- はじめに
少し前まで時代のキーワードは 「格差」 や 「下流社会」 だったが、 この一年で 「貧困」 の二文字を目にする機会が格段に増えた。 世界同時不況の発信地であるアメリカ以上に日本の景気が落ち込み、 年末年始にかけては連日、 仕事失った労働者のために開設された 「年越し派遣村」 (シンポジストの稲葉氏が代表理事を務めるNPO法人自立生活サポートセンター 「もやい」 などが実施) のニュースが大きく報じられる中で、 多くの日本人にとって、 どこか他人事だった 「貧困」 が、 「今そこにある危機」 として認識されるようになった。
シンポジウムでは稲葉氏から、 そうした日本の貧困の最前線を報告して頂いたが、 本稿では、 そもそも 「貧困」 とは何か、 さらに貧困と教育、 貧困の世代間連鎖について、 考えてみたい。
- 貧困の定義
貧困について語るのであれば、 「定義」 を共有しなければならない。 しかし、 実は日本政府そのものが貧困の定義を持っておらず、 ゆえに貧困率の正式なデータもない、 という事実を知って、 少なからず驚いた。 正確に言えば、 政府は、 1965年に公的な貧困測定を打ち切っている。 以来日本では、 貧困は 「過去のもの」 と扱われてきた。 しかし今や、 途上国はもちろん、 先進国においても貧困解決が重要な政策課題となる中で、 日本の立場は特異なものだ。
そうした中で、 日本人が持つ 「貧困観」 (=何をもって貧困とみるか)は、 様々だ。 3 月半ば、 日経新聞に 「日本で貧困ありえない 世界に目を 甘え捨てよ」 という見出しで、 作家、 曽野綾子氏のインタビュー記事が掲載されていた@が、 アフリカなどにおける 「今日、 明日、 食べるものがない」 という 「貧困」 と、 日本の状況を比べ、 日本には真の意味での 「貧困」 はない、 とする曽野氏の見方は、 一方の極であろう。 貧困かどうかを、 生存に最低限必要な衣食住というモノサシで計る 「絶対的貧困」 の考え方だ。
他方、 OECD (経済協力開発機構) などで採用されている 「貧困基準」 や、 日本の生活保護水準に用いられているのが 「相対的貧困」 という概念だ。 相対的貧困は、 その社会の構成員として当たり前の生活を営むのに必要な水準 寒さをしのぐだけではなく、 人前に出て恥ずかしくない程度の服があり、 人とのつながりを保てる通信手段が持て、 職業や社会活動に参加でき、 子どもを安心して育てられる つまり憲法25条でいう 「健康で文化的な最低限度の生活ができるかどうか」 を基準とする。 具体的には、 「世帯の手取り所得 (収入から税・社会保険料を差し引き、 年金などの社会保障給付を加えた額) の中央値の50%以下の生活」 と定義するのが一般的だ。 日本では一人世帯で127万円、 二人世帯だと180万円、 四人世帯で254万円である。 (2004年) A
- 日本の貧困率と子どもの貧困
では、 この相対的基準で見たとき、 日本の貧困率はどのくらいなのか。 国際比較のためにデータは多少古いが、 15.3% (2000年) Bという数字がある。 OECD諸国中、 アメリカに次ぎ 2 位だ。 本稿では、 貧困と教育との関連や、 世代間連鎖を考えるために、 特に子どもの貧困率に注目すると、 日本では子ども人口の14.7%、 実に 7 人に 1 人が貧困状態にある (2004年時点) C 。 その率は90年代以降徐々に上昇し、 OECD諸国の平均よりも高い。 日本の特徴として、 母子世帯の貧困率が突出して高く、 特に無職の一人親家庭よりも、 母親が働いている母子世帯の貧困率が高いことが指摘されている。 さらに特筆すべきは、 本来、 税制や社会保障制度による所得再配分は、 持つ者から持たざる者への再配分であり、 それは貧困を削減する効果があるはずだが、 なんと日本は、 先進国中唯一、 再配分後に子どもの貧困率が悪化している。 (ちなみに貧困大国アメリカでさえ、 再配分後、 貧困率は 5 %減少) D
