キーワードで読む戦後教育史 (13)
技高問題 (5)
杉山  宏
(十四)
 政府の所得倍増計画は教育の面では、 「中等教育の完成」 を掲げたが、 63年 8 月23日の文部次官発で各都道府県教委等宛に出された通知 「学校教育法施行規則の一部を改正する省令の施行について」 は 「高等学校の教育課程を履修できる見込のない者でないかどうかを判定して許可するものである」 と適格者主義を明らかにしている。 この適格者主義は、 マンパワー・ポリシーであり、 人材の早期発見と実業教育の拡充という方向をとり、 中等教育に於ける高校増設は工業高校に力を注ぐこととなった。
63年 6 月24日に、 荒木文相が中教審に 『後期中等教育の拡充整備について』 を諮問した理由の中で、 「個人的にみても、 社会的にみても、 この時期においてそれぞれの適性に従って能力を展開し、 将来にわたる進路を選択決定する必要がある」 「すべての青少年を対象として後期中等教育の拡充整備を図るべき段階に至っている」 と述べ、 適格者主義の立場から後期中等教育の拡充整備について検討する必要があるとし、 検討すべき問題点として、 「期待される人間像について」 「後期中等教育のあり方について」 の二点を挙げていた。
この諮問を受けた、 中教審は、 3 年余を経た66年10月31日に有田喜一文相に答申している。 同答申の出る前年、 65年 2 月 5 日に、 前述の如く経団連特別委員会から 「後期中等教育に対する要望」 と題した要望書が出された。 「(産業界としては) 職業訓練制度を後期中等教育の一環として正しく位置づけるとともに、 後期中等教育の拡充整備をはからんことを要望する」 「産業界の必要とする技能を開発するためには、 おそくとも高等学校の段階で技能教育を開始する必要があるので、 高等学校に専門教育を主とする学科として工業、 商業、 農業等の他に技能に関する学科を新設すべきである。 技能学科は、 真に技能修得にふさわしい内容をもつべきであるから、 現在の高等学校の教科、 科目に拘束されることなく、 たとえば、 技能に関する基本実習や応用実習を単位として認めるなど、 技能教育に重点をおくことが必要である」 とし、 後に、 技高のあり方で問題となることに繋がるものが提示されている。 また、 企業内教育について、 「一定レベル以上の企業内訓練施設は、 技能高等学校として認可すべきである (1) 」 「将来は中小企業で活用できるよう、 一定レベル以上の公共職業訓練施設を母体とする公立の技能高等学校の設立も、 考慮されてしかるべきである」 と記し、 条件の整った企業内訓練所の持てない中小企業のことを取り上げている (2) 。 技高の存在を裏付ける様な産業界の要望を出し、 更に、 企業内訓練施設での教育成果を高校での単位として認可することにより、 「現在みうけられる職業訓練所と定時制高等学校との二重通学による生徒の負担はきわめて軽減され、 学習の効率化、 学校と職場との一貫性ある教育が推進される」 と技高の長所として挙げられたことがここでも出されている。
