ねざす談議(31)
「対機説法」 漱石先生に聞く

 
小山 文雄

 漱石先生と付き合ってつくづくおもうことのひとつは、 その 「対機説法」 の見事さだ。 「対機説法」 というのはもともと仏教語で、 衆生それぞれの機 (素質) に応じて法 (仏教の教え) を説くということで、 「方便」 の語もその類縁にある。
  「嘘も方便」 とはよく知られた言葉で社交上なくてはならないことだ。 なにかしくじりをやって先生に呼び出されたとする。 先生は 「いま思っていることを正直に言いなさい」 と言う。 その時つくづくと先生の顔を見て、 「先生寝不足じゃありませんか」 と答えたら、 おそらくお目玉倍加の憂き目に合うだろう。 むろんこれは 「思っていること」 の誤解だが、 誤解に作為が加わると嘘になる。 でも嘘でもいいから 「いま死にたいほど悔やんでいます」 とでも言えば、 「いや、 死ぬほどのことじゃない」 とかえって慰めてくれるかもしれない。 「嘘も方便」 の方便はもともと事のついでにの 「ついで」とか 「当座にあわせる」 といった意味で、 それが仏教では導きの巧みな手段というふうになり 「方便力」 の語も生まれた。
  「人 (にん) を見て法を説く」 もその一連で、 相手方の理解力、 受けとめる気持の熟し度をふくめた 「時機」 の明察を求めるものだ。 この 「見」 という語は普通は目でみる、 まみえるだが、 さとるもあり、 あらわれる・あらわすもあり、 それだけでも奥深い。 だから法を説けるほどの人でなければ 「人」 は見えないとも言える。 なろうことなら 「先生」 はそれほどの人になるべく精進してほしい。
 さて、 漱石先生の対機説法のなかでひときわ目立つ 「秘策伝授」 をお目にかけよう。 伝授を受けるのは門弟の松根東洋城だ。 東洋城はもともと松山中学での教え子で、 漱石先生が熊本の五高教授になって以来、 俳句の添削をずっと受けていた。 のちに宗匠として独立し排誌 「渋柿」 を主宰した男だ。 その人柄について漱石先生は 「遠慮のない、 いい男です」 とか 「頗る真面目な青年である、 青年は真面目な方がいい」 など推称していた。
 その東洋城を俳句仲間で先輩の坂本四方太が 「東洋城は馬鹿だ」 などと漱石先生への手紙に書いていたのを、 東洋城が知り、 かりかりしたのに対し、 どうやってその借りを返すのか秘策を漱石先生が伝授した手紙を、 少し長いが、 引用しよう。
  「今度の木曜日に来てね、 四方太が来たら、 つらまえて 『あなたはわたしの事を馬鹿だと、おつしゃいましたそうですね』と聞いて御覧。すると四方太が『へゝ、どうして』 とか何とか云うから、 そうしたら 『先生からきゝました』 と云い給え。 すると四方太が 『ハゝゝ、あれを見せたんですか』 と云う。 『見せた』 と僕がいう。 『馬鹿はひどすぎる』 と君が四方太に云う。 すると四方太が 『……』 何と云うのか知らない。 それで馬鹿といふものも云はれたものも平気で帰るのだ。 あの発句はまずいから駄目だ送らない。 四方太を閉口させようとするなら礼を卑うし辞をあつうして馬鹿と云われた事抔は素知らぬ顔をして西片町の寓居を訪うて先生の文章論をきいて、 そうして敬服して帰ってくる。 二週間ばかり立って又行く又敬服した顔をする。 帰りがけに少々自説を述べる。 然しそこの所は愛敬たっぷりにして帰る。 三度目には先の理屈には感心し同時に自分の説にも未練がある様にする。 四度目には大いに自説を主張する。 但し帰りがけに四方太の説も採用する。 それから五遍六遍と行くうちに四方太は君の事を馬鹿という事をやめ、 僕の所へ端書をよこす。 「東洋城ハ近頃非常ナ熱心家ニナッテタノモシイ。 アノ位訳ノワカッタモノハ。 沢山アルマイ」 そこで君の勝利に帰する。 四方太を降参させるのも馬鹿を引きこませるのも俳句一首では駄目だよ。 ……大将 (松根のこと) シツカリシ玉へ。 大風人と喧嘩をするのは一分のうちにも出来る。 然し人を閉口させるには十年かかるか二十年かかるか、 やり方では生涯へこませる事は出来ないものだ」
 結論はなんとも気の長い話しになっているが、 漱石先生の言いたいのは、 一時にやっつけて  やっつけたつもりで  快哉を叫ぶのはほんとうに勝ったということにならない、 そのことだ。 漱石先生はここに人間関係技術論とあわせて人間論を展開したというわけなのだ。
 その基本は 「機」 に応じることだから森田草平から愚痴っぽく訴えが来れば、 漱石先生はこれに 「満腔の同情」 をもって読み、 「満腔の同情」 をもって破り棄てもする。 そして言う、 「余は隣り近所の賞賛を求めず。 天下の信仰を求む。 天下の信仰を求めず。 後世の崇拝を期す。 此希望あるときは余は始めて余の偉大なるを感ず」 と。 鈴木三重吉から叱ってほしい。 教訓を欲しいと言ってくれば、
  「僕の教訓なんて、 飛んでもない事だ。 僕は人の教訓になる様な行をしては居らん。 僕の行為の三分の二は皆方便的な事で……それで沢山なのである……僕は僕一人の生活をやっているので人に手本を示しているのではない。 近頃の僕の所作を真似られちゃ大変だ。   草々」 と、 にべもないが、 これも対機、 さらに第二信では、 「僕は一面に於て俳諧文学に出入りすると同時に一面に於て死ぬるか生きるか、 命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやってみたい」 と鼓舞、 これは亦対機、 諸子如何。

(こやま ふみお 
教育研究所共同研究員)

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