教育研究所 2007  教育討論会
格差社会の中で高校はどうなるか
 
■ 日 時 2007年11月17日 (土)
■ 会 場 横浜情報文化センター・情文ホール
■ 討論会
     ◆ 武 田 麻佐子 (コーディネーター) 
              県立藤沢工科高校教諭・教育研究所員
     ◆ 手 島   純 (問題提起) 
              県立栗原高校教諭・教育研究所員
     ◆ 佐 藤   香 (問題提起) 
              東京大学社会科学研究所准教授・教育研究所員

◇司 会:これから教育研究所・教育討論会2007を始めます。 こうした教育研究所のシンポジウム・討論会は今年で16回目になります。 討論会形式は昨年からの試みで、 皆さん参加者の方と一緒に議論しましょうということになりました。
 研究所は発足21年目ということになります。 研究所の仕事としては、 皆さんのお手許に届いている 『ねざす』 という所報を年 2 回発行すること、 研究所ニュースとしての 「ねざす」 を年 3 回発行すること、 さらに、 研究所独自の調査を行うことが挙げられます。
 皆さんからのご意見をいただきながら、 これからも研究を進めていこうと考えておりますので、 よろしくお願いいたします。

絶対貧困層の若者が200万人
◇佐々木代表挨拶:皆さん、 今日はお寒い中、 よくお集まりいただきました。 手島先生がお書きになりました 『格差社会にゆれる定時制高校』 という本の中に、 定時制の歴史も書いてございます。 1947 (昭和22) 年に定時制が法制化されて発足しましたが、 私は1948 (昭和23) 年に第 2 期の定時制高校生として名古屋の定時制高校に入りました。 入りましてびっくりいたしました。 ガラスがないんですね。 名古屋ですから、 伊吹降ろしというのが吹いて、 冬になると寒いのなんの。 先生が始まる前に、 「みんな立って、 手を股の間に入れろ」 と言い、 手を擦るんです。 オーバーを着ているような生徒はほとんどいなくて、 給食はコッペパンが 2 人に 1 つで、 後になると脱脂粉乳というのが出ますが、 そのときはまだなくて、 水でした。 水とコッペパン半分というのが給食でした。
 集まってくる私の同級生が貧乏で貧乏で、 「今朝から何も食っていない」 というような仲間がいました。 私はその当時結核に罹りまして、 1 年休学しましたから、 5 年かかって定時制高校を出ました。 結核に罹って死ぬのが私の居た 5 年間に 5 人いましたから、 毎年 1 人ずつ亡くなっていったという、 当時の定時制の若者はそういう貧困の中にありました。
 今と違う点が 1 つあるのです。 社会全体が敗戦後間もない頃のことですから、 皆が貧乏だったということです。 皆が貧乏だと、 生活は苦しいけれど、 精神的にはさほど苦しくはない、 将来はどうにかなるだろうという希望を抱いていたんです。 今は格差社会であって、 定時制高校生や困難校の生徒たちは希望がないんではないか。 それが格差社会の非常に大きな問題だろうと思います。 全日制高校に行ったり、 いい生活をしたりしている仲間たちがいる中で、 自分はこんな状況に置かれている、 という絶対貧困層の若者たちが、 200万人います。 貧困率で言いますと日本は17%ですので。
 生活保護世帯を見ますと500万に達しているのですが、 その問題を抜きにして、 この社会、 あるいは教育を語ることはできないのではないか、 というのが私たち研究所のテーマであり、 ここ数年間調べてまいりました。
 今日はその研究の 1 つの中間報告のような形になりますけれども、 皆さんとともにこの問題を考えていきたいと思っております。
 
本当の意味の高校教育改革は
◆武 田:本日、 この討論会のコーディネーターを務めさせていただきます藤沢工科高校の武田と申します。 自分が教員になってからのことを思いますと、 最初は、 自分の高校時代のイメージを持って教員になり、 そのイメージとあまり違わない学校でしたので、 高校はこんな感じなのかな、 という思いでやってきました。
 しかし、 2 校目に異動したときは、 同じ地域で、 同じ神奈川県の子どもであるのに、 かなり大きな違いがあるな、 と感じました。 その頃の中教審答申の中では、 「学校間格差は日本の教育の最大の問題である」 であるという言い方をしておりまして、 格差を解消することが非常に重要だという論調でした。 しかし、 その中教審の格差の解消の方向は私たち現場の教員が望む方向性でななかったように思います。
 そうこうしているうちに、 今ふと周りを見渡してみますと、 入試の段階で学区が外され、 どの学校をも選択できるという甘い言葉の元に学区がなくなったことの影響を受けながら、 学校間の格差が拡大しています。 新しいタイプの高校というふれこみで前にいた 2 校目の高校も再編され、 今いる学校も工業高校同士が再編された学校です。 どんどん学校が再編されていく中で、 本当の意味の高校教育改革になっているのだろうか、 という疑問を日々感じております。
 今日は討論集会ということで、 この後おふた方に問題提起をしていただき、 できるだけ多くの方にフロアから参加していただきたいと考えております。
  「格差社会の中で高校はどうなるのか」 という本日の問題は大きなテーマですから、 何かの結論を出すということではなく、 今後私たちがどういう視点で子どもたちに接していくか、 何を行政や社会に求めていくのか、 という点を含めて、 いろいろな意見を出していただければ、 と思っております。

