研究所員による 「書評」

ドキュメント高校中退
− いま、 貧困が生まれる場所−

青砥 恭・著   ちくま書房

 
山 崎 隆 恵

 課題集中校では、 年度末から年度始めにかけて職員間で、 学年が変わって生徒名簿がどうなるのか、 人数は?男女比は?その結果時間割はどうなるの?と疑問符が飛び交う。 成績会議の結果、 原級留め置きになる生徒が多く、 その数は 1 年生・2 年生ともに二桁となる場合がある。 彼らはもう一度その学年をやり直すことを考えるが、 中途退学という結論を出す生徒が多い。 結論がなかなか出せず新年度になだれ込んでそのまま尻つぼみに…、 となる生徒もいる。
 養護教諭である筆者は、 年度当初に行われる健康診断のことを考えて生徒の動向を気にする。 そもそも学校は、 人数の確定した名簿がなければ物事が進まない。 しかし、 生徒の身の振り方が確定してその名前を消すとき、 やるせなさを感じて彼らに思いをめぐらせるが、 新年度がスタートするとやがて日々の業務に流されて次第に忘れていく。 このむなしさは 「課題集中校」 に勤務したことのない教員には分からないかも知れない。
 青砥恭氏の 「ドキュメント高校中退」 を読んだ時、 仮名で登場する青年たちと自分が今までに関わった生徒達のたくさんの顔が重なった。 調査データなどと併せて客観的な分析を読むと、 今まで教員間で共有してきた思いはデータ上も証明されていることを実感できる。 私が勤務した学校にたまたまこんな生徒が集中したのではなく、 社会情勢や経済状況の仕組みの結果、 囲い込まれるように入学すべく入学してきて、 中退すべく中退したと考えてもいい、 と学校や教員の責任ではないと安堵の感を持つことができる。 しかし、 氏はその安堵を許してくれない。 「なぜ高校をやめるのか」 の分析に 「8.やめさせたがる教師たちの存在」 と記述されているからである。 「中退していく要因のひとつに、 底辺校では教師たちによって、 自分からやめるように仕向けられたり、 追い込まれていくケースが多いことにも触れておきたい。 (p.177)」 「退学させることを正当化する論議がまかりとおるのである (p.179)。」 という記述は、 重く受け止めなければならない。
 青砥氏は、 高校中退の原因として、 1.低学力 2.学習意欲の欠如 3.基本的な生活習慣の訓練 (しつけ) がされていない 4.人間関係の未成熟 5.アディクション 6.親からのDV・ネグレクト (親から子への暴力は 「DV」 ではなく 「虐待」 であるが)  7.貧困層の囲い込み政策 8.やめさせたがる教師たちの存在、 をあげている。

 筆者は養護教諭としてさまざまな学校を経験した。 教室では1.と2.がよく見通せると思われるが、 保健室から垣間見えるのは3.〜6.である。 特に 「課題集中校」 では、 【3.基本的生活習慣の訓練がされていない】は切実に感じる。 3 度の食事・早寝早起き、 顔を洗う、 トイレに行くなどができていないため、 さまざまな不定愁訴を呼び起こして、 欠課や欠席につながっている。 また、 歯磨きのできていない生徒が多数いる。 歯磨きを長年おろそかにしていると虫歯はもちろん、 歯肉炎が発生する。 歯科検診の結果、 生徒のおよそ60%に歯肉炎があり、 その割合は実に全国平均の15倍という学校も経験した。 にっこり笑うと歯や周囲に歯垢 (プラーク) がべったりついている生徒がたくさんいた。 歯垢も虫歯も歯肉炎も気に留めず、 その一方で髪を染めて化粧はばっちり (朝はスッピンで放課後に向けて完成していく) である。 高校は教育の最後のチャンスと思って、 個別の歯科指導も行ったが、 ぬかに釘であり、 幼児期の家庭での習慣づけを逃すことは取り返しがつかないことを感じた。 この子たちがやがて親になっても歯磨きの身につかない子どもを育てることが予想された。 また、 【7.貧困…】に通じるが、 虫歯の本数の多い生徒は経済的に苦しい家庭の傾向があるようで、 受診の話をしても 「お金がかかるよね…。」 とか 「実は保険証がない。」 と返事がくると無理に勧められなくなり、 「卒業して就職して、 自分の保険証を持ってから自分の給料で治そうね。」 と先送りして、 まずは目前の課題である授業に出ることに気持ちを向けるようにしていた。
 他方、 からだは成熟し、 また【4.人間関係の未成熟】に関連して、 家庭や学校でのさびしい人間関係をまぎらわすために人とのつながりを求める結果、 妊娠につながる行動も当然起こる。 この理由で中退するケースは、 数多く経験してきた。 【5.アディクション】も目にする。 「酒飲んでオールして途中から記憶がないけど、 学校は来なくっちゃと思って来た。 偉いでしょ?!でも、 気持ち悪い。」 こんな生徒は 「学校に来て、 えらいねぇ」 と褒めちぎってから、 教室にいっしょに出向き、 中に入れて授業の様子も見てくる。 教室に戻した生徒はやがて爆睡すると予想がつき、 このような生徒を複数相手にして授業する教員には頭が下がる思いであった。
 中退にかかわって引き起こされる周囲の葛藤はいろいろある。 これまでの経験から思い起こされることも多い。
 中退は、 生徒の人生だけでなく教師の人生をも変えてしまうこともある。 二度留年をした後中退した生徒とかかわった教師で、 自らも辞職してしまった人がいた。 「二度」 の留年という事実は重い意味を持つといえよう。 多くの教員は自分を、 青砥氏のいう 「やめさせたがる教師」 と自覚していないようで、 それは 「権力的な存在だと考えている教師は不思議なほど多くない」 に通じ、 辞職した教師は周りから理解されないと感じたのではないだろうか。 筆者の心に深く残ったできごとで、 生徒の中退にかかわる教師の葛藤は複雑で深く、 悲しみが付きまとっていることを痛感した。
 一方、 生徒や保護者に手を尽くしたという思いが残るときは、 中退も明るく迎えることができる。 ある生徒には、 日頃の行動から担任と養護教諭で保護者 (母親にしか会えなかった) に相談機関に行くよう働きかけたが、 約束できても実行できずに半年過ぎ、 とうとう欠課オーバーになってしまった。 やっと相談機関に行くようになって、 無関心だった父親が動き出し、 彼は父親との絆を確認できて落ち着きを取り戻し、 自分の今後を家族と共に考え、 まずは中退するという結論を得た。 たくさんの支える人を得て出された結論だったので、 明るい表情できちんと関係者に挨拶をして去っていった。 担任と筆者は 「家族全体がいい方向になってよかった。」 と言葉を交わした。
 本書では、 発達障害に関しての記述がみられないのは残念である。 発達障害はさまざまな症状があり、 時に周囲から変なやつとみられていじめの対象になったり、 いじめをする側になる場合もある。 また親が、 自分のしつけが悪かったと自責の念に駆られたり、 虐待を行ったりして、 高校生になったときには二次障害が現れ、 本人も周囲も大変になることが少なからずある。 今後、 発達障害を持つ子どもは増加するという見方もあり、 高校中退を考える上で必要な視点だと思う。

