学校間格差と階層差 |
(財)神奈川県高等学校教育会館教育研究所 2007年度独自調査プロジェクトチーム |
はじめに 調査の概要 神奈川の公立高校の授業料 (07年度) は全日制で年額115,200円、 定時制では31,200円である。 授業料は三期に分けて納入する方式なので、 一回の引き落としは全日制で38,400円、 定時制では10,400円となる。 公立高校に子どもを通わせる家庭では、 この金額を指定口座に残しておかなければならない。 その授業料引き落としの日が過ぎてしばらくすると、 職員室の中を事務職員がまわりクラス担任に封筒をわたしていく。 授業料引き落としができなかった家庭への通知である。 県立高校で教員として勤めていれば、 誰もが知っている光景である。 そして現場では最近こんな声を聞くことも多くなった。 「新入生への説明会で、 授業料減免の手続きを希望、 相談する保護者が増えている」。 授業料の負担は公立であってもけっして小さくはない。 さらに 「諸会費」 とよばれる私費の徴収もある。 また教材等にかかる費用を 「学年費」 として預かる必要もある。 これに修学旅行の積み立てが加わり、 日々の交通費、 部活動への参加費用まで考えておかなければならない。 子どもひとりを高校に通わせるだけでも、 それぞれの家計には大きな負担がかかっている。 ただし、 授業料督促の通知にしても、 その数には学校間で大きな違いがある。 分厚い封筒の山が机の上に置かれる学校もあれば、 一通か二通それもまばらに置かれるだけの学校もある。 学校によって生徒がおかれている経済的環境には大きな差がある。 このことは現場にいる者にとっては実感としてすでに周知の事実であろう。 かつてこの問題を取り上げた論考もあった (中野和巳 『教文研だより』 第65号 神奈川県教育文化研究所 93年10月)。 この論考は、 ある学区に属する数校の退学者、 授業料免除者、 滞納者の数と中学校時の成績の関係を比較検討したものである。 結果は、 成績が上位の学校になればなるほど、 退学者、 授業料免除者、 滞納者の数は減り、 逆に成績が下位の学校になればなるほど、 いずれの数も増加するというものであった。 その増減は驚くほど極端であった。 それから十年以上の歳月が流れた。 だが、 事態がより深刻になっているという以外、 現場の実感には何の変化もない。 経済的な弱者とでも言うべき生徒を特定の学校に集中させるしくみ、 それを公正なシステムと呼ぶことはできないだろう。 今年度の独自調査のテーマをたてるにあたり、 高校生を取り巻く経済的な問題に目を向け現場の実感をデータによって裏付けてみたい、 と研究所では考えた。 しかし、 家庭の経済状況について情報を得ることは、 プライバシー保護の壁に阻まれ、 ほとんど不可能である。 他方、 行政が蓄積している情報については、 比較的容易にアクセスできる状況も生まれている。 そこで調査を進めるにあたり、 まず情報開示の手続をとって県立高校すべての授業料減免者数のデータを手に入れるところから作業をはじめた。 さらに各学校の進路状況等の周辺データも手に入れて検証をすすめた。 これが独自調査の前半、 「授業料減免者率・進路状況から見る高校間格差」 である。 ただし、 数値データはあくまでも現実をとらえる手がかりにすぎない。 現場の声、 とくに授業料の徴収に直接たずさわる学校事務職員の声を聞くことによって、 問題の深刻さを浮き彫りにすることをこころみた。 これが後半の 「授業料徴収に関して学校事務職員へのインタビュー」 である。 なお、 神奈川の通信制高校は 1 単位あたり300円を納めさせる方式をとっているが、 今回は通信制高校の問題まで立ち入ることはできなかった。 以下の調査が、 全日制高校と定時制高校に限ったものになっていることをご容赦いただきたい。 (本間正吾) 授業料減免者率・進路状況から見る高校間格差1. 授業料減免者率から見える高校間格差 今回入手した、 2003年度から2005年度の全ての神奈川県立高校ごとの授業料免除者数の資料を基に、 全額および半額免除の生徒が各学校に何%いるかを計算し、 さらに某受験企業の受験難易度 (偏差値) を使って、 <グラフ 1 >を作成した。 グラフ横軸のT〜Xの記号で表されるランクは各校を受験難易度で難しい順で並べ、 上から30校ごとに区切ったものである(1)。 またランクTは定時制高校全体 (19校) の集まりとなっている。 縦軸は各ランクにある学校の授業料免減者率 (パーセント) の平均である。 ただし、 資料の中で明らかな誤りと思われるものや、 再編統合などで 3 年間の継続的資料が整わないものを省き、 全日制は150校を対象として作成した。 また、 定時制高校については、 授業料が全日制高校の約 3 分の 1 であることも勘案されたい。 