日本史必修化問題について考える
尾方 亨
2008年 2 月14日、 県教育委員会が、 記者発表で、 日本史必修化を打ち出したことに、
私は戸惑いを覚えた。 各学校では、 学習指導要領に基づいて、 生徒の実情に応じ、
生徒の多様な興味・関心に応え、 希望する進路の実現のため、 苦労して教育課程を決めている。
今回の発表は、 その苦労を台無しにするものであり、 県教委自らが定めた 「神奈川県立高等学校の管理運営に関する規則」
第 8 条に基づく校長の教育課程編成権を侵すものだと思った。
日本史必修化の発端
今回、 『ねざす』 42号に引地幸一 (前) 教育長が、 日本史必修化を打ち出すに到った経緯について、 執筆されているので、 日本史必修化問題について、 私の感じたこと、 考えたことを記していきたい。
まず、 日本史必修化の発端は、 2006年 2 月の県議会における松沢知事の答弁 (『世界史とともに日本史を必修化して、 すべての高校生に学んでもらいたい』) であった。 これを受け、 その 3 ヶ月後の 5 月、 「日本史必修化を目指した取り組みを今後していきたい」 という前教育長の記者懇談会での談話があった。 この間、 教育委員会の中で、 日本史必修化について、 どのような議論がなされたのか、 この論稿では触れられていない。 県知事や議会からの声が発端となったことの危うさは、 同じ 『ねざす』 42号の横浜市立大学教授の上杉忍氏の論稿を参照いただきたい。
歴史に道徳の役割を求めて良いのだろうか
前教育長は、 2006年 8 月31日、 首都圏 (1 都 3 県) 教育長会議において、 「高校における日本史必修化」 を議題として提出し、 これを文部科学省に求めることを提案している。 その理由として、 「次代を担う子ども達が、 国際社会の中で日本人としての自覚を持ち主体的に生きていく上で、 必要な資質や能力、 そして日本人としての心を育成することは極めて重要であり、 そのためには、 まず、 わが国の歴史や文化、 伝統に対する理解や教育」 が必要だとしている。 この中で、 「日本人の心を育成する」 とあるが、 何をもって 「日本人の心」 とするのであろうか。 「日本人としての思いやりの心を、 先人が歩んできた歴史から学んでほしい」 (神奈川新聞 08.3.31) とも述べているが、 歴史に道徳の役割を求めてよいのだろうか。 新教育基本法でさえ踏み込まなかった内心への介入になるのではないか。 また、 当たり前のように日本人という言葉を使っているが、 神奈川県では、 在県外国人特別枠を設けており、 外国籍の生徒たちも日本史を学んでいる。 学習指導要領とのからみもあるのなら、 せめて、 「 」 をつけて 「日本人」 とする位の配慮があってもよかったのではないだろうか。 それこそ、 『ねざす』 42号にもある通り、 外国籍の生徒たちへの 「共感」 であり、 「他人を思いやる心の醸成」 ではないだろうか。
歴史教育に特定の価値観を持ち込んで良いのだろうか
また、 「自国の歴史、 文化、 伝統といった日本の良さをきちんと学ぶことが今求められている」 とも述べているが、 歴史という学問に、 「日本の良さをきちんと学ぶこと」 という価値観を持ち込んでよいのであろうか。 「日本の良さ」 だけでなく、 朝鮮半島などを植民地にした事実や中国・東南アジアを侵略した事実などをきちんと学んでいかなければ、 アジアの人たちとより良い関係を築いていくことはできないだろう。
知識が定着していないのは必修化されていないからか
前教育長は、 また、 日本史必修化の理由として、 「日本が米国と戦争したことさえ知らない若者がいる」 (読売新聞 08.2.15) ということもあげているが、 太平洋戦争だけでなく、 日清戦争や日露戦争について記述されていない世界史の教科書はないであろう。 「知らない若者がいる」 というのは、 教えても定着していなかったのか、 授業が太平洋戦争のところまで進まなかったのか、 いろいろな理由が考えられると思う。 日本史が必修化されていないからと考えるのは早計であろう。
「県定教科書」 に注意を!