 この66年の中教審答申中に高等学校の単位の認定に関して 「後期中等教育機関の拡充に伴い、 各種の教育訓練機関における学習の成果を一定の条件のもとに高等学校の単位として認定する道を開くことは、 とくに複雑な事情の下に学習しなければならない勤労青少年の向学心を高め、 その学習の成果を学校教育制度の上で正当に評価できる効果がある。 そのため、 現在の高等学校と技能教育施設との連携制度の趣旨を拡大して各種学校や 3 で述べた勤労青少年のための教育機関 (3) にまでその対象を広げるとともに、 認定できる科目の範囲を拡大する」 とあり、 高等学校と他の教育機関との連携を広く呼び掛けている。
 就学奨励の項では 「後期中等教育機関を拡充するとともに、 これらへの就学を容易にするため、 次のような措置を講ずる。 ア) 高等学校及びその他の後期中等教育機関に在籍する者に対し、 奨学制度の拡充その他の就学奨励の措置を講ずる。 イ) 勤労青少年が、 週 1 日程度昼間に就学できるよう適切な措置をとることを検討する。 なお、 現状においても、 それらの者が、 夜間の授業に定時に出席できるよう措置を講ずる。 ウ) 雇用主の理解と協力のもとに、 勤労青少年が一定の期間ごとに勤労と修学とを交互に行なうことができる方途を積極的に拡大する」 と、 勤労青少年の就学の道を開こうとしている。 その狙いは経団連の要望に添うものであり、 技高のそれとも軌を一にする面があった。
 また、 中学校における観察指導の強化を挙げ 「後期中等教育の多様化に伴い生徒の適性・能力・環境に応じて、 適切な進路を選択させることがますます重要となる。 そのため、 中学校において生徒の適性・能力を的確に把握する方法を開拓するとともに綿密な観察を行ない、 その結果に基づいて適切な指導を行なう体制を整備する必要がある」 マンパワ−を活用するための体制作りが打ち出されている。
 11月25日、 この答申を取り上げた 『文部時報』 増刊号が 『後期中等教育・期待される人間像』 と題して刊行された。 本書で、 中教審会長森戸辰男は 「諮問と答申の背後には、 戦後教育改革の反省・検討・再改革が必要であるという認識が、 明白にか暗黙にか存在しているものとわたしは考えている」 としながら、 戦後教育の特質は日本に主権のないこと、 教育の画一化、 学校制度の過度の単純化、 教育費投資は貴重な人的投資という知見に乏しいこと、 内外の状況に配慮すること等を指摘している。 また、 中教審第19特別委主査高坂正顕は 「教育基本法は抽象的であり、 世界のどこでも適用できる普遍性をもっているが、 日本の今日にぴったり合っているかといえば、 そうとは断言できない。 期待される人間像をまとめた所以は教基法の教育の部分をより明らかにし、 具体化しようとしたにほかならない」 と記していた。 この文部省編集の 『文部時報』 11月増刊号について、 「戦後教育批判の強い森戸会長や高坂主査の原稿が掲載されながら、 事務当局の沈黙が対照的で興味深いものがある」 と黒羽亮一は述べている (4) 。
 11月29日に日教組中央委は、 今回の中教審答申は憲法、 教育基本法を否定し、 戦後の民主教育の理念を踏みにじるものという書き出しで始まる 「後期中等教育のあり方・答申に対する日教組の見解」 を発表した。 高校の多様化特に細分化、 技能と道徳教育の徹底、 学校を社会教育で代替等の点から批判し、 後期中等教育機関の名に価しない不完全な代位施設を用意し国民の要求を逸らそうしていると、 技高に関連することを取り上げている (5) 。