学校間格差は経済力の差で
◆手 島:レジュメにそって話をしていきたいと思います。 社会的格差という問題がいかに生徒を直撃し、 学校運営上の問題になっているか、 それにもかかわらず、 高校再編や教育改革において、 この問題が一切語られていないことはおかしいということです。
 今日の神奈川新聞の一面トップ記事で、 「高校教員らが研究員の県高等学校教育会館教育研究所が、 県への情報公開請求などで入手した資料で分かった」 と書かれています。 何が分かったかというと、 経済力が学力を左右していること、 授業料免除率が最大55倍の開きがあることなどです。 あればぜひ読んでいただきたいと思いますが、 やっとこうした問題がマスコミで取り上げられるようになったのかなという気がします。
 その一方で、 神奈川県立高等学校学力向上進学重点校連絡会というのがあって、 10校の進学校を指定して、 旧制高校並に学力向上させようという趣旨だということです。 その中に 「公立高校としての 『進学校』 の要件」 というのがあります。 そこでは 「家庭の経済的事由によらず、 高い進学意欲を持つ生徒の希望を叶えるための教育システムや教育内容を完備していることが、 公立高校としての 『進学校』 の要件です」 とあり、 一応、 家庭の経済的事情は関係がないと言っているんですが、 そうならない事実を見るべきです。
 ここでは格差社会の問題をしっかり考えて、 今の高校がどうなっているのかきちんと分析しなければいけないと思います。
 研究所ニュースの 「ねざす」 に研究所による情報公開で入手した資料をグラフ化したものが掲載されております。 われわれには常識となっていることですが、 一般の世の中では知られていないことがあります。 何かと言えば、 授業料免除者率と入試の難易度との相関関係です。 授業料の減免というのは生活保護の基準で行われますから、 家庭の経済力に並行しています。
 授業料減免者率のグラフを見れば、 受験難易度の高いところは減免者率が低く、 課題集中校などでは減免者率が高いこと、 さらに定時制が非常に高いことが分かります。 こういう現実をどのように把握して教育改革をしなければいけないかを考えなければいけないのに、 実際はまったくそいうなっていないわけです。 こうしたことにまったく触れることなく、 高校再編や教育改革が行われていると思います。
 独自調査で事務の方何人かにインタビューをしました。 この結果、 事務職の方も厳しい状況に置かれていることが分かりました。 その一部を紹介します。
・この仕事をして嫌なことはお金が入らないとプレッシャーになることです。
・担当を複数にしてほしいです。 未納が減っていかないと頭がおかしくなりそうになります。
・これまでの中でここの定時制が一番大変です。 未納者は増えています。 過去には、 担当者や事務長が身銭を切っていたこともしばしばあったらしいです。
・この学校に移ってきたとき、 「知っている、 ここは事務困難校だから」 と言われました。
・未納者分を昔は私費で充当したこともありました。 今は未済で挙げます。 年度末に事務長が教委財務課に説明に行きます。 督促し続けないと権利がなくなるので担当者が督促を続けます。 5 年で欠損ですが、 議会での説明が必要なので、 担当者はかなりプレッシャーになります。
 こういう状況があるということがインタビューで分かりました。 特に定時制が大変だということですね。 最近は課題集中校がどんどんなくなってきていますので、 特に定時制が集中して大変だということがよく分かりました。 このことが、 事務のセンター化に際してどのように解決されていくのだろうかと思うんですが、 格差社会の問題にまったく触れないまま行くと、 この問題にもまったく触れないまま動いていくことになるのだろうと思います。
 格差問題について気になることを是非皆さんからも挙げていただきたいと思います。   残念ながら、 教育基本法が改悪されて、 教育の機会均等原則が実は壊されていっている、 こうした壊され方がどんどん細かいところに出てきて正当化されてしまうような感じもします。 先ほど言及した10校の学力向上進学重点校の一方では、 3 校の学習意欲向上実践研究校というものもできているのです。 私はこの学習意欲向上実践校もこれまでの課題集中校の固定化を意味することになるのではないかと危惧しています。 課題集中校はこれまで、 内々に生徒指導加配があったということで成立しているわけですから、 変化があるんですね。 ある学校は課題集中校だったけれど、 何年かするうちにそうではなくなるとか、 その逆もあるんです。
 しかし、 学習意欲向上実践研究校に指定された学校は烙印を捺されたことになってしまわないんだろうか、 その学校の生徒たちはそういうレッテルを貼られてしまうんじゃないか、 という危惧がありますので、 その辺の議論も是非していただきたいと思います。
 そうは言っても私たちは現場で活動しなければいけないわけですから、 こうした問題は現場を通して見ていかないと見えないし、 われわれは現場を喪失してはいけないと思います。 気をつけるべきことは、 少しでも格差社会を再生産しないように留意していくということです。 また、 生徒の現象、 行動、 服装、 口の利き方から、 経済的な問題とは別に 「文化資本」 を考察する必要もあります。 さらに、 定時制や課題集中校での勤務は大変だと思うんですが、 その仕事の意義をもっと自覚したいというか、 こういう困難な学校に勤務している先生方は日本の青少年の犯罪率を下げているんだ、 抱え込むことによってそれを実現しているんだ、 という自負を持っていいのではないかと思っています。

