定時制から見た 「高校再編」
「県立高校改革推進計画」 を県教委のデータで「検証」してみると
 
保永 博行
 
定時制は 『メジャー』 でいいのか
 全日制から定時制に移ってはや3年。 定時制にいると様々な事が見えてくる。 いまや、 神奈川の定時制は 『メジャー』 になった。 県教委は 「定時制にはニーズがある」 と持ち上げている。 2010年 4月には昼間定時制 (午前部4クラス140人、 午後部 4 クラス140人、 1 学年計280人の 2 部制) の単独校が、 座間市内のひばりが丘高校跡地に開校する。 私の勤務校では生徒数480人、 17クラスにもなり、 他県から来た転校生が、 「前の学校の全日制よりも大きい」 とびっくりしている。 今年の入試では後期試験が1.61倍。 38名の受検生が不合格となった。 合格発表の時に 「来年またチャレンジしろということですか」 という言葉を残して帰られた社会人の方もいる。
 定時制進学者は10年前 (1999年度1473人、 1.9%) の約 2 倍。 今年の定時制進学者は過去20年間で最高の2539人。 全体の3.9%である。 通信制も似たような状況で3.9%。 この両者を足した7.8%は全国平均 (3.8%) の 2倍にもなる。 旧横浜西部学区や旧横浜中部学区ではいまや中学生の 9人に 1人が定時制か通信制に進学する。
 生徒の急増で留年生も含めると 1 クラス40人を超える定時制も出ている。 教員 1人あたりの生徒数も、 定時制 (14.9人) が全日制 (14.7人) を上回っている (2007年度、 普通科の全県平均)。 それもこれも、 「県立高校改革推進計画」 および 「毎年の生徒募集計画」 の 「成果」 である。 この10年間に定時制を巡る状況は全く様変わりした。

就学保障から見た「県立高校改革推進計画」
 図 1のグラフは1970年から2009年までの高校進学率と中卒者数のデータである。 また、 表 1 は、 各地域 (旧学区) ごとの各高校進学率について、 「高校再編」 開始直前の1999年と終了直前の今年2009年とを比較してみたものである。 いずれも県教委が公表した統計資料をもとに筆者が作成した。
 公立中学卒業生の数は、 1970年には55,404人だったのが、ピーク時の1988年には122,167人、 ボトムの2006年には63,680人となり、 その後は次第に増加し、 2010年には68,670人、 2013年には70,198人と 7 万人前後で推移すると見込まれている。
 1970年代からの生徒急増期には、 県民の 「高校増設運動」 を受けて、 1973年から 「100校計画」 が実施され、 県債も発行しながら1987年までの間に102校も増設して90%台の進学率にまで引き上げてきた。 その後も 「40人学級署名運動」、 「30人以下学級署名運動」 などの世論に押されて、 1 学級47人・36学級などの過大規模・過密学級を、 40人以下学級にするなどの改善をしながら全日制進学率は90%台を維持してきた。
 しかし、 それが1997年の92.5%をピークにその後は毎年減少を続けている。 2000年からは 「県立高校改革推進計画」 がはじまり、 「再編統廃合」 が始まった。 2001年には 8校の統合 ( 4校削減)、 2002年には18校の統合 ( 9校削減) が行われた。 2002年入試では全日制公立枠の削減数が生徒数の純減 (2686人) を上回り、 全日制進学率が大幅に低下した。 定時制では、 全日制から 「あふれた」 生徒が殺到し、 県教委が 「募集定数を超えて全員合格とするよう」 指示を出すという異常事態となった。 この 「異常事態」 はその後も04年、 05年、 06年、 07年とくり返され、 その中で、 「臨時拡大された合格者数を翌年の募集定数にする」 という形で定時制の募集定数が、 なし崩しに拡大されてきた。 全日制進学率も2006年には89.6%と、 100校計画以前の水準に戻ってしまい、 2009年にはとうとう88.7%にまで低下した。
 あきらかな教育政策の大転換である。 「15の春を泣かすな」 のキャッチフレーズのもと、 1972年以来、 20年以上かけて築いてきた 「90%以上の全日制進学率」 という 「県民財産」 (就学保障) を、 98年以降のたったの10年余で無にしてしまった。

