2008 教育研究所 教育討論会
貧困の連鎖と学校
 
◆日時:2008年12月6日 (土) 14:00〜
◆会場:かながわ県民センター301会議室
■問題提起・コーディネーター
  稲葉  剛 (NPO法人自立生活サポートセンター・もやい代表理事)
 鳥山  洋 (定時制高校教員)
 井関 茂明 (定時制高校教員)
 井上 恭宏 (教育研究所)

◆ 開会挨拶:佐々木 賢 (教育研究所代表)
 今日はもやいの稲葉さんをお迎えしまして、 「貧困の連鎖と学校」 というシンポジウムを開かせていただきます。 定時制のほうから井関さんと鳥山さん、 ありがとうございます。 今年の 8 月の 『東洋経済』 で家庭崩壊という特集がございまして、 その中で稲葉さんもお書きになっていらっしゃる。 このレジュメにもありますが、 ハウジングプアという言葉を使っていらっしゃいます。 オランダの公営住宅は全住民の 5 割以上の人が入っているんだそうですが、 日本は 5 %だそうです。 特に東京都の石原都政は 9 年間続いたんですが、 都営住宅は 1 戸も増やしていない、 増加ゼロということだそうです。 その中でも南青山にある都営住宅を改築して高層にしたんですが、 新しく高層にした部分を都営住宅にしないで、 月に200万円ぐらいの家賃を払う私営の超富裕層の住宅に変えてしまったということであります。
 これが教育とどう関係するかといいますと、 特に進学重点校というのを各都道府県で進めています。 千葉県の千葉高校というのが中高一貫校になりまして、 そこにいた定時制の高校生が遠くへ追いやられた。 つまり助けなければいけない貧困層を遠くへ追いやって進学重点校にする、 富裕層、 中間層、 特に富裕層に重点を置く政策が全国の政策として行われているということです。 これが共通しているのではないか。 この点を今日のシンポジウムでは深めていただけるのではないかと期待しております。
 土曜日のお忙しいところ、 またお休みのところをお集まりいただいてありがとうございました。 以上を以て挨拶といたします。

◆ 進行:井上 恭宏 (コーディネーター)
 皆さん今日は。 教育研究所の井上恭宏と申します。 よろしくお願いいたします。 私は神奈川県立高校教員で現在通信制独立高の横浜修悠館高校に勤務しています。 本日は 5 時15分まで討論への参加などをよろしくお願いします。
 早速ですが、 今日のシンポジストを紹介させていただきます。 ホワイトボードに名前を示させていただきましたが、 NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの代表理事の稲葉剛さん、 神奈川県立横浜翠嵐高校定時制勤務の鳥山洋さん、 神奈川県立茅ヶ崎高校定時制勤務の井関茂明さんのお三方です。 この三人のシンポジストをお招きして 「貧困の連鎖と学校」 というテーマでシンポジウムを進めてまいります。
 時間の配分ですが、 まず、 稲葉さんから 1 時間程度現状についてお話しを伺います。 次に鳥山さんから定時制の現状について15分から20分程度お話しいただき、 井関さんからコメントと補足をしていただきます。
 その後研究所所員の本間正吾から、 現在研究が続けられている本県県立高校におけるお金の使われ方といいますか、 そういうことについての中間報告をしていただいて、 その後討論、 意見交換に入っていくということになります。 時間の関係で、 途中休憩を取りませんので、 手洗い等については適宜お願いいたします。 5 時まで意見交換、 その後、 まとめに入っていくことにいたしますので、 ご協力のほど、 よろしくお願いいたします。

