再編のひとつの風景
厚木南通信での経験
 
井上 恭宏

勤務した高校はすべて校名が変わった
 1999年 8月に 「改革推進計画 (前期)」 が発表されてから10年が経過した。
 1999年当時、 私は厚木南高校の通信制の課程に勤務しており、 「前期再編」 の渦中に投げ込まれた。 2005年度から2007年度はひばりが丘高校に勤務し、 2008年度からは横浜修悠館高校 (通信制独立校。 横浜平沼高校通信制と湘南高校通信制とを集約して2008年度に開校) で勤務している。

厚木南で新校準備委員となる
 厚木南高校は 「前期再編」 で厚木清南高校 (フレキシブル・スクール) として開校し (2005年度)、 ひばりが丘高校は栗原高校と統合して座間総合高校となった(2009年度開校)。  私は初任が柿生高校、 2 校目が中沢高校で、 柿生は現在、 麻生総合高校 (柿生西との統合による) となっており、 中沢は横浜旭陵高校 (都岡との統合による) となっている。 2010年には多部制定時制の相模向陽館高校が、 ひばりが丘高校の施設を活用して開校する。 この10年の間に、 私が勤務した高校は、 そのすべての校名が変わった。 これを 「奇妙な話」 として周囲の神奈川県立高校教員に 「自慢」 すると、 「そんなケースは珍しくはない。 あなただけではない」 と応答されることがしばしばある。 「再編」 は、 多くの神奈川県立高校教職員の仕事のあり方や生活に相当程度の変化をもたらしたのであろう。
 さて1999年、 厚木南では 「前期再編」 の該当校となることがわかると、 「だれが担当者になるのか」 ということが問題として浮上することとなった。 当時の管理職が 「この指止まれ方式」 で校内組織をつくろうとしたことから、 「改革」 に積極的な人と消極的な人との間の 「色分け」 がなされていった。 スペクトル状の 「色分け」 だが、 両極をみると職場が分断されたようにも見えた。 私自身は、 何も言わないままにことが進行するのは不本意だと考え、 新校準備委員を1999年から2003年度いっぱいまで引き受けた。 紆余曲折のなか、 1999年12月、 全職員が何らかのワーキング・グループに所属するという原則が打ち出され、 「改革」 は一部の教職員がとりくむものではなく、 すべての人が何らかの形でかかわるという基本的なスタンスが確認されていった。
 厚木南高校は全定通3課程の単独改編。 課題は多岐にわたり、 「さまざまな議論」 がつづけられていった。 「新校設置」 にかかわる会議を年度間に数十回持った年もあった。 特に、 新校舎建設に向けての議論には膨大な時間が割かれた (結局、 新校舎は 「施設設備整備の手法の変更」 といった理由で実現しなかった)。
  「新校設置」 に向けての校内論議のなかで、 私にかぎって言えば、 ある場面では改革推進派として非難され、 別の場面では守旧派として批判されたりもした。 それにしても、 よく話し合った。
 厚木南では、 当初から、 制度的に認められている 「学校を柔軟にできるシステム」 はすべて使っていこうという理念を打ち上げていた。 通信制に関しては、 規模が小さいこともあり、 相当に柔軟なシステムがすでにできあがっていた。 そうしたことから、 「厚木南通信は改革がほぼ完成した状態にある」 とも言われていた。

新校長の着任ですべては白紙に
 校内での 「さまざまな議論」 は煮詰まるところにまでは行かなかった。 2003年度に着任した校長が従来の新校準備委員を事実上解任し、 校内組織を解体して体制を一新したからである。 ワーキング・グループは消滅し、 「全員参加の改革」 に終止符が打たれた。 多くの教員が職場を去り、 残された人たちに過重な負担がかかっていったはずである。
  「再編」、 「改革」 のなかで、 私は 「やっていいこととやってはいけないこととの吟味はしたほうがいい」 という立場をとってきていた。 「いままでと違うことをやりさえすれば、 それが改革だ」 という考え方が仮にあるのだとすれば、 それとは食い違う。 新校へ向けての学校説明会で 「国立大学医学部をめざす人の選択科目はこれこれ」 という校長自身がつくったチラシが配られる。 ほとんどの教員が初めて目にするものだ。 「さまざまな議論」 のなかで語られてきた構想からすれば相当なギャップがあるのだが、 批判すれば 「あなたは学校をよくしようと思ってはいないのか!」 ということで終わりになる。 校長の意向で、 2003年度は新校準備委員でありながら 「再編」 にかかわる仕事から外され、 高校教育課担当者が参加する新校準備委員会の場にだけ形式的に参加させられることとなった。

「再編」 「改革」 ってなんだ
 私の狭くて貧弱な経験の範囲内で考えると、 「再編」、 「改革」 は 「生徒に選んでもらえる学校をつくると言いながら、 生徒を選別する」 という動きを加速させ、 「多様化を言いながら、 制服、 カリキュラム、 学校宣伝などの面で画一化の方向へと向かう」 という逆進性を持ち、 「みんなが改革し、 改革されると言いながら、 特定の人によって学校が玩具化される」 といった奇妙な動きをしめしたもの、 ということになってしまう。
 厚木清南高校の正門を入ったところにキャンバス地の布にくるまれた円筒状の物体がある。 通信制生徒のレポート提出のための 「ポスト」 として数十万円をかけて設置されたものだ。 2005年度のことである。 それまで、 レポート提出ボックスは事務室前 (もちろん校舎内にある) に設置されていた。 生徒が雨ざらしのなかレポートを 「ポスト」 に入れるように 「改革」 したのだ。 現在は従前の方式にもどっている。 布にくるまれたそれが何なのかを知る生徒は、 今は、 おそらくいないだろう。
  「私の狭くて貧弱な経験」 とはまったく別の 「再編」、 「改革」 を経験した教員も数多く存在するはずである。 そうした声を 『ねざす』 に寄せていただけると良いと思う。

(いのうえ やすひろ 研究所員)
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