2006 教育討論会 |
高校改革がもたらすものは? 格差社会の中で学校は |
■日 時 2006年11月18日 (土) 14:00〜16:30 ■会 場 Lプラザ第 6・7 会議室 ■問題提起 佐々木 賢(教育研究所代表) 本 間 正 吾(教 育 研 究 所 員) 金 沢 信 之(教 育 研 究 所 員) ◆司 会 教育研究所は昨年まで、 シンポジウムという形で集会を開催し14回を数えました。 つながりでいえば、 今年は15回目ということなのですが、 今年は教育討論会をいう形でやろうということになりました。 というのは、 今学校現場にさまざまな問題がある中で、 具体的に直接子どもたちに関わっている人々に話をしてもらうほうがいいのではないか、 取り巻く教育状況を共有してそこから何かを探っていこうと落ち着いたわけです。 まず最初は、 研究所の佐々木代表から、 挨拶を兼ねて、 討論会のコーディネーターとしての問題提起をしていただきます。 教育基本法と 「教育心性操作」 ◆佐々木今日は秋の行事のいろいろある中で皆さんに来ていただきありがとうございました。 私ども教育研究所ではこれまでいろいろ議論をしてきましたが、 今日皆さんのお手許にお届けした 『ねざす』 38号には、 「教育の民営化」 が世界でどのように進んでいるかについての発表が掲載されています。 今日は私たち 3 人でそれぞれ15分ずつ報告させていただきます。 現状報告という形になります。 その報告を受けて、 あるいは、 報告とは関係なく、 どのように現状を捉えているのか、 参加者の皆さんを中心に討論を進めていきたいと思います。 最初に私のほうから、 教育基本法をどのように改正しようとしているのか、 これまで反対運動をしてきた日教組や市民団体であまり語られてこなかった部分に触れておきたいと思います。 今日ここで私たちが問題指摘したいのは、 教育基本法改正の中に秘められた 「民営化」 の要素がどのように入ってくるのか、 というのが第 1 点であります。 もう 1 つ、 私は変な言葉を使っているのですが、 「教育心性操作」 の要素があるのではないか、 これが第 2 点であります。 本間と金沢のほうから、 民営化がどうのように進んでいるのかについて報告いたします。 私のほうからは教育心性操作について報告しようと思っています。 お手許の補足資料に、 教育心性操作という言葉が書かれています。 これは改正案の中にいくつか心を変えようとするような操作があるのではないか、 あるいは民心を安心させようとする要素があるのではないか、 と考えたからであります。 私は新聞の切り抜きマニアでありまして、 いつも新聞記事を切り抜いておりますが、 10年間で 3 万枚ぐらいの切り抜きがございます。 何か問題がありますと、 その切り抜きを縦にずっと並べてみます。 すると現状がよく見えてくるという利点があります。 私はこの改正案の中で、 これ、 改悪なのですけれども、 15ヶ所の教育心性操作が含まれているんではないか、 と思っております。 1 は道徳・情操とか、 道徳心であります。 現在、 小さな政府と言って、 福祉予算や教育予算を減らしつつあります。 こういう格差社会や競争社会に入ってきますと、 情操とか道徳心が衰えてまいります。 新聞を見ていましても、 しょっちゅうエライさんがズラッと並んでピョコッと頭を下げている図がございますが、 「こんなに不安なのは要するに道徳が退廃したからだ。 教育基本法に道徳を強調しましょう。 そうすれば民衆が安心するのではないか」 と思いつつ、 これを盛りこんだのではないかと考えます。 2 番目に愛国心です。 国際紛争が起こっています。 テロがあります。 国際的な犯罪もあります。 南北格差や国際格差が大きいときに、 こういう状態が起こります。 ここで愛国心を強調すると国民が安心するのではないかということです。 3 番目に、 公共性が破壊されております。 WTOの方針でGATSという政策をおこなっておりますが、 これは民営化政策です。 公共的なものをすべて私企業化する政策です。 