藤沢総合高校の6年 |
樋浦 敬子 |
藤沢総合高校は、 長後高校と藤沢北高校の再編統合により開校した、 6年目の単位制・総合学科高校である。 私は開校の前年、 藤沢北高校に異動した。 そもそも長後高校では早くから総合選択制を目指した学校改革を進めていた。 「総合学科」 に名乗りもあげていた。 また 「文部省研究開発学校」 となり、 研究も 進めていた。 長後高校にとって再編計画発表はその延長線上にあった。 しかし藤沢北高校では、 なぜそのパートナーに選ばれたのかというとまどいが大きく、 再編への批判・不満が、 開校準備室から次から次へと職員会議に諮られていた具体的な提案に対してぶつけられることが多かった。 この時期藤沢北高では、 クラス減の中でも、 行事や部活は盛んであった。 藤沢総合高校ではこうした流れを踏まえた校内人事が組まれたこともあり、 カリキュラム開発など 「単位制・総合学科」 の枠組みの完成作業は、 長後からのメンバーが主に担当し、 自前の改革を 「完成」 させた。 一方、 部活動・学校行事は北高の枠組み (学年制・普通科) を適用し、 北高からのメンバーが主に担当した。 お互いへの疑問・本音を封印したまま新校が発足したように思う。 6年目の今、 全体としては落ちついてきているように見える。 系列科目も担当者の異動に備えたTTでの実施、 専門家を外部講師に迎えるなどの工夫をしながら継続、 発展してきている。 またインターンシップや技能検定などの学校外の学修単位認定も年々増え、 総合学科の柔軟な学びも定着してきている。 当初心配したクラス単位の学校行事もすっかり定着した。 しかし課題は山積、 その共有、 解決の道筋は見えていない。 4年が経過して 開校当初から様々な場で語られてきた 「単位制・総合学科」 への違和感、 また生徒の現状に対する不満が、 2008年 3 月の 『研究紀要』 に 「 5 年目を迎える単位制・総合学科ー全職員の意見」 として掲載されている。 本校の 『研究紀要』 は、 開校の2004年度から 4 年間、 年度末に発行された。 本校のグランドデザインを描いたメンバーはこの冊子に記録集的な意味合いを持たせ、 資料として活用出来る丁寧な記録を残している。 「全職員の意見」 では、 生徒の多くが、 嫌い・苦手な科目を避け、 テストを実施しない科目ばかりを選ぶ等々の現象をあげ、 こんなに 「学校の存在が軽くていいのか」、 「嫌なことから逃げるだけ」 「我慢しない生徒」 を創出していいのか、 「学力が低下する」 「カルチャースクールのよう」 「生徒間のつながりが希薄」 と疑問を呈している。 「朝のHRに出席しない」、 「生徒の動向が把握出来ない」 と担任も悩んでいる。 系列の位置づけが曖昧だ、 具体策を施す必要ありとの声も多数寄せられている。 「産業社会と人間」 については、 全体の理解不足が懸念されている。 また年次団とグループの仕事との関係が未整理であり、 単位制という割り切りがなく、 学年制風にどんどん移行している、 このまま理念を追求するのか、 学年制よりの方向を目指すのか岐路に立っているなどの指摘もある。 多忙化、 また会議の多さを嘆く声もある。 またガイダンス機能の確立、 部活動の活性化などの提言もある。 現状―問題点と課題 6年目の今、 ここに指摘されている諸課題は 「共有」 されることもなく、 「解決」 に向けた議論の積み上げも行われていない。 いくつかの問題点・課題について考えてみたい。 まず生徒の学びの質と量の問題。 テストの有無を選択の基準にする生徒が目につく。 74単位に近い単位数で卒業する生徒が年々増えている。 履修する以上修得を目指すべきという指導を強く行ったことも登録単位数を減らす傾向に拍車をかけたかもしれない。 午後科目 (系列科目の多くが置かれている) を最低限しか履修しなくなっている。 「産業社会と人間」 は長後高校での蓄積を財産に充実している。 また担当者が毎週長時間の会議を重ねながら企画・実践、 ふり返り (「産社通信」 発行も含む) を行いながら授業をするシステムも継承されている。 生徒の授業評価も 「満足度」 が高い。 しかし本校のキャリア教育の基礎であるという意義が全体で共有されているとは言い難く、 「産社」 の成果を踏まえ、 2 年次以降の系列科目によるキャリア教育の構造化が課題とされてから久しいにも関わらず、 取り組みも始まっていない。 