藤沢総合高校の再編統合にかかわって |
入江 義雄 |
私が長後高校に赴任したのは平成11年 (1999年) 4 月である。 3 月末に内示を受けて、 はじめて行った学校は、 ひっそりとして生徒の声がまったく聞こえない。 春休み中に部活動等で登校する生徒はほとんどいないとか。 まったくさびしい限りであった。 その後も生徒の活動らしきものは見られない。 数カ月後、 文化祭の準備期間を迎えた。 職員のさまざまな係分担があるのは他校と同様だが、 1 週間前になっても下校指導の居残り当番が割り当てられていない。 下校指導は全員で分担すべきではないのかと聞いてみたところ、 必要ないのだという。 そんなことはない、 きちんと分担をすべきだと重ねて指摘したところ、 そのうち必要のないことが分かると言うので、 職員が自主的に残るのか、 それならそれでもいいかと思いつつ、 5 時過ぎに校内を見廻ってみるとなんと生徒はだれも残っていない。 いくつか明かりのついたままの教室があるのでのぞいてみると担任が一人で準備をしていた。 これには驚くやら情けないやら、 なるほど下校指導の当番は必要ない…。 一方、 授業中はというと、 廊下を生徒がウロウロ、 教室では寝ているかおしゃべりをしていて、 先生の方を向いている生徒はごくわずか。 校門では教員が常時立ち番をしていて、 出ていく生徒、 入ってくる部外者の対応に追われている。 外部からの苦情電話はしょっちゅう…。 改革への試行錯誤 このような状況下で、 「なんとかしなければ」 ということから、 校内に研究組織ができ、 改革への試行錯誤が始まった。 平成10年 (1998年) に文部科学省の教育課程研究開発学校の指定を受け、 さまざまな議論を重ねながら、 「学校改革」 の取り組みをはじめた。 この取り組みというのが、 実にさまざまあり、 よくこんなことを思いついたなと感心した。 全職員がそれこそ一丸となって取り組んだことが、 のちの総合学科への礎となった。 もちろん、 あたりまえのことではあるが、 「改革」 に否定的な職員もいたが。 とにかく、 勉強はしたくない、 部活動や行事に参加するのもカッタルイ、 他に行くところもないのでナントナク学校に来ている、 学校にくれば友達もいるからそれなりに楽しい、 といったような生徒をなんとか授業に参加させなければならない。 そこで、 少しでも興味をもてそうな新たな科目が考えだされた。 座学ではすぐ飽きてしまうので、 さまざまな体験学習も取り入れられた。 このような取り組みの中から、 少しずつ授業に関心を示す生徒や、 「できる喜び」 「わかる楽しさ」 を感じ取る生徒が出始めた。 これが 「成果」 である。 小学校の算数や中学校の四則演算のようなものが高校のカリキュラムと言えるのか、 楽しい科目だけつまみ食いさせていいのか。 むずかしい科目を努力して理解することが大事なのではないのか。 その通りである。 しかし、 まったくと言っていいほど基礎学力がなく、 従ってやる気も乏しい生徒に 「努力せよ」 と叱咤激励したところでナンニモ得られない。 教科書のない授業で自主教材を作成するのはタイヘンである。 体験授業を取り入れようとすれば、 体験先との交渉もある。 やっと体験先をみつけてきても、 生徒が行かなかったり、 先方に迷惑をかけたりで、 謝罪に追われるとか、 地域との交流でもなかなか相手の理解が得られないなど、 教員の苦労は枚挙に暇がない。 そのような 「タイヘンな苦労」 と 「かすかな成果」 を天秤にかけても釣り合わない。 それでも 「成功した」 と言えるのか。 まあ、 正直なところそうなのだが、 その 「わずかな成果」 をもって、 何もやらなかったよ りはずっとマシだったと言いたい。 再編統合にむけて 平成11年 (1999年) 8 月、 前期再編計画が発表された。 本校は総合学科へ手を挙げてはいたものの統合とは予想していなかった。 研究開発の実績も自負しており、 当然単独再編を考えていた。 