9 月12日、 神奈川県提案の 「……能力、 そして、 日本人の心」 というところを 「能力等」 に修正するなどして、 日本史必修化の要望書を、 1 都 3 県で文部科学大臣に提出するが、 2008年 1 月17日、 中央教育審議会は、 今回の学習指導要領改訂において、 小中学校における日本史や地理の学習との関連から、 日本史必修化を見送り、 現状通り世界史の必修を文部科学大臣に答申した。 このため (これにもかかわらず)、 県教委は、 2 月14日の記者発表で日本史必修化を打ち出した。 地理選択者には、 県独自の学校設定科目 「神奈川の郷土を学習する科目」 か 「近現代史を総合的に学習する科目」 1 〜 2 単位を履修させることになった。 この科目のテキストは、 検定教科書 (教科書検定については、 沖縄戦における 「集団自決」 の日本軍強制の記述の削除・修正問題が記憶に新しいが……) さえ飛び越え、 国定教科書ならぬ県定教科書ともいわれるものが使われる。 「近現代史を総合的に学習する科目」 は、 既存の日本史Aの教科書ではなく、 今回の日本史必修化で一番影響をうける地理選択生徒の負担軽減と称し、 新しいテキストが使われる。 「事実を客観的に整理し」 た教科書をつくる (朝日新聞 08.2.19) ということだが、 「日本人の心」 や 「日本の良さ」 を歴史に求めている県教委のもとで作られるテキストについて、 注意を払う必要がある。
歴史を学ぶことの大切さ
私は日本史を教えているが、 普段、 「歴史を学ぶ意義」 などど大上段にふりかぶって授業はしていないが、 例えば、 関東大震災の際におこった朝鮮人虐殺事件などが、 二度とおこらない (おこさない) ようにという思いをこめ授業をしている。 生徒たちに何冊かの教科書を読み比べさせ、 どの教科書が虐殺事件についてきちんと書いているかなどと質問し、 なぜ、 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」 などの流言を日本人が信じてしまったのか、 信じこまされてしまったのかを、 考えさせている。 韓国併合に伴う土地調査事業によって土地を追われ日本に流入した朝鮮人に対する差別意識や朝鮮における三・一独立運動の盛り上がりに対する官憲の恐怖が、 背景にあったことなど、 独自につくっているプリントから、 気づく生徒もいる。 この授業の最後に、 阪神淡路大震災の時、 在日朝鮮人・韓国人の中には、 暴行されるかもしれないという恐怖感を抱いた人がいたというが、 関東大震災の時のような悲劇はおこらず、 お互いに協力して復興に立ち上がったという話を紹介している。 この違いはどこからくるのか、 政治体制や在日朝鮮人・韓国人のおかれた状況の違いだけでなく、 流言を信じこみ、 自警団 (警察、 軍隊は流言だとわかっていたが……) が、 朝鮮人などを虐殺してしまった過去の反省がいかされたこと、 歴史を学ぶことの大切さを話し、 締めくくっている。
私も、 エピソードとして、 命をかけて朝鮮人を守った鶴見警察署長の大川常吉の話もするが、 この話を歴史の流れから切り離し、 免罪符にし、 日本人のすばらしさを強調したら、 どのようになってしまうだろうか。 かつての自国中心主義の排外的な国定教科書と変わらなくなってしまう。 このような 「県定教科書」 であってほしくはない。 また、 日本の歴史と切り離された郷土自慢的な 「神奈川の郷土を学習する」 教科書であってほしくはない。
教育基本法の 「改正」 や (それをうけた) 新指導要領の2013年度からの実施、
神奈川県における日本史必修化、 県独自の学校設定科目 「神奈川の郷土を学習する科目」・「近現代史を総合的に学習する科目」
の実施など、 私たちを取りまく状況は、 大きな変化が予想される。 そうした中にあっても、
私は、 日本史特に近現代史の授業を行うときは、 常に現在を意識しながら、
未来への展望が少しでも示せるような授業を、 そして、 生徒たちが自ら学びとれるような授業をしていきたいと思っている。
(おがた あきら 有馬高等学校)
(追記)
前教育長は、 『ねざす』 42号の中で、 歴史の出来事について、 史学者ラングロアの言葉を引き、 『「史料は出発点であり、 (過去の) 事実は到達点である。 (歴史家は) この出発点と到達点の間に (あいだで)、 相互に密接に織り合わされ、 無数の誤りのある錯覚した推理の連続をたどらなければならない (からみあう複雑な推論を次次と働かせなければならない)」』 として、 「歴史の事実をどう理解するかは、 やさしいようで難しい問題である。」 と述べているが、 セニョボス/ラングロア (八本木 浄訳) 『歴史学研究入門』 校倉書房にあたってみると、 ( ) 内が正しいとわかった。 下線部 (尾方筆) のように歴史を理解するなら、 「物語」 日本史になるであろう。
日本史必修化の理由に怖いものを感じる
佐藤 満喜子
「ねざす」 42号に掲載された元神奈川県教育長引地孝一氏の 「高等学校における日本史の必修化に向けて」 を読ませていただいた。 引地氏は、 神奈川県が 「全国で初めてのこととなる」 日本史必修化の方針を打ち出した時の教育長さんである。 教育の専門家ではない私のような一般県民に対して、 「なぜ必修化するのか」 を説明するのであれば、 氏以上の適任者はいないであろう。
