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「日本史必修化問題を考える」を読んで 「国語」 教員の立場から |
関 稔 |
私は 「国語」 科教員であり、 社会科 (あるいは地歴科) における 「日本史」 の位置づけに関して、 ものを言う資格はない。 それに 『ねざす』 42号の引地前教育長の 「日本史必修化に向けて」 への批判については、 43号の、 特に尾方・佐藤・石橋三氏の批判におよそ尽きているように思われる (「歴史」 に 「道徳」 の役割を持たせたり、 「心」 の問題をからませたりすべきでないこと。 現行 「世界史」 が既に 「外国」 史ではないこと、 など)。 しかし、 今回の 「必修化」 をめぐる論拠の中に教科としての 「国語」 の問題性に通じる部分があると考え、 この問題をめぐる議論に参加してみたい。 それは繰り返し自明のものとして (その意味では非歴史的発想において)、 「日本人」 「日本人らしさ」 「日本の文化と伝統」 などが言われることへの違和感である。 「国語」 教科書において、 例えばある小説なり物語なりが教材化されるとき、 なぜそれが教材たり得るのか、 それを通じて何を教えるのか、 という問いは避けて通れない。 そしてその意義と価値を担保する 「究極の源泉」 が (特に 「古典」 においては、 だと思うが) 「日本と日本人、 日本文化を考えるというナショナルな問題構成」 (紅野謙介 「『国語』 教科書のなかのナショナル・ヒストリー」 1998) なのである。 そのとき 「日本と日本人と日本文化」 というカテゴリー自体は、 暗黙のうちに自明化されてしまう。 しかし、 現実には 「われわれ日本人」 という実感は、 きわめて歴史的なものであるはずだ。 一例を挙げる。 『検定絶対不合格教科書古文』 (2007) はおもしろい本だが、 著者田中貴子は、 「日本人」 の手になるものはすべて 「日本の古文」 であるという立場を表明しつつ、 しかしアイヌの口承文芸や琉球の古典を採用しなかったことについて、 次のように述べている。 「現在は琉球や 『アイヌ』 の人々の文化を表面上尊重するように見せて政治的に利用しようとする人がいますので、 本書にはあえてそうした作品は入れていません」 と。 私にはこの言明自体 「政治的」 に聞こえるのだが、 しかし本当は、 「利用」 する以前に、 「アイヌ」 や 「琉球」 の文学それ自体が、 「国語」 の古典として採り上げられたとき、 ある種の 「政治性」 を帯びる可能性がある、 ということではないだろうか。 ちなみに教科書にはめ込んでみたらどうだろうか。 教材としての 「落ち着きのなさ」 を感じさせ、 結果として 「日本文化」 の自明性を揺るがしかねない。 そうして、 忘却されていた 「日本人」 であることの歴史性を浮かび上がらせるかもしれない。 そもそも 「日本人であること」 は 「非・日本人」 との関係において初めて意味をもつのであり、 その形象は近代的な、 それも植民地主義 (アイヌは 「旧土人」 に、 琉球は 「これを征服しこれを治教す」 る対象に、 さらに台湾・朝鮮の植民地支配へ) と結びついて形作られた産物である。 前教育長は横浜市教委の 「世界で幅広く活躍していくために、 日本の近代化の過程から先人の成果を学び、 誇りを持ってもらいたい」 というコメントを、 「時代の変化を的確にとらえた考え方」 だと引用している。 しかし、 「誇り」 を持つべき 「近代化の過程」 の 「成果」 とは、 具体的に何がイメージされているのだろう。 またその際、 1945年の挫折はどのように総括されるのだろう。 報道によれば横浜市内 8 区の市立中学で使う教科書に 「新しい歴史教科書をつくる会」 主導の教科書が採用されるという。 「日本人としての誇りを取り戻させる日露戦争を、 愛情を持って書いている」 とは今田教育長の評価である。 しかし、 日露戦争の過程で韓国 (朝鮮半島) の植民地化に通じる 「保護国化」 (乙巳条約) が押しつけられていったのである。 「共感」 がキーワードの 「成熟化した時代」 (前教育長) にふさわしい教科書とは、 とても思えない。 今後 「大東亜戦争」 (あるいは 「対テロ戦争」 でもいいが) を 「愛情を持って書いている」 教科書の出てこないことを願わずにはいられない。 昨年末から今年正月にかけて、 パレスチナ・ガザでは大量殺戮があり、 東京では 「派遣村」 に人が群がり集まっていた。 ここに通底する何か (があるはずだが、 それ) を私は正確には言い得ないけれども、 今が 「成熟化した時代」 であるとは実感できない。 しかし、 時代が大きく変動しつつあり、 その 「キーワード」 が 「共感」 である (べきである) ことには賛成したい。 しかし 「共感」 の前提は歴史的な 「想像力」 であろう。 「ポストコロニアリズム」 の研究者は、 「日本人」 の 「植民地」 への無関心を指摘し、 「日本」 と 「日本人」 が 「脱植民地化」 を果たすための課題として、 戦後補償裁判や日本軍性奴隷制度の再検討、 アイヌ先住民族への植民地支配に対する反省と補償、 沖縄に集中する米軍基地を通じた世界侵略戦争への荷担への批判、 などをあげている (ヤング著 『ポストコロニアリズム』 の解説 「ポストコロニアル 「帝国」 の遺産相続人として」 本橋哲也、 成田龍一)。 もし、 今は 「共感」 の時代であるから 「日本史を」 というのなら、 まずわれわれの内にある 「根深い侵略と植民地主義の歴史伝統」 (板垣雄三) の自己批判という問題を考え直さなければならないだろう。 中原中也の詩に 「朝鮮女」 という詩がある (1935)。 詩人が秋風の街道で、 子連れの朝鮮女 (「額顰しかめ」、 「肌赤銅はだしゃくどうの乾物 ひもの 」) とすれ違う。 詩人は 「なにを思へるその顔ぞ」 と見入る。 「 (女は) われを打うち見ていぶかりて 子どもうながし去りゆけり……」 詩人は彼女らのあとを目で追う。 「軽く立ちたる埃かも 何をかわれに思へとや…… 」。 仏訳したフランス人が問いかけている (イヴ・マリ・アリュー 『日本詩を読む』) 「この詩は、 日本の読者に何を考えさせるのであろうか。 あるいはむしろ何を考えさせないようにさせるのか」 と。 そして、 「朝鮮女」 を 「アルジェリア女」 なり 「ベトナム女」 に変え、 服装に関わる修飾語を一つ二つ変え、 フランス人に (あるいはアメリカ人でもいい) に見せて、 彼らの反応を見てほしい、 と。 「アルジェリア」 「ベトナム」 はもちろんフランスの植民地で、 膨大な犠牲を伴う独立戦争があった。 アメリカにとっての 「ベトナム」 は言うまでもない。 彼らは読み違いのない意味を受け取るだろう、 と。 「共感」 の時代にあって、 「思いやり」 の回復のための 「日本史必修化」 が前教育長の論である。 同様の実践が 「国語科」 においてあるとすれば、 それは例えば中也があえて書かなかった末尾の 「何」 を、 歴史の延長において (生徒と一緒に) 考えてみることであろうか。 その考察は、 先に書いたガザと 「派遣村」 に通底する 「何」 かに通じるかもしれない。 ただしそれは、 「国際社会」 の中を 「日本人」 として 「誇り」 を持って 「生き抜いていく」、 というような威勢のいい話にはならない。 |
(せき みのる 県立茅ヶ崎北陵高校教員) |
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