◆ 問題提起:稲 葉  剛
(稲葉さんはレジュメをもとに発言されました。 発言中に言及されているページ、 図については、 後ろに掲載されているレジュメ 「教育討論会2008レジュメ」 を参照して下さい。)
 NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの稲葉と申します。 よろしくお願いいたします。 私自身は学校現場に直接関わっているものではなく、 いわゆる生活困窮者の方々の相談活動を行っている団体の代表を務めております。 貧困の現場で今何が起こっているのか、 について報告させていただいて、 そのことを踏まえて、 では、 教育で何ができるかについて皆さんと一緒にディスカッションできればと考えております。
 今日まさにこの時期にこうした集会が行われることはとても意義深いことと思います。 この時期ということについては、 レジュメの 1 ページ目に書きました。 今年の春から、 あるいは、 秋から、 世界同時不況の影響が出てきております。 私たちの活動にも影響が出ておりまして、 私自身は1994年から東京の新宿を中心にいわゆるホームレス、 路上生活者の人たちの支援活動をしていて、 その後、 2001年にもやいを設立して、 ホームレスの人々に限らず、 ネットカフェ難民と言われている若者であるとか、 DVの被害者であるとか、 母子家庭であるとか、 そうした幅広い生活困窮者の支援に取り組んできました。
 今の状況というのは既視感があるというか、 見たことがあるという気持ちが非常にあります。 私がこの活動を始めた1994年頃はバブル経済が崩壊した直後でした。 新宿に野宿の人たちが増え始めました。 新宿だけでなくて、 ここは横浜ですが、 横浜であれば寿町、 東京の山谷地域、 大阪であれば西成・釜ヶ崎地域、 最初はそうした寄せ場で最初に野宿を始めたのは日雇い労働者の人たちでした。 その後徐々にサービス産業で働く人たち、 失業された方々がどんどん流入してくるようになりました。 路上生活の人たちに炊き出しといってご飯を配ることをやっているのですが、 炊き出しをするたびに、 集まる人数が増えてくる。 毎週毎週集まる人数が増えてくるという状況が14年前にありました。 まさに今、 当時と同じ状況が始まっておりまして、 ここ 3 ヶ月ぐらいで新宿の路上生活者の炊き出しに集まる人数が100人ぐらい増えております。  
 一方、 もやいのほうには、 愛知県などの自動車工場で働いてこられた派遣社員の方、 また期間工の方、 そうした人たちが今どんどん首を切られていまして、 派遣期間の中途でも首を切られていまして、 そうした人がネットカフェ難民になろうとしています。 ここにも書きましたが、 新聞報道によると、 厚生労働省の統計において、 少なくとも 3 万人が来年春 3 月までに首を切られる、 非正規雇用に限っての話ですが、 そう言われています。 自動車産業だけで 1 万人を超えると言われています。 正社員でもすでにIBMでは首切りが始まっているという状況にありまして、 そうした人たちが文字通り路頭に迷うという状況になりつつあります。
 私は社会活動家、 社会運動家なので、 大体社会運動をする人というのは、 「大変だ、 大変だ」 というので、 狼少年みたいになってしまうのですが、 今、 本当に大変なんです。 今言わなければ何時言うかと言うぐらいひどい状況にあるということを是非皆さんに知っていただきたいと思います。
 もやいには、 そうした首を切られた人たちが相談に訪れます。 首切りは今始まったばかりなのですが、 自動車産業で働いてこられた多くの方は住み込みで働いてこられたんです。 非常に安い給料、 月額10数万円ぐらいの安い給料で、 派遣や期間工という形で住み込みの宿舎に泊まりながら働いていた。 そうすると、 そこに首切りが通告されて、 1 週間後、 2 週間後には出て行きなさいということで首を切られていくわけです。 そうすると、 実家に戻れる人はまだいいんです。 しかし、 実家とはつながりが切れてしまっている方、 もしくは実家自体が経済的に非常に困窮しているという方の場合は、 もうネットカフェ難民になるしかないという状況が生まれています。
 最後の給料を持って今はネットカフェにいたりとかですが、 10月に大阪で個室ビデオ店の火災事件がありました。 個室ビデオ店にも、 そうした住む場所のない人たちが、 住んでいるという事実があの事件によって分かったわけですが、 そうしたところで寝泊まりしている。 そうした人たちで、 年末になると次の仕事が見つからない人たちは、 お金が尽きてくるということになります。 そうすると路上生活者の炊き出しに並ばざるを得ないということで、 今、 非常な危機感と憤りを以てこの状況を見ております。
 今の状況というのは、 POINT OF NO RETURNと言いますか、 もう引き返すことができないところに日本の社会が行こうとしているのではないか、 アメリカ型の貧富の差が拡大していく方向に向かって、 私たちの社会は突き進んでいると感じています。
 具体的にどういうことか、 と言いますと、 このまま貧富の差が拡大し貧困が広がっていくと、 当然食えなくなる人が出てきます。 路上生活者の人が増えてきます。 そうすると、 犯罪に走らざるを得ない人も当然増えてきます。 治安も悪化します。 それに対して、 富裕層の人たちは自衛を始めます。 この間不況になってきて、 最近、 セコムのコマーシャルが増えてきているのが気になるんですが、 ああいう形で自分たちで自衛していく。 アメリカなどではすでに GATED COMMUNITY と言われるらしいんですが、 富裕層の人たちが郊外に固まって住み、 そこをゲイトで囲むらしいんです。 社会の中に別の社会を作っていく。 そして自分たちだけの治安を守っていく。 そこに入るには許可が必要だ、 というような形で分断されていく。 社会としての一体感であるとか、 どんな人たちでも同じ社会の一員であるという意識が希薄になっていって、 本当に社会が分断されていく方向に日本の社会が向かっていっているのだと思います。 ここで歯止めをかけなければ、 アメリカ型の荒んだ社会になっていく。
 例えば、 アメリカについては堤未果さんという方が書かれていますが、 高校でも底辺校と言われる高校ではもう就職先がないので、 米軍のリクルーターが入って 「軍隊に入ればこんないい待遇があるんだ」 と言って勧めていく。 他に選択肢がないので軍隊に入ってイラクに送られていくという状況が生まれています。 日本でも自衛隊がこうしたリクルート活動を行っていますが、 自衛隊というところは福利厚生が非常にしっかりしているんですね。 自衛隊を辞めた後の就職先まで面倒見ますし、 自衛隊にいる間に免許も取れますし、 職業訓練もしてくれます。 後々困らないようにいろいろしてくれます。 これを自衛隊員だけじゃなくて、 今生活に困っている若年層全体にそれだけの福利厚生をやってくれれば、 かなりの部分の問題は解決するんじゃないかと思うんですが、 自衛隊だけでそれがなされているわけです。 そうすると、 他に選択肢のない高校生がそういうところに入って行くという状況がどんどん進んでいるのではないかと思っています。
 そうした取り返しのつかない事態にまで私たちの社会は来ているのではないか、 ということをまず確認して、 今日の話をさせていただければと思います。
 派遣切りのことですが、 ご存知のように、 派遣労働という働き方はかつてほとんど認められていませんでした。 派遣は待遇の面でも権利の面でも弱い立場にある、 だから通訳であるとか、 専門的知識を持って働く人たち、 そういう人であれば対等に渡り合えるということで、 そうした業種に限られていたわけですが、 1999年の派遣法の改正によって原則解禁となり、 2004年には製造業にも解禁されたことによって、 自動車産業を中心にどんどん広がっていったという経緯があります。
 私はこの状況はかつてのホームレスの人たちの状況に非常によく似てきていると思います。 大阪の釜ヶ崎は日本で一番ホームレスの人たちの多い地域ですけれども、 そこで活動されている方に生田武志さんという方がおられます。 この生田さんが1990年代からずっと言ってこられたことは 「日雇い労働者がリハーサルをしてフリーターが本番をさせられる」 ということでした。 バブル経済が崩壊した後に真っ先に仕事を失ったのは日雇い労働者の人たちでした。
 私も1994年頃、 新宿駅西口から都庁に向かう 2 本の地下通路に段ボールハウスがズラッと並び、 その数がどんどん増えていくという情景に出合いました。 そこで野宿をしている人一人ひとりに話しを聞いていくと、 ほとんどが日雇いの建築土木の労働者でした。 中にはあの辺りに林立する高層ビルの建設に従事したという人たちもたくさんいました。 そういう人たちのほとんどが1960年代、 70年代に地方から出稼ぎに来られて、 東京だったら東京オリンピックの頃、 中卒の人たちが働きに来て、 ずっと働き、 1980年代、 90年代になって高齢化して仕事がなくなり、 バブルが崩壊してますます仕事がなくなった。 それで、 自分が建設に従事したビルの軒下で野宿するという情景が本当にあったわけです。
 そのような日雇い労働者の人たちは景気の調整弁、 雇用の調整弁と言われていました。 非常に不安定な待遇の中で、 景気が悪くなると真っ先に首を切られる、 仕事がなくなるという状況にあったわけですけれども、 この人たちの状況が今や本当に広がってきたなと感じています。 今回の派遣切りというのはまさにそういう状況を示していると思います。
 景気の調整弁、 雇用の調整弁という役割を押しつけられる人たちが、 この15年間の間に非常に広がってしまいました。 それは派遣法の改正であるとか、 そういう一連の規制緩和によって政策的に推し進められたものであるというように押さえておかなければいけないと思います。
 しかも今回、 不況が進んだことによって、 内定の取り消しという問題が起こっています。 ここ数年間は若者、 特に大学卒の若者たちにとっては売り手市場だと言われてきました。 その前、 今の20代の後半から30代の前半というのはロストジェネレーション=ロスジェネと言われていて、 非常に苦しかったんですね。 この人たちは結局正社員になれずに、 フリーターを選ばずにはいられなかった。 よくフリーターというと、 若者が好きでやっているとか、 ライフスタイルでやっているとか、 という見方がありますけれども、 現実には、 彼らが高校を出たり、 大学を出たりしたときは、 そういう仕事しかなかったというのが実状だったと思います。 今では 3 人に 1 人、 最新の統計では37.8%の人々が非正規社員という状況にまでなってきています。
 これは統計にも明らかになっていまして、 レジュメ 2 ページ目に図 1 と図 2 を出しておきました。 ちょっと古い資料で2002年のものですが、 これを見れば、 当時20代の若者がそれより前の世代と比べて、 いかに失われた世代であったか、 ロストジェネレーションといわれるような状況に陥っていたかが判ると思います。 非正規雇用の比率が非常に高い、 そして収入面においても年間150万以下という人たちが非常に多いということで、 この人たちが今ネットカフェ難民と呼ばれる人たちの中心になっているわけです。
 ネットカフェ難民については昨年厚生労働省が調査をしまして、 その中で判ったことは、 20代の人たちが一番多く、 次が50代であること、 ほとんどが非正規雇用であることなどですが、 今生活に困窮している若者、 私たちのもやいに相談に来る若者も多くはこの世代の人たちだという状況になっています。
 これからの動きようによって、 もう 1 度、 同じような世代が生まれようとしているわけです。 第 2 ロスジェネという言い方がすでになされていますけれども、 本当に数ヶ月単位で状況が大きく変わってきています。 私たち、 もやいにも、 たくさんの学生さんが、 ボランティアにやってきますが、 中には20代後半、 ロスジェネ世代の人たちもいるわけです。 上の世代から見ると、 今年の春頃には学生さんたちに対して 「お前たちはいいよな」 という話をしていた状況でした。 就職活動をする場合でも学生がずっと有利な立場だったのですが、 ここ 3 ヶ月ぐらいで状況は大きく変わってしまって、 内定を取り消された若者もすでに出始めています。
 学生さんによっては、 去年大学 4 年生で就職活動をしてどうも希望の就職先が見つからないということで、 留年して今年 5 年生になってもう 1 度就職活動をやろうとしていた学生さんもいるんですけれども、 そうすると今のような状況になってしまって、 ますます見つからなくなってしまうわけです。
 生まれた年というものを人間の手でどうすることもできないわけですし、 明日、 数ヶ月後、 どうなっているか、 まったく予測ができないわけですが、 そのちょっとした差によってその後の人生まで大きく変わってしまう世の中になりつつあると思います。 「ギャンブル化」 する生、 と言いますが、 本当に若者たちが高校を出て、 また、 大学を出て働きに行こうというときの選択というものがますますギャンブルになりつつあるんですね。 頼りにするものが何もないという状況になりつつあって、 このことが若者たちに及ぼす影響は非常に大きいと思っています。
 レジュメ 2 ページに図 3 、 図 4 を書きました。 日本はずっと 1 億総中流だと言われてきましたけれども、 もはやそれは過去の話だと言わざるを得ません。 相対的貧困率という統計がありますが、 ワースト 5 で日本はすでにアメリカに次いで第 2 位になっています。 貧困についての統計、 日本に貧困状態にある人がどのくらいいるかという統計を、 国は実は取っていないんです。 唯一あるのが生活保護世帯数についての統計、 貯金残高ゼロの世帯の統計ですが、 それを見ても増えてきている状況です。
 生活保護については補足率という考え方がありまして、 生活保護の水準があります。 本来ならばその水準以下の人であれば基本的に生活保護が受けられるわけですが、 行政の水際作戦というのがありまして、 水際で追い返してしまうんです。 本来なら生活保護に該当する人であっても、 窓口で、 「もっと働きなさい」 「仕事を探しなさい」 など、 なんだかんだ言って、 申請書を出させないで追い返してしまうわけです。 生活保護の制度が、 これを必要としている人をどれだけ救えているか、 セーフティネットとして網がかけられているかを示すのが補足率ですけれど、 研究者の間では補足率は20%ぐらいではないかと言われています。
 これ自体、 本来は国が統計を取るべきものですが、 国がきちんと統計を取っていないので、 一部の研究者がいいろいろ資料を調べて推測を出しているわけですが、 5 人に 1 人しか救えていない、 5 人に 4 人はこのセーフティネットの下に落ちて行っている、 その一部はホームレスになったり、 ネットカフェ難民になったりしているんじゃないかと思います。
 そのネットカフェ難民に関して私は最近あまりにネットカフェ難民だけが注目を集めていることに異議を唱えているんですが、 先ほどもご紹介がありましたように、 私はハウジングプアという言い方をしています。 ネットカフェ難民と言いますと、 この言葉を作り出した水島さんという日本テレビのディレクターがいるんですが、 この人が言いたかったことは 「難民化」 しているということなんです。 アフリカとか、 海外取材の経験の豊富な方で、 この人が今の若者の状況を見たとき、 海外の難民の状況と変わらないじゃないかということで、 ネットカフェ難民という言葉を作られたわけです。
 似たようなことは新宿のホームレスの人たちの支援活動に関わってきたお医者さんも言っています。 私の知っているその医者さんはボランティアで海外の協力、 ルワンダとか、 国連の難民キャンプでの支援活動、 医療活動をされてきた方なんですが、 国連の難民キャンプ、 国連がちゃんと管理している難民キャンプであれば 3 食出るわけです。 テント生活ではあるけれど、 朝昼晩ちゃんとご飯が出るし、 最低限の衛生も整っている、 だけど、 新宿の路上生活の人たちの状況を見ると、 ほとんどご飯が食べられていない、 1 日 1 食という人たちがたくさんいる、 その中で医療活動をやろうとして、 薬を渡すにも 「食後飲んでください」 というその食がないわけです。
 そういう状況の中で医療活動をするというのは実は難民キャンプで医療活動をするよりさらに難しいということで、 日本の路上生活の人たちの状況は海外の難民キャンプの状況より悪いということです。 問題はその難民性です。 都会にいながら難民としての生活を強いられていく。 本来ならば、 そこに力点があったはずなんですが、 去年、 ネットカフェ難民という言葉が流行語大賞にまで上るようなブームになって、 その後後追いの取材がいろいろなされました。 その後追い取材の中には若者のファッションのように面白おかしく取り上げるものが結構ありました。
 そこに先日の東京都石原知事のファッション発言です。 「若者はファッションでネットカフェに寝泊まりしている」 そういう発言に繋がって、 本来の難民性から遠ざかっていくんです。 そしてネットカフェというところだけ注目しちゃうんです。 先ほど触れたように厚生労働省は去年、 ネットカフェに依頼してネットカフェ難民についての調査をしました。 ネットカフェに週 3 、 4 日泊まっている人がどのくらいいるか、 そして同時に、 何人かにアンケートをして聞き取り調査をしています。
 これを合わせて、 全国のネットカフェにいる人たち、 週 3 、 4 日以上いる人たちは5400人だという統計を出しました。 すると、 その5400人という数字が独り歩きをしてしまって、 その程度なのかという印象を持つ方もいるかもしれませんが、 数だけがあたかも事実であるかのように歩き出してしまったわけです。
 しかし、 この前の大阪の個室ビデオ店の火災事故がありましたが、 あの人たちもあそこに泊まらざるを得なかった人たちです。 あそこは 1 泊1500円だったそうです。 大阪難波の地域では価格競争が行われていたようです。 ネットカフェと個室ビデオ店とどっちが安いか。 個室ビデオ店の方がちょっと安かったから、 そっちのほうに人が流れていくということがありました。
 ですから、 ネットカフェだけを見ていても実はあまり意味がないわけで、 ネットカフェだったり、 個室ビデオ店だったり、 あとはサウナとかカプセルホテルにいる人たちもたくさんいらっしゃいます。 そうした方々がお金がなくなってくると、 例えば、 24時間営業のファストフード店に行ったり、 最後は路上生活になったりするわけです。
 厚生労働省はネットカフェ難民と路上生活者のカテゴリーを分けているんです。 ネットカフェ難民は住宅喪失不安定就労者、 路上生活者のことはホームレスだというわけです。 この 2 つのどこが違うのかと、 私は思うんですが、 所管する部局も違うんです。 ネットカフェ難民は旧労働省がやっていて、 ホームレスは旧厚生省がやっているという、 本当にお役所の縦割り仕事になっているんですが、 私はこれは一連のハウジングプア、 住宅の貧困層だと考えています。
 実際私が知っている路上生活者の方々もお金があるときはネットカフェに泊まっているという話を聞きますし、 逆にネットカフェにいる人たちもお金がなくなれば、 ことにこれから年末年始で仕事がなくなります。 今、 日雇い派遣の規制がかかろうとしています。 日雇い派遣がワーキンギプアの温床だと言われていて、 これに規制がかかってきます。 そうしますと、 そうした人たちの一部は正社員になったり、 もっと長い期間働けるような状況になるわけですけれども、 一部は、 そうした仕事すらなくなってしまうわけです。 その人たちに対する手当がほとんどないということで、 特にこれからの年末年始、 ネットカフェ生活すら維持できずに路上生活になっていく人たちが増えていくんじゃないかと考えています。
 この状況を図の 4 で示したんですが、 路上生活者というと何か縁遠い人たち、 一部の人たち、 変わった人たちという見られ方をするんですが、 是非皆さん、 ご自分の生活を考えていただきたいですね。 何故私たちや皆さんが路上生活者にならずに済んでいるのか、 それはいろいろな要因があると思いますが、 簡単に言えば、 多分、 仕事があって住まいがあるからだと思います。
 仕事と住まいは車輪の両輪だと私は言っています。 両輪があってその上に暮らしが乗っかっている。 安定した住まいがあって、 安定した仕事がある。 やはり、 生活が安定するにはこれが一番重要だと思うわけです。 ですけれども、 この両方が今ひしゃげてきている、 潰れてきているのが現状況だと思います。
 仕事に関しては今申し上げてきたように、 非正規化がどんどん進んできた。 そしてワーキングプアが生まれてくる状況があります。 一方住まいに関しても、 ネットカフェなどで暮らさざるを得ない人たちは無論そうですけれども、 その前の状況を見ても、 賃貸借住宅、 アパートを借りるのが非常に難しい状況にあります。 ネットカフェにいる人たちがアパートを借りようとすれば、 敷金礼金で20万円ぐらい用意しなければならない。 特に東京は家賃が高いので30万円ぐらい用意しなければいけないという状況があります。 そこをつけねらって、 今ゼロゼロ物件というのが広がっています。 ご存知の方も多いかもしれませんが、 スマイルサービスという業者がゼロゼロ物件、 敷金礼金ゼロで入れますよ、 という物件をどんどん展開していまして、 ネットカフェなどにいるような若者をターゲットにビジネスを広げてきています。
 最初これは朗報だと、 敷金礼金がなくて非常に安い値段でアパートに入れるということで、 たくさんの若い人たちがこのアパートに入っていきました。 ところが、 このアパートに入っても、 なかなか不安定な仕事から抜け出せないで、 やはり家賃を滞納したりすることがあるわけです。 すると、 1 日滞納しただけ、 1 日遅れただけで、 カギを取り替えられてしまう。 ひどいときには、 ある朝起きてみると自分の枕元に知らない男が立っている、 業者の男が立っている、 「家賃を払え」 と請求してくるという状況がありました。
 それで、 どうもおかしいということで、 契約書を調べてみました。 本来、 アパートならば、 借地借家法という法律があって、 居住権という権利があります。 1 ヶ月、 2 ヶ月家賃を滞納しただけで大家さんがカギを取り替えたりしたら、 それは借地借家法違反です。 無理矢理追い出したりできないわけです。 そこで何らかの話し合いをして、 遅れた家賃をどう返していこうか、 と折り合うのが普通のやり方です。
 ところが、 スマイルサービスは一般のアパート契約、 賃貸借契約ではなかったんです。 鍵付施設利用契約とかいう、 変わったやり方で、 アパートではなく施設であるというような名目になっていました。 見たところは明らかに 1 人 1 部屋のアパートなんですけれども、 それを施設ということで、 いわば、 脱法行為、 借地借家法を脱法する形でビジネスを展開していたわけです。
 今被害者の人たちが中心になってスマイルサービスを訴えて、 損害賠償請求を行っています。 そうした形で、 仕事の問題でいえば、 1999年に派遣が解禁されてから、 派遣業者がどんどん入り込んできたんです。 その規制緩和によってワーキングプアが生み出されてきた。 住まいの問題でいえば、 悪質な業者がどんどん入り込んできた。 それによってハウジングプアが生まれ、 アパートは借りるんだけれど、 スマイルサービスによってカギを取り替えられて路上生活にならざるを得ないという人たちが出てきたという状況があるかと思います。
