前期再編を経験して 養護教諭の立場から |
山崎 隆恵 |
神奈川県が県立高校改革推進計画を発表し、 前期再編計画を示したのは1999年 8月だった。 8月末の正式発表以前に新聞社がリークする形で表面化したため、 該当校、 特に再編によって校舎がなくなる学校では動揺が広がった。 筆者は当時藤沢北高校に在職していた。 その後紆余曲折を経て藤沢総合高校が誕生し、 その効果やマイナス面はいろいろいわれているが、 養護教諭として、 統合直前の生徒、 統合後の生徒、 統合に取り残された学校の生徒を見てきた中から感じたことを中心に述べて見たい。 みんな、 学校を愛している 一番感じたことは、 生徒も教員も 「学校を愛している」 ということだ。 愛には大好きということばかりではなく、 つらいことや立ちはだかる試練をも受け入れることを含んでいると考える。 新しい環境という試練に耐えて、 頑張った自分を褒めたいという思いを持って進んできたのではないかということである。 生徒は、 友人・仲間の中でより広い社会性を身に付けていくことは周知のことである。 統合直前は、 「なくなる学校」 だからこそ、 少しでもいい思い出を作りたいという気持ちで、 行事等に熱心に取り組む生徒の姿があった。 統合当初、 2校の生徒間に溝があることを感じたが、 藤沢北の行事にかける思いが長後の生徒にも伝わり、 特に体育祭 (5 月末) を経て、 急速に溝が埋められていく様子が分かった。 大きかった生徒の負担 しかし、 新しい環境 (仲間、 教員、 教育制度) で辛い思いをした生徒も存在した。 前倒しといわれて普通科にはない授業を受けたり、 行事や部活動の交流をしたり、 統合後は別の校舎に移動して交通費が負担になった生徒もいると考えられる。 クラスの半分はあまり見たこともない生徒と同室するetc.という大変化は、 あらかじめわかってはいても、 生徒や保護者にかなりの犠牲を強いていたのではないかと感じる。 このような激動の中で、 うまく単位がとれず、 普通科から単位制総合学科に移籍した生徒も存在した。 移籍後、 彼らの授業での一番のネックは体育だったことを心に留めなければならない。 体育は教科の特性から、 ペアを組んだりグループを作ったりするが、 それが一番苦痛だったようである。 藤沢総合では制度上留年はないが、 必修である体育の授業を取り直すため、 異年齢の集団の中で、 つまり仲間のいないところでペアやグループを作る必要があり、 体育科教員の目配り・こころ配りが充分あったにもかかわらず、 表向きは平静を保ちながらも、 内心は 「自分からは声をかけられない、 誰が声をかけてくれるのかな、 自分が余ったらどうしよう」 という不安の連続だったようだ。 それは、 普段突っ張っている生徒が、 保健室でふと漏らす言葉からうかがえた。 彼らは幸いにも (?) 同じ境遇の 「仲間」 が複数いたことで救われていたようだ。 大事なのは仲間 一方で、 新しい環境にそぐわず、 退学して行った生徒も少なからず存在した。 その場合も、 退学した 「仲間」 の存在も大きかった。 つまり、 ひとりがやめると、 「あの子がやめたのなら私も。」 となってしまったのである。 このような生徒をひきとめ切れなかった経験から、 褒めてくれたり支えてくれる人は、 親や教員はもちろんだが、 「仲間」 が重要だと改めて感じたのである。 これは、 移行生だけでなく、 総合学科高校の新入生にも通じていた。 2000年に再編対象校の養護教諭に行った聞き取り調査(1)では、 「個を好む生徒、 精神的に不安定な生徒、 広汎性発達障害の生徒が多く入学するのでは」 という心配の声があった。 ふたを開けるとその通りであったが、 彼らも 「仲間」 を希求していた。 中学校時代不登校だった生徒でも、 仲間ができて欠席がほとんどなく通学する生徒がいる一方、 中学と同様に不登校となり退学となる生徒がいた。 また、 自傷行為を行うなど精神的に不安定と思われる生徒が激増し、 背景に人間関係の寂しさを潜ませていた。 広汎性発達障害と思われる生徒の中には、 身近な仲間のちょっとした声掛けから、 「級友は怖い」 という思いに陥り、 校舎からの飛び降り未遂→退学→他校への入学となった生徒がいた。 また、 広汎性発達障害の特徴にコミュニケーションをうまく取れないことがあるが、 仲間を作りたいがゆえにギクシャクしたり誤解も起き、 教員が何とか調整して卒業した生徒も存在した。 どの生徒も、 学校やそこにいる仲間に 「愛」 を求めたが、 手中に収められなかった結果の行動だと考える。 また、 学校のスローガンである 「夢を力に未来を歩く」 にあこがれて、 現実以上に大きな期待を寄せている子や、 中学時代の嫌だった自分から脱却したいと考えて遠い所から来たのに簡単には変えられなくてイラつく生徒が数多く存在した。 2 年目からは、 学区が全県 1 区になったことも作用したのか、 次第に、 総合学科だからというより適当な通学距離や身の丈にあった学力という判断で選ぶ生徒が多くなり、 平穏な空気が流れだした。 そうなってから教員の間で、 「教員を困らせてくれたあの子達はどこへ行ったのだろう。」 と話が出るようになった。 再編から取り残された学校では やがて筆者は現在の学校に転勤した。 この学校の生徒は、 まさに 「あの子達」 がいっぱいだった。 周辺の学校の統合が進みそれぞれ特色を出している中で、 現任校は福祉コースを売りとしているがなんとなく取り残され、 その結果、 いろいろな面で困難を抱えている生徒が集まってきた感がある。 このように、 再編の余波を受けて新たな課題を抱えた学校は他にもあると考えられる。 現任校の生徒をみていると、 「学校を愛している」 などと論ずる以前に、 誰かに 「愛されて、 安心できた。」 経験が少ないようにと感じられ、 自分自身も 「愛って何?学校教育の範囲ってどこまで?」 と自問しながら、 日々新たな生徒の出来事に奮闘している。 (1) 山崎隆恵ほか:高等学校の再編事業から捉えた養 護教諭の役割、 日本養護教諭教育学会誌、 第9巻 1号 109ページ、 2006 |
(やまざき たかえ 県立綾瀬西高校教員) |
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