しかし、 引地氏の説明をもってしても 「必修化」 は腑に落ちなかった。 いやむしろ必修化の理由説明に 「怖い」 ものさえ感じてしまったというべきか。 「怖い」 のは、 引地氏が、 選択教科の日本史・地理のうち地理を選択した約 3 割の生徒の存在を問題視していることだ。 さらに日本史学習に心の問題を絡め合わせている点も、 なにやら危ういものを感じてしまう。
怖い発想
必修化の発端は、 平成18年 2 月の県議会での質疑だという。 引地氏はこの時、 高校では1989年から 「世界史は必修、 日本史・地理は選択」 であることを知ったとのこと。 昨年 1 月、 中央教育審議会が現状維持を答申したため、 このままでは30年に渡って 「世界史必修・日本史選択」 の状態が続きそうなことに疑問を持ったのだそうだ。
そもそも世界史が必修になったのは、 小中学校の歴史が人物や日本史中心の学習に変化しており、 世界史的な知識は高校で網羅することになったためだが、 背景には地歴3教科から 1 科目選択では世界史の選択者は激減するとの危機感や、 国際的人材育成の必要性があるらしい。 世界史必修が続く理由については、 まあそうかなと思った。
じゃあ日本史は選択者が少数しかおらず存続が危ういのかというと、 そうではないのだ。 県立高校生の72%が日本史を選択し、 履修しているという。 なあんだ、 選択教科でも生徒は日本史とってるじゃありませんか。 危機なのはむしろ地理の方であろう。 たしかうちの地理大好き息子も、 選択者が少なくて授業が成立せず、 やむなく日本史で大学受験したっけ。
しかし引地氏は、 「県立高校生はきちんと学んでいると思っていた。」 のに28%の生徒が高校で日本史を学んでいない、 この約 3 割の生徒の存在に対して 「教育長としてこのまま見過ごすわけにいかないという思いを強く持ったのが発端だ」 と言うのだ。 言われずとも 「全員が」 日本史を選択すべきだったと考えておられるのだろうか。 この生徒たちは、 国の制度に従って 「きちんと」 地理を選択しただけであり、 義務教育では日本史中心の歴史を学んできているのである。 その選択結果が 「見過ごせない」 とは、 何と 「怖い」 発想であろうか。
必修化にきちんとした説明を
日本史が選択教科のままでは何が不都合なのか、 どうして必修でなければならないのか、 国の制度を越えて神奈川であえて実施しようというからには、 そこに合理性と説明責任が必要だと思う。
引地氏は 「自国の歴史や文化についてきちんと理解することが大切」 「日本人が国際社会において、 日本人としての自覚を持って主体的に生きていくためにも、 自国の歴史、 文化、 伝統といった日本の良さをきちんと学ぶことが、 今、 求められている。」 と書いておられる。 しかしこれだけでは 「日本史必修化」 の理由にはならない。 これで説明になるのは、 「だからできるだけ日本史を選択しようね」 という 「日本史のススメ」 までである。 紹介されている生徒の声も、 日本史を選択しておけばよかった程度であり 「日本史のススメ」 の理由にはなっても、 国の制度を越えて生徒全員に実施すべき理由とまでは言えない。
歴史を学ぶことに心の問題を絡ませないで
もっと 「怖い」 と思ったのは、 必修化の理由に思いやりの心など、 心の問題を絡ませていることである。 「成熟化した時代において、 心の問題は大きなテーマであり、 国際社会で通用する人材の育成のためにも、 歴史を通じて日本人らしさを学ぶということがあってもよいのではないか。」 「今の日本人には思いやりの心が欠けているのではないかということ。 思いやりは歴史、 伝統、 文化の中で育んできた。 その良さをもう一度見つめ直すべきだ。」 と書かれているが、 歴史という教科が情操教育の手段とされて、 とんでもない不幸を招いたのは、 それこそ歴史が証明している。 国民の感情をある方向へ持って行きたいとき、 権力者は決まって健全な精神の育成を御旗にし、 少数であっても別な方向を向く人々の存在を許さなかった。 私は、 氏の歴史教育のとらえ方に、 ある方向への感情の醸成やナショナリズムに繋がってしまいかねない危うさを感じた。 日本史を学ぶことが思いやりの心を育むこととどう関連するのか、 私には分からない。 このあたりの教科のとらえ方については、 教育や歴史の専門家の論議をぜひ聞いてみたいと思った。
やっぱり腑に落ちない
引地氏は 「決して愛国心教育というとらえ方をしている訳ではない」 と書いておられるが、 私にはむしろその理由の方が 「腑に落ちる」。 全員に強制的に学ばせること、 特定の感情の育成を目標にしていること、 「必修化」 を求める声が議会や知事や教育行政の長からばかり、 生徒や教員、 保護者など学校現場からは切実な声が聞こえてこないこと、 を総合すれば、 私のような疑り深い者は、 上意下達の愛国心教育のためかなどとつい思ってしまうのだ。 カリキュラムや進学状況、 歴史嫌いなど、 高校の現状に必修でないがゆえの不都合があるなら、 「必修化」 の理由はもっと具体的、 合理的に説明することができたであろう。 生徒や先生方は 「日本史必修化」 を求めているのだろうか?