 仕事も住まいも市場原理が進んじゃったわけです。 かつてなら、 「ちょっと家賃滞納しちゃった、 大家さん何とかしてよ」 というようなところで済んでいた。 ある程度まだ人間味があった、 そういうものが完全になくなって、 そこにおいても市場原理というものが貫徹されていく。 まったく話し合う余地がなくなってくる。 そうすると、 簡単に住まいも喪失してしまう。 今、 自動車産業で派遣切りに遭っている人たちもそうですね。 元々住み込みで働いていた人たちです。 会社の寮に住んでいたわけですが、 これ自体がすでにハウジングプアの状況だと思います。
 国には雇用促進住宅が14万戸あると言われています。 炭坑が閉山したとき、 炭坑離職者のために造った住宅がたくさんあって、 実は今空いているわけです。 それを使わせろという要求を出して、 一部、 厚生労働省も動き始めているみたいですが、 公的な住宅、 生活に困ったとしても、 賃金が低かったとしても、 公的な住宅がたくさん供給されていて最低限住まいは失わないということがあれば、 そこで生活を維持し、 切りつめていきながら、 もう 1 度次の仕事を探すということができるんです。
 ところが、 日本の場合、 住宅政策というものが、 ずっと民間市場任せにされてきた。 市場任せにされてきただけじゃなくて、 先ほどのスマイルサービスのように、 どんどん市場化が進んでいった。 そのために、 今仕事を失った人たちが住まいも失うという状況があるかと思います。 その結果生活自体が難民としての生活を強いられていくという状況になりつつあるんじゃないかと思います。
 これは経済的な貧困という側面ですが、 実は貧困問題にはもう 1 つの側面があると思っています。 レジュメ 3 ページの上のほうに、 経済的な貧困と人間関係の貧困というのを書きました。 経済的な貧困というのは判りやすいかと思います。 仕事がない、 住む家がない、 食べるものがない、 貯金がない、 といった物質的に何かが欠落している状況が経済的な貧困ですが、 もう 1 つ、 貧困に陥っている人たち、 ホームレスの人たちやネットカフェの若者たちと付き合ってみて思うのは、 彼らには人間関係がない、 人間関係が非常に希薄であるということです。
 例えば、 アパートに入るときの保証人が見つからない。 もやいというのは元々アパートの保証人になるということを目的に設立したんですが、 保証人がいない、 とか、 困ったときに助けてくれる相手がいない、 愚痴を聞いてくれる相手がいない、 そういう本当に孤立した状況があるかと思います。 これは研究所ニュース 『ねざす』 61号にも書かせていただきましたけれど、 秋葉原の事件はまさに経済的な貧困と人間関係の貧困が相俟ったような流れの中で起こったように思います。
 経済的な貧困と人間関係の貧困というのは元々私たちがホームレスの人たち、 ほとんどが50代、 60代の男性ですが、 その人たちと付き合う中で考えついた概念です。 元々はそうした路上生活の人たちが労働市場からはじき飛ばされてしまう、 はじき飛ばされて失業してお金がない、 そのために人間関係も作ることができない、 というところから考えついたのですが、 秋葉原の事件で明白になったことは、 この 2 重の貧困というのが労働市場の中にまで入り込んでまっているということです。 ここにも書きましたが、 秋葉原事件の容疑者は元々派遣社員、 今まさに問題となっている自動車工場で派遣社員として働いていたわけです。 経済的にも決して裕福ではなく、 貧困の状況にあったわけですが、 彼がこうした事件を引き起こしたきっかけになるのが、 ある日、 職場に行ってみたら、 自分のつなぎがなかった、 作業着がなかったということです。
 普通、 つなぎがないのであれば、 「ボクのつなぎ知らない?」 とか、 聞けばいいわけです。 よく学校などでもありますね。 学校へ行ってみたら自分の体操着がなくなっていて、 「どうしたの」 というような話があるかと思います。 周りの人に聞けばいいんですが、 彼は聞けなかった。 聞けないというところにこの問題の本質があると思います。
 1 つは、 もちろん彼の生育暦であるとか、 心理状態、 精神状態というものがあると思いますが、 もう 1 つは彼が派遣社員であるということです。 静岡県のこの工場はトヨタの系列の工場ですが、 いくつかの派遣会社から社員が派遣されてきているんです。 しかも皆短期の派遣なんです。 そうするとお互いの横のつながりはないんです。 職場における横の人間関係が成立しない。 これはもやいに相談に来る若者に聞いてもそうです。 特に日雇い派遣で働いている人たちは極端な例ですが、 日雇い派遣で働くということは毎日別々の違う職場に回されるわけです。 するとそれを受け入れる会社があります。 会社には正社員もいるわけですが、 正社員のほうから言うと、 今日ここで一緒に働く相手というのは明日も来るかどうか判らないわけです。 明日は別の会社に行ってしまうかもしれない人間なわけです。 そうするともう名前すら覚えないですね。 極端な場合、 名前で呼びません。 「派遣さん」 と呼びます。 「派遣さん、 あれ取って」 「派遣さん、 あれやって」 という具合に 1 日が過ぎていくことになります。
 呼ばれるほうは、 また別の職場に行くわけです。 そうすると、 どこに行っても 「派遣さん」 と呼ばれる。 自分の名前で呼ばれることがないんです。 毎日働いているにもかかわらず、 自分の名前を認識してもらえないという、 そういう状況に追い込まれてしまう。 まさに労働市場の中に、 経済的な貧困と同時に人間関係の貧困が入り込んでいるという、 象徴的な出来事だと思います。 その結果、 この秋葉原事件では容疑者はそうした暴発行為をしてしまったのではないか、 と思っております。
 これは特殊な事例だと言い切れない部分があるかと思います。 レジュメ 3 ページに図 5 を書きました。 OECD諸国の中で日本人がいかに社会的に孤立しているかということを示した図です。 図 5 を見てください。 「友人、 同僚、 その他宗教・スポーツ・文化グループの人とまったく、 あるいは滅多に付き合わないと答えた人の割合」 で日本人は15.3%という非常に高い比率になっています。
 皆さんも職場以外の人間関係はあまり、 ありませんよね。 どうしても職場に人間関係が限定されてしまう。 職場に派遣の人などがたくさんいて、 職場の中の人間関係が希薄になってくると、 もはや家族ぐらいしか人間関係がないという状況に置かれてしまっている。 そういう人間関係の貧困というのは生活困窮者に限らず、 今日本の社会の中に蔓延しているのではないかと思っております。
 そうした状況の中で私はよく 「底の抜けた部屋」 という言い方をするんですが、 生存権が保障されない社会。 例えば、 この部屋のどこかに穴が空いているとします。 先ほどの生活保護の補足率の話ではないですが、 穴の中に落ちちゃう人がたくさんいるわけです。 路上生活の人であったり、 ネットカフェの若者であったり、 そういう人たちがどんどん落ちていく。 被害者といえばその落ちていく人が一番の被害者であるわけですが、 その他の人たち、 まだ穴に落ちないでいる人たちは無事でいられるのかというと、 そんなことはないと思います。
 私自身は1994年から路上生活者の人たちに関わってきて、 路上から社会を見てきたわけなんですけれど、 この14、 15年間で日本の社会は大きく変質してしまったのではないかと思います。 これは、 最底辺にいるホームレスの人たちの問題を放置してきた、 穴を空けっぱなしにしてきたことと無縁ではないと考えます。 穴が空いていると当然そこから落ちる人が一番困るわけですが、 同時にそこから空気が抜けていく状況が生まれます。 空気とは何かと申しますと、 どんな貧しい人、 住所のない人、 ホームレスの人、 どんな人であっても同じ社会の一員である、 同じ社会の構成員である、 支え合うべき人間であるという認識が今の日本の社会では非常に希薄になってきている。 その中で空気が抜けていきますから文字通り息苦しいわけです。 息苦しい中でなんとか自分だけ助かろうという動きがどんどん出てきているんじゃないかと思います。 それが今、 若者たちの間に非常に顕著に表れてきていると思います。
 例えば、 勝ち組・負け組というような言い方があります。 昔はこんな言い方はありませんでした。 1990年代の初めまではなかったと思います。 ここ10年ぐらいの言い方だと思いますが、 こうした言葉が変わってきたなというのは私の世代ならば判るのですが、 私より下の世代はそれが当たり前になっています。 生まれたときからそうなんです。 学校に呼ばれて、 今の高校生と話をすることもありますが、 物心のついたときからホームレスの人たちがいる、 路上生活者がいる、 河川敷を歩くとブルーテントがたくさん並んでいる光景は当たり前のもの、 不況の影響でそうなったんだというのではなく、 当たり前のものとして見慣れてきた世代だと思います。
 となってくると、 結局、 今の世の中というのは、 勝ち組と負け組に分かれていて、 勝ち組になるしかないんだという価値観が若い人たちの中に広まってくるのだと思います。 それが象徴的だったのはレジュメ 3 ページの真ん中に載せましたが、 1 つは去年北九州市で起きた餓死事件です。 非常に悲惨な事件です。 先ほど触れた生活保護の水際作戦と生活保護を認定した後も予算の都合で生活保護者をどんどん切っていくということで、 生活保護を受けていて、 病気で働けない人が生活保護を切られて餓死するという事件でした。
 餓死した方の日記が後日見つかって大きな問題になったわけですが、 その中に 「おにぎりが食べたい」 と言って、 道ばたの草をちぎって食べていたという話もありますし、 「折角頑張ろうと思った矢先、 生活保護を切りやがった。 生活困窮者ははよ死ねということか」 とこの人は書いています。 これは生活に困窮して本当に餓死寸前となった人が世の中の目線を感じて書いたものです。 社会全体に対してそのように訴えているのだと思います。
 それとちょうど裏表の関係にあるのが、 ホームレスの人たちに対する襲撃事件です。 襲撃事件は1994年、 95年頃から各地で多発するようになりました。 この横浜でも起こっていますし、 東京でも何人もの人が若者の襲撃によって殺されています。 去年、 東京の赤羽というところで、 公園のベンチに寝ている人に火をつけるというひどい事件があり、 幸い一命は取り留めたんですが、 そのとき高校生が何人か捕まっています。 その高校生が 「乞食は最低で、 世の中の役に立っていないから、 犬猫と同じ。 汚くて街に迷惑をかけており、 死ぬのを待っているだけ。 死んでも仕方がない」 と言っているわけです。
 この若者がどうというだけではなくて、 社会全体の風潮、 空気がそうなっている。 勝ち組と負け組に分かれていて、 負け組は死んでも仕方がないという価値観がこの空気に合っている。 この空気を若者たちが日々吸ってこの価値観を育てているという状況があるんじゃないかと思います。
 何故そういう社会になってしまったのか、 というのがその次なんですが、 日本の社会はずっと 2 つの常識、 2 つの神話があったと思います。 戦後の日本社会はずっと右肩上がりの高度経済成長の道を進んできました。 そうした中で 「やる気さえあれば、 自分の働く場所ぐらいあるでしょ」 「一生懸命働けば生活は何とかなるでしょ」 という 2 つの神話というか、 2 つの常識が育まれてきたと思います。
 ところが、 1990年代の半ば、 バブル経済が崩壊した後、 日本の社会は大きく変質しました。 それを纏めたのがレジュメ 4 ページの図 6 です。 「伝統的な社会観」 と 「社会の現状」 というように纏めてあります。 左側は単なる社会観ですから、 実際の社会がかつてこのようにうまく行っていたかどうかはまた別問題ですが、 人々の頭の中にあるイメージはこういう図だと思います。
 分かりやすく言えば、 上に労働市場、 下に公的セーフティネットと書かれています。 つまり、 労働と福祉が完全に分離した社会です。 福祉というと、 今でもそうかと思いますが、 どうしても高齢者の福祉とか、 障害者の福祉とか、 お役所に行くと分類名が高齢者福祉、 障害者福祉、 児童福祉というように分かれています。 公的なセーフティネットは社会的に弱い立場にある人たちだけのものという認識がずっとあったかと思います。
 今路上生活をしている人たちは平均年齢が55歳で、 40代、 50代、 60代の前半です。 そしてネットカフェにいる若者たちの一番多いのが20代、 次に多いのが50代、 つまり若年層と中高年、 しかも男性が多いわけです。 そうした人たちは労働市場で自分で頑張りなさい、 自分で仕事を探して、 自分で稼いで、 自分で食い扶持を確保しなさいというのが社会の常識で、 多くの人たちがそういう認識を持ってきたように思います。
 それでは、 この時代、 労働市場だけですべて上手く廻っていたのかというと、 決してそうではないと思うんです。 ここに企業の福祉と地縁・血縁共同体というのを書きました。 企業の福祉といえば代表的なものは社宅でしょう。 かつては多くの会社が社宅を用意して、 大卒や高卒の社員が入ってくると、 何年間かはそこにいて、 月何千円とか 1 万円とかの家賃で暮らせる。 そこにいる間にお金を貯めてマイホームに入っていくということが多くなされていました。 今は多くの会社がバブル崩壊後のコストカットでそうした社宅を手放していますが、 そうした企業による福利厚生制度がさまざまになされてきた経緯があります。
 もう 1 つの地縁・血縁というのは、 分かりやすく言えばコネですね。 コネで入社するというのはかつてはよく行われていました。 働いていない若者がいたり、 卒業した若者がいると、 自分のところの工場に空きがあるから来ないか、 なんておじさんが声をかけて、 地縁や血縁のコネで働くということがかつてはあったかと思います。 最近ではどこかの教育委員会がコネで大問題になりましたけれど、 今はそうしたコネというのは少なくなってきました。 特に都会においては少なくなりました。 よきにつけ悪しきにつけ、 かつてはそうしたルートで就職するというケースがあったんですが、 今や就職するとなるとハローワークに登録するとか、 インターネットの求人サイトで仕事を探すということしかできなくなっています。
 社会の現状がどうなっているか、 というのが右側です。 労働市場が大きく変わりました。 先ほど申し上げたように、 バブル経済の崩壊後、 一番流行った言葉はリストラです。 リストラという言葉が大流行しました。 企業がいかにコストカットできるか。 一番コストカットのできた経営者が一番いい経営者だと言われたんです。 日産のゴーン社長から大阪府の橋下知事に至るまで、 ずっとそういう流れがあります。 いかにコストカットできたか、 ということが競争になる社会になりました。
 そういう中で、 正社員がコストカットのためにどんどん非正規に置き換えられていきます。 コストカットのために人件費が狙われて、 正規を非正規に置き換えていく。 政府がそれを政策的に後支えして推し進めていったわけです。 その結果どうなったか、 と言いますと、 50代、 60代の路上生活者の人たちが労働市場そのものからはじき飛ばされるという現象が起きました。
 それだけではなくて、 労働市場の中にいても、 今ネットカフェで生活している若者たちの平均月収は大体12万円程度だと言われています。 いわゆるワーキングプア状態です。 フルタイムで働いていても、 生活保護水準より低い人たちが生み出されてしまった。 一方で企業の福祉は縮小し、 地縁・血縁的なつながりも特に都会においては縮小してしまいました。 そうすると、 どこの網の目にもかからずに貧困層と言われる人たちが生み出されてくるわけです。
 こういうときこそ、 公的なセーフティネットがちゃんと機能すべきだと私は思うんですが、 残念ながら世の中はそうなっていない。 むしろ逆の方向に進んでいると言っていい。 骨太の方針で社会保障費を 5 年間で 1 兆 1 千億円削っていく。 障害者は障害者自立支援法で働きなさいと言われ、 高齢者は後期高齢者医療制度で、 生活保護もいろいろな形でカットされていくという世の中になっていると思います。
 一番深刻なのは、 社会自体が左側の図から右側の図に変わっていることです。 そして、 そう変わっているにもかかわらず、 社会の大勢の意識はまだ左側の社会の意識なんです。 社会構造の変化に意識がついていかない。 そうすると、 これは生活困窮者本人に与える影響が非常に大きいんです。 この人たちと接していると、 自分を責めている人がたくさんいます。 自分自身を肯定できないんです。 生活困窮者が自分自身を肯定しにくい社会になっていることを強く感じます。
 経済的にうまく行かない、 仕事が見つからない、 働いても給料が低い、 これは自分のせいだ。 自己責任論が非常に強い社会ですから、 それを生活困窮者自身が内面化しちゃっている。 それによってさらに鬱になってますます働けなくなっちゃっている人もたくさんいます。 ですから、 この問題を個人の問題に矮小化するのではなくて、 社会構造自体が大きく変わってしまっているということを認識することが一番大きなことだと思っています。
 最後に教育に求められることだけ話させてください。 教育現場で 「フリーターにならないための教育」 ということがよく言われます。 でも、 実際、 5 人に 2 人がフリーターにならざるを得ない社会になっているわけです。 今までの教育は、 基本的に勤労者、 一生懸命働く正しい勤労者になりなさいという教育だったと思います。 一部には学校の中で株の真似事をやって 「株主になりなさい」 とか 「自分で事業を起こしなさい」 という教育がなされています。 基本的に先ほどの労働と福祉が分離した社会、 このイメージを踏まえて上の労働市場で頑張って行きなさい、 というのがこれまでの教育だったと思います。
 しかし、 まずこれから重要なのは、 生き抜くために、 ノウハウを教えていくことだと思います。 1 つは、 労働者の権利です。 今、 派遣社員がどんどん切られています。 しかし、 いすゞ自動車では、 首を切られた派遣労働者が組合を結成してこれから裁判闘争をやっていこうとしています。 こういう動きを含めて、 労働者としての権利をきちんと教えていく。
 そして、 もう 1 つは、 消費者としての権利です。 レジュメ 5 ページで 『お金で死なないための本』 というのを紹介していますが、 これはクレジット問題、 サラ金問題をずっとやってこられた宇都宮健児という弁護士さんを中心に私たちが協力して作った本です。 多重債務を抱えて自殺を選ぶ人がたくさんいます。 借金というのは自分の生活や命までも犠牲にして返すべきものなのか、 それより自分の生活や命のほうが大切なんじゃないのか、 ということを、 ずっとクレサラ問題をやって来た弁護士さんたちが訴えて、 具体的な解決方法を若いうちから教えていくことが必要なんじゃないか、 と説いています。
 そうした消費者としての権利。 先ほどのスマイルサービスの件でも、 アパートを借りるときは居住権というものがあるんだ、 そういう不当なことがあった場合には訴えることができるんだ、 ということを含めた消費者としての権利を教えていく。
 今までの教育は、 下の公的なセーフティネットに頼ることは悪いことだ、 そうならないために働いて頑張りなさい、 というような教育だったと思うんですが、 でも実際には、 それでは生活できない人たちが出てきているわけです。
 ですから、 社会保障制度の利用者になることもあるんだ、 それは恥ずかしいことではないし、 生活保護制度を含めて社会保障の制度を有効に活用して生き抜くノウハウを教えていく必要があるんじゃないかと思います。
 そうした 「生き抜く」 ということを重視するのであれば、 一番大切なのは自分の命、 自分自身を尊重していくことだと思います。 それを私は 「つながり」 という言葉で言っているんですが、 レジュメ 4 ページに木の図 7 を書きました。 元々ホームレスの人たちの自立を考えていく上で、 ホームレスの人たちは困ったときに 「困った」 と言えない人が多いんです。 特に男性がそうなんですが、 自分が困っているということが言えない、 自分で抱え込んじゃう。 それで、 もうダメだと思って夜逃げしちゃう、 それでまたホームレスになっちゃうという人が結構います。
 私たちは、 困ったときはSOSを出してください、 恥ずかしいことじゃないんだ、 自分を守るために困っているときは困っていると言ってください、 と言っています。 そういう形で、 頼れる場所、 困ったとき助けを求められる場所ははたくさんあったほうがいい。 1 つだけだとそれがダメになったときに困るので、 もやいという団体に相談してください。 もやいに相談したんだけれどうまく行かなかったときに、 他の友だちに愚痴を言うとか、 また別の団体に言うとか、 いろんなところに根っこが繋がっているほうがうまく行くと言うことを話しています。
 これは決してホームレスの人たちだけの問題ではなくて、 今を生きる若者たちもそうだし、 私たち自身もそうだと思います。 私はよく福祉系や医療系のところへ行って、 援助職の方と話をさせていただくのですが、 教育職の方もそうだと思います。 福祉、 医療、 教育に携わっている方、 人を援助する仕事をする方というのは、 なかなか自分自身と繋がるのが難しい状況にあるかと思います。 つまり、 求められることが多いんです。 かくあるべきというような教育者像とか、 福祉像というものがあって、 なかなか愚痴が言えない。 それで溜め込んじゃって、 頑張り過ぎちゃって、 バーンアウトしちゃうというところがあるんじゃないかと思います。
 そういう意味で、 愚痴を言い合えるような人間関係をたくさん作っていく。 そのためには、 世の中の価値観だけじゃなくて、 経済至上主義的な価値観、 稼いでいる人が偉い、 というような、 学校の成績のよいほうが偉いとか、 そういう価値観とは別のコミュニティをたくさん持つことが重要じゃないかと思っています。
 もやいではサロン活動というのをやっていまして、 毎週土曜日、 元ホームレスのおじさんたちが集まってお喋りをしています。 そこに3年ほど前に初めてネットカフェで生活していた若者がふらっと遊びに来たことがあります。 彼は非常に感激したんです。 何に感激したかというと、 彼はずっと倉庫の作業を派遣社員としてしていたんですが、 職場では自分がネットカフェに寝泊まりしているなんて言えない、 そんなことを言ったら下に見られちゃう、 馬鹿にされちゃう、 いじめに遭っちゃう状況だと言っていました。 だけど、 そのもやいのサロンに来ると、 「お前はどこで野宿していたんだ」 というような話が席でなされているんです。 そこで彼は初めて、 自分が実はネットカフェで生活しているんだ、 苦しい思いをしているんだ、 ということが言えたんです。
 そこで初めて自分と繋がれたと言っていました。 稼がなくてもいいんだ、 強くなくても人間として尊重されるべきだ、 というところにつながりを持つことができたということです。 そういった場所というのをいろんなところに作りたいですね。 教育でも福祉でもそうです。 地域でそうした自分に向き合える場所を作っていく。 そのために教育の果たすべき役割があるんじゃないかと思っています。 ちょっと長くなりましたが、 私からは以上です。

