映画に観る教育と社会 [8]
[テージセー 一四六一日の記憶]
手島 純

すぐれたドキュメンタリー作品

 今回は映画ではなくテレビ番組を取りあげる。 「映画に観る」 というタイトルとは齟齬が生じてしまうが、 この作品はたまたまテレビというメディアで取りあげられたにすぎない。 ドキュメンタリー 「テージセー 一四六一日の記憶」 は、 テレビで放映されることを前提に撮られたものではなかった。 定時制高校を対象にカメラを回したものの、 どこでどう上映されるかは未定のままであったという。 それを日本テレビが上映枠を作り、 久米宏氏を進行役にして四週間も連続して放映した。 ドキュメンタリー作品としては破格の扱いだと思う。 当教育研究所が定時制高校についての調査や論考を行っていることに鑑み、 また、 筆者も定時制高校に勤務した経験があるので、 ここで取りあげることにした。
 カメラを回した太田直子ディレクターは、 埼玉県立浦和商業高校定時制の生徒が入学してから卒業するまでの 4 年間を、 数日の取材ではなく、 なんとテープで735本、 時間にして500時間以上も撮り続けた。 「盗撮ババァ」 といわれながらも四年間に渡って腰をすえて定時制高校に入り込み、 これだけ長く撮影したことにまず敬意を表したい。 長く撮ることで、 生徒たちがカメラを意識しなくなり、 定時制高校の日常風景が映しだされる。 この手の多くの映像や写真がいわゆる 「よそ行き」 の顔であったり 「やらせ」 であることと対照的である。 「カメラを意識させない」 手法は、 羽仁進の映画 「不良少年」 を想起させる。

さまざまな生徒たち
 カメラは生徒ひとりひとりの生徒に焦点を絞る。
 ヤンキー娘のサチコは少々甘ったれだが、 クラスの仲間のためにいつも気遣いを忘れない。 しかし、 それがトラブルの原因にもなったりする。 少年院から戻ってきたキムは昼間は工事現場で働き、 夜は一番前の席で勉強する。 人が変わったようだ。 それは学校の仲間がキムを引き受けてくれることを決めたから、 少年院に収監される期間が少なくてすんだということと関係がある。 いじめられていた子をかばったためにいじめの標的にされ、 中学にほとんどいかなかったナオミは太鼓部で頑張る。 しかし、 過呼吸をくり返し、 自らはリストカットをしてしまう。 そんなナオミが妊娠する。 産むことを決意し、 結婚をして 1 年遅れで卒業もする。 父親から虐待を受けてきたマリ、 かつては学校を憎んだが今は大学に入って教師を目指すメグミなども登場する。
 まさに 「生徒が主人公」 の学校をカメラが後追いしているようだ。

定時制高校というもの
 4 年間も撮影しただけあって、 定時制高校らしさがしっかり映し出されている。 私がすごいなと思ったのは、 生徒と格闘している平野和弘先生が入学式で新入生に語った言葉だ。 「たとえ君たちの誰かがこの学校を嫌いになっても、 たとえ君たちの誰かがうそをついても、 たとえ君たちの誰かが親を裏切ることになったとしても、 たとえ君たちの誰かがわたしを大嫌いになっても、 たとえ君たちの誰かが社会に反することをやったとしても、 いつまでも君たちの味方になり続けようと決心しています」。 私はこんなことばを吐くことはできなかった。
 埼玉県が打ち出した統廃合政策によって浦商定時制がなくなってしまうという時、 卒業生や在校生が県教委に直訴する姿はもっとも好きなシーンだ。 ある卒業生は言う。 「オレはね、 16歳と17歳の時、 逮捕されたよ。 鑑別所に入っているよ。 悪いこといっぱいやってきているよ。 でも、 浦商に入って、 そこでみんなあったかい人がいっぱいいて、 変わったんだよ…略…浦商で生きる希望もらったんだよ」。 また、 在校生で年配の方は訴える。 「私は小学校 3 年までしか行っておりません。 家庭の事情とか貧乏であったとかいろいろあります。 やっと高校に行けるようになって今 2 年生です。 うちの学校の先生はすごくあたたかいです。 私みたいに何も分からなくても、 ここの学校の先生は私のレベルまでちゃんとおりてきて、 手をそえてひっぱりあげてくれるいい学校なんです。 そういう学校をなぜつぶすか聞いているんです」。  
 映像はそうしたことだけではなく、 先生がまじめに話しているのに机の上に寝転がっている生徒、 授業中も帽子をかぶってマンガを読んでいる生徒、 授業を抜けだして職員室に溜まっている生徒などもさりげなく映しだし、 定時制全体の雰囲気を伝える。
 でも、 少しだけ異論を唱えたい。 サチコが 「その顔は何だって聞いてんだろ、 このヤロー」 「テメエなんかいなくなっちまえ」 と、 ある先生にキレていたシーンが何度も映しだされていたが、 一年間の休職をしていて、 はじめてサチコのクラスをもった矢先に暴言を吐かれた先生のことが気になる。 平野先生は 「熱血教師」 と位置づけられているが、 そうしたステレオタイプな編集でいいのだろうか。 生徒の問題は熱血教師の教育実践だけでどうにかできるものではない。 教育問題を教師の質とやる気に収斂する昨今の風潮に対峙していない。 生徒それぞれの向こうにある背景をさぐり、 その社会的な問題性も描いてほしかったが、 きっとそれは太田ディレクターの問題ではなく、 日本テレビの編集の結果だろうが…。
 
第1級資料として
 2007年の夏にこんな質の高いドキュメンタリーを観ることができたのはよかった。 特に教育問題は理念ばかりが先立ち、 やれ 「教育再生」 だの、 やれ 「教員免許更新」 だのと、 まったく現場を見据えていない施策に学校は振り回されている。 そのくせこんなすてきな
定時制高校が廃校にされてしまう。 それでいいのかと、 735本のテープは訴えているようだ。 このドキュメンタリーは、 放映されないテープもふくめて、 教育現場を知る貴重な第 1 級資料でもあることは間違いない。
(てしま じゅん  教育研究所員)
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