教育は公共性をもつ
◆佐 藤:東京大学社会科学研究所というところで准教授を務めております。 今から12年ほど前でしたか、 その頃私は東京工業大学の大学院生だったのですが、 東大の苅谷剛彦さんと一緒に調査をいたしまた。 そのときはいわゆる中堅校以下の都立高校を対象とした調査だったのですが、 進学も就職もしない、 学校基本調査ですと無業者という分類 (今はなくなったが) に入る人たちがいかに多いのかということを発見しました。
 格差社会の何が問題か、 ということですが、 格差はあってもいい、 という人もいるんです。 ないほうがいい、 という方のほうが一般的だと私も信じておりますが、 格差社会の格差が大きくなりすぎると、 治安の問題とか、 犯罪が大きくなるわけです。 それなりに経済発展を遂げた国において、 貧困層が増えるということ、 貧困層を社会的に放置しておくということは許されないことでありまして、 これは社会的な費用がかかる問題でもあります。 それにもかかわらず、 格差があったほうがいいという人たちは上のほうです。 いわゆる勝ち組で、 品のないイヤな言葉ですが、 勝ち組がもっと意欲を出して働くようになれば、 もっと日本の経済は発展するだろう、 技術が進歩するだろう、 それによって世界中からお金を集めることができるだろう、 そういう発想にあるわけです。
 ところが、 日本が一番経済成長を遂げたとき、 一番技術発展を遂げたとき、 幻想だったかもしれませんが、 一億総中流と言われたんですね。 みんなが中くらいだと思っていた、 格差を感じなかった時代にこそ、 経済は成長したんです。 経済がバブル崩壊の後低迷してみんなの元気がなくなったから、 一部でもいいから元気を出す人を作り出して、 その人たちに引っ張ってもらおう、 つまり、 ただ乗りしたい、 何も考えていない人たちが勝っている人にただ乗りしたいというのが、 格差社会肯定論につながったのだと私は思っています。
 この格差社会が今、 その格差を拡大しようとしています。 その中で高校教育がさまざまな影響を受け、 高校教育が何かをすることによって格差の拡大につながってしまうのではないかという危惧について、 手島さんがさまざまな論点から提起されました。 すべての点に対してここで議論することはできませんし、 コメントもできません。 むしろフロアの方々の意見を聞かせていただきたいと思うのですが、 いくつかの論点があると思います。
 まず、 教育は公共性を持つ、 ということです。 公共性があるからこそ税金が投入され使われているわけです。 公共性を否定する人たちが今教育政策を意思決定する人たちの中に入ってきています。 つまり、 小中学校までの義務教育は、 日本語を覚える、 基本的な読み書きができるようにする、 それができなければ社会の構成員としてやっていけないから、 その人たちの教育は社会が引き受ける。 けれども義務教育以上の教育は教育を受けた人間が就職するなり、 高い地位について自分で利益を受けるのだから、 受益者負担として、 教育費は自分たちが払うべきである。 教育は個人のためのものであって、 社会のためではない、 と言い切ってしまう人たちがいるということです。
 教育は、 明らかに外部効果、 公共性を持つわけですが、 高校の場合、 公共性がどこに表れているかと言いますと、 実は、 進学準備教育と完成教育、 これから社会に出て行く人の最終の学校段階の教育を与える、 社会人として完成させて送り出すという、 2 つの教育内容を同時に併せ持つということです。 だからこそ、 高校という学校段階は一番困難が多いところなんですが、 そういう役割を果たしているわけで、 だから公共性なのであり、 進学準備教育だけに特化するならば、 経済力に依存しますけれども、 予備校がその機能を果たせます。
 完成教育と進学準備教育の両方をともに担うことができるのは、 やはり公立の、 つまり社会的な役割を持った学校しかあり得ないと考えられるわけです。
 さまざまなことが、 格差の再生産、 格差の拡大のほうにつながり、 ただの連続したちょっとずつの差の序列という感じの格差ではなくて、 まったく別の、 異なる世界に入れてしまうような格差、 あるいは、 社会的な排除につながるような格差になりかねない危険の瀬戸際に今いると思います。

全日制に行けず定時制へ
◆武 田:手島さんのほうから、 調査に基づきまして、 授業料納入の問題や課題集中校が再編されていく中で定時制に行かざるを得なくなっている生徒のことなどが問題提起されました。 佐藤さんからは、 他国の調査を含めまして、 経済格差と子どもたちのあり方、 税金の投入の仕方等を含めて、 格差問題の在処についてご指摘をいただいたと思っております。 教育研究所の調査においても、 数年前、 定時制に入学してくる生徒の気持ちはどのようなものなのか、 について調査したことがあります。
 その調査の中では、 最初から定時制に行きたかったのではなく、 全日制に進むことができなかったために定時制に来る、 あるいは、 全日制はいっぱいだという諦めを持って最初から定時制に来る、 という生徒たちがいる中で、 定時制のかつての形、 勤労青少年が昼間働いて夜学ぶために定時制に来る生徒たちが極端に少なくなっていることが判りました。  そこで、 定時制の問題は、 本県高校の持つかなり大きな問題なのではないか、 という指摘をしてきたわけですが、 フロアの皆さんの中に定時制・通信制関係の方がおられたら、 現在の実情などについてお話しいただけたらありがたいと思います。
 また、 グローバリズムと経済格差が教育の問題につながっていくという指摘も出ていますけれど、 教員以外の立場から、 若い人の就職支援ですとか、 いろいろ関わりを持って活動されている方もいらっしゃると思いますので、 そういう視点からの報告もいただいて、 その後討論に移っていきたいと考えております。
 
高校教育問題は定時制の問題
−佐藤さんからは、 この進学重点校のやっていることの恥ずかしさという話があって、 まったくそのとおりだと思うんですが、 教員の間で常識になっていることが世間に知られていないとか、 メディアにも書かれないとも言われました。 このことを結びつけて考えてみると、 全日制の先生方は、 進学重点校の旗振りをしている校長会長さんのやっていることを恥ずかしいと思いながら、 見ないようにしているんじゃないか、 と思っています。 つまり、 自分が中堅以上の学校に行けば、 そこのところをほじくり返して深刻に受け止めるよりも、 ここにいれば楽に御飯が食べられるということで、 その恥ずかしさを見過ごして黙っているということになるんじゃないかと思いました。
 手島さんは、 神奈川県の高校教育問題は定時制の問題と言われましたが、 これはそのとおりだとも思い、 全日制の問題だという受け止め方もしました。
 ここで問題提起というか、 質問ということになるんですが、 先ほど佐藤さんは、 「格差社会は社会をダメにする」 と仰っておりましたが、 ボクは、 それでもいいと思っている人たちがいて、 内部から社会が崩壊していってもいいんだと思っているのだと思うんですが、 それは穿ちすぎでしょうか。
 それと並行して思い出したことですが、 再編計画は大人の玩具のように進められてきた節があります。 真面目に取り組んできた管理職や現場の先生方ももちろんいると思いますが、 一部の人たちの玩具になっていたのではないかという反省があります。