私企業化のために日本では民営化推進委員会というのを創りました。 どれだけの項目があるかと申しますと、 水道の民営化、 郵政の民営化など、 1000項目以上あります。 公共的なものをすべて私企業に切り替えていくということです。 そうしますと、 共同性に対する不安が増してまいります。 その不安を解消するために、 公共性を強調した教育基本法にすれば国民を安心させることが出来るのではないか、 そういう試みであろうと思います。 4 番目に地域のことがあります。 1958年から1968年までに、 日本では高度経済成長期でしたが、 4000万人の人が移動しました。 1 億2000万人の中の4000万人ですから、 もうほぼ 3 分 1 が移動いたしまして、 地域がガタガタになります。 地域が崩壊したという意識は民衆の中に非常に強くあります。 それを慰めるために教育基本法を改正しようとしたのです。 5 番目に核家族があり、 家庭崩壊があります。 これは少子化や未婚者の増加の問題とも関連していると思うんですけれども、 改正案の10条に家族のことが書いてあります。 11条には 「幼児に良好な環境を」 ということが書いてあります。 家族崩壊の不安を解消しようとしているのです。 次は性のことです。 妊娠中絶は1980年には 2 万件でしたが、 2000年には 4 万件に増えています。 性に対する親の不安があります。 これに応えようとして教育基本法を改正しようとしているのです。 男女共学を削除し、 純潔教育を強調するという意図があるのではないかと思います。 6 番目は教員です。 教員が悪いから教育が乱れているというのは、 ブッシュもブレアも言っています。 日本でも 「教員が悪い」 キャンペーンを新聞で大々的に行っています。 そして教員の研修強化を言ったりしております。 7 番目は身体ということがあります。 健康増進法というのを出しまして、 健康は国民の義務であると規定しました。 国家が国民の健康を保障するのではなくて、 国民の義務だという自己責任を強調いたします。 成人病という言葉を生活習慣病と言い換えたのも自己責任を強調し、 ゆくゆくは国民健康保険を私企業保険に変えようとする意図があります。 8 番目に自然破壊がございます。 都市開発と交通大革命があり、 大気汚染などの公害があり、 地球温暖化の環境問題があり、 その不安に応えようとして教育基本法の改正案に書いてあるのです。 9 番目に勤労ということが書いてあります。 勤労を尊ぶということですが、 現在若者の労働市場がひどい状態になっております。 下請け化、 外注化が進み、 短期労働化されて、 フリーターがたくさん出ております。 このときの親御さんや若者たちの不安に応えるために勤労ということを新たに入れたのだろうと思います。 このほか、 生命・大学・規律等々、 これはすべて心性操作のためだろうと考えております。 要するに、 社会現象や経済政策で不都合なことが起き、 庶民の生活が破壊された。 その原因を教育のせいにして、 基本法を変え、 庶民を安心させようという意図がありありと見えます。 時間が過ぎましたので、 心性操作という私の解釈はこの辺で終わらせていただきまして、 次は本間さんのほうから、 中高一貫について報告いたします。 公立中高一貫校のある景色 ◆本 間:本間と言います。 県立高校の教員です。 いま私たちがどんな方向に向かっているのか、 向かわされているのか、 と言うことに少し目を向けてみたいと思います。 結論を先に言ってしまえば、 それは希望のない社会ということではないかと思います。 この国の中で、 周辺に位置づけられた人々の希望は失われています。 問題提起として 「希望はどこに」 というタイトルでお配りしましたものは、 奄美大島で 「アニ」 と呼ばれる若者たちのことについて、 昨年の 「母と女性教職員の会」 で出されたレポートに私なりに調べたものを付け加えて書いたものです。 奄美大島や知床といった地域からの報告があったものですから、 取り上げてみました。 奄美大島の小さな中学校、 小学校と一緒なのですが、 生徒数が30人ぐらいしかおりません。 