◆ 問題提起:鳥山 洋
 定時制の教員ということで、 今日ここに呼ばれました。 今勤務している職場は定時制の中でも大規模の学校です。 本来なら 1 学年 2 クラス規模のはずなんですが、 ここ10年ぐらい神奈川では定時制への入学者が集中するという全国でも異例の状況が生じていて、 うちの定時制も 1 学年 4 クラス編成になっています。 今の学校の前も定時制に12年勤めていましたので、 今の定時制の変化について肌で感じていると言っていいと思います。
 今の稲葉さんのお話に関わるような定時制の現場からの話をさせていただくんですが、 今お話を伺っていて、 私が用意した内容に抜け落ちていたことが 1 つあると気づかされました。 最初にそれを話させていただきますが、 それは何かと言うと、 定時制が非正規雇用労働者に支えられているということです。 つまり、 非常勤や臨任の先生方によって成り立っているというのが現状です。 生徒の話をしようと思ってやって来たんですが、 実は職員室だってそうじゃないかということに気づきました。
 現在常勤の職員は23名ですが、 そのうち 4 割強が臨任職員になっています。 非常勤の職員にもたくさん働いてもらっています。 (技能員と英語PFTを含め、 20名) 教員なので、 明日来るか判らない、 ということはないんですが、 しかし、 来年いるかどうかは判らない。 そういう先生方が非常に多い現状です。
 国語の教科については専任が 4 人いるんですが、 正規の専任は 1 名だけで、 後は臨時的任用と退職した方の再雇用ということでやっています。 しかし、 今年は大学を出てすぐ来た臨任の方が学校のことをよくやっていただいて、 生徒指導の問題なども起きるのですが、 若いフレッシュな臨任の方に支えられていて、 それで学校が漸く成り立っている現状です。
 来年その先生方が一緒に仕事ができるか判らない状況なので、 私たちは非常に不安です。 あの先生がいなくなったら学校はどうなっちゃうのかなということを感じています。
 県と交渉をするときは専任を配置してくれと言うのですが、 県は、 異動希望がないじゃないかと必ず言うわけです。 定時制に移動したいという教員の希望がないのだから、 仕方がない、 と言われるのですが、 では、 何故定時制への異動希望がないのかと言うと、 定時制の労働環境が非常に劣悪だということがあるからです。 それを行政が放置しておいて、 異動希望がないと言い張るのは納得がいかないのですが、 その話はここまでにして、 生徒の話をさせてください。
 今日配布された 『ねざす』 (40、 41号) にも詳しい紹介があるかと思うんですが、 授業料の免除を受けている生徒の数に学校によって格差がはっきり見られるという調査結果が出ています。 いわゆる進学校などでは授業料免除を申請する生徒は少ないんですが、 課題集中校や定時制になると、 そういう生徒の割合が増えていて、 まさにそのとおりだと思っています。
 私が勤めている学校は生徒の在籍が330名ぐらいですが、 授業料免除を申請している生徒は50名から60名の間ぐらいです。 そのうち生活保護を受けている生徒が大体40名ぐらいになるかと思います。 かなり割合は高いと思います。
 実際は授業料免除にしても生活保護にしても、 申請できるはずだ、 申請すべき状況にあると思われるのに申請していない、 できない生徒も数多くいます。 ですので数字に出してしまうと無味乾燥なただの数字になってしまうんですが、 内容はいろんな問題があるなと思います。
 先ほども申しましたが、 今、 神奈川の定時制はいろいろな問題が集中してきているのを感じます。 貧困の問題ももちろん大きいのですが、 貧困と一括りにできないような、 問題や困難があり、 それらに共通する大きな部分として貧困の問題がある、 という感じです。
 ホームレスになってしまう若者の話がありましたけれど、 今、 現実にホームレス状態になりかかっている生徒がいます。 親の養育を受けられなくて、 施設に入っていたのですが、 18歳になりましたので、 そこを出なくてはならないことになりました。 住み込みの仕事を見つけたのですが、 時間的にもきついので学校と両立できなくなり、 友だちの家を泊まり歩いたり、 時には、 公園で寝泊まりする生活に入ってしまいました。 担任が支援して、 今、 ようやく就職の内定を取ったところですが、 また、 このごろ学校に顔を見せなくなっていて、 やっていけるのか心配しています。
 親が自分の貯金を持っていなくなってしまったという生徒もいます。 アルバイトで繋いでいるんですが、 家賃なども滞納勝ちになって、 瀬戸際に追い込まれている状態です。 また、 外国籍の生徒ですが、 お父さんは日本の方ですが、 いろいろな事情で離婚するしないという話になって、 お父さんから今住んでいる家を出て行きなさいと言われている生徒がいます。 離婚の問題に、 彼女の小さな弟の養育権とも絡むんで、 なかなか簡単にはいかないということですが、 今、 住むところを探していて、 保証人を探しているものですから、 今日はいい出会いをさせてもらったと感謝しております。 後で相談に乗ってください。 今はこの生徒の収入が実質的に家計を支えている状態ですが、 昨年暮れから今年の春までいろいろなゴタゴタが重なってしまって、 欠席が多くなりましたので、 すでに半分ぐらい単位を落としている状況です。 もうあと数日休むと進級できない。 うちの学校は結構厳しいルールがあって、 2 年生の終わりに25単位取っていないと学校に残れないんですが、 その25単位がギリギリなんです。 今、 働きながら何とか学校に来ている状態ですが、 彼女が学校から切れてしまったら、 これからの生活などはどうなるのか心配をしています。
 この間、 ある生徒から、 「お金がなくなって明日学校へ行けない」 という電話が夜の10時頃掛かってきました。 担任が電話でいろいろと話をしていましたが、 そんな時間だと、 それからお金を貸してあげるというわけにいかないので、 難しいんですけれども、 そういう生徒もいて、 本当に貧困の問題に直面している生徒はいっぱいいます。 単に貧困という言葉だけで括れない大変な生活課題を抱えているなと思います。
 今、 格差社会ということが言われていますが、 格差は仕方がないじゃないかという考え方が一方にあると思います。 競争に積極的な意義を見出すという価値観の中で、 頑張れば上へ行ける、 頑張らなかった者は社会の底辺に行ってもそれは自分の責任じゃないかというようなそういう考え方があると思います。 しかし、 それは本当にそうなのか。 定時制に来ている生徒を見ていると、 頑張らなかったから、 努力しなかったから定時制にしか来れなかった、 そうじゃないでしょ、 と思います。 受検勉強以前に生活に追われている生徒がやむなく定時制に来ているというケースがいっぱいあるんじゃないかと思います。
 話はちょっと飛びますが、 先日、 県立神田高校の入試の問題が大きく取り上げられました。 入試で、 茶髪であるとか、 ピアスであるとか、 容姿を、 受験生には公表せずに、 合否の資料にしていたことが問題になりました。 そしてあの校長先生を学校に戻してくださいという署名運動がおきたこともその後報道されたと思います。
 茶髪の子どもを学校に入れない、 この子どもは入学しても続かないだろうと容姿で判断して学校から排除する、 そのことによって学校がよくなる、 あの校長先生は学校をよくしてきたんだという評価があるようですけれども、 しかし、 それで学校は本当によくなったのか、 それでよくなった学校というのは何がよくなったのか、 ということを是非よく考えていただきたいと思います。
 そういうことをやった校長先生が評価される社会というのは非常に怖い社会なんじゃないかと思います。 お話の中に、 分断される社会という言葉があったと思いますが、 まさに学校がそういう形で分断されているなということを感じます。 入試で排除された茶髪君はどうするんでしょうか。 「茶髪っていけないんだよな、 明日から黒くしよう」 とは絶対思わないのではないか。 このような茶髪君は定時制に来るんだろうと思います。
 定時制には茶髪君だけじゃなくて、 いろんな子どもが来ます。 いろんなことで躓いた生徒が多く、 中学校で長期欠席だったという生徒もかなりいます。 中には上手く自分を取り戻してやっていける生徒もいますし、 またそこから躓いてドロップアウトしてしまう生徒もいます。 定時制の 1 つの役割というのは、 ひところ、 受け皿という言葉が職員室の中で使われていまして、 「定時制は全日制の受け皿でいいのか」 というような議論があったりしました。 「受け皿じゃダメでしょう」 「もっと勉強する生徒に来てほしいよね」 というような意見が率直な本音としてあったんですけれども、 私は逆にあえて受け皿でいいんじゃないのか、 と思うんです。
 受け皿という言葉がよくなければ、 セーフティネットという言葉でもいいのかなと思います。 いろんな生徒が再チャレンジというんでしょうか、 自尊感情とか自分を肯定する気持ちとか、 人とのつながりとかを取り戻して、 もう 1 度頑張れる気持ちも持てるようになるところであってほしいなと思います。
 しかし、 もう 1 つの定時制の課題は、 生徒が過密になってきてわれわれのほうにゆとりがないということです。 かつての定時制にはいろいろな生徒が来て、 少人数で和気藹々とできるというところがありました。 確かにヤンキーみたいな生徒もいるし、 いじめられっ子もいるんですが、 一方で年配のおじちゃんやおばちゃんもいて、 さまざまな生徒が何とか自分なりの居場所を作ってやっていける場でした。 私たちもそういういろんな生徒の声を聞きながら日々仕事ができる状態だったわけです。
 ところが今、 そういうゆとりがなくなって、 大規模化したために、 生徒の問題も多発しますし、 近所から苦情も来て、 そういう問題への対応に追われるということがあります。 ですから、 1 人 1 人の生徒をじっくり見て、 その生徒に向き合うという仕事がなかなかできない現状があります。
 一方で私の学校の全日制は、 学力の何とか重点校で、 1 人でも多くの生徒を大学に入れたいということで、 先生方が一生懸命やられているわけで、 いろんなところで、 社会や学校が分断されているのを感じます。 そうした中で、 定時制には、 自分の責任ではない困難な課題を背負って生徒は学校に来ている現状があると思うんです。 私としては、 ともかく、 1 人でも多くの生徒とじっくり関わって、 生徒が学校からドロップアウトすることなく、 最低限高校を卒業することを保障したいと思っております。 しかし、 それがなかなか困難で、 何と言うか、 ぼろぼろと落ちていく感じで、 いつの間にか学校に来なくなって辞めていく生徒が毎年何人もいるんです。 そういう生徒を前にすると本当に口惜しいというか、 そういう思いに駆られます。
 ちょっとまとまりのない話になりましたが、 今、 定時制の置かれている現状、 定時制に様々な課題があるということを多くの方に知っていただいて、 状況を変えていける声を作っていただけたらと思っております。 以上です。