統合校の藤沢北高はもっと大変だった。 再編統合はそれこそ寝耳に水で、 最初から取り組む姿勢はみられなかった、 というより明らかに 「反対!」 だった。 「自分さがし」 をモットーに掲げる本校に対し、 「自分さがしはすでにできている」 北高の生徒は進路目標もしっかりしているから、 大学への進路実績を向上させることが重要な課題だということで議論がかみ合わない。 というより 「どうして北高が長後と統合させられるのか」 という反発があった。 新校準備委員会が発足してからも調整は困難を極め、 単独再編だったらどんなに楽だったかと思ったことは再三である。 北高との調整も大変だったが、 県教委とのやりとりも簡単には進まなかった。 私自身県教委の経験はあるが、 どうしてこんなに頑ななのかとあきれたことも多々あった。 例えば、 総合学科は単位制だから、 必履修科目以外はすべて選択としなければならないなど、 一方では特色をいいながら、 一方では学校の特色も無視してすべての科目を設置せよという。 教職員課はそれに見合う加配をしてくれるわけではない。 その他もろもろ数え上げればきりがない。 それでも施設・設備・人事その他の面で前期の再編校は後期より恵まれていたと言われるが…。 統合でよかったこと 統合でよかったのは、 生徒同士の刺激である。 行事や部活動にあまり積極的でなかった本校の生徒に比べ、 北高の生徒はなにをやっても元気で、 球技大会なども 「自分が競技する楽しさ」 だけでなく、 「仲間とともに喜びあう楽しさ」 を教えられた。 本校の生徒は自分の出番以外は何もしない (自分の出番さえさぼってしまう生徒も多い) が、 北高の生徒はみんなで応援する。 そんな姿をみながら、 本校の生徒も少しずつ行事の楽しさを感じるようになってきた。 その結果、 長後ではしばらく途絶えていた体育祭が統合とともに復活した。 新校第 1 回体育祭は大成功だったように思う。 統合で、 生徒同士うまくいくのか、 いじめとか暴力事件が起きないかなど懸念されたが、 生徒はほとんど問題なかったといってよい。 それに比べると大人は順応性が薄い。 職員にしても保護者にしても、 いつまでも 「自分の学校」 にこだわりがあり、 そのあたりにいろいろと問題が生まれた。 総合学科は開校後が難しい 総合学科は開校後がよりむずかしい。 体験授業を経験することによって、 興味関心がわくようになる。 興味関心がわけば向上心もでてくる。 そうなれば上級学校への進学を考えるようになる。 進学を考える生徒が多くなれば、 体験授業のような科目よりも受験対策の科目に目が行くようになり、 特色科目は衰退する。 何やら 「風が吹けば桶屋が儲かる」 ふうな論理であるが、 特色科目に生徒が集まらなくなったり、 特色科目を担当する職員の手当がされなかったりして、 第三の学科といわれる総合学科も再び普通科の方向へ進んで行く。 だからと言って、 そのことをもって 「失敗」 とは言えないと思う。 そもそも総合学科のねらいは目的意識をもてずに進学してくる生徒に目的意識をもたせることにあるのだから目的意識を持った生徒が進学してくればその存在意義が薄れてくるのは当然である。 それは 「失敗」 ではなく、 むしろ 「成功した」 といってよい。 現在、 私は県立高校を退職し、 某大学で生徒募集の高校訪問を主たる業務としているが、 私に同行しているベテラン職員 (神奈川県の高校を10年以上にわたって訪問している) が、 再編統合の新校を訪問するたびに言っている、 「昔の○○高校はどこへ行ったのでしょうか、 まったく面影がありませんね」 と。 出会う生徒の様子はまったく違うし、 校長や進路担当者の話題も前向きだという。 そして校門を出るたびによく聞かされるのだ、 「神奈川の再編計画は成功でしたね」 と。 |
(いりえ よしお 元県立藤沢総合高校校長) |
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