おそらく豊かな自然の中ののどかな学校を思い浮かべるでしょう。 でも荒れています。 試験も成り立たないほど荒れています。 それを煽っているのが地域に住む 「アニ」 と呼ばれる若者たちです。 資料に加えましたように、 奄美大島の経済はどん底まで落ち込んでいます。 製造業はほとんど壊滅状態、 建設業とサービス業に従事して生活を支えているという状況です。 しかし、 建設ラッシュになっているわけでも、 観光客が殺到しているわけでもありません。 しかも、 中学を卒業して他の地方に働きに出たとしても、 家もないままそこでの最底辺の生活になってしまいます。 奄美にいれば住むところはある、 でも希望を持てない。 奄美での生活にも、 外に出て行っての生活にも希望を持てない、 そんな状況の下で希望を失った若者が荒れています。 これは今までとは違うのじゃないかと思います。 またお手元にお配りしている、 所報 『ねざす』 をご覧ください。 私が書いたのは 「公立中高一貫校のある景色」 ということで16ページ以下にあります。 そこでもやはり同じ景色が見えてきます。 秋田県経済はどん底状態でこれ以上どうにもならない。 産業といっても、 このところ新しく雇用が増えたのはテレホンオペレーターぐらいのもので、 これが増えたのは時給が低いからに過ぎないわけです。 そういうところで、 公立中高一貫校が大きな犠牲を払いながら創られているのです。 その犠牲とは何かと言うと、 秋田では過疎地域の合計19校を半減させるという形で高校再編が行われるのですが、 そこで浮いた資金が公立中高一貫校の開設に投入されているのです。 この一貫校が出来る裏側で、 小中学校の統廃合も進められており、 ある町では 4 校の小学校が 1 校に統合されるというのです。 その統合のためにスクールバスが用意されるのですが、 そのスクールバスは統合される町の最後の予算で購入されたもので、 この後、 そのバスが使えなくなったときに代わりのバスが用意されるかどうか分かりません。 町そのものが統合され、 スクールバスを残して消えてしまっているからです。 こういう状況の中で公立中高一貫校が創られていきます。 そして、 そこに入学した生徒はどこへ行くかというと、 国公立を中心としたいわゆる有名大学に進むべく頑張るわけです。 しかし、 そうした生徒たちの多くは中央へ出て行き地元には戻ってこないでしょう。 皮肉にも人材の空洞化とでも言うべき事態がおこるのではないでしょうか。 さて、 公立中高一貫校は民営化に通じているということが先ほどの佐々木代表の話にありましたけれど、 そこに入ろうとする場合、 家庭の力が試されます。 家庭の力をそこに投入して自分の子どもを何とかエリートの流れの中に入れていきたい、 という狙いがあるわけで、 全国的に中高一貫校開設の動きの背景にはそんな力があると思います。 その裏で学校の統廃合が進められるわけです。 金をかける必要のないとされたところから金を削り、 一部にその金を集中させます。 全国的に格差の拡大、 地域間での格差の拡大が進み、 それに重なるかたちで地域内での格差の拡大が進んでいます。 格差が二本立てで拡大していきます。 こうした図式の中で先ほど紹介した奄美大島の 「アニ」 を、 地域間の格差と地域内での格差という、 二重の格差の中で最底辺に追いやられてしまったという存在として考えることができるのではないでしょうか。 いま私たちは希望を持てない社会に進んでいる、 そんな未来社会の姿を 「アニ」 たちは、 私たちに知らせているのではないでしょうか。 ◆佐々木:金沢さんのほうからは、 学校経営センターの話、 公設民営学校 (アメリカではチャータースクール、 イギリスではシティ・アカデミーと言われまして、 国家が予算を出して運営は私企業に任せるという学校のこと。 日本では国家が予算を出さないで私企業に任せる形で進んでいます)、 株式会社立高等学校の実態がどうなっているか、 などの点で報告いただきます。 進行する教育の民営化 ◆金 沢:紹介いただきました金沢です。 