(十五)
 67年 2 月、 県産業教育審議会は県教委に対し 「新設する高等学校の学科の編成について」 を答申している。 同答申は、 高校進学率の上昇や作業内容の変化により、 企業において従来中学校卒業生で充たされていた領域が、 高校卒業生で充当されるようになってきた、 とし、 従って、 工業界の現場で働く新しい型の技能的技術者養成が望まれているとしている。
 産業界からの要望、 中教審の答申、 県産業教育審の答申のいずれもが、 技高の存在を肯定する方向を示す中で、 67年 3 月、 横浜、 川崎、 平塚、 大船の各技高は、 第 1 回卒業式を挙行している。 翌 4 月 1 日に横浜技高相模原分校は県立相模原技術高等学校として、 大船技高追浜分校は県立追浜技術高等学校として、 平塚技高秦野分校は県立秦野技術高等学校としてそれぞれ独立校となり、 7 技高体制となった。 そして、 4 月に早くも秦野、 追浜の 2 校に神高教分会が結成されている。 神高教本部も、 この段階で技高対策会議を設置し、 本格的闘いを進め得る態勢を準備していった。
 9 月 4 日、 文部省は、 高等学校と他の教育訓練機関との連携円滑化を目的に、 「連携制度調査研究会」 を設置した。
 10月、 神高教は日教組と共に技高実態調査を行なった (翌68年 5 月 5 日に、 日教組発行の 『中等教育の視点No.10』 で技高の実態を明らかにし、 技高問題を全国に訴えた)。
 11月26日、 県教委へ日本電気より、 県立川崎工業高校定時制に技能連携教育を行ないたいとの申し込みがあり。 川工定時制へは12月 4 日に、 県教委より連絡があった。 6 日の川工定時制職員会議は 「連携反対」 の決議を行ない、 7 日には、 既に連携を行なっている県立商工高校の分会員と川工定時制の分会員が話し合い、 問題点について意見を交わした。  8 日には、 川工全日制が分会総会を開き、 問題は定時制だけではないと連携反対の決議を行ない、 9 日に川工校長は県教委に対して、 理由書を添えて連携反対の意向を伝えた。 12日に、 川工定時制分会役員が日本電気技能訓練所関係者と話し合った。 同日、 神高教本部は川工職員へ、 @県立商工においても行なわれているが、 これは現在実験的段階であり、 この制度には多くの問題がある。 A大企業との連携は実験段階より大きく発展するものであるので慎重に研究したい。 各企業の生徒間には矛盾等もある。 B定時制高校の大きな質的変換である。 等の理由を挙げて対県交渉を行なっていると報告している。 そして、 12月15日、 68年度に限り連携制度実施は中止と神高教本部より川工定時制分会へ連絡が入った。
 技能教育の為の施設の設置者で学校教育法の第45条の 2 の規定による指定を受ける場合は施設の所在地の都道府県教委に指定を申請しなければならなかった。 この指定の基準の緩和策がとられた。 12月26日に 「学校教育法施行令の一部を改正する政令」 (政令第375号) が出され、 同令第33条第 2 号中の 「 3 年」 を 「 1 年」 に、 「800時間」 を 「680時間」 に改める、 と改正されている。
 68年 1 月20日に日教組は、 文部省の後期中等教育多様化政策を批判して 『技術高校の実態調査報告書』 を出し、 資本の側は 「技能訓練課程の学習を全面的に高校の学習として認定させようとはかっているが、 この方向が実現するならば、 事実上は連携ではなく、 企業内の技能教育施設が高校であるというような事態が生まれてくるとことすら考えられる」 と指摘しているが、 産業界側は既に前述の様に、 一定レベル以上の企業内訓練施設は技能高校にすべきであると主張していた。
 更に同報告書は、 生徒が高校生と訓練生の二重性格を持つことは、 高校教育が複雑なものになるとしていた。 川崎技高は技高生の方が多く、 横浜技高は技高生でない普通の訓練生の方が多かった。 大船技高は、 全ての訓練生が大船技高の 1 年生であった。 このばらつきの中で各校を通して完全な高校教育が出来るか疑問を投げ掛けている。 また、 技高発足当時の規定では連携出来るのは 3 年課程の認定職業訓練に限られていたが、 技高が連携した職業訓練は修業年限 1 年の課程であった。 また、 実習は 「基本実習」 と 「応用実習」 に分れ、 職業訓練として行われる 「応用実習」 は、 単なる習得技能の応用だけでなく、 外部から注文を受けて実際に製品を作る (或いは修理する)。 即ち、 実習は収益を挙げることを原則としており、 県から配分された需要費の約130%の収入を県に納入しなければならなかった。 どの学科も均等に収益を挙げるというのではないが、 収益を挙げることを前提にした実習内容では教育的配慮や系統性が保証されにくく、 高校教育として問題がある。 高校教育としての技術高校には、 発想が便宜主義で、 新しい理念に欠けていたといえる、 と報告書は記している。