◆ 補足:井関 茂明
 ワークシェアリングの観点から言えば私はもうここにいるような身分ではないのですが、 再任用で茅ヶ崎高校定時制におります。 現役のもっと若い人が話せばいいのかもしれませんが、 補足的な話をすることにします。 私が教員になったのが1975年、 高度経済成長期の最後の時期だったかと思います。 当時は地方から来ている生徒がかなりいて、 4 年生などは寮に帰っても話す相手がいないので学校でストーブを囲んで話をするという雰囲気が残っていました。 次の年に 1 年をもったのですが、 ほとんど地域のお子さんで、 その親御さんは戦後十分な教育を受けられなかった方が多かったように思います。 当時の定時制教研で出た話だったと思うが、 定時制は野戦病院じゃないか、 傷ついた生徒を励まして世間の荒波に、 競争社会に送り込んでいく場所になっていると、 先輩教師から教わったように思います。 昔も今ほどではないが、 貧困や格差は存在していました。
 今、 茅ヶ崎に来て 8 年目ですが、 ずいぶん変わりました。 もやいの方が言われたように、 経済的な問題もあるが、 人間関係、 特に共同社会が壊れている。 学校も壊されつつある。 わたしが教員になった時は、 生徒が先生でした。 わたしはいわば純粋培養で教員になったようなものでしたから、 社会経験のある生徒からいろいろなことを教わったものです。 当時わたしは 1 人の生徒に 1 を付けましたが、 友人たちが抗議に来て、 その生徒がどのように生活しているか知っているのかと言われました。 今の生徒の多くは、 友だちが来なくなっても他人事のように話しています。