私のほうからは具体的な話とその具体的な話が自分の周囲ではどのような現象として現れているのかという点で話が出来ればいいと考えています。 今日テーマになっているのは高校教育改革、 教育の市場経済化、 それらが今回の教育基本法改悪とどのようにつながっているのか、 これらがポイントだと思います。 まず、 高校に絞って市場化の動向を紹介したいと思います。 お手許の資料として 「研究所ニュース・ねざす」 55号が行っていると思いますが、 私はその中で問題提起 2 として 「進行する教育の市場経済化」 というタイトルで拙い文章を書かせていただきました。 先ほど代表のほうから 「皆さん、 ご存知ですか」 という問いかけがありました。 公設民営化高校のことです。 これが今どうなっているのか、 文部科学省の流れはどうか、 中教審答申はどうなっているか、 を調べてみると、 実はある程度まで結論が出ているという事態にぶち当たるのです。 ここにも書きましたが、 文部科学省は最後の砦を明らかに小中学校に絞りこんでいるという感じです。 幼稚園と高等学校については、 文部科学省の段階では公設民営化に一定のゴーサインを出しています。 アメリカのチャータースクールはエジソン社というところが運営に参加しているのですが、 今回ちょっと調べて 『ねざす』 38号のほうに書きました。 エジソン社は学校管理会社でペンシルバニア州というところで手広くやろうとしたようです。 ペンシルバニア州のすべての学校を公設民営にしようというほどの勢いで取り組んだようです。 最終的には教職員団体の反対で数は絞り込まれたのですが、 このエジソン社の公設民営の手法を見ていくと、 市場化する学校の悲劇的な状態がいろいろと見られて、 恐ろしいなと思いました。 例えば、 1 例を申し上げますと、 問題のある生徒を切る、 すなわち退学あるいは停学に持っていくのです。 そうすると、 ある学校では 3 分の 2 ぐらいの生徒が自宅待機ないし退学になってしまって学校が成り立たなくなるんです。 そのときエジソン社は面白いことを言いました。 「これほど教育が大変な仕事だとは思わなかった」 ということです。 あるいは、 そこで働く教員たちの待遇を切りつめ切りつめして、 人件費を抑制するんです。 ですから、 頑張ろうという意欲的な教員が集まらずに、 仕事がなくて教員としての適性のない人が集まってくるのです。 そういう中でどんどんひどい状態になっていき、 最後には地域の人たちからも見放されてしまうような状態になるのです。 エジソン社は株式会社ですので、 自分のところの株価の上がることが利益追求の一番大きい指標になるわけです。 株価が上がってその株を売れば自分の収益になるんです。 ですから、 テストの点数などをうまく公表するんです。 点数が上がったように見せるんです。 そうすることによって株価が上がり、 株価が上がることによって自分たちの利益が上がるわけです。 こういう形で学校を経営していくのですね。 こういう悪い状態に一定つながるような施策にゴーサインが出ているのです。 もう 1 つ考えなければいけないことは、 そこで働く教職員は公立学校であれば公務員ですね。 これが公設民営化になって学校設立会社になった場合には、 非公務員化が前提とされているのです。 こういう手法というのは実は、 これまで第 3 セクターなどいろんなところでありました。 これを読んでいるときは、 教員=公務員については何となく聖域という感じがしていたんだけれども、 ある部分ではもうそこまで来ちゃっているのかと感じました。 人件費を切りつめるためにはそういうことも視野に入れた発想があるのかという恐ろしさを感じました。 それがすでに高等学校と幼稚園の部分については一定ゴーサインが出て進みつつあるということです。 それで今話が元に戻りますけれど、 公設民営高校で学校を建て直す手法として、 問題行動を起こす生徒を学校から切り離すというやり方が取られていくということを申し上げました。 これは実は、 今回の教育基本法改正案を読んでいくと、 そこのところがうまく織り込まれているなと思うところがあるんですね。 