工業高校から重装備の総合学科の設置をめざして |
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中野渡 強志 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2005年 4月に神奈川県立神奈川総合産業高校定時制が相模台工業高校定時制から学校名の変更とともに総合学科として誕生した。 99年 8 月16日に県教委から 「県立高校改革推進計画 (案)」 が発表され、 2000年10月に 「基本計画」 が作成されるまでの経過については、 拙稿 「模台工業高校定時制は総合学科へー工業技術高校解消とともにー」 と題して本所報 『ねざす』 第32号 (2003.11) で述べた。 そこでは県教委の計画が、 「学校現場からの要請を受けた再編計画ではない」 ということと 「工業高校の改編は工業技術高校の解消が最優先になっている」 といった点を指摘した。 今回はそれらの補足とその後の経過の中で、 工業高校から総合学科への転換の一例として選択科目によっては従来の重装備の工業高校で得られる資格にも対応できることを述べてみることにした。 総合学科では専門教育が実施できないのか 「総合学科は普通教育及び専門教育を選択履修を旨として総合的に施す学科であり、 高等学校教育の一層の個性化・多様化を推進するため、 普通科、 専門学科に並ぶ新たな学科として設けられたものであります」 (「文部省初等教育局長通知」 1993年 3 月25日) として総合学科でも専門教育をも学べるとしたものの、 上記通知で、 より専門教育を深く学ぶため専門学科への転学を可能にするような配慮をするようにとしている。 そのために総合学科では専門教育は十分学べないとして、 工業高校などの専門学科からの転換には危惧する声が出されていた。 神奈川の工業教育研究会でも 「昨年 2 月文部省が第 3 の学科として 『総合学科』 を制度化し、 平成 6 年度に 7 県で設置されるが、 先例となる国立大学付属高校の例では教育内容に 『我々の考える工業教育』 が入る余地は少ない。 現時点では一部でいわれているように新たな序列を作り生徒をふるい分けるための受け皿となる可能性がある」 (1994年) といったように、 相手にせずといった態度であり、 さらに 「普職接近の名のもとに軽装備の工業高校に変え、 しっかりとした位置づけもなしに卒業生を送り出すことは、 ますます工業高校を弱体化させることになり、 かつての工業高校のレベルに達しないとの声をよく聞く」 と重装備な専門学科を求めていた。 学校現場からの改革案は専門教育を重視した総合学科 全国的に総合学科が設置される以前の1993年に神奈川県教委は県内定時制高校 3 校 (湘南・津久井・相台工) に以下のような研究課題を示して定時制教育研究推進事業として 2 年間にわたって実施した。 1.多様な選択科目等、 教育課程について、 2.再履修等、 単位制の弾力的運用について、 3.修業年限および弾力的就学形態について、 4.他校との連携・併習について、 5.社会の変化に対応した学科の設置について、 6.生涯学習ニーズにも対応できる定時制のあり方について、 7.その他 相台工では93・94年度にかけて全校生徒による 「学校生活アンケート」 などを実施するなど研究を重ね、 上記の研究課題の例とは別に工業学科から総合学科への転換が望ましいとする結論を出し、 「定時制教育問題研究報告」 として県教委に提出した。 その総合学科の内容は、 「機械系、 電気系、 人文系、 理工系の単位取得科目を例示するとし、 電気系で例示した科目をすべて取得した場合は電気主任技術者の資格条件を得ることができる」 といったものであった。 しかし、 この研究報告に対しては県教委からは何らの回答もなく過ぎていった。 1995年10月には校長が県教委担当者に、 「相談と督促」 をするといったこともあったが、 なしのつぶてであった。 当時の県教委幹部は 「定時制には金をかけるつもりはない」 と組合の交渉で言い放っていた。 確かに1995年 4 月に神奈川総合高校 (単位制) が開校し、 翌96年 4 月には大師高校が総合学科として誕生した時期であり、 定時制高校の改革には手をつける気はなかったようだ。 前期再編 「県立高校改革推進計画 (案)」 で相台工 (定) は総合学科に 1999年 8 月に県教委は県立高校再編計画として 「県立高校改革推進計画 (案)」 を発表した。 そこでやっと相台工 (定) は総合学科になることを現場の教員は知ることになった。 しかし、 11月25日に正式決定された上記の推進計画の 「素案」 では95年に県教委に提出した相台工の研究報告はまったく念頭にないことがわかった。 それには 「相模原工業技術高校の総合学科の研究をふまえ」 となっていた。 従って系列科目もまったく考慮されてはいなかった。