◆ 独自調査中間報告:本間 正吾
 3 冊の 「ねざす」 がお手元にあるかと思います。 40、 41号には昨年度の授業料免除についての報告などが入っております。 今回のものが42号ということで、 私費の調査を行っておりますが、 まだ中途段階ですので、 これからさらに続けて調査を進めていく予定です。
現実の問題については、 稲葉さんや定時制の教員のお話しがありましたので、 それ以上私が申し上げることはないと思います。
 ただ、 実態は定時制というだけでなくて、 高校全体が貧困の足音が聞こえるどころではない、 貧困そのものに飲み込まれつつある感じを受けています。 実際、 日本政策金融公庫というところが10月15日に出した資料で 「家庭に重くのしかかる教育費負担、 世帯年収の 3 分の 1 強が教育費で消える」 というものもあります。 これは政策金融公庫から借りている家庭の調査ですので、 偏りがあるかもしれませんが、 家庭の教育費負担は相当重くなっていると考えて良いと思います。 こうした問題意識から、 学校徴収金 (私費) 調査に現在入っているところです。
 内容についてかいつまんで申し上げますが、 「ねざす」 42号の 5 ページに 「家計所得推移」 というグラフがあります。 1994年から2005年までのものですが、 厚生労働省の資料を基に作成したものです。 これを見ると、 1998年からの落ち込みが極めて大きいことが判ります。 これから家計所得の衰弱が進んでいると考えていいのではないかと思います。
 授業料負担や学校徴収金の額が変わらなくても負担は重くなっているわけですのに、 額が大きくなっていますから、 負担はさらに重くなっているだろうと思われます。 家計の状況ということでは、 「ねざす」 42号の 9 ページにもグラフを上げておきました。 左側に大きく偏ったグラフで、 低所得の家庭が多いことは一目瞭然です。 右側の 2,000万円以上は1.2%です。
 このグラフを生徒に見せて説明できないなと思っています。 「君らどこに入るの?」 と聞くと、 生徒は希望を失ってしまうのではないかと思いますが、 こういう状況です。 また、 実際自分たちの目の前にいる生徒たちがどういう所得の家庭から学校へ通ってきているのか、 このグラフを見ながら考えると、 教育費負担が限界に達している家庭が相当数存在することが想像できると思います。 しかし現実に学校は私費を頼りに学校づくりが進められています。 「ねざす」 42号の 8 ページをご覧いただきたいと思うのですが、 学校徴収金と聞いたとき、 そういうものが学校にあるということは承知していても、 その内容についてきちんと説明できる高校教員はどのくらいいるでしょうか。 中には判っている教員もいるかもしれませんが、 非常に複雑です。 簡単に説明のつくような代物ではありません。 まして、 保護者に至ってはまったく判りません。 その点の改善を、 私たち学校にいるものとしては、 まず考えていかなければならないのは当然だと思います。
 次に 「ねざす」 42号の 9 ページですが、 先ほど触れたように、 家計が衰弱していることを考えれば、 家計への負担はどんどん重くなっていると見なければなりません。 おそらく高校生を抱えた家庭にとって毎月の収入から余裕を残すことはできないのではないかと思います。 そういう前提で、 私費負担がどういうものになっていくのか、 われわれは考えていかなければならないと思います。
 今神奈川では進学重点校が指定されているわけですが、 では、 その重点校に県はふんだんな公費を投入していくのかと言えば、 現実に今そういうお金は出ておりません。 実際には私費を相当程度使いながらそういう施策を行っていくわけです。 中学校の先生方はご存知のことと思いますが、 今、 県立高校はパンフレットを作って盛んに宣伝しております。 そのパンフレットはどういうお金からできているのかを考えると、 もちろん県費からも出ておりますが、 到底それでは足りません。 このために私費が使われています。 すべての学校というわけでないのはもちろんですが。
 そういうふうに、 学校の特色づくり、 学校づくりに私費が使われているのが現実です。 教育費をこれ以上払えない限界に達している生徒を多く抱えた学校と潤沢に私費を使える学校との間に違いが出てきています。 このことからまた多くの問題が出てくると思われます。 現実には、 県立高校の民営化が一部で進行していると見ていいのではないかと思われます。 私費を頼りに学校づくりが行われているのですから。
 これ以上のところは討論の場で必要があればお話しすることにしますが、 『ねざす』 42号、 41号、 40号をご覧いただいてご意見をいただければと思います。