大人が貧困状態にある場合、 日本ではとりわけ 「努力が足りない」 「計画性がない」 など、 いわゆる 「自己責任」 と見なされやすく、 個人が悪いのか、 社会が悪いのか、 を巡って水掛け論になりがちだ。 しかし、 こと子どもの貧困については、 本人に何の責任もないことに、 議論の余地はない。 その親に、 仮に責められるべき点があったとしても、 結果として、 子どもが、 人生の最初から不利な立場に置かれ、 様々な可能性を摘み取られるとすれば、 価値観の違いを超え、 大多数の人は 「容認できない」 と考えるであろう。 子どもの貧困を見つめることで、 貧困を自己責任論の呪縛から解き放ち、 その本質を明らかにできるーー子どもの貧困についての出版が相次いでいる理由もそこにあるようだ。
- 貧困家庭に育つことの不利
日々、 現場で子どもたちと接している方々には、 釈迦に説法とは承知の上で、 貧困家庭に育つ子どもが受ける不利について、 多少のデータを紹介したい。 苅谷剛彦東京大学教授が、 親の階層によって、 子どもの学力のみならず、 意欲にまで格差が生じていることを詳細なデータ分析で指摘したことは、 よく知られているがE 、 親が子どもを育てる環境も、 家庭の経済状況によって大きく左右されていることを示すデータがある。 松本伊知朗札幌学院大学教授らが小学 2・5 年生、 中学 2 年生の親を対象に行った調査Fでは 「子どものことでの相談相手が家族の中にいない」 とした親は、 年収1,000万以上では 0 %だったのに対し、 200万円以下では19.7%。 「病気や事故などの際、 子どもの面倒をみてくれる人がいない」 とする親も、 1,000万円以上では9.4%に対し、 200万円以下では16.7%に達する。 「休日に子どもと十分に遊んでいる」 と答えた親の比率は、 年収1,000万以上では38.7%。 200万円以下層では26.7%。 つまり、 親の収入が低いほど、 子育ての相談相手もいない、 困った時に助けてくれる人もいない、 といった孤立状態に陥りやすく、 子どもとゆっくり過ごす余裕が持てない、 といった傾向が見られる。 貧困によって、 余裕を失った家庭では、 虐待も起きやすい。 東京都福祉保健局が、 児童虐待につながったと思われる家庭の状況について複数回答で聞いたところ、 一番多い回答は 「ひとり親家庭」 と 「経済的困難」 であった (2005年) G 。 虐待事件が報じられるたび、 世間では 「ひどい親がいたものだ」 と親の人格やモラルが問題視されるが、 貧困と虐待の関連性が非常に強いことは海外での調査データでも裏付けられている。 これらは、 教育や福祉の現場にいる人々にとっては、 ごく当たり前の結果だろうが、 貧困が長い間忘れられてきた日本では、 貧困に関するデータが蓄積されず、 あるいは存在しても、 研究者以外の目に触れる機会は、 これまでほとんどなかった。
子どもの貧困をめぐる問題で最も深刻なのは、 低所得が子どもに及ぼす様々な不利が、 別の不利を招き、 問題を複雑化し、 貧困を固定的なものにするという点だろう。 この点について、 アメリカのワーキングプアの実態を著したジャーナリスト、 デヴィッド・シプラーの記述が象徴的だ。 荒廃したアパートは子どもの喘息を悪化させ、 救急車を呼ぶことにつながり、 それによって支払えない医療費が発生し、 カード破産を招き、 自動車ローンの利息を引き上げてしまう。 そうして故障しやすい中古車を購入せざるを得なくなり、 母親の職場の時間厳守を危うくし、 その結果、 彼女の昇進と稼得能力を制約し、 粗末な住宅から出られなくなる H 。
人に自己責任を問う前提となるのは 「様々な選択肢がある中で、 あえてそれを選んだのだから、 それはお前の責任だ」 という考え方だが、 自己責任の前提となる 「選択肢」 が次々と奪われ、 できることなら他を選びたいと思いながらもそれができずに、 望まない選択肢を選ばざるを得ない…その連続こそが 「貧困」 であることをシプラーの例えは如実に物語っている。
- 教育課程からの排除 貧困の世代間 連鎖