◆武 田:佐藤先生に対しての質問もありましたが、 あと 1 人か 2 人、 ご意見をうかがってからまとめて回答というふうにしたいと思います。 いかがでしょうか。

修学旅行に行けない生徒がいる
−1 、 2 年持ち上がって 3 年の担任をしており、 大分様子が分かってきましたので少し発言したいと思います。 毎年 6 月には 3 者面談をやりますが、 3 年の場合は当然進路の話になります。 何を話題にするかといえば、 まず、 「お金がありますか」 ということです。 推薦の場合は10月から12月にはお金を用意しなければなりません。 安くても50万円、 ひどい場合は 1 年分の学費を含めて100万円ぐらいないといけないわけです。 このことが 3 者面談の一番の内容です。
 昨年は 2 年生で、 修学旅行がありました。 不参加率が15%でした。 6 月実施で、 9 万円ぐらいの沖縄コースですが、 4 月には費用がどの程度貯まっているか、 月払いの生徒はどの程度完納しているか、 一時払いの生徒はどうか、 というチェックをするわけです。 最後の生徒は羽田へ集合するとき払い終えるという有様です。 多くの生徒は参加したいと思うんですが、 一部には人間関係で集団活動を嫌う生徒もいます。
 行きたくても行けない生徒は、 根底で経済問題があります。 行くためのお金がない、 親に迷惑をかけたくない、 親から修学旅行はアルバイトで賄えと言われている、 そういう中で参加率が85%になりました。
 今年は就職の係をやっているんですが、 就職希望が増えました。 例年30人ぐらいだったのが今40人です。 6 月頃から指導が始まるんですが、 困ったことは、 次々希望者が増えてくることです。 進学希望だったのがお金がないということから続々就職希望に切り替わるんです。 幸いなことに、 今年辺りは求人倍率が上がってきましたので、 1 、 2 度失敗しても、 何とか会社にはめ込むことができる状況です。
 もう 1 つ思ったことですが、 来年、 統合されて 1 つになって鶴見に東部総合職業技術校が開校します。 2 年後くらいには秦野に西部総合職業技術校がやはり統合されて 1 つになります。 神奈川県にいっぱいあった、 安い授業料で職業訓練を受けられる学校が 2 つになってしまうわけです。 そうなれば、 通える範囲の子どもは限られてくると思います。
 進学のできない生徒が安いお金でいろいろ学べる施設を拡充していかなければいけないように思いますが、 今の方向は、 採算を考えて統合していくことですから、 こういうところも運動を強めていかなければいけないのではないかと思います。
 
◆武 田:おふた方からご意見をいただきましたが、 格差が広がっていく中で、 「それでいい」 と考えている向きがあるのではないか、 というご指摘がありました。 この点について佐藤さんからお話しいただこうと思います。 それから、 また、 奨学金の話も出されました。 奨学金をめぐる現状は、 給付が非常に厳しくなっている一方で、 受けたい需要が大きくなっていると判断されます。

奨学金制度の政策失敗
◆佐 藤:社会が崩壊してもいいと思っている人たちは、 多分、 一部にいるとは思うんですが、 典型的だったのはオウムです。 世紀末という演出が社会を崩壊させたかったわけですが、 別の形、 つまり格差社会を進めることによって社会を崩壊させてしまいたい人が一部にいると思います。 その人たちの思惑は気にしないで、 よくする方向で考える人たちと一緒にものを考えていきたいと思います。 その人たちの存在を忘れるわけにはいかないと思いますけれども。
 奨学金のことですが、 1999年に育英会奨学金の大改革が行われました。 財政投融資で使えるお金を拡大しましたが、 回収しなければいけませんので給付でなくて貸与。 貸与の形で、 かつての区分でいうと、 第 2 種を大拡大したわけです。
 私の研究室で、 大改革後、 つまり貸与の形で大きく拡大した金額を誰が受給するようになったか、 について、 丹念に研究している大学院生がおりまして、 その途中経過を少し紹介しますと、 より所得の低い人たちが借りなくなった、 つまり、 昔だったら、 教職に就けば返済免除になった所得の低い教員養成系の人たちが、 免除を受けられなくなったことで借りなくなったわけです。
 理工系でも同じようなことが起きていまして、 政府統計の所得 5 分位の一番低いところでなくて真ん中くらいの所得の人たちに受ける人が増えております。
 それから、 大学の偏差値などを入力して丹念に分析しますと、 より学力の低い大学に拡大していることが分かります。 つまり、 中所得で低学力への拡大が1999年の育英会奨学金の変革以降発生したことで、 これは、 育英という理念にも反するわけですし、 奨学金を拡大するということは、 教育機会の均等という理念があるわけで、 より経済的に困窮していてより進学意欲のある人たちに拡大することが奨学の理念から言えば達成されなければいけないわけです。
 どちらから考えても中途半端に流れ、 はっきり言えば、 政策の失敗に終わったという結論が固まって来つつあります。