『高校再編』 は 『高校進学という権利』 を縮小し、 格差拡大を助長した
  「学校配置による不平等を無くし、 学校選択をしやすくするため」 として2005年から 「全県 1 学区」 が導入された。 再編をやり、 学校数を減らすとどうなるか。 当然、 学校への通学距離が長くなる。 いまや定時制でも90分を超える通学時間は珍しくない。 交通費も高校進学の大きな制約条件である。 バス 1 区間 1 カ月で約 1 万円、 全日制 1 カ月の授業料に等しい。 月に 3 万円の交通費もざらにある。 経済的に余裕のない家庭にとっては大きな負担である。 「再編統廃合」 が貧富の格差を拡大している。
 表 1 を見てみよう。 「地域格差」 も拡大している。 実際、 全県で各地域 (旧学区) ごとの全日制進学率の最大値と最小値との差をとると、 1999年:6.6%→2009年:8.4%へと拡大している。 横浜・川崎地区で見ると、 1999年には最大値と最小値との差は2.0%であったのが2009年には6.9%にまで拡大している。 「全日制高校進学という権利」 が地域によって偏りがあり、 それが年々増大している。
 注目すべき点は、 旧横浜西部学区 (△6.7%)、 横浜中部学区 (△6.0%)、 横浜東部学区 (△5.0%)、 川崎南部学区 (△4.6%)、 大和座間綾瀬 (△4.6%) など、 横浜北部と川崎北部を除く横浜川崎地区と大和座間綾瀬地区の全日制進学率が大きく低下していることである。 この間、 公立枠は全県で3.5%削減する中で平均化 (最大値と最小値との差は99年25.4%から09年19.1%へと6.3%も縮小) されたが、 その結果として、 県内私立や県外、 定時制・通信制などへの進学率は、 その地域格差が大きく拡大 (99年から09年の間に私立3.2%、 県外3.0%、 定時通信3.8%それぞれ増加) している。

旧横浜西部学区では全日制進学率が6.7%も落ち込み、 84.5%に、 定時制+通信制が6.3%も増えて11.4%にもなった
 この間、 全日制進学率が最も落ち込んだ旧横浜西部学区では、 公立枠が1999年の64.7%から2009年の61.2%と3.5%も狭められ (再編と募集計画)、 県内私立は2.9%も減少、 県外 (私学等+高専) も0.3%減少したため (経済状況の反映か)、 全日制進学率は91.3%から84.5%へと6.7%も低下し、 県下でも最低となった。 そのかわりに 「定時制+通信制」 の進学率が6.3%も増加し、 9 人に 1 人以上が定時・通信に入学する事態となっている (地域内に希望ヶ丘と戸塚の定時制 2 校と通信制の修悠館)。

矛盾に満ちた 「県立高校改革推進計画」 …建前は 『改善』、 本音は 『削減ありき』
 1999年に策定された 「県立高校改革推進計画」 では 「計画進学率は現在93.5%、 …今後も段階的に引き上げていきます (平成12年度は94.0%にします。)」 と高らかに宣言している。 さらに県教委のホームページの 「高校改革Q&A」 には 「学校数が減ったことにより高校進学が難しくなるということはありません」 とある。 しかし、 99年には92.0%だった全日制進学率はその後毎年下がり続け、 いまや88.7%。 「高校改革推進計画の基礎指標」 であり、 行政の目標値であった 「計画進学率」 も2005年度 (93.5%) を最後にその策定と公表をやめてしまった。
 2009年度の県内私学の 「空枠」 は1385人 (2.1%相当) で私学進学は18.8% (表 1 参照)。 すると2009年度の私学枠は18.8+2.1=20.9%。 公立枠は60.3% (実績は60.8%)。 県外実績は9.1%。 これらを足し合わせて2009年度の全日制入学枠= 「計画進学率」 を推測すると、 どう見ても90%前後になる。 (20.9+60.3+9.1=90.3%) 「県立高校改革推進計画」 の 「県民との公約=94%以上」 から 4 % (2500〜3000人相当)、 99年の実績値92.0%からは 2 %も低い。 もはや 「経済が悪化して私学進学者が減ったから」 とかの言い訳は通用しない。 「公立、 私立合わせた全日制の受け入れ枠」 そのものが削減されたのだから、 『公私協調して高校リストラを敢行した』 としか言いようがない。 小泉流の 「聖域無き構造改革」 そのものである。
 被害者は中学卒業生、 受検生。 70年代から90年代までは保障されていた進学保障が、 その後の10年間で4%以上も削られたのだから。 でも、 受験生たちは 「自分ができなくて受験に失敗したから」、 「家はお金がないから」 という自己責任の論理でがんじがらめにされ、 無力感にさいなまれている。
 いま、 定時制に入学する生徒の 6 割以上が不本意入学。 もともと全日制を希望していたことは、 2007年から行われている県教委の調査でも明らかである。 次世代を担う若者たちに、 いつまでこのような人権侵害を続けるのか。 今の大人の責任は重い。
 
(やすなが ひろゆき 県立希望ヶ丘高校定時制教員)
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