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中等教育学校への移行期を 実際に経験して思ったこと
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佐 藤 惣 哉 |
私は社会科の教員を目指している大学 3 年生である。 来年度 (平成22年度) には教育実習を控えている。 今回は 『ねざす』 第44号に掲載されていた、 「県立高校改革推進計画」 の中から、 大原高校と平塚中等教育学校の記事について論じたい。 まだまだ未熟者で、 拙い文章になるかもしれないが、 自分自身の経験から率直な意見を述べたいと思う。 平塚中等教育学校は、 2009年度から大原高校内に開校された。 その記事に問題点などが指摘されているが、 中でも私が気になったのは、 「大原高校と平塚中等教育学校は別の学校であり、 統合ということではない」 という考えである。 私の個人的な意見としては、 「別」 とは考えるべきではない、 と思う。 その理由は、 端的に言えば私の高校時代の経験から、 というものである。 私は東京都立小石川高校 (現:小石川中等教育学校) の出身であり、 高校 3 年のときに中等教育学校が開校した。 つまり、 実際に高校から中等教育学校への移行期を経験したことがある。 私の母校では、 平塚中等教育学校とは異なり、 2 つの学校は同じ学校と考えており、 そのため、 私は別の学校と考えるべきではないと主張したのである。 では、 実際の私の経験を述べたいと思う。 高 3 のとき、 私は体育委員、 バスケットボール部に所属していた。 中学生が入ってくるので、 その対策を立てることになった。 当初、 私は中学生が入ってくることに違和感を覚え、 自分たちの活動ができなくなるのではないかと心配していた。 だが、 話し合いで友人の意見を聞くうちに、 中学生と一緒にやろう、 という考えに変化してきた。 それは、 「別にやることもできるが、 それよりも一緒に創りあげることによって連帯感も生まれ、 充実感も得られる」 という意見であった。 ここでは体育祭の例を挙げたいと思う。 それまでの体育祭では、 高校 1 学年 8 クラスが全学年縦割りでチーム編成をする (全学年のA組が 1 チームのように) というものであった。 しかし中等は 4 クラスなので、 高校側を 8 チームから 4 チームに編成し、 一緒に行うという形式に変更した。 高校生と中学生では体格・体力など身体的な差があるので競技は別にせざるを得なかったが、 できることは極力一緒にし、 一緒に創りあげているという連帯感を優先させた。 結果、 中学生は高校生を、 高校生は中学生を、 というようにお互いを応援し合い、 体育祭は盛り上がり、 大成功となった。 高校と中等教育学校の枠を越えた連帯感を得ることができたと思う。 なぜ私の母校では一緒にやろうとしたのか。 それは、 考えの根底に、 「中等教育学校になっても高校の伝統を守る、 受け継いでいく」 というものがあったからである。 だからこそ、 別と考えず、 一緒に伝統を受け継いでいこう、 と行事などを協力して行ったのである。 この前、 母校に教育実習のあいさつに行った。 そのときすでに中等教育学校に移行していたが、 学校の雰囲気は変わっていないように感じた。 伝統と新しいものが融合して、 より良い学校に変化しているのではないかと思うほどであった。 卒業前は心配であったが、 伝統は受け継がれており、 卒業生として非常にうれしく感じた。 この学校で教育実習がしたい、 と強く思うようになった。 このような私の経験から、 中等教育学校に移行する際は旧来の学校と一緒に、 伝統を受け継ぎつつ新しいものを創りあげていこうという姿勢が大切であると考えた。 私の母校と平塚中等教育学校ではケースが異なるかもしれないが、 移行期には別の学校だと考えるのは良くないと思う。 大切なのは、 様々な行事、 部活動、 学校生活を出来るだけ一緒にし、 同じ学校の生徒だとして考えること、 一から作り上げるのではなく、 高校の良い伝統を中等教育学校に受け継いでいくという姿勢であると私は考える。 学校再編はどの地域でも避けて通れない道である。 だが、 再編したことによって子どもたちが不利益を被ることはあってはならない。 再編が完了した後、 移行期の生徒、 新しい学校の生徒が満足し、 充実した学校生活を送ることができたという声を聴くことができて初めて、 学校再編は成功したといえる。 根本的なことであるが、 学校教育は一番に子どもたちのことを考えなくてはならない。 そのために何が必要なのか、 何をしなくてはならないのかをこれからはより一層考えていくことが大切であると思う。 |
(さとう のぶや 青山学院大学 経済学部経済学科) |
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