- 吹き荒れる教育 「改革」 とは
東京現象という言葉はいささか陳腐な言葉となった。 東京はひどいといわれてきたが、 神奈川の学校現場をみればそうもいっておれない状況がある。
全国的に吹き荒れている教育 「改革」 論議には共通点がある。 一つは規制緩和と競争主義を基本に市場原理の考えに基づく、 学校制度の複線化、 学校選択の弾力化などにみられる新自由主義的 「改革」。 もう一つは東京や神奈川の卒業式・入学式で起立や、 君が代の斉唱を求め、 不起立者への脅し (処分) や氏名収集を行うことに典型的に見られるように一人ひとりの心の中まで支配しようとする教育を利用しての国家主義的 「改革」 である。
1999年 8 月、 「国旗・国歌法」 の制定を契機に公立学校で卒業式・入学式において日の丸掲揚や、 君が代の斉唱指導が一層強化され、 その結果、 日の丸・君が代をめぐり各地で訴訟がおこされるようになった。
新教育基本法の制定 (2006年12月) を受け、 学校教育法の一部が 「改正」 され、 副校長・主幹・指導教諭が新たな 「職」 として設置された。 教育職員免許法 「改正」 により、 本格的に免許更新制 (2009年) がスタートすることになった。 政治・行政による強引なまでの教育内容への介入に今日の教育 「改革」 の大きな特徴を見ることができる。
- 二つの高校改革推進計画 -東京と神奈川に見る-
1997年、 東京の 「都立高校改革推進改革」 がスタートした。 一言でいえば多様化と学校の統廃合に特徴があり、 翌年には学校の体質改善として 「学校管理運営規則」 が改定、 特に校長のリーダーシップが強調され、 職員会議は補助機関とされた。 その後、 「学校経営計画」 の中で企業の経営理論 (Plan−Do−Check−Action) が導入、 全学校で 「学校経営計画」 が策定 (2002年) され、 多くの教育目標は数値目標化された。
そして、 2003年には 「君が代斉唱と起立」 を徹底させるため 「10.23通知」 が出された。 すでにその 2 年前には東京都教育委員会基本方針の中から 「憲法、 教育基本法の精神に基づき」 という部分が削除された。 この頃、 当時の教育委員たちは 「日の丸・君が代問題は半世紀に巣くってきたガンだ。 将来に禍根を残さないためにこのガンを根絶する」 「日本中の学校で国旗を掲揚し、 国歌を斉唱させるのが私の仕事です」 「東京では教育基本法はない」 などと発言している。 「10.23通知」 以後、 職務命令体制の下で、 「日の丸・君が代」 の強制と教育内容への全面的な介入がなされていった。 処分を受けた多くの教職員により起こされた 「日の丸・君が代」 強制反対の裁判は、 都立高校の自由をまもるたたかいの一つとして取り組まれた。 そして、 2006年の東京地裁判決は学校現場のみならず、 全国の多くの人々を励ます画期的な内容であった。
他方、 神奈川ではどうであったか。
東京から 2 年遅れて 「県立高校改革推進計画」 (1999年) がスタートした。
改革の基本方向の骨子は次の通りである。
(1) 多様で柔軟な高校教育の展開
(2) 活力ある教育活動を展開するための県立高校の規模および配置の適正化
(前期計画 166校⇒152校、 後期計画 152校⇒141〜136校)
(3) 改革のための条件整備
(校長のリーダーシップ、 管理運営規則の見直し、 学区制の弾力的対応、 職員会議の補助機関、 目標管理手法、 5 段階評価、 授業観察、 学校運営の改善、 人事評価システムの評価結果を人事・給与上の処遇へ活用、 校内組織運営の見直しなど)
「県立高校改革推進計画」 全体を 「建築物」 にたとえるなら、 上記 (1) (2) は上ものとなる 「家屋」 部分、 (3) は家屋を支える 「土台」 部分といえるだろう。 この間私たちは、 特にこの 「県立高校改革推進計画」 の基礎となる 「土台」 部分を真正面からとりあげ、 堂々と批判してこなかったといっても言いすぎにはならないであろう。
5 年前に東京で、 わかる授業をめざして始まった 「エンカレッジ (励ます) スクール」 は、 30分授業・テスト無・2 人担任制、 午後は体験学習を中心とした内容をもち、 以前より中退率は減っているという。 今春より神奈川でも同様の 「クリエイティブスクール」 がスタートする予定である。 そして東京都の 「都立高校改革推進計画」 については 「チャレンジスクール」 「科学技術高校」 「昼夜間定時制高校」 「進学指導重点校」 など多くの新タイプ校が生まれており、 進学校や課題集中校には手厚い対策が施されているが、 「中間校」 は苦悩し、 自助努力が要求さていると報道されている (2009年 3 月 9 日 毎日新聞)。