日本の教育システムは、 公的負担よりも私的負担 (=家庭の負担) に大きく依存しているのが特徴だ。 GDP (国内総生産) に占める教育関連への支出は、 先進国中、 最低レベルの 3.4 %。 5 〜 7 %という北欧諸国はもちろん、 アメリカの 4.8 % にさえ遠く及ばないI 。 そうした私的負担の大きさは、 特に貧困家庭を直撃する。 小中の義務教育でさえ、 給食費、 学級費、 教材費など相当な額の保護者負担がある。 高卒が必要最低限な学歴とされているにも関わらず、 高校教育は100%家庭の負担であることは言うまでもない。 また、 当研究所の学校徴収金 (私費) についての独自調査結果からも、 様々な名目の私費が、 苦しい家計をさらに追い込んでいる実態が読み取れる。
そうした厳しい状況の中で、 なんとか子どもに教育を受けさせたいと願う貧困家庭が、 現在唯一、 頼れるのは奨学金や修学資金といった貸付制度だ。 (海外では貸付ではなく、 返済義務のない給付の奨学金制度がある。) しかし、 高校では授業料だけでなく、 上記のような私費負担もかなりあるため、 ギリギリの生活であればあるほど、 貸付金だけでは賄いきれず、 他の借入をする必要に迫られる。 結果、 アルバイトなどに明け暮れ勉強に専念できない、 といった本末転倒な事態も生まれ、 さらに、 首尾よく卒業したとしても、 その後はローン返済という負担を抱えて、 社会に出て行かなくてはならない。 失業や病気で返済が困難になるリスクを抱えながら、 ゼロどころかマイナスからスタートすることを余儀なくされるのだ。
貧困家庭に育つということは、 よほどの体力・精神力を持ち、 運までをも引き寄せなければ渡っていけないような荒波の中に、 無防備な姿のまま子どもが放られるようなものであろう。 そしてひとたび、 まっとうとされる教育課程からふるい落とされると、 就労の機会は激減。 低収入となり、 その子どももまた貧困になる、 という貧困の世代間連鎖が生じる。 厚生労働省のホームレスの実態に関する調査では、 ホームレスのうち中卒者は 55.5%に上りJ 、 ネットカフェ難民調査でも、 中卒が 19.2 %、 高校中退が 21.4 %に達している K 。
- おわりに
子どもの貧困を考える上で、 なにより重要なのは、 多くの人が実態を知り、 それが許されざる不公平であるという認識を社会が共有することだろう。 その上で、 貧困の連鎖を断ち切ってゆかねばならない。 親に負担能力がなければ、 子どもが高い教育を受けられないという現状を変えるためには、 教育の公的負担について、 今一度、 論議を起こしていかねばならないだろう。 さらに、 親の所得だけではなく、 生育環境が子どもの育ちに影響することを考えれば、 高校・大学進学のはるか以前から、 学習する意欲や能力を家庭外から支援する体制や、 住まいや健康などを含めた包括的な対策がなされなければならない。 なすべきことのあまりの多さに、 慄然とする思いだが、 貧困論争をブームに終わらせず、 議論し続けることから、 始めるしかない。
@日本経済新聞 2009年 3 月11日 夕刊
A阿部彩 「子どもの貧困」 岩波新書2008年 p48 (国民生活基礎調査より、
阿部彩氏推計)
BOECD 対日経済審査報告2006
C阿部前掲 p52
D阿部前掲 p96 - 98
E苅谷剛彦 「階層化日本と教育危機 不平等再生産から意欲格差社会」 有信堂高文社 2001年
F浅井春夫 松本伊知朗 湯澤直美 編 「子どもの貧困」 明石書店 2008年 p39
G東京都福祉保健局 「児童虐待の実態U」 2005年
Hデヴィッド・K・シプラー 「ワーキング・プアー アメリカの下層社会」 森岡孝二・川人博・肥田美佐子訳 岩波書店 2004/2007年
IOECD Education at A Glance 2008
J厚生労働省 「ホームレスの実態に関する全国調査」 2007年
K厚生労働省 「住居喪失不安定就労者等の実態調査」 2007年
<参考文献>
岩田正美 「現代の貧困」 ちくま新書 2007年
阿部彩 「子どもの貧困」 岩波新書 2008年
浅井春夫 松本伊知朗 湯澤直美編 「子どもの貧困」 明石書店 2008年
湯浅誠 「反貧困」 岩波新書 2008年
駒村康平 「大貧困社会」 角川SSC新書 2009年
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