格差問題を地域との関連で
−定年退職 4 年の元高校教員です。 お話を聞いて考えるところがありましたが、 私自身の経験を踏まえて 3 つほど話したいと思います。 授業料免除者と入試難易度の相関についての報告がありましたが、 私が現役でいた1980年代に同じような調査をした経験があります。 口コミで伝わる範囲という限られた高校について数年間調査したのですが、 やはり同じような結果で、 当時、 底辺校という言い方でしたが、 底辺校ほど免除者が多かったと記憶しています。
 次に、 自分自身の反省を含めてのことですが、 私は今神奈川労働相談ネットワークというところで労働相談に携わっています。 その活動の中で最近多いのは、 メンタルな問題での相談です。 特にいわゆる有名大学を出て一流会社に入って 4 、 5 年目の人たち、 年齢でいえば30前の人たち心の病いの相談、 鬱の相談が多いのです。
 今この場では、 高校を卒業した生徒の進学や就職の話は出ていますが、 その進学した後、 就職した後のフォローをずっと見逃してきたように思うのです。 私自身の反省を含めてと言ったのはその意味からのことです。 高校生に何を提供するか、 について、 進学させればそれで終わり、 ということでなしに、 その先までを含めたスタンスを是非考えていただきたいと思います。
 これに関連しますが、 私もキャリア・アドヴァイザーという形で 6 ヶ月雇用を 2 回経験しました。 もちろん、 キャリア教育についていろいろな意見があります。 極端な新聞論調の中には、 「企業にとって使いやすい人間を育てることがキャリア教育だ」 というものもあります。 一方には、 権利としてのキャリア教育という考え方もあります。 働く者の権利教育の一環として位置づけるべきだという考えもあります。 いろいろありますけれども、 高校現場で、 キャリア教育についてどのように議論しているのか、 問題です。
 キャリア教育についても県教委の指針の中で面白いと思ったのは、 「キャリア教育は単なる進路指導の延長線ではなくて、 すべての教科で取り組む課題である」 と強調していることです。
 教育研究所においても、 是非そういう視野で、 働くことを日本の歴史の中でどう位置づけてきたのか、 研究する分野があってもいいのではないか、 と思っています。
 3 つ目の話ですが、 私は川崎で民生委員を 3 年やっております。 その仕事の中で、 小学校中学校の生活保護を受けている世帯での授業料免除の可否について関わりがありました。 私はこの問題に民生委員は係わるべきではないと思いますが、 小学生の時期から学校納入金の払えない子どもたちが数多くいるのです。 私はその多さにびっくりしましたが、 格差と貧困の顕在化はこの段階からなのだということを認識していただきたいと思うのです。 そしてこのことに地域差のあることが大きな特徴です。 『ねざす』 の調査では入試難易度との相関が言われていますが、 私は地域ということも大きな要因ではないかと思います。 私の係わっている労働相談で、 解雇とか賃金不払いとかが多いのは生産労働者の多いところです。
 格差問題を掘り下げていく上で、 地域との関係はどうか、 という分析の観点が実際に取り組む際に必要だと思います。 その意味で、 この資料は貴重ですが、 地域との関連という視点を是非加えていただきたいと思います。

格差から脱却できるように
−私は20年ほど以前から 9 年定時制にいたことがあります。 先ほどから、 定時制の生徒は、 ということに関していろいろ話されましたが、 今始まったことではなく、 昔から実態は変わらず続いているように思いました。 数年前に苅谷先生の話がNHKで取り上げられたりして、 新鮮に感じられたのですが、 それがこの頃ではかなり浸透したかという感じです。
 それぞれの学校に入学した段階で高校をどうするかという設問はすでに手遅れで、 私たちはこれを受け入れていかなければならないのかなと思いました。
 受け入れた後どうするか、 ということですが、 格差のある社会から自分たちの力で脱却していかなければならないんだ、 ということを生徒に認識させた上で、 卒業させていかなければいけないのか、 と思っています。
 私が勤務する高校は駅からバスで来なければならない学校だから、 他の高校より高い授業料を払わなければならない勘定です。 負のスパイラルに陥っている生徒を毎日前にして何ができるか、 というと、 彼らをどう元気づけて、 将来こういう社会を変えられるような意識を少し付けて卒業させなければいけないのかと思います。

厳しい定時制生徒の現状
−本校の現状から言いたいと思いますが、 定時制の中でも大規模校です。 家庭的な雰囲気は消えています。 生徒の数が多すぎて覚えきれない、 と今年来た先生が言っているのが印象的です。 定時制ですからいろいろな生徒が来ていますが、 1 年生は 5 クラスで、 授業中に勝手に教室を出たり入ったりするのが目立ちます。 そういう生徒は他のクラスの生徒と一緒に廊下にたむろし、 20人から30人になることもあります。 私たちは彼らを廊下組と呼んで、 授業の空いている先生が指導に当たることにしています。 2 学期になってそういう生徒が減ってきているのですが、 まだ若干残っている状態です。
 授業料のことで言いますと、 1 年に入学するとき学年費として 6 万円徴収しているのです。 昨年は事情が分かりませんでしたから、 「いきなり 6 万円徴収するのはおかしいのではないか」 などと会議でも発言したのですが、 今年学級担任をやってみると、 この取り方はやむを得ないのかな、 という気になりました。 というのは、 途中で連絡が取れなくなったり、 連絡が取れてもなかなか授業料を払ってもらえなかったり、 という家庭が多いのです。 結局、 修学旅行費の名目などで徴収した 6 万円から流用して授業料に宛てることになるわけです。
 6 万円は厳しいなら 3 万円でもいい、 ということで 3 万円を払う子どももいるんですが、 それも払わない生徒がいる状況です。 担任としても授業料徴収に係わらなければならないということになって、 電話で催促したりするんですが、 なかなか効果が出ないというところです。