◆ フロアからの発言
 鳥山先生と同じ高校に勤務する事務職員。 学校は進学重点校に指定されている。 県立高校の民営化を実感している。 1 つにはエアコンの設置。 私費1,800万円を一挙に投じて全教室に配備した。 毎月生徒から負担金を徴収して 4 、 5 年で返済を予定。 反対意見もあるが、 大きな声で反対とは言えない。 県もエアコンの設置を認めている。 かくて進学重点校と教育困難校との間に教育条件整備に格差が生まれることとなった。
 2 つ目。 定時制の教研集会で出た問題だが、 定時制には貧困のために不本意入学を強いられる生徒が入学している。 貧困のため生活費をアルバイトで稼がなければならない。 もし、 全日制に入学していれば、 全日制の勤労学生ということになるのだろう。 全日制における勤労学生の実態はどうか。 小遣い稼ぎから生計費捻出まで、 さまざまではないか。

◆ フロアからの発言
 具体的な生徒についての報告。 定時制 4 年生の担任。 生活保護を受けている生徒が大学進学を希望した。 私学だからお金を貯めろと助言したが、 アルバイトで月10万円となるとその分だけ生活保護が減額されるという。 月 1 、 2 万円なら目こぼしもある。 奨学金の予約という手もありそうだが、 成績によって返済時に利息も取られる由。 生活保護世帯では大学進学の道が制度的に閉ざされている実態が深刻。

◆ フロアからの発言
 3 年生の担任。 私が勤務する高校はいわゆる進学校ではないが、 学年200名の生徒に対して指定校推薦入学枠が200以上来る学校だ。 推薦を受ける際、 国民金融公庫から進学ローンを借りる予定であった生徒が、 審査の結果融資が受けられずに、 入学辞退となった例がある。 父親の給料が大幅減で母親のパート代を家計費に回さざるを得ないことになって、 進学を諦めた例もある。
 学費支払いのために金融公庫から早急にローンを組みたいという生徒も急増している。
 奨学金の係の先生に聞くと、 その手続きがインターネット経由であるため、 また、 それが煩雑であるため、 本人や家庭で手に余る状態となっているという。 何故インターネット利用となったかといえば、 役所の担当者の人員削減のためである。 希望者が多数に上るために本校の奨学金の係も増員しなければ対応しきれない状況だ。

◆ 補足:井関 (茅ヶ崎定時制)
 貧困の実状はなかなか想像できないかも知れないのでお話しします。 生徒に緊急連絡が取りたくてもアルバイトなどで掴まえられない。 家庭にも保護者にも居所が把握できていない例がある。 生徒からいろいろ話を聞いても実態を補足することができないことが多い。
 怪我をした生徒の例だが、 養護教諭が病院へ行こうと促しても、 お金がないから行けないとか、 部活動をやりたいのだが、 試合会場までの旅費がなくて行けない、 1 回戦で負けてくれたほうがいいという生徒もいる。
 また、 生徒にジュースをねだられることがあるが、 よく聞いてみると、 お金がなくて食事が摂れないためだということが判ったこともある。 養護の先生が 2 食分の弁当を作って食べさせている例も聞く。
 学校までの交通費がない生徒に学校が保管している放置自転車を用立てたこともある。 定時制ばかりでなく新設のフレキシブル高校で、 お金がないために毎日 1 時間徒歩で通学する生徒の例を聞いたこともある。
 授業料にしても、 納入口座が開設できない。 出来ても引き落とせず、 未納となるケースがふえ、 事務担当者、 担任が督促の電話・手紙・家庭訪問まで行なわざるを得ない。
 入学時に差別的な扱いをしていたことが以前はあったが、 定時制では定員内不合格を出さないようにする運動が提唱されて、 改善した。 現在は、 全日制の定員枠が狭いため、 志願者が定員を超えて来るためやむを得ず不合格者が出ている。 中学校の調査書で記入がなく、 斜線や空欄である場合も多く、 それだけで全日制入試をあきらめるのが実態だ。
 貧困による格差 (差別) は在学中に限らず、 卒業時にも散見される。 県立職業技術校への年間納入金は11万円であるが、 交通費、 教材費などの負担もあり、 払えず進学を断念するケースもある。 さらに定時制の中でも格差は広がっている。
 先ほど話があったが、 定時制や通信制は最後のセーフティネットだと思う。 いままで余り光が当たらなかったが、 定時制に来たい生徒ばかりではないが、 生徒がたくさん来るようになって、 脚光を浴びるようになった。 入学前 (小中時代)、 高校在学中、 卒業後も貧困と格差の中でいろいろな問題をかかえた生徒は非常に多い。 又、 この生徒たちが親になる社会でも同じような家庭状況になるのではないかと心配だ。 定時制での問題が解決すれば、 全日制の問題の解決も早いのではないかと思う。
 困窮している生徒の実態を数字で出すことができない。 保護者の年収などについての情報は掴めないし、 最近は個人情報保護の視点からさらに個別の事情が把握しにくくなっているが、 保護者面談などから明らかに定時制に通っている生徒の家庭の多くは貧困と格差の中にある。 行政 (教育委員会) も定時制を最後に考え、 調整弁として切り捨てているのではないかと思う。

