映画に観る教育と社会[11]
「青い鳥」 「ブタがいた教室」 
 
手島  純

重松清の講演
 2003年、 「教職員のための夏季教育講座」 記念講演が藤棚の教育会館で行われた。 講演したのは作家重松清である。 私はこの講演をとても興味深く聞き、 いまでも講演のメモが手元にある。 ここで印象的なことをいくつか紹介したい。
 重松の教育に関する情報は妻からのものが多いという。 奥さんは都立高校の教員で、 10年間定時制に勤務し、 7 年間全日制の教育困難校で勤務したとのこと。 彼女の勤務を見ていて、 この20年間でこれほど労働条件が悪くなった職場はないのではないかと重松が語ったことが私のメモにあった。
 重松は、 教師の適性を、 上手に教えることではなく、 いっぺんに30人も40人も愛せることだと言う。 力がなくメソッドもないけど愛がある先生がいいんじゃないかと言うのだ。
 教育書で 「○○の力」 とか 「××の技」 とかがうけているが、 教育とはそんなもんではない、 「心の教育」 ではなく 「教育の心」 を考えてほしいと訴えた。
 私が特に印象に残ったことに 「標語」 のことがある。 重松は、 標語の内容は正論だから否定できないが、 それだけで何かいいことをやったと思うことはよくないと言う。 匿名のメール (手紙) などで苦情というか、 文句をいわれることはよくある。 そうした匿名のメールは悪意で、 標語は善意ではあるが、 どちらも言葉を発する主体をはっきりさせないという共通点があると、 まさに 「標語」 に囲い込まれている我々に 「同情」 してくれた。

「青い鳥」
  「青い鳥」 はそんな重松清の同名の本を原作に中西健二監督により作られた映画である。
 阿部寛演じる臨時教師の村内先生が中学校に赴任する。 生徒たちははじめこの教師を笑いものにする。 なぜなら彼は極度な吃音があったからだ。 その村内先生が出席をとる際、 教室にいないひとりの生徒の名前を呼ぶ。 実はこの生徒はいじめで自殺未遂をして転校した生徒だ。 村内先生は彼がまるでそこにいるかのように、 彼の名を呼び、 彼の机を教室に戻す。 そのことで生徒たちは困惑し、 村内先生に反発する。 しかし、 吃音のこの先生は、 生徒たちの反発をはねのけ、 「本気の言葉は本気で聞け」 と迫る。
 生徒たちは、 この村内先生の訥々とした、 しかし迫力ある言葉に、 忘れようとしていたいじめを考えざるを得なくなる。 吃音のため流暢には話せない教師が、 本気のコミュニケーション再生を願う。 「いじめをなくしましょう」 などという標語の世界を離れて、 画面には一度も登場することのない、 いじめの被害者である野口君を通してリアルにいじめが語られ、 いじめの問題性が炙り出されるのである。
 阿部の木訥で空気など読まないとでもいう演技が、 不気味なまでにいじめの真相に肉薄しているようで、 臨場感ある映画になった。 「青い鳥」 とは、 いじめ相談ポスト 「青い鳥BOX」 のことで、 建て前の世界と村内先生の対峙を原作に劣らずよく描いていた。

「ブタがいた教室」
 この 「青い鳥」 と同時期、 前田哲監督作品 「ブタがいた教室」 が単館上映されていた。
 大阪の小学校の教師がクラスの生徒たちとブタを飼って、 そのブタを食べるという実際の教育実践にヒントを得て作られた映画である。 映画はそのブタを食べるか食べないかの子どもたちの論争になり、 最終的には食肉センター行きになる。 当初は自分たちでブタを育て食させることで、 命の大切さに気づかせるというねらいがあった。 しかし、 「かわいそうだ」 という子どもたちの反対にあって学級は大論争の場になりケンカも始まる。 ブタを飼うことで子どもたちは悩み考える。 演出された映画ではあるが、 ドキュメンタリータッチの映画であった。
 実際、 ブタを飼うという行為が小学校でできるかどうかは昨今の状況を考えると難しいだろうし、 それで命の大切さを教えられるのかという問題もあろうが、 妻夫木聡演ずる小学校教師が飄々と子どもたちと一緒に悩み考える姿に共感を覚えた。

事件は現場で・・・
 実際、 吃音の教師は採用されるのだろうかとか、 ブタを教室で飼えば保護者の反対で挫折するだろうなどというくだらない憶測の入る余地もないほどに 2 つの映画は冴えていた。
 学校では 「事故ゼロ運動」 や 「いじめ撲滅」 などの標語が横溢しているし、 神の罰により運んでも運んでも転げ落ちる岩をまた山頂まで運ばなければならないシジュポスの神話のような教育改革が進行している。 しかし、 一枚のペーパーさえ示せば、 何かができるというわけではない。 何かをするということは、 標語やペーパーではなくて、 地道で困難な教育実践しかない。 そんなことを考えさせられた映画であった。
  『踊る大捜査線 THE MOVIE』 で 「事件は会議室で起きてるんじゃない、 現場で起きてるんだ」 という有名なセリフがあったが、 正論の標語ではなく、 こうした現場の言葉が大切にされる日は来るのだろうか。

(てしま じゅん 教育研究所員)
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