【寄稿】

障害のある子の学校生活を支えて
  ノーマライゼーション学校支援事業より

山 田 晴 子

■千葉県とNPOとの協働事業として
 ちばMDエコネットは、 千葉県で主に知的障害のある若者たちを中心に福祉、 環境、 まちづくり、 人権に取り組むNPO法人である。 MDは、 知的障害を表す英語 Mental Disabilities (こどもの権利条約の英文本文にある) のMとDである。 船橋市の商店街に喫茶店〈コミュニティカフェひなたぼっこ〉を開き、 事務所も置いて運営している。
 千葉県には、 県とNPOとの協働事業提案制度がある。 NPO法人や市民団体が地域に必要と考える事業を企画し県に対して提案できる制度で、 公開プレゼンテーションなどで審査されて協働事業に選ばれると予算がつく。 事業に関係する県の担当課とNPOとが役割分担し、 協力して事業を行う。 ちばMDエコネットは 「ノーマライゼーション学校支援事業」 を提案して採択され、 2007年度から事業を行ってきた。

■「ノーマライゼーション学校支援事業」 とは
 発達につまずきのある子や障害のある子の学校生活と地域生活で困ったことがあるとき、 ちばMDエコネットの 学校サポーターが相談を受け、 必要に応じて学校に出向いて話し合いを行うなど課題解決に取り組む。 第三者の介在によって保護者と学校との意思疎通を図り、 子どもの学校生活の課題を解決していく事業である。 障害があっても、 誰もが地域で普通に暮らしたいと願っているという確信のもと、 「ノーマライゼーション学校支援事業」 と名づけた。
 この事業の特色は、 障害のある子を地域で育ててきた家族が 学校サポーター になり、 相談を受けることだ。 7 人の学校サポーターは、 ほとんどが障害のある子の家族で、 教職経験や福祉団体理事などの経験も持っている。 家族の立場もわかり、 学校などの立場もわかるところで両者をつなぐコーディネートを行う。 学校サポーターは、 個別相談で気持ちを受けとめるカウンセリングと、 学校現場等でのソーシャルワークの両輪で動いていくことが必要になる。 相談を受ける主な場所〈コミュニティカフェひなたぼっこ〉では、 ちばMDエコネットのメンバーで知的障害のある若者たちが、 お客様をお迎えしている。 障害のある人の働く姿が、 相談に来るお母さんたちを元気づけている。
 もう一つの特色は、 発達障害への理解や通常学級での支援のあり方などをテーマとした研修を年に数回、 事業報告をかねたフォーラムを 1 回、 開催していることだ。 研修には誰でも参加できるので、 保護者、 教職員、 学童クラブ指導員、 福祉団体職員、 行政職員など多岐にわたっている。 個別相談に来た人が研修にも参加して子どもへの理解を深めたり、 先生方が支援の仕方を学んだりしている。 年々希望者が増え、 今年は60人定員で 6 回行う予定だ。 秋には100人規模のフォーラムを開き、 記念講演と事業の中間報告を行って、 協働事業への理解を深めてもらう。

■学校支援の現場から
 学校サポーター は、 発達障害を中心に障害への理解と専門性を高めながら、 これまでに就学前から大学生まで123人の子どもたちを支援してきた。 述べ相談件数は約1300件になる。 多くは保護者からの相談だが、 最近は教職員からも相談が来るようになった。 春休み中、 近くの県立高校定時制のA先生が〈ひなたぼっこ〉にやってきた。 「自閉傾向と思われる生徒を担任することになり、 どんなことに注意したらよいか」 と相談があった。 昨年は、 県立高校全日制 2 年のB君 (アスペルガー症候群) と担任のC先生が一緒に〈ひなたぼっこ〉を訪れ、 学校サポーターと三人でお茶を飲みながら話した。 その後、 B君が極端な言動をするため、 クラスでいじめを受けているとの相談があり、 C先生に助言した。
 重複障害のD君は県立高校定時制に合格したが、 新しい環境に慣れず教室にいられない状態になった。 母と担任は感情的な対立から話ができなくなり、 学校サポーターは母と担任の双方から悩みを訴えられた。 高校に出向いてD君親子と教職員の話し合いに参加し、 助言した。 4 月から担任が替わり、 母も担任も苦しい関係から解放され、 A君も落ち着いてきた。 担任と保護者との意思疎通ができなくなると、 本人にとって大変な不利益になる。 そういう時、 第三者として学校サポーターの役割が発揮される。