 1 月31日、 相模原技高校歌の作詞を鈴木重信氏が行っており、 技高問題に対する元教育長の構えを示している。 4 月 1 日に相模原技高は、 機械工作科・機械仕上科の増設を行っている。 又、 5 月 5 日には日教組が、 前述の如く 『中等教育の視点No.10』 を発行し、 技高の実態を明らかにしたことにより、 技高問題は全国的にクロ−ズアップされていった。  7 月14日に開かれた神高教26回定期大会は、 技高問題検討に関して、 現状の改善闘争を行うと共に、 技高制度そのものの再検討を合わせて行なうこととなった。
 69年 2 月、 県教委は 『技術高校工業科の指導計画の参考例』 を発行しているが、 前書きで、 指導部長は 「技術高校における教育を向上させるためには、 施設・設備の整備も必要なことと考え、 その方針で努力しておりますが、 指導内容・指導方法の充実を計ることも欠かせないことであると考えます。 従って、 各教科毎に関係の先生方によって、 日頃からこの面の研究が進められていることと存じます。 その結果、 工業の専門教科において、 学習指導の充実を計るため、 指導書編集の計画が進められました。 学習指導書の編集に当っては、 学科毎の指導の目標、 毎時間の授業における指導の狙いなどが纏まらなければ、 その内容を展開していくことが困難です。 従って、 その準備段階として指導計画の参考例の作成にかかり、 ここに纏めることが出来ました。 この指導計画の参考例は、 @各学科・学年毎に指導事項とその目標を掲げ、 指導事項についでは、 原則的に毎時間の授業の指導項目とその狙いを示すようにしました。 A各学校において、 少なくともこれは指導する必要があると考えられるものを精選して、 指導計画の内容 (指導項目とその狙い) に入れるようにしました。 Bこの指導計画に表れている時数は、 各学年毎に、 専門教科の年間予定時数の約90%の範囲としました。 それは、 生徒の実態を考慮して進度を考えたり、 学校の特色などを盛り込むことが出来るように考えたからです。 以上の狙いを以て編集しました。 従って、 各学校で年間指導計画をたてられるとき、 指導計画の参考例を参考にして頂きたいと思います」 と記しているが、 仮に、 毎時間の授業の指導項目と狙いを示さなければ授業の水準が保てないとすれば、 技高の授業の在り様に疑問が残ることは否めないであろう。
 4 月、 三部交代制の厚木南高が新設された。
 7 月に神奈川県 『第三次総合計画』 の改定計画が出され、 技高については65年の改定前の計画と同様に 「技術高校の整備拡充ならびに連けい教育の促進」 の項があり、 3 分校を独立校とした等 4 年間の推移に伴う記載の変化はあるが、 「既設校については、 施設、 設備の整備によって内容の充実をはかる。 また、 勤労青少年の勉学の機会を拡充するため企業内技能教育施設などと、 定時制・通信制の高校との連けい教育を推進するようにつとめる」 と、 ほぼ同主旨の内容であった。 今後、 更に技術高校1校を新設すると記しており、 改訂前の 2 校新設より減じてはいるが、 この段階でも、 一応、 技高の拡充を進める計画であった。 しかし、 この新設計画は実現せず、 方針転換を迫られる時期がやがて到来した。
 10月、 神高教は県教委と交渉を持ち、 企業との連携は基本的に廃止=現場実習制は教育として成り立ち得ないことを一応認めさせたが、 70年度からの実施は無理となった。 また、 技高制度全般について71年度を目途に再検討することとなった。
 70年の 6 月に技高対策会議が開かれ、 職場討議用内容を決定している。 即ち
@技高の実態を基盤にして討議する。
A技高制度をどのように改革すべきかを検討し、 改革の報告を積極的に明らかにする。 B改革の方向として次の内容を確認したい。
イ) 企業の現場実習単位認定制は教育としてはすでに破産しており、 これは廃止すべきである。
ロ) 職訓との連携から生ずる矛盾は本質的に解決すべきであり一本化されなければならない。
ハ) 技術高校を教育基本法による教育の目的にたった全人的教育が可能な場とすベきである。
ニ) 1 日 2 夜制は抜本的に改善する必要があり、 全日三年制を含めて登校形態を検討すべきである。
 右の方針の中で職訓との関係については、 明確に切り離すベきである、 とする意見と、 連携のあり方を発展的に改革する余地を残すべきである、 とする意見があったが、 種々論議された結果、 職訓、 学校両者のカリキユラム、 機構、 運営における二頭立て馬車の現実は本質的に解決しなければならないという点については完全に意見統一をみたものであった、 としている。
 二頭立て馬車の矛盾の解決の方向であるが、 技高から完全に職訓の部分を切り離すことは、 技高の立て直し路線上には有り得ない理論であった。 即ち、 基になる技高と職訓が連携して現実の技高が出来たのでは無く、 高校と言う従来の概念で考えられるものと職訓と言う学校教育でない訓練機関とを併せて新しい技高と言う学校組織を創ったのであり、 技高の職訓の部分には切り離したら技高では無くなる部分があった。 若し、 完全な職訓分離を行うことは技高廃校以外には無かった。 この時点では技高改革として、 技高を存続させる方向であり、 神高教としては、 職訓の改善による技高温存の方向であったと言うべきであろう。