「日本史のススメ」 「国に必修化を要請」 までは判らぬでもないが、 こんな抽象的な理由で国に先んじて強制的な履修を持ち込むなんて、 やっぱり腑に落ちないのである。
(さとう まきこ 教科書採択制度の民主化を求める神奈川の会)
日本史教育と我々のアイデンティティ グローバリゼーションの進行と自国史教育
深田 一元
自国史教育の目的
日本史必修化問題を考える前に、 学校教育における自国史教育の目的を確認しておこう。 世界の国々は、 その国に生活している人々が、 国民としてのアイデンティティを意識するようになることを目的として自国史教育を行っている。 程度の差こそあれ、 国民のアイデンティティ形成の必要性を考えていない国はない。 それ故、 どの国も母国語の教育と共に、 自国史の教育に特別な配慮をしているのだ。 ところが我が国は、 高等学校において世界史の学習を必修とし、 日本史の学習を選択にしてしまっている。 どのような経緯と判断があったのか。 戦後の高等学校社会科教育の変遷を振り返ってみる。
高等学校社会科教育の変遷
戦後、 米国の指導の下に 「社会科」 という教科が誕生した。 「社会科」 は米国で生れた考えだ。 歴史や地理などの教育は、 その中で行われることになった。 昭和22 (1947) 年度から同37 (1962) 年度まで 「社会」 (同30年度までは 「一般社会」) という科目だけが必修科目とされていた。 民主主義社会 の仕組みを学ぶことが、 最優先とされていたのだ。 なおGHQに禁止された日本史教育が、 新制高等学校の教育に復活することが決まったのは、 同23年10月のことである。 日本史が過去の学習指導要領において、 必修とされていたのは昭和38 (1963) 年度から同47 (1972) 年度までの間だけであった。 日本史がとりわけ重視されていた訳ではない。 この時期の学習指導要領は、 世界史、 地理などすべての科目を必修としていた。 注目すべきはその単位数で、 世界史と地理は 4 単位のものと 3 単位のものが設けられ、 より詳しい学習を望む場合は、 4 単位のものを選ぶことが出来た。 一方、 日本史は 3 単位のものだけであった。 4 単位は必要ないと判断されたのだろうか。 昭和48 (1973) 年度からは、 「倫理・社会」 と 「政治・経済」 がワンセットで必修とされ、 他のすべての科目は十把一絡げで選択に回された。
昭和57 (1982) 年度、 「現代社会」 が新設され、 唯一の必修科目となった。 教科 「社会科」 では社会の在り方や動きに関する学習が、 優先・重視されていたのだ。
教科 「社会科」 が消え、 世界史が必修に
平成 6 (1994) 年度、 社会科教育の仕組みが大きく変わる。 戦後教育のシンボル的存在であった教科 「社会科」 が、 「地理歴史科」 と 「公民科」 に分かれ、 「社会科」 は姿を消すことになる。 地理・歴史教育の 「社会科」 からの独立であったが、 「地歴科」 においては、 世界史のみが必修とされ、 日本史と地理は選択となった。 「公民科」 では必修科目は設けられず、 現代社会又は倫理+政治・経済のどちらかを選択することになった。 世界史必修の理由は@日本史は、 中学校までに学習しているが、 世界史は、 日本史の背景としての学習に留まっている。 A国際化への対応には世界史の学習が必要である。 と示された。
しかし、 その理由は論拠が薄弱である。 中学校での世界史の学習が不十分ならば、 それを改善すべきであり、 高等学校で日本史を選択とすることとは別問題であろう。 中学生と高校生では、 歴史に関する理解度が大きく違っていることを認識する必要がある。 また、 真に国際化に対応するには、 自国史教育の充実が前提条件になるのではなかろうか。
米・英・仏・中・韓、 各国の高等学校における自国史教育
諸外国の、 自国史教育を見てみよう。 米国は、 社会科の科目として歴史教育を行っている。 自国史を 「米国史」、 外国史を 「世界史」 としている。 1994 (平成 6 ) 年以降、 ナショナルスタンダード (全米共通の教育に関する基準) が示されているが、 日本の学習指導要領のような強制力はない。 義務教育の年限といった基本的なことも各州が独自に定め、 全米一律ではない。 しかし、 高等学校で米国史を必修としていない州は 1 州も無い。 強制が無くとも、 50州すべての州が自国史教育の必要性をよく理解しているのだ。
ヨーロッパの国々には、 「社会科」 という考えは存在しない。 イギリスとフランスは 「歴史」 という科目で自国史教育に合わせて、 外国史教育も行っている。 フランスは高等学校において 「歴史」 を必修としているが、 イギリスは高等学校では選択となっている。
中国と韓国には、 「社会科」 という考え方が存在している。 日本の影響によるものであろうか?中国の高等学校では、 「歴史」 という科目で自国史、 外国史を共に扱い、 必修としている。 韓国では自国史を 「国史」 とし、 高等学校で必修になっている。
私が調べた 5 カ国のなかで、 自国史を選択とし、 外国史を必修としている国は一つも無かった。 各国の自国史教育への取組を見ての感想だが、 日本のような歴史教育を行っている国が他にあるのであろうか と思った。
日本史教育に力が入らない理由
韓国の友人に聞いた話である。 韓国の朴正パクチョン煕ヒ大統領 (在職1963〜1979年) は、 「国民の大半が毎朝同じテレビ番組を見て 1 日が始まる日本という国が羨ましい。」 と言ったそうだ。 当時、 NHKの朝の連続テレビ小説の多くの作品は、 平均視聴率が40%を越えており、 そのことを指して言っている。
米国は、 世界の各地からの移民が集まり、 「人種のるつぼ」 と言われている。 イギリスには、 民族的アイデンティティを主張する立場から、 イングリッシュ (イギリス人・イングランド人) と呼ばれることに強く反発する人々がいる。 そのような国々で、 国民のアイデンティティを形成するのは容易でなく、 各国は自国史の教育に力を入れている。
しかし日本は、 朴大統領の言うように、 まとまりのよい国なのである。 世界でも希な国だと思う。 それ故、 国際化に対応するという理由で、 さしたる議論をすることもなく、 世界史教育を自国史教育に優先させてしまったのである。
Globalization (国際化) とAmericanization (アメリカ化)
世界史必修の主な理由は、 「国際化」 への対応だった。 日本は、 何の疑いもなく 「国際化」 を是とし、 それに順応していこうとしている。 しかし、 グローバリゼーションとは、 「アメリカ化」 になってしまっているのが現実ではないか。 特に社会・経済のシステムにおいて、 世界はアメリカのシステムに同化する方向に向かって突き進んでいるといっても過言ではないだろう。 こういう時こそ、 自国史の教育が重要になるのではなかろうか。
一国史の枠を越え、 地球規模の多様な相互関連性を踏まえて、 歴史を理解しようとするグローバル・ヒストリーの考えも広がりを見せている。 この立場をとるにせよ、 拠って立つ基盤の確立が必要なのではなかろうか。 何となれば、 グローバル・ヒストリーの考えを成立させるためには、 自国史を相対的に捉えなければならず、 その前提として自国史をしっかり認識することが必要になるからだ。
「国際化」 の時代だからこそ、 我々は、 日本人としてのバックグラウンドを大切にしなければならない。 そのためには、 国語と自国史の教育にもっと力を入れなければならない。 世界史必修、 日本史選択という歴史教育の在り方の見直しをする必要がある。
(ふかだ かずもと 柏木学園高等学校学監元県立高等学校校長)
日本史の必修化問題を考える
大友 雪慧
第二次世界大戦の時に、 日本で亡くなった人の数を言えますか?