まず、 受験難易度と授業料免減者率の間に強い相関があることがグラフより一目瞭然である。 しかもランクTの 3 ヵ年平均が1.3%であるのに対して、 Xでは11.9%と10倍近い開きがある。 Tに属する学校からはXに属する学校の様子など想像もつかないだろう。 相関があることは予想通りだったが、 実際にここまでの 「格差」 が存在するとは予想外であった。 2. 授業料減免者率の経年変化から見える高校間格差 また、 <グラフ 1 >で明らかなように、 この 3 年間で免除者率は総体として増加している (平均1.4%の増) が、 ランクごとの変化を詳しく見ると、 3 ヵ年の増分はランクUでは約0.2%、 Vは約0.5%、 WおよびXは約2%、 Tでは約2.7%となっている。 受験難易度が易しくなればなるほどその増分が急激に大きくなっている。 それに対してランクTだけが僅かではあるが減っている(2)。 授業料減免を必要とする層は受験難易度が易しい学校でより増加し、 難しい学校では減少してさえいる。 つまり、 お金の有る無しによる 2 極化の方向に動いているのである。 また、 さらに注目すべきはランクW、 X、 Tの授業料減免者率の増え方である。 04年度から05年度での増分と03年度から04年度の増分とを比べて見ると、 WとXでは鈍っているのに対して、 ランクTでは急激に上がっているのが見て取れる。 そこで各年度間の増分をランクごとに計算したものを<グラフ 2 >に表してみた。 ランクVではその増分がほぼ同じである (つまり増加率は変化していない) のに対して、 WとXの増分はともに、 約 1 %下がって、 反対にTでは、 約 1 %上がっていることがよくわかる。 つまり、 唯でさえ 2 極化の方向に進む高校間格差に加えて、 WおよびXに入学する筈だった授業料減免を必要とする受験生が、 定時制高校に押し出されるようにして流れた事が予想できる。 05年度生の入試といえば、 定時制募集人員が、 7 学級×40人+ 2 次募集臨時増と大幅に増やされた年であった。 決して授業料減免者の増加・2 極化の動きが鈍った訳ではないことを強調したい。 以上見てきた様に、 受験難易度と授業料減免者率の間には強い正の相関が見られ、 しかもその様子は年々急速に強化される方向にある。 確かにここでいえることは、 相関関係であって因果関係ではない。 しかし、 ここまでの高校間格差を加速的に広げている構造がそのままであっていいはずがないことは明らかだろう。 昨今は 「自己責任」 (あらゆる個人、 団体に対して) が強調されているが、 この不平等構造の原因を告発し正していくことこそが、 社会全体に対する各々が果たすべき 「責任」 ではないだろうか。 今回は03年から 3 ヵ年分の資料しか入手できなかったため、 経年変化の調査については限界があった。 今後は90年代から現在に至る、 より長期の資料を追う必要があるだろう。 3. 進路状況から見える高校間格差 授業料免除が生活保護規準に準じていることは先に説明したとおりである。 それではこの格差と進路状況とは、 どのような関係にあるのだろうか。 次頁の<グラフ 3 >のT、 V、 X、 Tは<グラフ 1 >で使ったランクと同じ学校集団である。 データは06年度卒生の進路状況である。 卒業後の進路先を 「大学」、 「短期大学」、 「専修・各種学校」、 「就職」、 「その他」 の 5 つに分けて、 各々のランクに属する学校の平均を計算し、 パーセントでレーダーグラフにしたものである。 つまり、 04年度入学生が卒業した結果だと思っていい。 それぞれ典型的な形が現われている。 まず、 最も顕著なのは大学進学率と就職率の差である。 大学進学率については、 Xが約15%、 Tが約 4 %なのに対して、 Vは約38%、 Tでは約70%と、 TとTでは約17倍もの差が出ている。 昭和女子大学の矢野眞和教授は 「大学全入時代」 の理由を 「大学の作りすぎ」 と 「少子化」 にあるとする意見に対して 「学力が平均以上であるにもかかわらず、 大学に願書を提出していない高校生がいる。 全入時代というのは、 大学に願書を提出した人数と大学定員が同じなることに過ぎない。 願書を出せていない人たちをまったく考えていない。」 と現在が進学機会不平等な時代であることを批判し、 その主たる原因が高騰する大学授業料にあると指摘する(3)。 実際、 経済不況など構うことなく大学の学費は無慈悲に上昇し続けている。 昨年度の入学金+学費+諸経費などの入学初年度の納付金は、 国立大学で約53万円(4)、 私立大学では平均して、 文系115万円、 理系150万円、 医歯科系510万円である。 