義的であり、 その意味するところは文脈によって異なるが、 本稿では 「高校教育の多様化」 を 「個々の高校における教育サービスの内容または提供方法の差異化」 と定義して論を進める。 この定義に従えば、 単位制の導入や総合学科への改編などの制度的な差異化から高大連携などの運用上の差異化にいたるまで、 各高校は何らかの差異化のための取組みを行っており、 したがって、 高校教育の多様化は高校によって濃淡があったとしても、 全国的に見られる現象である。 しかし、 高校教育改革の過程においては、 それが顕著であることが特徴である。
では、 なぜ高校教育は多様化するのか。 本稿では、 その点を中心に論考したい。
- 高校教育の多様化メカニズム
結論を先に述べると、 高校教育改革における高校教育の多様化は、 第 1 に、 高校教育が多様化構造を有すること、 第 2 に、 国による制度化と高校再編整備の要請が同期していること、 この 2 つの要因が相俟って進展していると考えられる。
(1) 高校教育の多様化構造
高校教育はそもそも、 その性質や政策環境などにおいて、 多様化を昂進する構造を有している。
第1に、 高校教育の守備範囲の不確定性である 4 。 例えば、 学校教育法では、 高校の目的や目標は定められているものの、 高校教育の守備範囲が明確に規定されているわけではない。 また、 各学校で教育課程を編成する際の基準である学習指導要領は、 高校等の校種ごとに、 それぞれの教科等の目標や大まかな教育内容を定めているが、 教育課程の編成に当たっては、 その記述には相当程度裁量の余地がある。 実際のところ、 そうであるからこそ、 「特色ある学校づくり」 が可能となるのである。 しかし、 その一方で、 このような高校教育の守備範囲の不確定性は、 高校教育政策の拡大要因があったとしても、 制度的には歯止めをかけることができない。
(学校教育法)
第50条 高等学校は、 中学校における教育の基礎の上に、 心身の発達及び進路に応じて、 高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。
第51条 高等学校における教育は、 前条に規定する目的を実現するため、 次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて、 豊かな人間性、 創造性及び健やかな身体を養い、 国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。
二 社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、 個性に応じて将来の進路を決定させ、 一般的な教養を高め、 専門的な知識、 技術及び技能を習得させること。
三 個性の確立に努めるとともに、 社会について、 広く深い理解と健全な批判力を養い、 社会の発展に寄与する態度を養うこと。
第 2 に、 学校教育に関わるステークホルダーが多数かつ多様であることである。 その結果、 政府は多方面から政策要求を受けることになる。 特に近年学校運営において重要性が増しているのが、 地域住民である。 これは、 全国的に、 学校・家庭・地域が連携し、 地域に開かれた学校づくりを推進している状況にあるので当然のことではあるが、 2000 (平成12) 年から施行されている 「学校評議員制度」 や、 2004 (平成16) 年から導入された 「学校運営協議会制度 (コミュニティ・スクール)」 など、 国による地域住民による学校運営への参加の制度化が、 地域住民の発言力を大きくしている背景となっている。
第 3 に、 教育課題として認知される現象とその原因との因果関係が不明確な場合が見られることである。 その場合、 政府はステークホルダーの多様な要求に対して、 「そんなことをやっても効果はありません」 と言うことはできず、 拒否しえないことになる。 そうなると、 学校教育は多様化する。 また、 外部からの政策要求がなくとも、 政府部門内部においても、 「とにかく打てる手は打ってみよう」 といった気運で政策が形成・実施されることになれば、 自ずから政策は多様化する。
このように政策課題に係る因果関係を曖昧にする要因は 2 つあげられる。 一つは、 教育課題の当事者である生徒を横軸で見た場合の要因であり、 生徒を取り巻く環境が大変複雑であることだ 5 。 生徒の状態や言動に影響を与える外部要因として、 家庭環境があり、 気質的・器質的な要因があり、 教員、 友人のみならず、 様々な情報ツールを通じた不特定多数の匿名者との交流があり、 また、 テレビ、 ラジオ、 インターネット等により得た多種多様の膨大な情報がある。 生徒の様々な内的外的変化は、 このような要因が複合的に作用した結果であると見ることが相当である。