「君たちは、 第二次世界大戦の時に、 日本で亡くなった人の数を言えますか?」 日本史必修化の問題について考える際、 高校の時に校長先生が全校集会でおっしゃった言葉を思い出した。 先生はドイツ人の留学生と話した際に、 彼が、 ナチスドイツの過ちを語り、 正確な犠牲者の数まで諳んじることに驚いたと言う。 お話の中で、 自分の国の歴史に関心を持つことについて述べられた。 この時、 私は、 自分自身の歴史の学び方について改めて考えさせられた。 「日本や世界を純粋に知り、 考えるために歴史を勉強していただろうか」 「自分が海外に行ったとき、 日本のこと、 特に歴史を語れるだろうか」 と頭の中で繰り返した。 同世代のドイツ人留学生は、 日常会話の中で数値まで引用し、 自国の歴史の見識を述べられる。 この事実に驚き、 当時の私は危機感を持った。 歴史は、 ただ知識としてストックするために勉強するのではない。 その先にある主体的な学び、 自分が歴史に何を思い、 どう感じるか、 未来にどう生かしていけるのかを考えることにこそ、 歴史学習の本意があると実感させられる出来事であった。
日本史を学ぶことが現在の日本を知る機会になる
私は、 日本史必修化に賛成である。 ひとつは、 日本史を学ぶことが現在の日本を知る機会になると考えるからだ。 また、 世界を知る際に、 軸となる歴史観を持つことは重要ではないだろうか。 日本史を学ぶ意義について、 ここで改めて考えみたいと思う。
自分が、 いまを生き、 暮らしている国の歴史を知ることは、 現在を、 そして、 自分自身を知ることでもある。 司馬遼太郎の 『歴史と風土』 (文春文庫) の中に、 こんな一節がある 「小説を書く時、 私はなるべくその舞台となる風土ぐるみで人間を描いていきたい、 という要求があるんです。 ですから、 取材をしていましても、 それぞれの風土からいろんなものを感じとろうとするわけなんです」。 『坂の上の雲』 や 『竜馬がゆく』 など、 司馬遼太郎の魅力にあふれる人間描写の原点は、 ここにあるのではないかと私は思う。 人物と風土の関係、 生まれた土地、 育った環境が人間に与える影響は思いのほか大きい。 土地の歴史を知ることは、 そこに生きる人々、 自分自身をも知ることになる。 日本史を学ぶことで、 生徒たちは、 自分のアイデンティティーを探るきっかけを得るのではないだろうか。
日本史を学び歴史観を確立する必要がある
私たちが世界に出た時、 少なからず日本人という肩書は、 人となりを知る要素の一つとして見られるものである。 海外旅行に頻繁に出かける友人によると、 行く先々で、 日本について質問攻めにあうそうだ。 外国のことを知りたいと思って出かけた旅行で、 日本に対する知識の乏しさを思い知らされて帰ってくる。 海外旅行から帰ってきては、 日本史の参考書などを読み漁る友人を見て、 違和感を覚えた。 もちろん、 知識は前提として必要である。 しかし、 少なくとも義務教育では学んでいるはずの日本史、 そこから語れることや、 二十数年の人生で日本史に触れた経験から、 考えたことはなかったのだろうか。 質問の中には、 教科書や参考書を開いても、 答えのないものもある。 質問は、 日本人である友人の考え方を問うものだったと私は思う。 知識の吸収に対して、 柔軟で自分の意見もしっかりと持ち始める高校生の時期に、 日本史を学び歴史観を確立する必要があると感じた。
日本史必修化賛成の理由として、 私は軸となる歴史観を持つことが重要だと書いた。 歴史を学ぶ上で、 比べることは、 歴史理解への第一歩だと考えるからだ。 その軸として、 自分が暮らす日本の歴史ならば、 実感の伴った歴史観を形作ることができるはずだ。 歴史的な建造物や品物など、 資料を目にする機会も比較的容易にあるだろう。
日本史を教える人材は十分か
ここまで、 学ぶ側に重心をおいて考えてきたが、 日本史を教えるという立場から考えてみたい。 私は現在、 社会科の教員養成課程を履修している。 今回、 日本史必修化問題を考えるにあたって、 周囲に意見を聞く中で、 一つの問題点があがった。 必修化には賛成だが教える人材が十分かどうかには疑問がある、 というものであった。 私が意見を聞いた社会科教員志望者のほとんどが日本史必修化は必要だと答えた。 一方で、 自分が教えることを考えると不安だという意見があった。 まず、 「自分の高校時代を考えると、 必ずしも歴史学習に積極的な生徒ばかりではなかった。 必修化にあたって、 教える対象となる生徒の知識や意欲の差が大きい中での授業の組み立ては困難なものになるのではないか」 と生徒側の状況を危惧する意見と、 「生徒に対し教える責任の重さを考えると、 教員養成課程を修了した時点で自分が日本史を十分に教えられるか疑問だ」 と教員志望者側の能力に対する声があった。 