さらに自宅外通学を想定すれば、 切り詰めてもこれに+100万円は掛かるであろう(5)。 これだけ見ても家庭の収入格差が大きく進路の格差に影響していることが想像できる。 授業料免除が生活保護規準(6)に準じていることを考えれば、 家庭の年収の半分以上をどうやって負担することができるだろうか。 もし仮に大学に進学できたとしてもアルバイトでこの学費を稼ぎ出すには、 大変な時間と労力をとられ、 勉強どころではなくなる。 さらに、 学歴と収入にも強い相関があることを考えれば、 高額な学費を問題なく工面できる親は多くの場合、 高学歴であることが知られている。 高学歴の親は (多分その交友関係も含めて)、 その豊富な学校経験から、 良い成績の取り方や進学することの価値とそのための様々な方法を知っていることになる。 こういったいわゆる親の 「文化的資本」 は知らず知らずのうちに子に伝達され、 それがまた子の学習意欲、 進学意欲へとつながっていく。 逆にそうでない家庭の子はこのような 「文化的資本」 の恩恵がない分だけ、 不利となるだろう。 このように、 家庭の収入格差が教育格差にたいして、 幾重にも重なった影響をあたえている。 近年、 特に高等教育段階については受益者負担の主張が蔓延しているように見える。 将来に個人的利益をもたらす 「知識」 の費用は、 その個人が負担すべき 「義務」 だというのである。 しかし、 彼等、 受益者負担主義者の言う 「義務」 を果たすべき資金的能力を持ち得ない場合はどうするのか? 「今は借金して、 将来返せばいい」 と彼等は言う(7)。 そして上手く借りられ、 何とか大学を卒業し、 就職出来たとしても今度は借金の返済に追われ始めるのである。 こうして、 「受益者負担主義」 はある一定以上の収入が約束された家庭の子に知識の私物化を促し、 そうでない家庭の子を、 高等教育から排除する。 この傾向は高校教育にもじわりじわりと浸食しつつあるようにみえる。 さらに 「就職率」 の数値を見ると、 Xが約43%、 Tは約61%であるのに対して、 Tは 1 %以下とほとんど無い。 高校を卒業してすぐ就職する者はほとんどXとTに属することがわかる。 しかし、 高卒就職者がすぐに安定した職に就きにくいだけではなく、 将来にわたって難しいのが現状である。 東京大学の本田由紀准教授は 「普通高校卒業者は、 若者の中での量的比重がもっとも多いにもかかわらず、 彼らの中ですぐに正社員になれた者は約半数にすぎない」 と他の教育機関と比べてもとりわけ職への連結が困難になっていることを指摘する。 さらに、 高卒直後に正規雇用であった者でさえ、 10年後までには約 5 人に 1 人が非正規雇用に切り替わっている。 つまり 「いったんフリーターや無業者などの経歴を持った者が、 その後に安定的な職業機会を挽回できる機会は日本の現状では著しくすくない」 と学歴は将来にわたって雇用形態を大きく左右することを告発している(8)。 最後に 「その他」 の数値についてだが、 TとTが 2 割を超え、 その他が 1 割強とさほどの差は見られない。 しかし、 その内訳を見るとTやVでは大学や短大、 専門学校への進学準備がそのほとんどを占めているが、 XやTでは多くが 「未定」 または 「フリーター」 である。 つまり、 TやVでは 「その他」 に入っている層も多くは進学を目的として、 その後それを実現している。 それに対して、 Xで 「その他」 に入っている生徒は望むと望まざるとに関わらず、 無業者となるか、 そうでないにしても正規契約の就職を将来にわたって望めない環境に落とし込められているのである。 この予想は現場にいる教員の感覚を裏付けてもいる。 このようにして授業料減免を必要としている生徒は卒業後も経済的に不利な立場にたたされ、 彼等が将来家庭を持ったときに、 またそのような状況が再生産される。 そして現在、 この格差再生産を見過ごすどころか、 積極的に推し進めることが政策とし行われている。 それが今日の教育現場で起こっている現実であることが見えてくる。 【注】
(藤原 晃) 授業料徴収に関して学校事務職員へのインタビュー (手島 純) まとめ授業料免除率を手がかりに各学校で学ぶ生徒のおかれている様々な状況が明らかになった。 以前から多くの研究者や教育関係者が様々なデータを使って 「学業成績」 や 「進路先」 が各家庭の経済的状況と密接な関係があることを指摘してきた。 また、 学校現場の教職員も日常の教育活動の中でそれらについて実感として受けとめてきた。 とりわけ高校における独特の階層的構造、 すなわち学校間格差という制度が、 それらの関係をよりはっきりと表しており拡大傾向にあることも明らかになった。 