神奈川においても 「県立高校改革推進計画」 がスタートしてすでに10年経過する。 高校進学率の減少、 全日制公立高校入学定員枠の狭さ、 定時制・通信制への入学者数の急増などをみる時、 この計画は一体なんであったのか。 改革の基本方向 (1) (2) (3) と学校の現状について生徒の学習権の保障、 県民の要求、 私たちの願う 「改革」 という視点からこの計画全体について具体的な点検と批判的な分析・検討が急がれる。
- 二つの裁判 (神奈川こころの自由裁判・君が代不起立個人情報保護裁判) とその意義
県教委が 「11.30通知」 (君が代斉唱と起立の徹底) を出して 5 年目に入った。 通知による命令や指示の前提となる 「国旗・国歌に対しての忠誠義務」 は存在しないということを明らかにするための訴訟 (「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」) が 「神奈川こころの自由裁判」 である。 約170名の教職員を原告として、 横浜地裁に提訴 (2005年 7 月) から 4 年経過し、 今年 7 月には地裁判決 (第一審) がでる。
訴訟の主な論点は下記の通りである。
- 国旗・国歌法から起立・斉唱の 「義務」 は導かれない。
- 学習指導要領からも起立・斉唱の 「義務」 は導かれない。 事細かな 「通知」 は学習指導要領に許容された 「大綱的基準」 の範囲を超えている。
- 忠誠義務を強制する 「職務命令」 は思想・良心の自由を侵害する。
- 忠誠義務を強制する 「職務命令」 は表現の自由を侵害する。
法廷で印象に残った被告・原告双方の主張をいくつか列挙してみたい。
(1) 被告 (県側) は訴状の中で、 起立斉唱が教職員の思想・良心の自由の侵害にあたらない理由として以下の 3 点を繰り返し主張している。
- 起立斉唱は思想・良心の問題ではなく 「マナー」の問題である。
- 起立斉唱は外形的行為であって、 内心の改変を求めるものではない。
- 国民の一人として保障される思想・良心の自由も、 公務員としての立場においては制約を受ける。
(2) 被告 (県教委) の最初の証人となった下山田氏 (2008年 2 月 当時学校担当部長) は 「生徒には起立しない自由がある」 「指導と命令は明確に線引できない」 などと証言。
(3) 原 告 (教職員側) 証人として竹本氏 (2008年 4 月 元県立高校校長) は在職中、 県教委から 「国歌斉唱」 実施の依命通知 (職務命令) が出されたが、 教職員の反対行動で学校が混乱していたからという県教委の主張に対して、 「学校が混乱した原因は、 県教委の圧力のほうであり、 教職員はむしろ学校運営に協力的であった」 と述べ、 県教委側の証言の嘘・誤りを指摘した。
そして今年 3 月、 新たに 「君が代不起立個人情報保護裁判」 が始まった。 卒業式・入学式で君が代斉唱時に不起立だった教職員の氏名を収集するのは 「神奈川県個人情報保護条例違反 (第 6 条で思想、 信条及び宗教を収集することは原則として禁止している) である」 ことを問う裁判である。 不起立教職員として氏名収集された教職員から 「自己情報の開示、 自己情報の利用停止請求、 利用不停止決定」 についての異議申し立てがなされ、 個人情報保護審査会は 「氏名収集は思想・信条に該当する」 「収集した情報は破棄すること」 「新たに同様の情報を収集するならばあらかじめ審議会へ聴くこと」 を答申 (2007年10月) した。 さらに県教委の氏名収集実施に向けての諮問に対し、 審議会も 「不適当」 と答申 (2008年 1 月) した。 それでも県教委は二つの答申を無視して、 氏名収集を続行している。 国旗・国歌法制定を契機として、 教育行政による学校現場への歯止めなき介入が推し進められている。 神奈川でおこされているこの二つの裁判は、 憲法、 教育基本法、 学習指導要領、 地方教育行政法、 学校管理規則、 個人情報保護条例などの基本原理のもつ意味を個別具体的に確認し、 教育の自由・学校の自主性をとりもどすための大きな教育的運動であると同時に魂の自由、 こころの自由を求めるたたかいでもある。
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