 筆者のこれまで経験の中で、 中退したけれど勉強を頑張って、 ある意味前向きな人生を送っているケースを紹介したい。 A子は、 在学中妊娠し結婚・出産するために中退した。 夫は若く収入が少ないので自分も働き、 老人介護の仕事だったが苦にならなかった。 しかし、 仕事を続けるうちに、 「介護職ができる行為はここまで、 この先は看護師でないとできない」 という壁にぶつかって憤りを感じた。 また、 自分に甘えてばかりの夫を頼りなく感じ、 離婚を意識して看護師になりたいと考えた。 彼女は高校を卒業していないので、 中学卒で入れる准看学校を探したが見つからなかった。 そこで、 まず独学で高校卒業認定試験に合格した。 次に看護学校受験を目指したが、 ひとりで勉強しても理解できないことが多すぎた。 筆者はA子から相談を受け、 経済的に無理だろうと思いながらも予備校に入ることを勧めた。 彼女は節約して予備校の授業料を捻出し、 やがて看護学校に合格した。 今、 子どもは 5 歳になり、 看護学生として頑張っている。 A子は筆者に、 「自分の生き方を、 先生から後輩に語り継いでもらえるような誇り高いものにしたい。」 と語っている。 次のようなエピソードから、 彼女の頑張りの根底には、 A子に対する親の愛情があると感じた。 高校在学中夜遊びが続いたとき、 母親は彼女が玄関から外に出られないようにした。 するとA子は、 2 階の窓からはだしで出て行ったそうだ。 母親は悩んだ末に、 「泥棒の真似はしないで、 ちゃんと玄関で靴を履いて出かけなさい。」 と送り出した。 この行動に象徴されるように、 A子は両親から見守られて家族という人間関係を確実に結ぶことができていたと考えられる。 青砥氏の言う中退の要素の【4.人間関係の未成熟】についてリカバーできたため、 次の世代を守る行動をとり、 仕事・勉強が後からついてきたと思われる。 このケースでは、 A子の頑張りに感心すると同時に、 中退のままでは夢を実現できないということに気づかされた。
 青砥氏の 「高校中退、 そして子どもを貧困から救うためのいくつかの提案 (p.223〜)」 は、 高校授業料の無償化で、 一部実現する見通しとなった。 しかし、 他の提案は社会や教育体制の大きな転換や時間が必要である。 筆者のようなちっぽけな教師でもすぐにとりかかれるのは 「大切にされた、 愛されたという体験 (p.231)」 を持たせることであろうか。 親の愛情には匹敵するはずもないけれど、 中退していく生徒に人間関係のいい思い出をひとつでも経験させたいと考える。
 彼らが親になって子どもが高校に入るとき、 「高校って、 こんないいことがあったよ。」 と語ることができれば、 夢の描き方にプラスの作用が働くと考えられる。 そして、 生徒名簿からの名前の抹消を少しでも減らせたらと考える。

【注】青砥氏は著書の中で 「底辺校」 という言葉を使っているが、 筆者は神奈川県で使われている 「課題集中校」 という言葉を使った。 どのような高校にも課題はあるが、 多くの、 複雑な課題が集まっている学校、 という意味である。

(やまざき たかえ 教育研究所員)
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