例えば、 先ほども出ていた第10条の家庭教育です。 「父母その他の保護者は子の教育について第 1 義的責任を有するものであって」 と書かれているんです。 つまり子どもの教育についての第1義的な責任は保護者あるいは父母にあるという考え方です。 自己責任を取りなさいという考え方が織り込まれているんです。 これだけではなくて、 第 6 条の学校教育の中には、 「教育を受ける者が学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、 自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行わなければならない」 とあり、 つまり、 規律を乱す者は学校から排除される可能性につながる規定がきちんと基本法の中の文面に出てくるということです。 次に、 またいくつかお話ししたいんですけれども、 「ニュースねざす」 のほうが見やすいのでそっちを使いますが、 最後のページの 4 番で 「高等学校設置基準の改正」 を取り上げました。 これも今回いろいろと調べる中で、 ほんの数年の間に高等学校の設置基準が改正されていたことが分かりました。 教員定数がクラス数を最低基準となるように変更されました。 あとは教育課程上必要な人数が配当される仕組です。 これを読んだとき、 教育課程に準じて教員がきちっと配当されていけばいいと思いましたが、 このことで私は教員の階層化ということを強く感じるようになりました。 担任をやったり、 経営をやったりする層、 ただ授業だけやればいいという層、 それ以外の層という形でどんどん分断されていくことになるのだろうということです。 そうなると、 学校で一番大事にしていかなければならない協力共同、 教師が協力し合って働きそれが生徒に伝わっていくあり方が阻害されてしまうのが心配です。 東京都の主幹は有名ですが、 それに加えて今度主任教諭というものをつくっています。 これが将来管理者候補になるわけですが、 10年後の研修を経た者が主任教諭になるという仕組みで、 巧妙というか狡い側面があります。 東京の教師道場で 2 年間研修を受けた人は10年を待たずに選考の有資格者になるというもので、 言うことを聞いた人間にはアメがある、 言うことを聞かない人間は10年後の研修を受けなさい、 という姿勢が露骨です。 10年というのを聞いたときは、 どこかで聞いた数字だなと思ったのは、 教員免許の更新。 これに見事に符合していて、 非常な恐怖を覚えます。 教員が、 主任教諭の層、 主任教諭になれない層、 主幹の層というふうに階層化するということです。 神奈川で言えば総括教諭が思い浮かびますが、 ソウスカン教諭の時代が来るなどと揶揄されています。 改訂されようとしている教育基本法は教員の研修がきちんと押さえ込まれています。 第 9 条の教員の項には 「養成と研修の充実が図らなければならない」 と書かれています。 実は、 教育基本法の改訂がもうすでに先行し実施されている。 教育基本法がある意味で変えられてしまっている状況が我々の周りにもあります。 教員の身分においてても特別免許状授与というのがあり、 これは教員の資格がなくてもよいということです。 広域通信制単位制高校は日本全国の生徒を対象としています。 株式会社立高校のほとんど全てがこの制度を利用しています。 神奈川にもあります。 そういう学校ではサポート校もあるのですが、 免許状を持たない先生がレポートを写させて、 それを通信制高校に出させて単位を取るという報告があります。 野放し状態です。 地方自治体の財政が破綻しそうなところの廃校した学校や経営破綻したホテルなどに特区を使って学校を作り、 そしてサポート校も作ってダブルスクールとして 2 倍のお金を取る。 お金のない人にはサポート校には来なくてもいいという。 教育の市場化はそういうことから始まっています。 富裕層と呼ばれる一部の人々にとっては、 良い教育条件を享受できて、 安泰な生活に結びつけることも可能だ、 ということです。 