成績処理支援システムを検討するために
効率化から管理のまなざしへ 〜 校務の情報化から 〜

武 沢  護

情報化の現状
 技術革新がわれわれの生活を便利にする。 交通手段ひとつとってみても、 今や東京と大阪を移動するに当たっては多くの人が新幹線や航空機を利用するのはほぼ日常的であるし、 家事においては家電製品の普及がよい例である。 これら 「肉体の拡張」 としての技術革新は太古の昔から人類の知恵と努力の結晶であったのだろう。 それに加え、 最近ではコンピュータ・ネットワークによる 「情報システム」 とよばれる高度情報通信社会における社会的基盤がある。 買い物、 通勤、 ケータイ電話、 航空券の予約などコンピュータやネットワークがなければ現代社会は成り立たないと言っても過言ではない。 こうして今後はあらゆる場面でのコンピュータ・ネットワークの進展がもたらす 「情報化」 が進むことになる。 学校の現場においてもこの情報化の流れは止められない。 事務処理の効率化だけでなく校務処理の効率化を目指して情報化を推進することは当然の流れなのだろう。
 2008年11月に起った 「神奈川県授業料徴収システムに係る個人情報の流出事件」 はまだ記憶に新しい。 全県立高校の2006年度在校生約11万人分の個人情報 (住所、 氏名、 授業料振替口座等) がインターネット上に流出した事件である。 あってはならない事故だが、 人為的なミスが発端ではあったとはいえ、 システム上の可能性として十分あり得る出来事である。 世の中の情報システムを含むあらゆるシステムに完全を求めることは原理的に無理であるという認識に立たざるを得ないのが現状である。 データ量が一箇所に集中し大量になればなるほど、 一度起きた事故の影響は甚大であるのが情報システムの特徴でもある。

校務の情報化
 かつては、 各学期末に行われる成績処理というと各教科担当教員が成績個表を作成し、 クラス担任がクラス成績表に転記する。 そしてその上で各生徒の合計や平均点を手計算し完成するものだった。
 それが、 コンピュータの普及により各学校においてコンピュータプログラミングに精通している教員の努力によって成績処理プログラムが作成され、 その学校版が出来上がる。 これ以降、 成績処理プログラムを活用することで成績処理が自動化されることになる。 当然、 毎年ごとの更新や保守点検はその教員の仕事になる。
 しかし、 プログラムを開発もしくは熟知している教員が異動してしまうと、 その校務システムの継続利用が難しくなる。 さらに、 ユーザーとしての教員は異動するごとに、 その学校独自のシステムの使い方を一から学ぶことになる。 その上、 カリキュラムの多様化・複雑化にともない成績処理システムは高度な機能を持たざるを得なくなってきた。
 そこで神奈川県教育委員会では、 成績処理支援システムを全県立高等学校に導入し、 校務の情報化をさらに推進することになった。 神奈川県教育委員会 『第二次教育委員会情報化推進計画』(1)によると、 「目標に準拠した評価・観点別評価の実施など、 教員の校務処理にかかる時間の増加から、 校務処理のより一層の効率化が求められており、 ITを活用した取組みを推進し、 効率化を図る。」 とある。 さらに 「各校が実施している校務処理のうち各校が独自の方法で実施している校務について、 ITを活用して標準化する。」 とし、 生徒への対応時間の確保、 人事異動に伴う対応にも言及している。

情報化がもたらす効率化
 一般に、 新しい技術の導入によるシステムには当然、 メリット・デメリットがある。 デメリットを克服する中でより安全で効率的な運用をめざすことになるが、 とりわけ情報システムの場合は、 情報漏洩 (人的ミスや情報セキュリティの不備など) などの対応を強化し、 効率化をめざさなくてはならない。
 しかし、 このような情報システムの導入がデメリットを克服しながらすべて 「よし」 ということになるかどうか。 先に述べた 「肉体の拡張」 としての技術革新にしても、 われわれの筋力低下を誘発するし、 ましてや情報システムにはこれまでとは違った側面を考えなくてはいけないのではないか。 アメリカの歴史学者のマーク・ポスター氏が 『情報様式論』 の中で、 「何人かの分析者は電子コミュニケーションの研究が、 新しいテクノロジーや機械に対する関心以上のものを要求しており、 シンボル交換の効率化における目を見張るような増大以上のものを意味していることに気づいている」 と指摘している(2)。 この 「目を見張る増大以上のもの」 とは何か。 次に情報システムとプライバシーという観点から考えてみよう。