例えば、 1970年代後半以降に起こった校内暴力、 いじめ、 不登校、 学級崩壊等の現象を巡る議論として、 学校や教育システムに原因を求める 「教育原因論」 や家庭や社会の変化とそれに伴う子どもの変化に原因があるとする 「社会原因論」 がある。 時代によって揺れ動きがあったが、 次第に、 「教育原因論」 への支持が支配的になり、 一連の改革が推し進められてきたという指摘がある 6 。 この事例も、 教育課題に関する因果関係の曖昧さを示すものである。 また、 因果関係の真偽よりもむしろ、 原因論の支配の程度によって、 政策内容が決定する場合があることを示している。 このように、 教育課題に対する、 確かな根拠に基づくとは言えない政策の決定風土は、 政策を多様化させる土壌となる。
もう一つの要因は、 生徒を縦軸で見た場合の要因であり、 学校教育は、 児童・生徒を小学校、 中学校、 高校等の教育機関において、 段階的・時系列的に実施されることである。 この実施形態も、 教育課題の因果関係を曖昧にする。 例えば、 ある高校の学力に課題のある生徒が多いクラスで、 何らかの工夫を凝らした授業が行われたにも関わらず、 期待した学力向上の効果が表れないとする。 しかし、 その工夫の仕方に問題があったのかどうかは直ちには言えない。 例えば、 そもそも高校入学前の中学校で授業内容を十分に咀嚼する能力が身に付かなかったことに原因があるのかもしれない。 その因果関係が不明なままであると、 高校での授業は手探り状態となり、 手を替え品を替えた授業を行うことで、 結果的に高校教育が多様化することもあるだろう。
第 4 に、 政策の実施レベルにおいては、 教員が、 リプスキーが論じたストリート・レベルの行政職員 (street-level bureaucrats) であるということだ。 ストリート・レベルの行政職員は、 市民と直接接触する職務に携わり、 半ば独立的に職務を遂行している行政サービス従事者であり、 教員はその典型例である 7 。 ストリート・レベルの行政職員は、 相当程度の裁量と組織的権威からの相対的な自律性により、 政策決定を行っているとされる。 こうしたことから、 教育政策は実施レベルでは、 教員の裁量に応じて多様化しているということもできる。
(2) 国による制度化と高校再編整備の要請の同期
先に述べたとおり、 1980年代から90年代にかけて、 当時の文部省は、 高校教育改革の実現に向けた制度化を順次行った。 この一連の制度化は、 その後の高校教育改革の動向に照らすと、 時宜を得ていた。
まず、 高校入学者数は1989 (平成元) 年にピークを迎えた後、 減少期に入った。 いわゆる少子化時代の到来である。 第 2 次世界大戦後の年少人口の総人口に占める割合の変化をみると、 1950 (昭和25) 年には35.4% (約3,000万人) と総人口の 3 分の 1 を超えていたが、 1960年代後半まで低下を続け、 総人口の約 4 分の 1 となった。 その後、 第 2 次ベビーブーム期の出生数の増加により若干増加したが、 1980年代後半から再び減少傾向となり、 1997 (平成 9 ) 年には老年人口 (65歳以上) よりも少なくなった 8 。 このような状況から、 1990年代から学校統廃合を柱とする高校再編整備を検討する動きが全国的に広がり始めた 9 。
そして、 時期を合わせて、 文部省 (当時) による単位制高校や総合学科高校の設置などの一連の制度化が行われた。 それまで、 高校教育改革の具体化の手段が限られていたが、 文部省の制度化により、 都道府県においては、 高校教育改革を忌避できない状況あるいは高校教育改革に着手せざるを得ない状況が生まれることになった。 制度の内容がメニュー方式であったとしても、 国が制度を策定した以上、 そのこと自体が自治体への制度活用への圧力となる。
こうして、 高校再編整備の要請の動きは、 文部省 (当時) の高校教育改革に向けた制度化と同期し、 その結果、 高校教育改革は、 高校再編整備と積極的な制度活用が相乗することで、 進展することになったと考えられる。
- 高校教育の多様化への対応
以上、 高校教育の多様化構造、 国による制度化と高校再編整備の要請の同期という 2 つの要因が相俟って、 高校教育の多様化が進展することを見てきた。 さて、 このような高校教育の多様化は生徒にどのような影響を与えるのか。