「産社」 の意義や内容について全体での共有化と 2 年次以降のキャリア教育の具体的な構築は緊急の課題である。 系列の問題。 今や系列は個々の科目の維持と総合的な学習の時間の運営、 研修旅行での系列学習としてしか意識されなくなっている。 『研究紀要』 4 号 (2008.3) に農業、 商業、 福祉、 情報の専門教科に加えて本校の学校設定教科である 「生活科」 「環境科」 「人間科」 「国際科」 の現状と問題点がまとめられている。 学校設定教科は 4 つの系列と重なる、 つまり 4 系列は 「教科」 を担うグループでもある。 この特集の中でも学校設定教科=系列に対する当事者意識、 責任感の持ちにくさが語られている。 そもそも系列科目が、 「自分探し (アイデンティティ形成) に役立つ科目/まとまりのある学習ができる/従来の教科・科目にとらわれない総合的学習が可能な科目」 等の条件を持つ科目として設定され、 「課題解決学習を取り入れ、 主題・探求・表現という手順で学力を育てることになっている」 ことなど、 今や、 誰にも意識されていない。 また系列科目の構造化や系列という学習領域でどのような 「学力」 を身につけていくのか、 その到達度をどのようにはかるのかという課題も検討が進んでいない。 また午後に置かれている系列の科目の中には、 選択者が減り、 存亡の危機に瀕しているものが少なくないなど、 具体的な課題は多い。 年次団とグループの関係。 開校時、 年次の仕事を分掌に移管し、 分掌が策定した計画を実施するのが年次団という位置づけが確認されている。 当時は担任の仕事は 「LHRを担当する」 ことだという言い方をよく耳にしたものである。 しかし教員自身が生徒の 「自己責任」 という割り切りができない、 特に担任はできない。 また科目登録や履修・修得の問題では生徒自身だけではなく家庭にも丁寧に連絡していくことが強く求められるようになっていく中で、 年次団の比重がどんどん重くなっていった。 生徒指導に年次担当を配置したこと、 クラス単位の行事なども 「学年制風の運用」 に拍車をかけている。 研修旅行や宿泊研修のグループと年次の関係も曖昧なまま、 担当者はストレスをためている。 大きな課題である。 当初想定した生徒像と今の生徒の実態、 出口の状況も大きく変化してきている。 「単位制・総合学科」 として 「成果と課題」 をきちんと組織的に検討すべき時期にきていると思う。 しかし実際にその作業は進まない。 なぜか。 開校当初に関係した人たちがいなくなり、 総合学科での学びに魅力を感じ、 生徒の実態に即して新たな改革を行おうというエネルギーが不足していることが原因の一つ。 高校が提供する学びとは普通科目の体系的な学習であると考えるのが、 「普通科・学年制」 からの異動が多数である限り、 多数派である。 その中で藤沢総合の学びの魅力を伝えていくゆとりも仕組みもない。 さらには県が一律の対応を求める施策を次々現場におろしてきていることが多忙化感、 徒労感をもたらしていることも原因の一つである。 たとえば 「学習状況調査」。 単位制の学校でも 2 年次で国語・数学・英語のテストを悉皆で行い、 結果の分析などを迫る。 生徒は選択していない科目の調査にも参加させられる。 なぜすべての学校で国・数・英の調査が 「基礎学力」 調査なのか。 教員は実施だけでも大変な時間とエネルギーを割かれる上に意義が感じられない仕事であることのストレスが加わる。 生徒の授業評価も然り。 なぜ一律の調査・報告を求めるのか、 それぞれの科目で調査して意味ある切り口は異なる。 実効ある調査にすべきだ。 多様な学びの場の提供という方針から乖離した諸政策である。 私自身は総合学科の立ち上げから 6 年、 実に多くのことを考える場に立会い、 新たな実践に参加させてもらうことができた。 「人権入門」 という授業を 「自分探しに役立つ」 「課題解決学習」 として構築するなどというスリリングな試みができたのもこの藤沢総合の枠組みのおかげと感謝している。 でも 6 年経った今、 課題が山積していることも実感している。 仲間内で不満を言い合うだけでなく、 単位制・総合学科という枠組みを前提に、 現状のどこが問題で、 何をどのように改めていくと生徒にとってよりよい場所になるのか、 きちんとした 「議論」 を進めていきたいものである。 |
(ひうら たかこ 県立藤沢総合高校教員) |
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