さらに、 経済的困窮者が多いと思われる授業料免除率の多い学校上位10校を並べてみると退学率上位10校のうち 8 校までがその中に入っていることから、 生涯賃金などにおいてその格差が将来に向けて拡大生産されていくだろうということも予想される。 (表の授業料免除率と退学率はいずれも2005年度) 「学校選択の自由」 を保障するとし学区を全県学区とした神奈川の公立高校の学校間格差はさらに固定化される状況にある。 そのような中で、 個々の学校における授業料担当の事務職員の仕事が、 学校によって大きな違いがあることがインタビューによって明らかになった。 「学校事務職員へのインタビュー」 の項で述べたように学校事務室センター化になれば、 授業料等が期日までに銀行引き落としがされない生徒が多く在籍している学校で、 より一層、 授業料未納者が増大するのではないかと懸念される。 また、 指定校推薦等において 「推薦しない条件」 として欠席日数や成績の他に 「授業料・諸会費が未納の者」 といった項目をあげている学校もあり、 生徒にとっては進路決定の入り口の段階で家庭の経済状況によって左右されることになる。 さらに、 経済格差が中学卒業時の進路にも深刻な影響を及ぼしている。 県教委が 8 月 1 日に発表した2007年 3 月に卒業した県内の公立中学生の全日制進学率は昨年に続いて90%を切り 0.3 ポイント下がって89.3%となり、 これは全国でも最低水準の数値ではないかと予想される。 全日制を希望しながら経済的な事情で私学には行けず定時制へ入学する生徒が多いことが全日制進学率の低下を招いていることは、 当研究所の調査 (1)や県教委の調査(2)でも明らかである。 そうしたことから神奈川の定時制高校は臨時学級増や定員を超えての合格者で満杯状態(3)である。 教育費の負担が重くのしかかっていることは奨学金の応募状況にも現れている。 06年度は応募の時点で、 募集定員2,926人に対して4,519人の申し込みがあり、 県教委は急遽枠の拡大に迫られ、 最終的に4,162人の採用に踏み切らざるを得なかった。 この県の奨学金制度には、 2007年度の募集人数を4,078人と前年度実績の4,078人を下回っていることや、 新たに 2,3 年生応募段階で成績要件が入り 3.0 以上 (生活保護世帯は除く) となり、 さらに返還免除の成績要件が 4.0 以上から 4.6 以上へと著しく高くなったこと、 そのために昨年まで受給されていた生徒の経済的困窮が変わらないにもかかわらず不採用 (受理されない) になっているなどいくつかの問題点が生じている。 一方で県教委は受験エリートの県立高校をめざす 「学力向上進学重点校」 10校を指定したり、 中高一貫校 2 校を2009年度に開校するなど競争に勝ちぬいてきた生徒の支援策を打ち出している。 早稲田大学教育・総合学術院准教授菊地栄治氏は全国の校長・教員との調査(4)から公立高校の校長の次のような聴き取りを紹介している。 「生徒・保護者ひいては社会の二極化が進む中で、 教育困難校での学習指導に人的補充を手厚く進めることにより、 教育全体の根っこの部分が再生し再成長を遂げることができると思う。 上部層だけの学力向上等に目を奪われてしまうと、 根が枯れた危機的状況に陥ってしまうと考える。」 神奈川で2009年度に向けて指定されようとしているいわゆる 「学習意欲向上校」 がこのような意見に応え得るものなのかどうか注目していきたい。 このような 「学校間格差」 と 「経済格差」 は現在の社会構造に大きく影響されており、 「格差」 そのものが深刻な社会問題となっている。 内閣府が 8 月 7 日公表した2007年度の年次経済財政報告 (経済財政白書) は、 日本経済が成長して所得水準が上がっても、 格差は拡大傾向にあると分析している。(5) その白書では格差是正のため低所得者層を支援する新たな制度が必要だとし、 具体策として、 所得税を減額する 「税額控除」 と社会保障給付制度を組み合わせ、 低所得者は税金よりも給付金が多くなって税率がマイナスとなる 「負の所得税」 などを挙げている。 このように白書でも格差是正のため具体策を提言しているが、 神奈川における教育格差に関わる施策はどのようなものだろうか? 確かに 「格差」 は社会・経済の構造全体に根ざしている問題であり、 教育とりわけ学校現場で解決できるものではない。 しかし、 抜本的な解決にならないものの、 全県学区の見直しを含めた入試制度の改善、 授業料減免制度の認定基準の引き下げ、 私立高校生徒学費補助金や県高校奨学金の基準見直しなどの教育の分野からの対応によっては、 少しでも 「格差」 是正の方向に向くのではないだろうか。 【注】
(中野渡 強志) |
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