◆武 田:この間長い間東京の定時制に勤務されてきた佐々木代表のほうから、 ここでご発言をお願いします。 現在の問題を含めてで結構です。

教育の商品化が急速に進んでいる
◆佐々木 (研究所代表):最初にお話をさせていただいたのですが、 現在の格差の問題は、 一般的に格差と言っている問題とはちょっと違うのではないかと思います。 野村総研の調査で高度経済成長のときには、 いわゆる月給取りの格差は10倍ぐらいでした。 現在は168倍になっていると発表してます。 また、 高度経済成長のときの富裕層と現在の富裕層は違います。 メリルリンチの調査では超富裕層と言っています。 年収1000万円以上で、 1 億円以上の資産を持つ者は141万に増えたと言います。 1990年代から年に10万人ぐらいずつ増え続けて06年に141万人。 作家の村上龍がネットで超富裕層インタビューをやっていたり、 メリルリンチ調査が毎年どれだけ富裕層が増えたか発表しています。 個人の資産が1500兆円を超え、 国の借金が770兆円だということですから、 富裕層が半分資産を出してくれたら国の借金は帳消しになる勘定です。 それほど富裕層が出てきて、 その煽りを受けて超貧困層が出てきたということです。 かつての中間層が上下に分かれたのが1990年代以降の大きな現象だと受け止める必要があると思います。
 もう 1 つの問題は、 貧困層が増えると購買力がなくなって大恐慌が起こるであろうが、 大恐慌が起こらないのは何故かということです。 超貧困層とか没落した中間層などがやむなく支払わなければならないもの、 水とか、 教育とか、 郵便とか、 交通とか、 医療とか、 そういうものが民営化の方向に進んでいるから、 大恐慌をもたらさないのだと捉えるべきだと思います。
 民営化ということは私企業化であり、 商品化であって、 貧乏人でも払わなければいけないという層に向けてなされているというように考えます。 要するに、 私企業化が問題なのであって、 教育を語る場合に 5 つあると思います。 1 つは学校が私企業化されていくことです。 公共的なものを狙って私企業化していると思います。 学校を商品化する、 学校を売り買いの対象にするのは、 アメリカ・イギリスではかなり盛んになっています。 日本では一昨年辺りから学習塾が買収対象になり始めており、 例えば、 ベネッセが個別指導学院を買収したりしています。
 2 番目に教師が商品化するということです。 教師が格付けされて等級化し、 いわゆるデジタルカリキュラムを創る富裕層の教員とデジタルカリキュラムを使わざるを得ない下っ端の教員とに格付けするために教員免許状を10年ごとに更新するというようなことがあります。
 3 番目に生徒を商品化することで、 奨学金のところで出てきましたが、 将来ある程度見込みのある生徒に奨学金を与えて貧乏人には与えないという動きが私企業化された奨学金に現れます。
 4 番目にカリキュラムが商品化されます。 昨年、 一昨年、 未履修問題が出ましたが、 あれは、 お金のかかる予備校のカリキュラムを皆が使ったからです。 指導要領というのは公的カリキュラムで、 私企業化カリキュラムがそれを凌駕し始めたということです。
 5 番目にテストが商品化されるということです。 テストの商品化というのは、 今年一斉テストをしましたが77億円の費用がかかっています。 あれをNTTとベネッセが請け負いましたが、 1 人1000円程度の時給で採点をさせて間違いがどっさり出ました。 08年にはNTTが降ろされて内田洋行が請け負うことになっておりますが、 莫大な費用は誰がどこで動かすのか、 われわれはしっかり監視しなければいけません。
 つまり教育の商品化というのが非常に急速に進んでいるという認識の元にわれわれは考えていかなければなりません。

◆武 田:ありがとうございました。 引き続きご意見をいただきたいと思います。

社会全体から排除されている生徒
−段々消えつつある課題集中校に勤務しております。 経済格差と社会不安についていくつか現象をお話ししたいと思います。 まず、 格差ですが、 先ほど奨学金の話題が出ておりましたけれど、 教育ローンさえ貸してもらえない生徒が今いるのです。
 ある生徒がシェフになりたいと 1 年生のときから言っておりました。 真面目な生徒で、 推薦で専門学校が内定していたのですが、 親が一緒に銀行へ行ったところ、 当てにしていた教育ローンを貸してもらえないことが判明したのです。 その結果その生徒は内定していた専門学校を辞退しました。 奨学金どころか、 教育ローンさえ貸してもらえないという問題があるのです。
 次に授業料免除のことですが、 学年費を払えない生徒がかなりいます。 これは大きな問題で、 授業料と違って、 係や担任が電話を掛けたりするのですが、 なかなか払ってもらえません。 これは卒業証書と引き替えかな、 みたいな話題になります。
 部活動で試合に勝つことは生徒にとって嬉しいことのはずですが、 5 月 6 月、 珍しく試合に勝って、 次はどこで、 ということになったら、 「次の試合はもう勝たなくていいよ」 と言われたというのです。 というのは試合に行けば交通費がかかりますが、 その交通費が払えない、 遠いところの試合は出たくない、 というわけです。
 最近近くのコンビニで生徒が騒いで、 コンビニから電話がかかってきました。 ウチの学校は半日授業になると、 必ずどこかから電話がかかるのです。 騒いでいる生徒を引き取りに来てくれ、 というコンビニからの電話ですが、 逆に言えば、 そういう生徒たちを昼の間学校が預かっているということでもあるわけです。
 あまり電話が多いものですから、 最終的には、 そのコンビニへの出入りを禁止にしたのです。 私はそのコンビニから、 営業妨害で苦情が来るのではないかと思ったのですが、 実際は、 そのコンビニはよかったというのです。 こちらから出入り禁止にしてほしいくらいだったというのです。 社会全体がそういう高校生を排除するというのでしょうか、 切り捨ててしまえば、 関係がなくなっていいのだ、 という風潮があるのではないでしょうか。
 公教育は社会全体の問題だということをもっと知ってほしいと思います。