また、 そっちのほうがいいと歓迎する層もある程度います。 そういう中でわれわれは日々多忙な生活を送っているわけですが、 ではどうしたらいいのか、 というところを皆さんにご議論いただけるとありがたいと思っています。 暗い話が多く出ましたが、 現実を見なければ対策も見えてこないためで、 では、 これからどうしていくか、 ということを皆さまで話していただければありがたいと思います。 ◆佐々木:これで 3 人の報告を終わらせていただきますが、 これから討論をしていただきながら、 資料の補足をさせていただきます。 今の報告でちょっと分からないところがあったら、 ということで、 ご質問があればそれを受けます。 ご質問がなければ、 3人の報告を聞いて何かご意見をお願いします。 新自由主義が教育の中に 定時制で講師をしています。 佐々木賢さんの話を前から聞いておりまして、 佐々木さんが仰っているのは 「基本的に今の教育問題は教育では解決できない」 ということと理解しています。 今お話を聞いていましたが、 経済界では当たり前に行われてきたことがそのまま単純に学校に適用されている気がします。 ここでお話ししたいことですが、 よく新自由主義という言葉を聞きます。 本来自由とは無前提で発想するものであるはずが、 新自由主義では、 個人が与えられた枠組みの中で選択する自由だけになってしまう気がするんです。 テレビゲームをやっていると道が分かれていたり、 アイテムの中から選べと指示されたりして、 選択の結果はそのまま受けろという形でゲームが進みます。 総合学科で選択科目が150くらい設けられたとか、 今話に出てきた学校選択の自由などもありますが、 自由に学校を選択するということになると、 どうしても選択のための学校の格付けをしなければならなくなるわけです。 そしてそのために、 ナショナルテストというか全国統一学力テストをやっていくということになります。 先ほどの話で自己責任の話が出ましたが、 自己選択の結果の自己責任であると納得させることが (人によっては諦めさせることが) ポイントになるわけです。 バウチャー制度でも、 人数が集まったところで予算配分すればいいものを 1 人 1 人に教育切符を使わせるのは、 自分の選択の結果は自分で責任を取れというメンタリティを植え付けるところに確かな意図があるのではないかと思います。 そのメンタリティを植え付けることによって、 働く人たちが社会情勢とか労働環境という外部のせいにしないで、 ひたすら自分個人の問題と捉えて、 サービス残業などにも黙って従う人材が育つことにつながるのではないかと思います。 新聞などを読んでいると、 すでにそういう人材が育っているのを感じます。 企業は非常に巧妙です。 例えばノルマという言葉は使いません。 ノルマでなく 目標 などといい、 それも自分で立てさせるわけです。 自己実現幻想に駆られたエリートには、 労働時間や労働環境に関係なく 「朝まで働いてもいい」 という者まで出ることになるわけです。 それを言葉に表した好例があるのですが、 2001年にいくつかの大企業が大量解雇を計画しました。 全部で16万人の解雇です。 松下電器では8000人の解雇を予定していました。 しかし松下はリストラとか、 希望退職募集とかとは一言も言わないんです。 どういう言葉を使ったかというと、 「個人の選択で活躍の場を見出す特別ライフプラン支援計画」 ということだったそうです。 これで分かるとおり、 ここでも自己選択・自己責任の線が貫かれているんです。 先ほど金沢さんから、 「切り捨てることによって株価が上がる」 という話がありましたけれども、 手っ取り早く株価を上げるには、 労働者を解雇してコストを下げるのが一番です。 アメリカにデュポン社という会社がありますが、 そこでは13500人の労働者を解雇し、 それによって30億ドルのコストを削減した途端に株価が急上昇したというのです。 そのことによって投資をした一部の株主だけが儲かって多くの人が職を失ったわけです。 そういう流れが非正規雇用を増大し、 安い労働者を使う傾向を生んだわけです。 