教員志望者が、 専門科目について知識を身につけるための自助努力は必須である。 しかし、 教員養成課程における日本史の扱いについても、 改めて検討する必要があると感じる。 日本史必修化を通して、 国際社会で日本人としての自覚を持ち、 主体的に生きる人間を育てる目的を達成するためには、 教員の質の向上も重要な要素だ。 引用した教員志望者の意見は、 あくまでも限定的な範囲で聞いた結果であるが、 教員志望者の中に、 現行の教員養成課程での日本史の必修化への対応を不安に感じる者がいることは、 見逃せない事実ではないだろうか。
日本史必修化問題を考えるにあたり、 自分自身の歴史観を見直す良い機会となった。 時代の変化の中で、 未来の日本を築いていく世代に、 社会科の教員が何を伝えていくべきか、 どんな資質が求められているのかを問いながら、 教員養成課程を過ごしたいと考える。
(おおとも ゆきえ 青山学院大学文学部 教育学科 4 年)
日本史か世界史かでなくどんな歴史教育かこそ
神谷 幸男
『ねざす』 42号で高校日本史必修化問題の特集を読ませていただきました。 横浜市大上杉先生の 「歴史から今を知る」 授業の取り組みには大いに共感を覚えましたが、 元県教育長引地先生の日本史必修をめざすお考えにはいささか危惧を感じました。 以下、 36年間中学校で社会科を教えてきた一教員の立場から感想を述べさせていただきます。
中学校では世界史が不足
日本史と世界史のバランスにかぎって言いますと、 中学校では世界史が決定的に不足していると思います。 授業時間の削減を受けて、 歴史は日本史を中心とし世界史は日本とのかかわりのある部分を取り上げることとなりました。 (1) 古代文明では 4 大文明全部ではなく中国文明を教え、 ギリシャ・ローマ文明やキリスト教の起こりは教えなくともよい。 (2) 隋・唐・宋・元・明などと日本との関わりは教える。 (3) 鉄砲やキリスト教伝来の背景として、 キリスト教とルネサンス、 地理上の発見、 スペイン・ポルトガルの覇権と没落、 宗教改革にふれる (東京書籍の教科書では見開き 2 ページで!)。 (4) 黒船来航の背景として、 市民革命と産業革命、 その後のヨーロッパ諸国の世界進出を教える。 (5) 日本のアジア進出と二度の世界大戦の様子を教える。 (6) 戦後世界の動きを教える。 という具合です。
日本史は一応全時代を通して教えられますが、 近代以前の世界の扱いはあまりに少なく、 ヨーロッパ文明の背景や中国をのぞくアジア・アフリカ・ラテンアメリカ、 イスラム教世界の歴史などは教えられません。 また、 小学校の歴史教育は中学校の日本史の抜粋で、 世界史は全くありません。 引地先生は次期の指導要領で中学校社会科の時数が増え世界史の基礎を学ぶ改訂ができたとしていますが、 改訂は地理部分の増加で世界史は増えていません。 こうして見てくると高校の世界史必修には一定の根拠があると思います。
むしろ問題なのは地理教育
実のところ中学社会科では 「日本史か世界史か」 よりも、 「地理を何とかしてよ」 の声が大きかったのです。 自然や産業の学習の他に、 日本地理では所属地を含む 2 、 3 の都道府県、 世界地理では 3 つの国を選んで学べばよいとされ、 地誌的な学習が全くおろそかにされていました。 それが日本でも世界でも地方別に全地域を学ぶようになりました。 この部分の改訂は歓迎されていると思います。 いずれにしても、 歴史認識を縦軸とし、 地理認識を横軸として子どもたちの世界認識は深まります。 限られた時数の中、 どの時点で歴史と地理をどのように学ぶことがより効果的かは今後も検討を続けなければならないと思います。
大事なのは歴史を教える視点
それにも増して重要なのは教える視点ではないでしょうか。 私は社会科の学習の目的は、 社会の今がわかりこれからを見通す力をつけることだと思っています。 端的に言えば、 見かけの良さや周囲の興奮に流されて、 自分の福祉や就職口を削るような政治家を支持してしまうような愚かさからいかに自立させるか、 いかに騙されない力を育てるかです。
NHKの大河ドラマ同様、 支配者がいかにして権力を握り善政ないしは悪政をしたか、 を中心とする歴史教育では、 引地先生の言う 「自国の歴史、 文化、 伝統といった日本の良さをきちんと学ぶこと」 は、 往々にして国民の権力者への批判精神を眠り込ませ、 騙されやすい国民をつくってしまうおそれがあると思っています。