授業料減免率は行政・担当者の姿勢で
◆本 間 (研究所員): 「独自調査補足資料〜全国状況について〜」 の資料ですが、 表Aを見ると大阪府が26.4%とダントツに高い結果となっています。 しかし大阪は次の年は20%ほど減少しています。 何故下がったかというと、 減免の基準額を430万円から288万円に下げたためです。 授業料減免はそういうふうに動かそうとすれば動く性格のものだということです。 この表から授業料減免率の高さと生活保護率の高さはほぼ連動していると言っていいかもしれません。
 また、 進学率の高さが減免率に影響を与えるように思われます。 大阪、 鳥取は進学率が低いにもかかわらず、 減免率が高いといえます。 大阪は基準額を下げましたが、 それでも20%ほどしか下がらなかったわけで、 288万円以下の層が多いことを示しています。 鳥取が高いのは何故か、 鳥取の説明では、 きめの細かい減免手続きを取っているからだ、 ということです。 ですから、 授業料減免は、 数字云々より、 行政の姿勢、 担当者の姿勢が影響するということを考えていかなければならないということ、 さらに基準についてもこれからは考えていかなければならないと考えております。 また、 ここから完全に漏れている者がいるということを最近考えていまして、 これから大きな問題になるだろうと考えております。

生活保護受給者を減らすことで高い評価?
−生活保護のことと、 行政の姿勢で変わるという今の方のお話に賛同して発言します。 私は養護教諭なのですが、 今週の月曜日に卒業生が保健室に遊びに来ました。 その生徒は県内市町村の福祉職に就職が内定しています。 その子の言うには、 「先生、 知っている?今福祉職の勤務評定は生活保護の担当だったら、 どれだけ生活保護の受給者を減らすことができたか、 その率によって、 人事評価が決まるんだって」
 えっ!って言いましたが、 今ならそういうこともあるだろうなと思いました。
  「私たちのように、 大学で社会福祉を勉強した人が担当になると減らさないし、 減らせないの。 そういうことを前提としない一般事務で入ってたまたまそういうところに配属された人は支給対象から外せちゃうんだ。 私たちはいろいろなことを知っていて、 この人にはこんな権利があるとか、 支給条件を外すに値しないことを知っているから外せないんだ。 だけど、 そういうことを知らない一般事務で入った人は専門知識がそれほど詳しくないんだ。 だから、 やりとりの結果その人を対象から外してしまうことができるんだ。 仲間と話をしているんだけれど、 自分 1 人で働けばいいというときは人事評価で高くなくてもいいけれど、 もし子どもでもいて、 大学に上げなければという年齢になったら、 ボクだってそうしちゃうかもしれないね。 そういう時期になったら、 その部署から外してもらいたいものだ、 なんてね」 と言うんです。
 そのとき、 もし私たちにできることがあるとすれば、 子どもたちにそういう人の権利や事態に対処できるだけの知識を持たせること、 そのことによって生活保護を求める人の立場に立てるようにすることなのかな、 と思いました。

役割ロボットで暴走
−定時制と進学重点校のことを言われましたけれど、 まさに表裏の関係にあると思います。 先ほどから進学校の校長がやり玉に挙がっていますが、 彼も役割ロボットで暴走しているだけではないかと思っています。 その背後にある県教育委員会や県教委の後押しをしている県議会の言動に惑わされてやっている要素もあると思います。 そういうところもしっかり切り込んでいかなければいけないんじゃないかと思います。
 県議会の背後には 「県民のニーズ」 という訳の分からない言葉をバックにした議員もいろいろ画策しているわけで、 そういうところに対してもわれわれはもっと語りかけていくことが必要だと思います。
 方向というものは、 先ほども指摘があったように、 得てして、 大学入試のための準備教育にかなりシフトしているところがあると思います。 それは重点校に限らず、 他の高校でも大学進学率を上げることによって高校の風評を上げるというようなところに意識を取られていることもあると思うので、 その辺も反省しなければいけないんじゃないかと思います。

進路保障のできる高校を
−格差社会の中で高校は、 というテーマですが、 高校をどうするのかというところが最も重要なところだと思います。 研究所でこういうテーマ設定を行うのは、 格差社会を高校がどう変えていくのか、 という点に対して少しでも展望を開いていくためだろうと思います。
 今 3 年生の担任をしていますが、 指摘されたような実態が私のクラスにもあり、 数日の内に70万円を用意しなければ内定を取り消さなければならない、 というような生徒が数人おります。 また、 先ほど報告されたように、 この70万円なり100万円なりを自分でアルバイトをして作らなければならないために毎晩10時までアルバイトをして毎日遅刻してくる生徒もいます。
 そういう悲惨な実態はあるのですが、 だからどうするか、 という取り組みについて報告します。 私が勤務する高校は、 かつて10数年前は課題集中校で、 段々普通のレベルに近づいてきたと評価されていると思います。 昨年度の大学短大進学者は200名中70名が大学短大に進学しました。 全国平均は50%ちょっとだと記憶しています。
 今年 3 年生の担任ですから、 大学短大に進学したいという生徒に対して、 一夏かけてAO対策を実施しました。 その結果、 これまでほとんど入れなかった大学にAOで 8 名合格させることができました。 生徒とやりとりを重ねていく内に生徒も勉強したいという意欲が高まって単なる受験指導以上のプラスになったと考えています。 経済的な問題が立ちはだかっているとはいえ、 何とか全国平均ぐらいのところに到達したかなと感じています。  単に進路を決めるというだけでなく、 その先まで見通して方向を決める、 そういう進路保障のできる高校を作り上げていくことができるかが大切なことだと考えています。 そのためには、 教職員が明確な問題意識を持って協力態勢を築くことが肝要だと思います。   