若い労働者が真面目に働いている裏の見えないところでそういうモラルハザードが際だつのを強く感じ、 結局われわれはそういうところに支配されているのだというところもしっかり押さえておくべきだと思いました。 ◆佐々木:ありがとうございました。 今の話と絡めて、 神奈川の状況について感じたことをお話しいただきます。 格差社会の中で定時制高校は 4 月に定時制に出て半年ほど経ちました。 今神奈川の定時制は人で溢れている状況で、 1 クラス40人で募集してそれでも不合格者が出るというのが実態です。 私が受け持った 1 年生のクラスは44人でスタートし、 留年生 2 名で46人です。 最初 2 ヶ月ほどかけて聞き取り調査をしました。 中学校の様子や定時制に来た経緯を聞いてみると、 久しぶりに教室に 1 時間いたという生徒が結構います。 中学校では学校へは来たけれど教室には入らなかった、 先生が来るな、 と言ったという生徒たちです。 学校はほとんど欠席していないが授業は受けていないのです。 なかなかレポートを出さない生徒がいるので聞いてみると、 小学校のときから要注意人物だったと自慢げに言い、 1度も出さなかったと言うんです。 高校はそうは行かないぞと言うんですが、 とりあえずそういう生徒がいます。 外国籍の生徒も 4 人ほどいます。 中国から来た子、 南米から来た子ですが、 結構面白いんです。 高校に在籍していることが在日資格上大切なんですね。 ですから、 1 人は 1 日だけ学校に来たっきりで後は来ません。 鑑別所に入っていたことをクラスうちで自慢する子も 3 人ほどいます。 そういう子どもが44人いるので、 私も経験20年の国語の教師ですが、 授業はほとんど成立しません。 今、 格差社会ということが言われていますが、 まさしく格差の最底辺分を構成している生徒たちが集まる学校かと思うので、 これをどう変えていくのかというところが課題です。 学校間格差の是正と課題集中校の改革の 2 つは神奈川高教組の抱えるテーマでもあったわけで、 そのことにずっと関わってきたという視点から言うと、 先ほど言われたように、 もう、 教育だけでは解決しない課題だと思います。 現場教師の努力や教育行政の力によって今の状況を変えることができるとは到底思えません。 もっと大きな枠組みを造らなければこういう子どもたちへの支援はできないということを強烈に感じています。 進行する格差の拡大を食い止めて、 より支援を必要としている子どもたちへの支援策を全体としての教育の枠組みがどう整えていくのかということが大きなテーマになるのだと感じています。 ◆佐々木:これで 5 人の発言が終わりました。 今日の討論会のテーマなり雰囲気なりは感じ取っていただけたのではないかと思います。 (休憩) ◆本 間:いろいろな状況に関わると思いますので、 今日のテーマに関わりなく、 自分の抱えている問題など、 忌憚なくご意見をいただければと思います。 積極的な発言をお願いします。 ワークシェアリングで団結を 今日のお話を聞き、 配られた 『ねざす』 なども見て、 考えたこと、 実はずっと前から考えていたことでもありますが、 独占資本の側がやっていることは充分理に適っている、 向こう側からすれば理に適っていて、 とてもよく分かります。 ある意味で、 極めて合理的で、 手際よく、 効率よく、 したたかにやっています。 何を目指すか、 結論から申しますと、 私はワークシェアリングと中国韓国労働者との連帯だと思います。 万国の労働者団結せよというと、 1 世紀前のことだと嘲笑されるかもしれませんが、 20年ほど前に、 ある勉強会で私がアジア経済共同体は自然だと言いましたら、 そんなことが出来るわけがない、 お前はアジア経済のことを知らない、 と散々に言われました。 でも今はそんなことを言う人はいません。 EUの次はAUの時代だと言われるくらい、 アジア経済共同体は明らかです。 国家独占資本主義の時代は終わっていて、 国際独占資本主義の時代になっていて、 国家が企業をコントロール出来る時代ではないんですね。 