バトンリレー 研究所員による 「書評」
『雇用融解』  〜これが新しい「日本型雇用」なのか〜

風 間 直 樹 著 東洋経済新報社

 
本間 正吾

 今年 6 月、 介護事業の最大手コムスンによる不正報酬請求があきらかになった。 これに対し厚労省は新規事業所の開設不許可、 既存事業所の更新指定不許可という処分を下した。 コムスンは事実上営業不可能となり、 解体売却の方向へと向かうことになった。 そのときテレビ画面に意気消沈した姿を見せ弁解する人物がいた。 コムスンを含む巨大企業グループ、 グッドウィルの最高経営責任者、 折口雅博氏である。 かつてバブル期にはジュリアナ東京を立ち上げ、 バブルが崩壊すると人材派遣業に転身、 さらに小が大を飲み込むと評されたクリスタルグループ買収を経て、 世界第五位の人材関連企業をつくりあげた人物である。 折口氏は新しい時代を代表する経営者ともてはやされ、 経団連理事に就任するまでになった。 その折口氏が率いる巨大グループから名誉毀損と損害賠償を求められた雑誌社があった。 東洋経済新報社である。
 東洋経済新報社はクリスタルグループの違法、 潜り行為を告発してきた。 2003年 2 月、 「『異形の帝国』 クリスタルの実像」 (『雇用融解』 の第 1 章) が 『週刊東洋経済』 に掲載され、 その続報記事が掲載されたところで、 クリスタルグループからの訴訟が始まった。 名誉毀損と損害賠償、 総額十億七千万円という途方もない金額の訴訟であった。 この記事を書いてきた風間氏は編集長と連名でこう書いている。
  「…クリスタルは03年の小社訴訟以降、 05年にダイヤモンド社 (1.1億円)、 06年に毎日新聞社 ( 5 億円)、 日刊現代 (5.1億円) を相手に巨額訴訟を提起している。 巨額訴訟に対応する際の経済的、 時間的、 精神的損失が多大であることを、 小社・小誌は実感している。 それが公益性・公共性に資するもので、 真実であるか真実相当性がある記事でも、 書かれた側が資本に任せて巨額訴訟を仕掛けるだけで、 続報阻止、 言論封殺の道具になりうる現実は恐ろしい。 小社は組織対応が可能だったが、 たとえばフリーの書き手がこの圧力を受けたら、 生活を脅かされかねない。 自由な言論、 表現活動に対する 脅迫 を許せば、 民主主義がいずれ内側から破壊されることは歴史が証明している。 …」
 クリスタルグループについて、 風間氏は何を告発し、 訴えられることになったのか。 この本の第 1 章におさめられた 「『異形の帝国』 クリスタルの実像」 は23歳で命を絶った青年の話から始まる。 アメリカ留学を目指す青年は 1 年 4 ヶ月の労働の後、 「ムダな時間を過ごした」 と遺書を残して死んだ。 体重は就職時の65sから52sに減り、 健康を誇っていた体は見る影もなかった。 就職先は業務請負会社ネクスターであった。 その一年後、 同じ会社の社員が26歳の若さで心筋梗塞が原因で死んだ。 管理の厳しいクリーンルームで拘束11時間の勤務、 その上残業は月70時間を超える労働の果ての死であった。 母親が駆けつけたとき、 部屋には栄養ドリンクのビンが散乱していた。 ネクスターからは勤務実態の説明は一切なかった。 ネクスターは160社以上を数えるクリスタルグループの一員であった。
  「正社員の三分の一」 という低コストで労働力が確保でき、 しかも必要がなくなれば解雇できる。 企業にとってこれほどありがたい存在はない。 こうした低コストの労働力を駆使することで日本の製造業は息を吹き返した。 だがその結果は…。 地方から来ている者の場合、 寮費等をひかれると手取り10万に達しないケースもあるという。 不足する生活費を補うためにスナックで働く女性もいるという。 文字通りのワーキングプア、 いくら働いても貧困から抜け出すことのできない人間の群れが社会の深層に蓄積されていく。 そこからもがき出ようとして命果てる者がいる。 コマーシャルでは最先端技術を盛り込んだ電化製品が美しく紹介され、 消費意欲がかき立てられる。 だがその陰に、 どうにも抜け出せない 「光を閉じこめる闇」 が広がっていく。 風間氏はここから先へ調査を進めていく。
 先には凄まじい世界が広がる。 「研修生」 という名目で外国人の労働者をつかっている現場では、 トイレ時間 1 分につき15円を罰金として徴収する。 もちろん 「研修生」 であるから最低賃金などは守られない。 日本人も同じである。 50sほどの鉄の品物を持ち上げる危険な作業を昼夜 2 交替で働いても得る収入は月20万円強、 そこから寮費、 テレビ、 布団、 冷蔵庫、 エアコンといったリース料がひかれ、 手取りは13万円ほどにしかならない。 「年収300万は夢」 なのである。 それでも住むところがある中はいい。 「家賃も払えず漫画喫茶で寝泊まりするフリーターも増えている」。 それでも無事に働ける中はいい。 「アスベストの粉塵の舞う解体現場で、 マスクさえ支給されず、 タオル一枚巻いて作業をおこなった」。 「改修工事の現場でヘルメットもかぶらず作業をしていた。 パネルが倒れてきて頭が割れ出血する大けがをしたが、 30分以上その場に放置され労災さえ適用してもらえない」。 それでも働かなければ生活はできない。 これはもはや地獄絵巻である。 地獄の牛頭馬頭どもが、 地獄に堕ちた亡者を針山に追い立てるかのように、 過酷な労働に人間を追い込んでいく、 そして生皮をはぐようにしてなけなしの金を巻き上げていく。
 なんでこんな扱いを受けなければならないのか。 ある経営者 (ザ・アール社長 奥谷禮子氏) に、 風間氏はインタビューをおこなった。 「だって能力には差がある」。 「(労使は) 対等です」。 「過労死は自己管理の問題です」。 そんな言葉が返ってくる。 そうか、 「能力」 が低いからこの人たちはこんな扱いを受けなければならないのか。 そうか、 漫画喫茶で携帯電話に入ってくる連絡をひたすら待つ者と、 何百億の金を動かしている経営者は対等なのか。 だが、 「能力」 が低いとされ、 「自己管理」 も満足にできないとされる人間が、 この国のあらゆる分野の産業を支えていることは間違いがないのだ。
 この本は事実の記録である。 一つひとつの事実がそのまま強烈な告発になり、 主張になっている。 この本が出版される直前、 筆者は風間氏と会う機会を持つことができた。 これだけの仕事をしている人が若いことに驚いた。 1977年生まれ、 三十歳になったばかりである。 だが、 その若さを羨む気持ちにはなれなかった。 若ければ若いほど、 長くこの地獄絵巻を見続け、 その中を生きなければならない。 誰がこの地獄をつくったのか。 「こんな社会をつくるつもりはなかった」。 「反対してきた」。 「少なくとも手を貸したつもりはない」。 おそらく誰もがこう言うだろう。 だが、 できてしまったのだ。 風間氏から見れば、 筆者は親と同じ世代だろう。 先を生きながらもこの地獄絵巻が描き上げられるのを止めることができなかった者は、 頭を垂れ、 そしてまだ何かできることがあるかと自問するしかない。

(ほんま しょうご 教育研究所員)
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