◆武 田:これからの展望を開く視点を含めて佐藤さん、 手島さんのほうからご発言をいただきます。

公的な教育投資が少ない
◆佐 藤:いろいろなお話を聞かせていただいてありがとうございました。 格差社会と高校教育との関係を皆さんで話し合ってなかなか話題が尽きないということは、 つまり、 経済によって高校生世代の教育機会が剥奪されたり、 損なわれているという現状の問題が深刻だということを意味しています。 何故、 家計によって教育機会が不幸な関係になってしまうかといえば、 それははっきり言って、 政府の、 あるいは公的な教育投資が少ないからです。
 福祉国家と言われる国では、 高校に限らず大学まで学費が一切無料という国がありますし、 そういうところと比べれば、 日本の政府の教育投資は明らかに低い水準にあります。 その不足している中で、 家計が一生懸命お金を払って、 それなりの教育パフォーマンスを上げてきていたわけです。 国際的にも高学力だと言われてきましたが、 学力テストで国際的にやや順位が下がったことのショックが生まれました。 ここで教育政策は投資を増やすことを考えずに、 同じ枠の中で効率的な学力向上作戦を展開しようと考えたわけです。
 このことによって、 一律に配分されていた教育的な資金が効率がいいと思われる学校に重点的配分されるようになるわけで、 学校の中に格差を作ることによって、 つまり、 上のほうをよいしょすればそれに引っ張っていってもらえるんじゃないか、 という発想で、 格差を助長するわけです。 こうして、 少ない予算で学力を上げ、 パフォーマンスを上げようという作戦です。 これがうまく行くかといえば、 私はうまく行かないと最初から申し上げているとおりです。
 ここで現場の先生方に是非お願いしたいことがあります。 私は2004年 3 月に神奈川を含む 4 県の7000人を超える高校卒業生の調査をさせていただきました。 その中で、 労働者の権利、 例えば、 残業したら残業手当がもらえるとか、 労働者には必ず休暇を取る権利があるとか、 そういう知識がどのような人たちにどのように持たれているか、 社会科学研究所の佐藤博樹教授が分析いたしまして、 その結果、 就職する人たちが一番知識を持っていないで、 進学する人たちが持っているということが判りました。
 残業代がもらえるとか、 休暇が取れる、 ということを知らないまま、 生徒を社会に出さないでください。 ささやかなことですがそれだけお願いいたします。 先ほど、 権利に関する知識は人を守る、 あるいは自分を守るという話題があったと思います。 そのことを高校教育の場で是非伝達していただきたいと思います。

格差の再生産をしない取り組みを
◆手 島:皆さんの中には、 生徒のために格差問題を考えて何とかしよう、 AO入試は問題だけれども生徒を合格させてあげようという気持ちがあるわけですが、 一方では、 校長会の会長が 「よみがえれ、 神奈川の水脈・私たちは井戸を掘る」 という題で 「私たちはいつしかこの 『神奈川』 に、 かつて滔々、 脈々としてあった 『公立高校における進学校』 の泉と水脈が、 今は涸渇し、 瀕死の状態に陥っていることを実感し、 今こそ誰かが見失われたその水脈に至る土を掘り、 再び 『神奈川の子等』 に豊かな水浴びをなしうる 『井戸』 を掘らねばならないことを確信するにいたりました。 『進学校』 としてのシステムづくりに向けて、 職員の意識改革を皮切りに校内改革への日々がスタートしました」 と書いているわけです。
 こういう流れが校長会の中でガンガンやられていますから、 かなり校長に伝染しています。 最近の県の施策は学問的な裏付けがありません。 ない上に検証もしておらず、 理念だけが飛びかっているので、 われわれはきちんと検証していきたいと思います。
 これだけ格差が学力や学校レベルに直結しているのだから、 そのことにまったく触れない教育改革の理念はおかしいわけで、 結果的に同じであっても触れるべきだと思います。  また、 先ほど言われたように、 格差を再生産をしない取り組みを現場で実践的にやるべきかなと思いました。

保護者と連帯して教育問題を
◆武 田:最後にコーディネーターとしての感想を一言申し上げたいと思いますが、 今日はいろいろなご意見を出していただき、 現場のさまざまな状況も出していただき、 ありがとうございました。
 こうした問題が世界のグローバリズムとどう結びついているか、 日本の格差問題がどう広がっているか、 ということについてもいろいろご指摘いただきましたし、 教育に掛ける投資の問題をどう見るべきか、 もお話しいただきました。
 教育基本法も改定されてしまった現在、 これから 「教育は自己責任で」 という言い方はもっともっと広がっていくのだと思います。 自己責任プラス子どもたち自身の責任プラス保護者の責任という言い方がなされていくのだと思います。
 私も担任をしていまして、 欠席が多ければ保護者に電話をかけて 「お宅でも何とかしてください」 という話をしますし、 お金を払っていただけないと、 かなり厳しい言い方で迫ったりしてしまいます。
 こういう状況の中では、 保護者も一緒に教育問題を考えてもらえる、 手を結べる相手という見方をして、 保護者とどう連帯していくかが今後大きな問題になるのではないかと思います。
 高校生のときにいろいろあって、 いろいろ考えながら成長していくことを考えたら、 そこのところを保護者や地域の方と一緒に、 敵対関係や対立関係とならずに、 作っていけるかどうかが今後の課題になるのか、 と考えているところです。
 今日はいろいろな方にお集まりいただきまして、 ありがたいことだと思いましたのは、 今年退職された方やずっと以前に退職された方など、 多くのシニアの方に来ていただいたことです。
 これは私たち現職教員に対するエールだと思っております。 今日お出でいただいたということは、 教育の問題を社会の問題と捉えて私たちと共有していただく目線を持っていただけるからだと思い、 大変ありがたく感じました。 そのことにお礼を申し上げてシンポジウムを終わりにさせていただきます。

◇司 会:大変ありがとうございました。 これからの研究所のあり方の参考にさせていただくアンケートにご協力いただければありがたいと思います。
 今日はどうもご苦労さまでした。

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