高校教育が多様化したということは、 まず、 中学生にとっては高校選択の幅が拡大したということである。 中学生が自分をしっかり見つめ直し、 自分の個性、 能力、 適性などを確かめたうえで高校を選択するのなら、 より充実した高校生活を送ることができるようになる。 そうした進路の選択幅の拡大は、 高校教育改革の大きな成果とされる。
また、 その一方で、 教育行政が生徒に高校を宛がうのではなく、 生徒が主体となって高校を選択する時代へと変化した結果、 生徒の自己決定・自己責任が要請されることになった。
次に、 高校生にとっては、 学校が提供する教育サービスの選択幅が拡大することになった。 その際、 中学生が高校選択を行う場合と同様に、 その選択の適切性が高校生活の充実度を左右することになるし、 自己決定・自己責任が要請されることになる。
高校教育の多様化が進行する現状においては、 中学校、 高校を通じて、 生徒は自らの将来像を描きながらも、 興味・関心を見極め、 社会人・職業人として自立するまでの間、 適切な選択を重ねていかなくてはならない。 高校教育の多様化は、 生徒主体の教育を目指す流れの中にある。 その流れに生徒がうまく乗り、 自らの選択のもとに充実した人生を送るために重要な意味を持つことになるのが、 キャリア教育 10 ではないだろうか。 高校教育の多様化という局面において、 また、 今後の高校教育改革を進めるうえで、 「キャリア教育」 はひとつの大きなキーワードになると考えられる。
【1】 2010 (平成22) 年 3 月現在。
【2】文部省 『学制百二十年史』 ぎょうせい、 1992年。
【3】 横井敏郎 「高校教育改革政策の論理とその課題」 『国立教育政策研究所紀要第138集
平成21年 3 月』。
【4】伊藤正次は、 公立高校の入学者選抜政策の比較分析に当たり、 公立高校入学者選抜制度は高校教育制度が内包する特質を反映して著しい多様に彩られるとする。
その特質とは、 第 1 に、 高校教育サーヴィスの提供に際し、 政府部門が果たすべき役割に関する合意が必ずしも存在するとは言えないこと。
第 2 に、 高校教育制度を義務教育の延長としてそれ自体完結した存在であると考えるか、
高等教育への階梯として位置づけるのかについて合意が存在しないこと。 第 3
に、 地方自治体は、 地域の実情に応じた選抜制度を展開することが許容されるために、
地域によって極めて多様な制度が実施されていることである。 第 1 の特質と第
2 の特質は、 「高校教育の守備範囲の不確定性」 として括ることができる。
伊藤正次 『公立高等学校入学者選抜政策の比較分析−高度成長期・革新自治体期の京都府と東京都を対象として−』
東京大学都市行政研究会研究叢書16、 1998年、 参照。
【5】教育は一種の 「複雑系」 と捉えられる側面があり、 「複雑系」 の典型例である環境問題とよく似ている点があると思われる。
例えば、 地球温暖化現象において、 それを引き起こす原因との関係が学術的には必ずしも明確であるとは言えなくとも、
政府は等閑にはできないから、 何らかの政策実施、 例えば二酸化炭素排出量の規制を行うことになる。
教育の場合も同様に、 教育課題への対応が求められた場合、 その因果関係が不明瞭であったとしても、
政府は早急に着手することが要請される。
【6】藤田英典 『義務教育を問いなおす』 ちくま新書、 2005年。
【7】M.リプスキー 『行政サービスのディレンマ−ストリート・レベルの官僚制』
田尾雅夫・北大路信郷訳、 木鐸社、 1986年。
【8】『平成21年版少子化社会白書』。
【9】国立教育政策研究所 『今後の後期中等教育の在り方に関する調査研究 (中間報告書)』、
2007年。
【10】文部科学省ホームページ 「進路指導・キャリア教育について」 では、
キャリア教育推進の重要性を次のとおり説明している。 「今日、 少子高齢社会の到来や産業・経済の構造的変化、
雇用形態の多様化・流動化などを背景として、 将来への不透明さが増幅するとともに、
就職・進学を問わず、 進路を巡る環境は大きく変化しており、 フリーターやいわゆる
『ニート』 が大きな社会問題となっています。 このような状況の中、 子どもたちが
『生きる力』 を身に付け、 明確な目的意識を持って日々の学業生活に取り組む姿勢、
激しい社会の変化に対応し、 主体的に自己の進路を選択・決定できる能力やしっかりとした勤労観、
職業観を身に付け、 それぞれが直面するであろう様々な課題に柔軟にかつたくましく対応し、
社会人・職業人として自立していくことができるようにするキャリア教育の推進が強く求められています。」
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