註(1) 一定レベル以上という限定付きではあるが、 企業訓練施設を技能高校に認可すべしとするこの要望書では、 その直前に、 企業内訓練施設は、 教育内容、 施設、 時間、 成果等は、 現行の高校教育に比較しても、 いささかも遜色ないものも多いと、 教育内容という用語を用いて述べている。

註(2) 技高設立前に、 佐々井労働部長が、 ヨーロッパの職業訓練施設を視察した時、 視察団中に、 中小企業関係者が多く参加していたという。 中小企業が公立職業訓練施設に期待するものがあったのであろう。

註(3) この教育機関は、 本答申が 「勤労青少年に対する教育の機会の保障」 として、 恒常的に設置しようとする教育機関で、 青年学級制度を改善して、 主として勤労青少年に対し、 その適性・能力・環境に応じて職業、 家事等に関する知識・技能を修得させると共に、 その教養を向上させることを目的とするものである。 本文中の 3 で述べたとある 3 は、 答申の 「第 2 後期中等教育のあり方」 の 「 3 勤労青少年に対する教育の機会の保障」 の項を指す。

註(4) 黒羽氏は 「文部省内にもこの答申への批判とためらいがなかったわけではない。 通常、 この種の雑誌には、 解説などのかたちによる事務当局の執筆が多いものだが、 この増刊号では担当審議官の 「刊行にあたって」 という、 ごく短い前文しかない。 しかもその中で 『方向は示されたといっても、 その具体的展開の方法を明らかにし、 実施のプログラムを組み立てるまでには多くの困難が横たわっている。 行政庁の力だけではどうにもならないものがある』 と率直に述べている。 経済成長第一主義的な 『後期中等教育計画』 にも、 占領政策の是正を背景とした 『期待される人間像』 にも、 それぞれ問題を感じ、 まして二つを合体して発表する答申の受け取られ方を危惧する官僚もいないわけではなかった。 しかし、 森戸氏や高坂氏にブレーキをかける勇気も決断ももてなかったのであろう」 としている(黒羽亮一 『学校と社会の昭和史』(下) 第一法規 1994)

註(5) 日教組が今後の自主教研の討議素材にと提示したこの見解の技高に関連する部分を挙げれば、
  18歳までの青年に完全な後期中等教育を保障するという基本的な立ち場に立って、 私達は当面、 次のような措置こそ必要であると考えます。

一、 後期中等教育は小学区制、 男女共学制を原則とした全日制 3 年・定時制 4 年の完全な中等教育機関である高等学校で行なわれるべきであって、 短期高校、 勤労青年学校・職業訓練所、 各種学校など不完全な教育機関、 学校教育以外の教育で代置すべきではない。
@高等学校を新増設するとともに、 高等学校設置基準の完全な実施につとめ、 学校格差是正の措置をとり、 小学区制を確立すること。
A働く青年の教育機関は定時制課程を主体とし、 総ての働く青年の定時制就学を可能にするため、 労慟時間内有給就学を保障しうるような立法化を早急に行なうこと。 通信制課程は地理的条件等により、 集団化が不可能なものの就学を保障する本来の役割りを明確にし、 企業や自衛隊内に青年を囲い込む通信制課程への集団入学は是正すること。 こうした見地から定通併修課程は特別に設置すべきでない。
B利潤追求を目的とした事業内の職業訓練、 社員教育を高校の単位として認定する産学協同 (連携教育) は公教育の逸脱であり、 廃止すること。
C職業訓練所、 各種学校はそれぞれ充実してより良く社会の要求に応えうるよう改善をはかるが、 これを学校教育体系に組み入れ、 代用させないこと。

二、 高等学校においては全ての課程において一般教育を重視し、 総合技術教育を貫く観点に立った専門基礎教育を施し、 生産と労働の基礎的な準備となる教育を行なうこと。 戦後、 いくつかの課程の併置に止どまった 「総合性」 を変革し、 課程間の移動が保障され、 総合技術教育に貫かれた新たな普通教育の創造を可能にする新しい総合制教育の樹立に努めること。
@現在の一般教育の内容を再検討し、 枝葉末節的なものを切り捨て、 憲法と教育基本法に即しつつ、 人間の全面的発達を目指す科学・技術・芸術・体育など全領域の教育を高めること。 まして 「期待される人間像」 の教育内容への取り入れは絶対に認めることはできない。
A能力・適性の測定が可能であるかのように装い、 青年を早期に選別する観察指導の強化は行なわれるべきでない。
B教育課程は一定の分化を必要とするが、 それは差別を伴わないものであること。
(イ) 従来のように農・工・商・水産等のような職業直結的な分化ではなく、 科学の領域に見合ったものとすること。
(ロ) 課程を分化させても教科目は基本的に共通とし、 時間数の配当において一定の傾斜をつけるものとすること。
(ハ) 基礎的なものに限定された職業教育を最終学年で行ないうるものとすること。
C定時制課程の教育内容は全日制課程と本質的な差異をもつべきでない、 特に定時制課程の現職教育機関化は許されてはならない。
D女子の特性を口実に、 女子の社会的差別に連なる教育課程、 別学は基本的に認められてはならない。
E生徒会、 特別教育活動においてはことに生徒の自主性を尊重し、 自主規律を重視し、 生徒会の横の繋がりを禁圧せず、 生徒指導主事の設置など戦前的補導制度を作らないこと。

三、 高校教育への機会を阻害されている青年に対しては、 十分な施策を講ずること。

(すぎやま ひろし    教育研究所共同研究員)

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