◆ 補足:鳥 山
 生活保護のことで補足。 親が生活保護世帯であることを子どもに隠すケースもある。 生活保護世帯ならば、 申請すると定時制の授業料は免除され、 教科書は無償になる。 子どもには内緒にしてくれ、 という親の意向があって、 必要な書類や手続きは直接親とやってほしいと言われたことがある。
 詳細は調べていないが、 母子家庭、 父子家庭の割合は 5 割くらいではないかと思う。 授業料については督促するだけでなく、 担任が取りに行かなければならない場合もある。
 先ほどエアコンの話が出た。 エアコンについては腹立たしいことがある。 本格設置は今年からのことで、 昨年は仮設置だった。 器具は私費で設置したが電気代は払えないということで発電機を校舎の外に並べて、 エアコンを動かした。 その発電機の一つが定時制の保健室前に置かれて、 排気ガスのために窓を開けることができなくなった。 エアコンの設置されていない定時制保健室の前で発電機が動き、 全日制の教室に冷たい冷気が供給されるという事態が生じた。 進学重点校と定時制の格差を象徴する話として今も語りぐさとなっている。

◆ フロアからの発言
 新自由主義の問題を避けて通れない。 格差を生み出す構造だが、 できるだけ縮小させようとする運動が対置されてきた。 私たちの生きている社会は市場経済、 資本主義社会ですから、 格差が生まれるのは当たり前です。 格差をなるべく少なくしようと、 いうのが闘いだった。 それが人為的に突き崩され、 営々と獲得してきた既得権が奪い取られたわけです。 それがサッチャー改革であり、 日本では目刺しの土光さんの臨調だったわけです。 医療、 教育、 社会保障といった分野で自己責任範囲が見直され、 新自由主義がまかり通るようになりました。 現実をどう整理し、 どう方向性を見いだしていくのか、 が課題だと思います。 神奈川でも再編で廃校になった中沢高校などが安価で企業に売却されている、 といったことは大きな問題だと思う。

◆ フロアからの発言
 定時制 5 年目勤務。 お金がなくて学校へ来れない生徒の担任。 母子家庭。 母はフィリッピン。 母親が病弱で働けない。 病気のため自己都合で退職したため雇用保険が受け取れない。 定時制の教育環境は悪化の一途。 これまで教科書代は校長が認めればほぼ無償となったし、 給食費も補助が出たが、 仕事を年間90日以上している証明がなければ、 補助が出ないように制度が改悪された。
 奨学金は 4.0以上であれば返済が免除されたが、 2 年前から、 年間 4.6以上の成績でなければ返還義務が消えないという制度となった。 定時制では該当者はいない。 定時制独自の保健室は普通は設置されていないし、 図書館については司書が週 8 時間しか勤務の体制がない。 生徒が200名に満たない時なら仕方がないが、 400名になっても週 2 回、 1 回 4 時間しか司書はいないのだ。
 予算減の県は定時制教員の定数基準をこれまでのクラス数基準から在籍生徒数基準に変更した。 定時制は時間とともに生徒数が減るからだ。 定時制の教育条件はますます厳しいものになっている。
定時制に対する理解を深め広めて、 教育環境の充実を求めたい。 是非ご協力を。

◆ フロアからの発言
 言い落としたことがある。 サッチャー改革の際、 労働界の再編もあったということだ。 神田高校の事件は許されないことだと思うが、 その背景にはエネルギー改革に伴う炭坑離職者の団地があり、 経済的に厳しい家庭の子どもたちがいるということだ。

◆ フロアからの発言
 今定時制 6 年目。 定時制は就職しながら高校卒の資格を得るためのところと認識しているが、 このところ仕事の環境が厳しくなって、 登校の難しくなった生徒が多くなっている。 出席率が落ちて退学せざるを得ない生徒が増えている。 定時制を本当に必要としている生徒が続けられなくなるのはまさに貧困の故である。 ここに大いに疑問を感じる。 裕福ならば昼間は何もしなくて学校に来れるのだが、 セーフティネットとしての定時制を考えると、 ここを何とかしてほしいと思う。
 全定の課程があると同じ規定にしなければという意識が働く。 これまで全日制は 2 足制、 定時制は 1 足制だったが、 来年は 2 足制にするという。 靴の業者を選定すると、 1 足2,000円の上履きになってしまう。 私費軽減を求められる時代に逆行するのは何とかしたいことだ。

◆ コーディネーター:補足
 中学生の 「県内公立高校進学希望者の高校別希望状況」 についての10月20日付資料が、 高校に配布されています。 これによると全日制普通科進学希望者は42,745人。 募集定員は31,042人。 その差は11,700人。
 一方定時制はすべてをひっくるめて2,900人の募集定員に対して進学希望者は910人。 翠嵐定時は募集人員が140人で、 全日制は277人。 全日制は定時制の倍弱だが、 希望者は504人。 定時制140人に対する希望者は28人。
 ここから何を読み取るかが問題だが、 とりあえず紹介だけしておきます。

◆ パネラーのまとめ
◆ 井関:
 余り良い表現ではないが、 定時制勤務で、 他では見ることのできないさまざまな人生を垣間見ることができて、 感謝している。 どのように手助けができたかは疑問だが、 何が教育か、 をずっと考えさせられてきた。
 今日の経済的な貧困、 人間関係の貧困について、 何が原因であるか、 これをどうやっていくか、 がとても難しい。 経済のことは国レベルの問題から生じているから、 個人がどのように対応するのか難しい問題だと思う。
 人間関係の貧困に関して、 学校で共同体を作っていくことができるか、 1 対 1 からどう広げていくのかを考えていかなければいけないのではないか。 現状は 1 人の生徒を相手に話を聞いたり、 怒りをぶつけ合ったりするぐらいが関の山で、 新しい人間関係を模索していくことが肝要なのだということを感じている。

◆ 鳥山:
 定時制勤務に変わる前に部落解放運動に関わるようになり、 いわゆる同和教育、 解放教育について勉強する機会を得た。 定時制で仕事をするようになって、 解放教育で勉強したことが力になったと感じている。 解放教育の中では、 被差別の生徒に寄り添うというのが基本で、 差別の現実から深く学ぶ、 ということがなければ、 始まらないと言われるのだが、 定時制の生徒が抱えている課題に教員として取り組もうとする時このような姿勢こそ必要である。
 今学校に来れない生徒がどういう背景で来れないのか、 を丁寧に見ていけば、 今社会で何が起こっているかがよく分かると思う。
 国の政策は県教委から校長を通してわれわれのところに来るが、 それをどうやって跳ね返すか。 例えば来年は教員の定員 2 名減と言われているが,こうした課題を跳ね返すのは、 そのことで教育条件がどう変わり、 それが今、 教室にいるあの生徒にとって、 どういうことになるかという視点からでなければ跳ね返せないと思う。 どこまで跳ね返せるかは難しいが、 その視点を重視して取り組みたい。
 今の時点で翠嵐定時への希望者は28人という数字が紹介されたが、 実際には140人定員を大幅に超えて志願者が来ると思われる。 入学した生徒が、 少しでも来てよかった、 と思えるような仕事をして、 彼らが何年かかっても卒業していければいいと思う。 そのことを目指して毎日の仕事を続けていきたい。

◆ 稲葉:
 定時制の皆さんの話を始め、 学校現場の生の声を聞くことができて、 勉強になった。 愚痴みたいになった、 という言葉が出たが、 愚痴が大事だと思う。 愚痴を言い合える関係がなくなってきているのが人間関係の貧困に通じているのではないか。
 教員の方がまず自分で実践してみること、 それを生徒や保護者に広げていくこと、 これができれば、 結果として、 新自由主義に対抗する新しい価値観を育んでいけるのではないかと思う。
 1 つ提案だが、 レジュメ 5 、 6 ページに 「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」 参加のお願いを載せた。 元々は、 路上生活者が若者に襲撃される事件が多発して、 これをなくそうとして、 人権教育の一環として始めたものだ。 今年この全国ネットワークができたのだが、 この間の状況の変化の中で、 個別の路上生活者問題だけでなく、 若者の貧困問題と路上生活者問題に共通点があるのではないか、 という視点に発展してきている。 いずれも、 自分が生きるということを肯定できないという状況にあえて切り込んでいこうとする授業を実践している。
 皆さんの現場でもこうした授業に取り組んでいただけないか、 検討をお願いする。 詳しくはホームページを見ていただきたい。 実践例なども見ていただけると思う。

◆ コーディネーターからの一言
 通信制独立校の横浜修悠館高校に勤務しています。 今年は転編入合わせて約1,400人の生徒を受け入れました。 昨年10月の希望調査では200人ほどだったと聞いています。 行き場を失った生徒が大挙して修悠館高校に殺到したことになります。
 今日は、 稲葉さんから示唆に富むお話を聞いて、 元気が出ました。 鳥山さん、 井関さんから現場に根ざした報告をいただき、 フロアからも活発な状況報告や意見をいただくことができました。
 現象面だけでなく、 その背景のあるものを抉り出せという指摘もありました。 そのレベルまでは行かなかったように思われますが、 稲葉さんから提起されたように、 FACE TO FACE でつながりを作っていくことで、 新自由主義をはね返すキーになるのではないでしょうか。 このことを含めて、 コーディネーターのまとめといたします。
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