違和感  プライバシーの視点から
 成績処理のコンピュータ化、 Webでの買い物、 防犯カメラなど情報システムは確かに日常生活を非常に便利または安全にしている。 しかし、 何かの漠然とした違和感を持つのは古い世代の古い感覚だろうか。 これらが個人の情報に関わることだからだろうか。
 情報システムでは個人の情報がコンピュータ上でデータベース化されることが多い。 このことは、 ある個人の情報がコンピュータのハードディスク内に複製され、 ネットワーク上を光速で動き回っていることである。 つまり自分の分身がコンピュータ・ネットワーク上に存在していると言い換えることができる。 成績処理でいえば、 入学後から卒業までの一連の成績データがコンピュータ・ネットワーク上の分身として存在することになる。 Webでの買い物で言えば、 買い物情報が即座にデータベース化され、 防犯カメラでは個人の行動がハードディスクに保存されることになる。
プライバシーの概念はかつての 「ひとりにさせておいて欲しい権利」 から 「自己の情報のコントロールできる権利」 と変化してきたが、 この自己の情報はいまやコンピュータ・ネットワーク上に展開され、 ときには自分でさえ気がつかない場合さえある。 つまり自分の分身が自分の知らないところで一人歩きするという 「違和感」 さらには 「不気味さ」 を意識せざるを得ないことになる。
 社会学者の阪本俊生氏は 『ポスト・プライバシー』 の中で 「いまやプライバシーとして守られるべきは、 個人をとりまく私生活ではなく、 個人の手から離れた情報システムへと移ってきている。 個人はその自分でもよくわからない場所に、 漠然とした不安を抱くしかない。 それが今日のプライバシーへの不安である。 いうまでもなく、 情報化によって後者の比重が増してきた。 このように個人の生活圏ではなく、 情報システムを保護することへ移行してきたプライバシーを、 従来のプライバシーのあとのプライバシー、 すなわちポスト・プライバシーと呼ぶことにする。」 と提案している(3)。

管理のまなざし
 このプライバシーのコンピュータ・ネットワーク上への移行はある種の 「管理」 につながる。 それは自己管理にもなるし、 他者による管理ともなる。 成績処理で言えば、 教わってもいない教員から 「君の成績ではこの大学がいい」 といわれ兼ねないし、 現実にWebなどでは、 本を購入する際に、 お節介にも別の本も推薦されたりする。 やさしい 「管理」 である。 かつて 「管理」 というと管理教育など堅いイメージがあったが、 この管理はいたって 「柔らかな」 まなざしである。 柔らかであればあるほど不気味さを感じざるを得ない。
マーク・ポスター氏は 『情報様式論』 の中で 「現在のコミュニケーションの流通やそれが作り出すデータベースは、 一種の《超パノプティコン》を構築している。 それは壁や窓や塔や看守のいない監視のシステムである。 …中略… 民衆は監視へと訓練され、 このプロセスを分有するようになった。」(4)と述べた。 すなわち、 われわれ自身も、 日常的に、 クレジットカード、 ポイントカードなどを積極的に利用することでまたは生徒達の成績を入力することで、 この監視のシステムに自ら参画してしまう。 このように 「情報システム」 は監視・管理システムの側面をもっている。 ところが、 このような感覚の共有は若い世代には必ずしも通用しなくなって来ているような印象がある。

若い世代は ネット世代の感覚
  「デジタルネイティブ」 という言葉がある(5)。 これは、 ネット世代とも呼ばれ、 生まれつきデジタルな生活を送っている世代をさす言葉である (日本でいうと12歳から32歳程度)。 これに対し、 「デジタルイミグラント」 とは、 大人になってからコンピュータ・ネットワークに接する世代という区分である (日本でいうと33歳から44歳程度)。 最近では、 このデジタルネイティブは意識面、 行動面においてもデジタルイミグランドとは異なる行動をとることで注目されている。
 次の表は筆者がある研究目的で実施したアンケート結果の一部である。 これはデジタルネイティブと呼ばれる年代をさらにいくつかに分け (高校 1 年、 高校 3 年、 大学生、 大学院生)、 それぞれの行動様式についての回答のうち、 高校 3 年生の回答部分を示したものである (詳細は(6))。 すなわちコンピュータやケータイを自由自在にあやつる若者の行動の一端を垣間見るためのものである。 @、 Aはこれら若者たちの著作権など価値観に関係し、 C、 Dは個人情報やプライバシーに関係している 「感覚」 と考えられる。 本稿をお読みの皆さんの回答は如何だろうか。


 最近の若い世代の行動を見るにつけ痛感することは、 われわれのプライバシーや管理などへの危惧を尻目に、 彼らネット世代の感覚がどんどん 「進化」 していることである。 例えば 「モノへの価値付け」 や 「プライバシー」 に対して旧世代には理解不能なことが出現している。
 ひょっとすると 「情報化」 の本質は、 効率化といった既存の社会的枠組みの改善ではなく、 人間の感覚や意識、 さらには思考の変容をももたらすものなのかもしれない。



【参考・引用文献】
(1)神奈川県教育委員会 『第二次教育委員会情報化推進計画』、 平成19年。
(2)マーク・ポスター 『情報様式論』 室井尚・吉岡洋訳、 岩波書店、 1991、 p.9。
(3)阪本俊生 『ポスト・プライバシー』、 青弓社、 2009、 p.28。
(4)前掲 『情報様式論』、 pp.175‐176。
(5)ドン・タプスコット 『デジタルネイティブが世界を変える』 栗原潔訳、 翔泳社、 2009。
(6)武沢Website 『http://www.f.waseda.jp/takezawa/lab/notes/09digital-native.pdf』


(たけざわ まもる 早稲田大学 大学院教職研究科/高等学院)
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