一例をあげますと、 小中の古代史における 「聖徳太子」 と 「大化の改新」
の異常な称揚ぶりです。 小学校教科書では聖徳太子伝説をそのまま史実として列記・図解までし、
多くの先生たちもそれを熱心に教えています。 「冠位十二階」 が中位以下の位で、
蘇我氏が一人ももらっていないのはそれより上位の与える側だったためという歴史学の常識は隠蔽されています。
中学教科書でも蘇我氏の独裁的な政治を倒し、 天皇中心の新しい政治を進めるために
「大化の改新」 が行われたとし、 蘇我氏が国際派・改革派であったことは無視され、
蘇我氏中心=悪、 天皇中心=善というイデオロギーがすり込まれます。 これは皇国史観ではないですか?。
国民 (民衆) にとってどうだったのかという視点こそ大事だと思います。 私は長年神奈川県の高校入試問題を見てきていますが、
聖徳太子や大化の改新を出題しないことに神奈川の高校の先生たちの見識を感じていたところです。
大変でしょうが、 歴史の逆流にのみこまれない新たな取り組みがされることを期待しています。
(かみや ゆきお 横浜市中学校社会科教員)
日本史必修化の問題が投げかけるもの
石橋 功
神奈川県が独自に日本史を必修化したことに関して、 新聞の取材を受けることがあった。 それは、 日本史必修に前後して 『世界史をどう学ぶか』 を刊行したばかりで、 そこに日本史必修化の問題について次のように触れていたからである。 「(歴史学の変化の第四に) 日本史が世界史に組み込まれるようになったことである。 昔のイメージでいうと、 大学の世界史の講座は、 中国史中心の東洋史学科、 西洋史中心の西洋史学科に分かれ、 日本の歴史は国史学科で学ぶものであった。 そこで過去の世界史の教科書には日本は近代までほとんど出てこなかった。 しかし現在では日本の歴史が東アジア海域史に組み込まれるようになったため、 世界史のすべての時代に日本につての記述が登場するようになった。 こういった事実があるにもかかわらず、 日本人のナショナルアイデンティティを徹底させるためには高校でも日本史を必修にすべきであるといった、 一部の政治家などの声が聞こえるのには違和感を覚えざるをえない」。 (『世界史をどう教えるか』 山川出版社 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会編)
この取材で強く感じたことは新聞記者の方々も、 これを進めてこられた人たち同様、 世界史=外国の歴史、 日本史=自国の歴史ということが頭に固定観念になっているということである。 「なんで日本の高校生が、 他国の歴史=世界史を必修で学ぶのに、 自国の歴史=日本史が選択なのか?」 つまるところ日本史必修論者の最大の理由はこれにつきると思われる。 「ねざす」 に掲載された日本史必修を進めた引地前教育長の見解もこれを最大の根拠としている。 こうした根拠に正当性があるかを検証し、 つぎにこういった一見もっともであるが実は…といったポピュリズムがほとんど検証されることなく通ってしまう問題点も指摘していきたいと考える。
必修世界史は外国の歴史なのか?
昨年末、 高等学校の学習指導要領の改訂が行われた。 そこでは今まで同様に世界史のみが地歴科の科目の中で必修とされている。 神奈川県教育委員会は、 これに先立ち独自に日本史を必修化することを発表した。 この結果、 2013年から神奈川県では世界史と日本史が必修化されることになった。 この必修化の最大の根拠は、 「自国の歴史を知らない生徒が多い」 「他国の歴史を学ぶ時間があったらまず自国の歴史を学ぶべきである」 といった一般受けする言説であった。 この言説の根拠となる 「世界史」 は必修化される前のおよそ30年前の 「世界史」 であり、 日本史と切り離された外国史中心の 「世界史」 である。
現在の世界史は日本史を組み込んだ世界史であり、 小学校、 中学校で学んだ日本中心の日本史でなく、 世界から日本史を学ぶスタイルを取っている。 文部科学省が、 中学校で学んだ日本史をさらに詳細にする高校日本史を必修化しなかったのは当然のことであった。 子供の成長過程を考えた場合に、 高校では世界史の中で日本史を学び、 さらに大学等では日本といった特異な国民国家の性格を学ぶのがふさわしいと多くの歴史研究者が考えるのも当然のことである。 またグローバルな国際社会が形成された時代に、 普遍的に 「日本」 があったような一国史観の日本史が世界に通用するはずがないのである。 こういった当然のことがどうして通らないのだろうか。 そこにはやはり 「世界史は外国の歴史」 というイメージが多くのの人々に根強くこびりついているからであろう。
変化のない授業なのは?