県教委計画に現場での研究結果の反映をめざして 2000年10月に 「相模原南部方面総合学科高校 (定時制) 設置基本計画案」 が発表された。 そこでようやく相模台工業定時制の研究が反映されることになった。 基本的コンセプトの中で 「個を生かす多彩な教育の提供」 として 「各種資格取得の希望に応じられるよう多様な選択科目を設置する」 とし、 系列の名称も 「工業技術」 「自然科学」 「人文国際」 「情報技術」 となった。 そして基本的方針の一つとして 「体験的、 実践的な内容の学習を重視し、 教科横断的な分野や工業 (機械・電気) 分野の特色を視野に入れた総合選択科目群を設置する」 とし、 工業技術系列に従来の機械科と電気科で学ぶ科目を設定し、 工業学科としての施設・設備をそのまま使えることとなった。 そうして、 工業技術系列において、 従来の電気科が取得していた第三種電気主任技術者認定校 (以下 「電検認定校」 と略す) として必要な科目および設備を維持することを目標にすることができた。 総合学科で 「電検認定校」 の例はなく、 経済産業省としても初めてのケースということであった。 「本来は電気科・電気コースといった制度に認定するもので選択制に認定したことはないが、 まったくだめということではない」 という回答を手がかりに、 さいたま新都心駅の近くにある経済産業省・関東経済産業局・資源エネルギー部・電力安全課との相談に何回か往復することになった。 経済産業省の 「認定する生徒については明確な選択科目指導が必要 (指導内容の書類)」 「認定基準の 『関係学科教員』 の確保が必要 (県教委との確約書)」 などの指摘をクリアすることで電検認定校としての可能性を確認することができた。 2003年10月に発表した 「新校設置計画」 で電気主任技術者の資格を将来取得するために必要な電気関連科目を設置し、 さらに工業技術や情報に関する科目を選択する履修例として 「電気保守関係の会社に就職し、 将来電気主任技術者の資格を取得したい」 場合を提示することになった。 筆者は2005年に開校された新校には定年退職のため 1 年のみの在職であった。 実際の 「電検認定」 は残されたスタッフに任すことになり、 多くの困難点を、 経済産業省の認定までにクリアしなければならないことになった。 退職時に懸念していたことがいくつかあったが、 その中の主なものとして 「全日制総合産業学科が電検認定校を放棄したため、 施設を一部の定時制生徒のために維持できるかどうか」 であり、 「工業学科の場合は生徒一人あたりの年間実習費2870円であったが総合学科として実習費の確保ができるか」 「産業教育振興費の対象から外された場合の設備の維持と更新等」 であり、 さらに 「その施設の保守などの負担は定時制職員のみにかかってくること」、 「将来にわたって電気関係の教員確保ができるか」、 そして何よりも 「入学してくる生徒が 4 年間にわたって電気系科目を選択する生徒がいるか」 であった。 結局、 神奈川総合産業高校定時制は以上のような課題をクリアした。 電気系科目を選択する生徒がいるか、 という最も心配した点も、 2005年入学生の中には数人が電検認定のための科目を修得した。 さらにその中の生徒が、 学科試験免除の特典を活かし、 第二種電気工事士に、 実技試験のみで合格したとのことであった。 |
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(なかのわたり つよし 元県立高校教員) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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