■障害のある子の高校生活を拓く
 協働事業を行うまでには、 長い道のりがあった。 障害のある子の教育は1979年の 「養護学校義務化」 で義務教育が保障されたが、 障害の種類と程度によって教育の場が分けられてきた。 この仕組みは特別支援教育になっても変わっていない。 教育行政機関が就学先を決めるため、 保護者の希望が同じなら問題ないが、 行政の決定と食い違う場合にはトラブルも起こる。 我が家の場合、 今30歳になるダウン症の息子晶生 (アキラ) の就学について、 行政から勧められた養護学校 (当時) ではなく地域の通常学級を希望した。 養護学校や特殊学級 (当時) を見学した上で、 「地域の子どもの一人として理解されることが何よりも必要」 と考えたからだ。 養護学校を希望する場合はそれでよいし、 通常学級を希望する場合も認めてほしいということで頑張った末、 通常学級に入学し中学校もそのまま進んだ。 卒業後は100%近い子どもたちが高校に進む中で、 晶生も高校進学の希望を持った。 点数が取れないため、 1 年の浪人を余儀なくされた。 同じ願いの親子や賛同する市民で障害のある子の高校進学運動を展開し、 県教育行政に働きかけを続けた。 県教育庁に日参し徹夜交渉を繰り返した。 大変なエネルギーをかけた運動が実って、 1996年春、 晶生を含めて 4 人が高校に合格した。 担当課は、 障害のある生徒の受験上の配慮と合格した高校への人的配置について改善を行った。 障害のある子どもたちの高校進学の道が、 少しずつ開けてきた。

■対立から協働へ
 高校に入学した子どもたちの喜びは大きかった。 親たちも 「あきらめない願いは通じる、 人も社会も変わり得る」 と実感した。 数年間の厳しい対立を経て高校進学が実現したことは、 運動体と県教育庁との双方にとって実りあるものだった。 障害のある人もない人も地域で共に生きるノーマライゼーションの方向に、 社会の風が吹いてきた。 国会では、 市民活動に法人格を与える 「特定非営利活動促進法」 (NPO法) が成立した。 これによって、 行政と市民の間には対立でなく協働の道が開けつつあると確信し、 障害児の高校進学運動を進めてきた人たちでNPO法人を設立することにした。
 最初の大きな事業は、 ドキュメンタリー映画 「ひなたぼっこ」 の製作だった。 2000年秋に完成したこの映画は、 知的障害のある 5 人の若者たちの高校生活と、 NPOの農園活動とを両輪としている。 「知的障害のある子が高校に行く意味があるのか?」 という疑問に映像で応えたものだ。 初の上映会を、 県教育委員会の後援で行った。 全国からの参加で満席の会場には、 障害のある生徒を受け入れた県立高校校長の姿もあった。

■当事者参画の施策づくりから協働事業へ
 2001年春、 千葉県では堂本県政が誕生し、 「NPO立県千葉」 の政策が打ち出された。 NPO施策づくりは、 行政が予め作った案を白紙に戻し、 公募された委員たちがゼロから話し合って作った。 県内各地でタウンミーティングを開き、 なまの声を集め、 県民参画の施策が出来上がった。 当事者参画の施策づくりは健康福祉分野でも行われ、 さまざまな障害のある当事者委員が作業部会に集まった。 息子の晶生も知的障害当事者委員になり、 「障害児の高校進学を応援してください」 という内容で発言した。 各地のタウンミーティングに障害のある人たちが大勢参加し、 行政と市民の協働が始まった。 県教育庁と対立していた運動体からNPO法人への歩みは、 協働を先取りしたとも言える。
 県民参画の施策にのって2002年に 「障害者と共に創るコミュニティカフェ事業」 を提案し、 〈ひなたぼっこ〉がスタートした。 2004年に協働事業として 「ノーマライゼーション相談事業」 を開始し、 さまざまな障害に関わる相談を受け、 件数や内容をデータベースに蓄積した。 データの中で障害のある子の学校生活に関わる相談が一番多かったことから 「ノーマライゼーション学校支援事業」 を提案し、 現在に至っている。

■インクルーシブな教育を求めて
  「ノーマライゼーション学校支援事業」 は相談と研修企画をNPOが行っているが、 事例検討の会議で行政の立場から助言してもらうこともある。 「子どもたちの気持ちに寄り添い、 子どもたちの学校生活をよりよくする」 という目的を共有している。 県行政との協働事業なので、 学校サポーターは学校現場に行きやすくなる。 行政としても、 保護者の本音や現場のなまの情報を得ることができる。
 国では 「障がい者制度改革推進会議」 が開かれている。 半数が障害当事者委員で、 公開で行われる会議は目が離せない。 この間は教育をめぐって、 障害のある子が地域の学校の学籍を持つことを基本とするインクルーシヴな方向が熱く議論された。 特別支援教育から一歩進めて、 地域の学校の学籍を基本としてろう学校、 盲学校や特別支援学校を選ぶこともできるとよい。 義務教育終了後は、 高校への道がもっともっと広がることを願う。
  「ノーマライゼーション学校支援事業」 のような第三者によるコーディネートは、 これからますます必要とされるに違いない。 知事が替わって2010年度から協働事業提案制度はなくなったが、 この事業は県とちばMDエコネットとの協働で継続できることになった。 将来は全県下に広げていきたいと考えている。  

   
(やまだ はるこ
     NPO法人ちばMDエコネット)
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