30年前の高校現場の授業と、 現在の高校現場の授業は一見残念ながらそれほど変化がない。 ゆえに30年前の 「世界史」 のイメージが現在も生き残っているのである。 どうして授業に変化がないのか?それは大学受験の世界史の問題が、 30年前の問題とそれほど変わらない外国の事件史中心のものが多く、 それもかなり細かい知識を問う。 受験校で教えると、 良心的な世界史の教師でもまずそういった細かい事件史を教えることとなり、 日本から離れた外国中心の 「世界史」 が成立する。
次に受験に関係ない高校ではどうかというと、 まず生徒は外国を知らない。 そこで世界史以前に外国の紹介をする授業が多くなる。 といっても紹介する外国のレベルはアメリカ合衆国、 ロシア、 中国、 韓国、 北朝鮮、 イギリス、 フランス、 ドイツ…といった国々がどこにあり、 首都はどこであり、 どういった国かといった本当に基本的な点が中心になる。 そして授業を受けた生徒には 「世界史は外国を学ぶ授業」 というイメージが残っていく。
そもそも現在小学校、 中学校で世界の国々をトータルに地理で学ぶということはしていない。 中学校で世界の 5 つほどの国を選んで学び、 その学びの手法で自ら世界の他の国を知るというやりかたなのであるが、 多くの中学生は勉強した 5 つの国のことしか知らない。 その結果、 30年前と変わらない事態が発生しているのである。 われわれ高校の世界史の教員の多くの声は、 地理を必修にして学ぶべき国々の位置くらい知ってから世界史を学ばせたいというものである。 しかし、 外国の国々の存在も文化も世界史のなかで学びましょうというのが学習指導要領の発想である。 だから地理必修化という30年前のようなことを世界史教員は言わないのである。
教育におけるポピュリズムと政治
教育行政は他の行政と異なるシステムを取っていることが今忘れられようとしている。 否、 そういったシステム自体が無駄な存在と認識している政治家が知事になり、 大衆にこびるポピュリズムの手法で教育を壊そうとしている。
教育の施策については県議会や知事から自立した教育委員会が存在し、 教育委員会が教育の施策を決定する。 教育委員会は施策の設定に関しては専門家を中心とした審議会に検討させ、 その検討結果を公開して県民の声を聞いた上で決定してきた。 このやり方は、 近々では高校の再編計画や学区の撤廃にも取られたやり方であった。 政府にあっても教育の問題は中央教育審議会の答申を、 学習指導要領の内容については教育課程審議会の答申をふまえ、 決定されてきた。 ゆえに過去に森元首相をはじめとした自民党タカ派が文部科学大臣になったとしても、 その政治家の政策が教科内容にストレートに入ってくることはなかったのである。 ここに、 文部科学省の官僚の矜持があったのは言うまでもない。 今回、 「日本史必修」 をすすめた前教育長は、 教育委員会の自立性といった根本的なところを理解していたのかといった疑問が 「ねざす」 の文章を読んで湧いてきた。 否、 知っていたとしても、 知事の政策を積極的に実現したであろう。 何が正しいかといった問題ではなく、 教育長というのは上司が言ったことを忠実に実行するポジションになってしまっているからである。
ただ、 今回の 「日本史必修化」 は世論調査をすれば支持率はかなり高くなるだろう。 前項に書いたように、 必修の世界史の現在の内容がほとんど知られていないからである。 「英語の授業は英語でやるべき」 「子どもの学力テストの結果を公表してどこが悪い」 等の言説の裏側には教育の問題のデリケートな部分がある。 多くの子どもたちとって良いことでもそのことによって傷ついたり排除されたりする子どもたちがいるとしたら、 その言説を施策とするわけにはいかないであろう。 教育改革の旗頭となった、 杉並の和田中学では学力テストの点の上昇のため、 足を引っ張るような生徒は、 他の学校の不適応教室に行かせて学校に戻させないといったことが行われたと聞く。 (2008年度日教組全国教研第11分科会での東京都公立学校教職員組合の方の発言) これこそ教育のむずかしい部分をあらわしている。 こういった旗頭のうまいところは、 悪い部分が外部に明らかになる頃にはそこにいないということである。 和田中学の民間出身の校長も、 杉並から大阪に移った。
政治家が教育を政策としてかかげる最大の原因は、 多くの人に身近なことであるとともに教育施策は予算があまりかからなくても出来ることが多いと思うからであろう。 「日本史必修化」 などその典型であり、 「日本人の学ぶべき日本史を必修にしました」 というセリフは予算を使わず実績になる。 ただ同じ内容を世界史と日本史で 2 回習う生徒の素朴な疑問を無視すればである。
政治的施策にお金の限界がある以上新しい政策が、 お金のかからないもの中心になるとすれば、 さらなるポピュリズムが教育にはいってくるであろう。 神田高校の校長擁護の言説を政治家が利用しないことを今は祈るばかりである。
「日本史必修化」 の問題点を指摘したが、 この問題を見るとき教育をとりまく環境の劣化と直面せざるをえない。 1929年の世界恐慌時に一見効率的なファシズムや共産主義体制などの全体主義が世界を覆い、 ポピュリズム的な独裁者が戦争の道に国民を連れて行った歴史がある。 今のような不況の中でアナクロなナショナリズムが復活しないことを心から祈っている。
(いしばし いさお 藤沢総合高校)
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