「信長と小泉」
教育研究所代表 佐々木  賢
 
 安倍から福田に政権が交代した。 安倍は小泉純一郎のプリンスといわれ、 福田は小泉政権の官房長官をしていたから、 小泉の政策がまだ続いていく。 その小泉は 「尊敬する人物は」 と問われ 「織田信長」 と答えていた。 「なるほどなあ」 と思う。
 信長と小泉の政策は妙に似ている。 信長は1534年、 尾張の守護代信秀の子として生まれた。 1560年に桶狭間の戦いで燐国の今川義元を殺し、 1561年に岡崎の松平元康、 後の徳川家康と同盟を結ぶ。 近隣の勢力者は近江の浅井長政や甲斐の武田信玄だったが、 信玄が急死した時、 浅井を討った。
 信長は常に将来を見すえ、 有力者と同盟を結び、 近くの劣勢者を征服した。 全国統一を目指し、 強きに組し、 弱きを撃つ政策である。 小泉が富裕者優遇税制を敷き、 大衆課税をしたことに似ている。
 信長の経済政策は楽市・楽座である。 それまでは寺社や公家が商人や職人に特許を与え、 商人の市場と職人の同業組合である座から税をとっていたが、 それを廃止し、 「楽売」 と 「楽買」、 新しく宿場を開く 「新宿」 を作った。
 これは経済の自由化である。 小泉の規制緩和と民営化政策が似ている。 信長は国内の重商主義政策をしたのだが、 小泉は株や為替や商品取引の自由化を進めた。 グローバル経済に迎合した政策だ。
 信長の旗には永楽通宝が描かれていた。 いわば銭が主役だった。 小泉政権下で 「国際競走に勝つため」 と称して、 金融資本が企業買収会社に手持ち資金の10倍もの金を貸すことができるようになったのも、 金権主義政策の結果である。
 信長は街道の整備をした。 道巾を広げ、 直線に近い最短距離にした。 軍事的な意味もあったが、 物流の便を図ったものであった。 信長は国内の流通革命を果たした。
 小泉は大店舗法などを改正し、 トイザラスなど海外の大手小売業が国内に進出する道を開き、 ユニクロや100円ショップなどディスカウントショップが登場した。 第三次流通革命といわれる。 世界資本が日本に流れ込む流通革命に寄与したのだ。
 信長は寺家を弾圧し、 武家本位の社会にした。 特に本願寺門徒の一向宗の弾圧には11年を要した。 一向一揆は15世紀の末から16世紀にかけ100年も続いたが、 信長は1571年の延暦寺の焼き打ちに始まり、 続いて興福寺や高野山を降した。
 一向一揆は国人一揆ともいわれ、 惣に結集した中小の名主が主体だった。 惣は当時の経済先進地域に見られ、 「自力救済」 を唱える村落共同体であり、 共和制に似た地方自治体であり、 これが下克上の風潮を生んでいた。
  「どんな悪業も往生の妨げにならない」 という親鸞の浄土真宗の教えは、 鎌倉時代に出た新興宗教だが、 戦国時代まで、 広く民衆に支持されていた。 ことさら修業を要せずに極楽往生できるという教義が民衆に受けたからだ。
 信長は惣を目の敵にして、 浄土真宗を極度に嫌い、 これを弾圧した。 彼は惣が全国統一の妨げなると思ったし、 宗教による農民の団結が怖かった。 信長はいわば当時の中間層の没落を促す政策をしたのだ。
 高度経済成長期は 「一億総中流」 といわれ、 多くの人が 「中流」 意識をもった。 小泉政権下でその中流層が没落した。 労組の組織率は過去最低を記録し、 中級サラリーマンはリストラにあい、 家族や地域が崩壊し、 地方自治体の経済力が弱められた。
 家族や地域や組合は、 社会と個人をつなぐ中間集団だが、 その中間集団がグローバル化を目指す小泉政権の経済政策で、 瀕死の状態に追いやられた。
 ブッシュ政権がアフガニスタンやイラクに侵攻し、 イスラム勢力を目の敵にしているが、 宗教絡みの民衆の団結が、 世界経済統一の妨げになるからだ。 小泉はこのブッシュ政策を支持した。
 信長は常備軍を作った。 それまでは兵農未分離であり、 農繁期になると、 戦いの最中でも、 農民でもある兵士は郷里に帰りたがった。 信長の兵農分離策は強硬だった。 農民兵の妻子がいる郷土の家を焼き払ったのだ。 行き先を失った農民兵の妻子は止むを得ず城下町に住むようになる。 商人も職人も城下町に住まわせた。 信長の城下町政策である。
 経済の重点を都市化においたのも小泉である。 経済特区で企業減税をし、 規制緩和をし、 他の地域と違う特別な経済制度を実施するモデル地域にした。 だがその後、 地域格差は歴然としてきた。 国際的には経済難民が出て、 自国の経済や政府を避けて移民する人々がいる。
 信長は大津と草津と堺を直轄地にした。 全て海や湖に面した津であるから、 交通や物流の中心地だったが、 特に堺は外国から火薬を輸入する意味があり、 軍事的意味をもっていた。 信長の鉄砲隊は有名だ。 鉄砲を用いたからこそ、 全国統一をなしうる寸前までいった。
 小泉は自衛隊を海外に派兵した。 先に述べたように、 アフガニスタンやイラクに戦争をしかけたのはアメリカだが、 日本の経済的、 軍事的協力は WTOの世界の経済統一戦略にとって重要な意味をもっている。
 アメリカは2002年以降の 「対テロ戦争」 には、 年に8000億ドルの軍事費を使っているが、 日本は500億ドルを軍事支出し、 これは世界第 2 位である。 ちなみに、 世界中の地雷を撤去するのに330億ドル、 世界の貧困国の全ての子に基礎教育を補償するのに60億ドル、 飢餓に瀕する 8 億人に一年分の食糧を援助するのに980億ドルで済むから、 日本の軍事費が如何に高いかが分かる。
 信長は権威を利用した。 当時の将軍義昭や正親町天皇から、 日本国平定の認可をもらっている。 これに似て、 小泉はWTOのギャッツ戦略 (国内の公共部門を世界資本の投資対象にする一般的合意) の認可のもとに民営化政策を進めた。 民営化は1000項目に達する。
 信長は儒教精神に基づき、 上意下達の体制を整え、 君子に忠誠を誓い、 郷土を愛せと庶民に説いた。 小泉の後継者である安倍は教基法を改定し、 信長と同じ精神を国民に説いた。
 信長の刑罰は歴史的に有名だ。 磔、 逆磔、 串刺、 鋸挽、 牛裂、 車裂、 火焙、 釜煎、 鼻削、 耳削、 簀巻 (すまき) 等、 残虐な刑は古代からあるが、 戦国時代にそれが出揃った。 小泉はそれほど残酷な刑罰をしたわけではないが、 刑務所を民営化する政策をとった。 ワーキングプアが出て、 ネットカフェに住む若者がいて、 生活保護家庭の数が増え、 自殺者を年 3 万人出している。 残虐さの代わりに、 じわじわと庶民の首を絞めている。
 戦国時代には罰の連座制が敷かれた。 一人の罪人の咎をその在所と郷村の人々にも科した。 夕張市の赤字は353億円ある。 炭鉱の閉鎖以降の借金財政が恒常化し、 利息の返済が財政を圧迫したためだ。 その咎を夕張市民全体に科した。 これは連座制に似ている。 歴史の出来事は全て人間のやったことだから、 似た点が多々あるものだ。
(ささき けん)
(ささき けん)  
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