先進資本主義国の政府も企業に振り回されてしまって、 国際独占資本が世界中を食い物にしてしまっているんです。 トヨタ 1 つでポーランドのGNPを上回っているんです。 ですから、 労働者の側が資本の側に敵う段階ではないという感じがするんです。 そういう中でわれわれが今の生活水準を保とうと思って賃金闘争をやったって勝ち目なんかあるわけがないんです。 われわれはアンティテーゼばかり言っていたのでは始まらないので、 こういう言い方をすると誤解を招くかもしれませんが、 教員の教育費を減らすんです。 総教育費は減らすのだが、 教員の給与は減らしても教員の数は増やせと要求するのです。 日教組が 「給料は大幅に減らしてもらって結構だ。 3 分の 2 ぐらいにして結構だから、 その分教員を増やしてくれ。 今フリーターなんかで喘いでいる人間をどんどん雇用してくれ。 そして 1 クラスの生徒を彫らしてくれ」 と要求するのです。 このワークシェアリングをまず日教組がやり、 公務員がやり、 民間がやることによって、 慎ましいながらも豊かな生活が出来るのではないかと思うんです。 仕事が楽しい、 家族と一緒にいられるのが楽しいというところに価値を見出す社会を創っていくという国家像を示していかなければ、 教育基本法を改悪や憲法改悪に対抗していけるわけがないと思います。 そしてその先にあるのが中国や韓国の労働者との連帯です。 これらの国の労働者もわれわれと同じような賃金水準の中で豊かに暮らしていける社会を展望していく、 そういう方向性だろうと私は思っています。 ◆本 間:ありがとうございました。 これからの社会のあり方を考えていくときの 1 つの視点だと思いますが、 ほかに発言はございますか。 課題集中校を励ますボランティア 今の学校へ来て驚いたのは 3 年で先生方のほとんどが変わることです。 毎年 3 分の 1 、 15、 6 人の先生が異動します。 3 年、 2 年と耐えてよその学校へ行くんです。 4 月の歓送迎会のときに去っていった先生とちょっと喧嘩しました。 「私はこの学校で 4 年我慢しました。 だからいいところへ出ることが出来たんです。 今度行った学校はいいところで授業が出来るんだよ」 そういう言い方をして、 この学校で頑張ってくださいというので、 「あんたこの学校で生徒のために何をしたんだ」 と言って喧嘩になったんです。 私は昭和22年生まれの団塊の世代で、 来年 1 年で教員を辞める立場です。 今考えているのは、 底辺校・課題集中校の先生方を励ますシニアボランティアみたいなのを立ち上げることです。 底辺校の先生方ははっきり言って元気がありません。 すっかり疲れ切っていて、 今の学校の先生方も精神的におかしくなって、 今、 何人かの先生が精神科に通ったり、 休職している状況で、 これは可哀想です。 ここで私は10年から14、 5 年前を思い出します。 中学校が荒れた時期のことです。 そのとき荒れた中学校は空いた教室に地域のおじいちゃんやおばあちゃんを招き、 ママさんコーラスなどで地域の人々を呼び込んで中学校を立て直したと聞いています。 それから行くと、 高校も結構教室が空いてきます。 その空いた教室を利用して先生方のカウンセリングをやったり、 子どもたちを集めて私たちのシニアボランティアが多少の技術を与えたり力を引き出してあげたらいいのではと思うんです。 これから、 底辺校で元気が出るような支援をしていきたいなと思っているのですが、 いかがでしょうか。 ◆本 間:具体的な提案、 問題提起をありがとうございました。 偽装履修問題が出現するのは 神奈川の県立高校の教員です。 いくつか勝手なことを言わせてもらって討論に参加したいのですが、 最近偽装履修問題というのがありました。 これをボクなりに分析してみたんです。 神奈川の県立高校ではこないのか考えてみたら、 たくさん偽装したところと比べて神奈川は都会で予備校がいっぱいある、 高校で偽装しなくても予備校で補ってくれるということがあるのではないか、 これが 1 つです。 本当に出来る子の面倒を見ているのは東京の私立なのであって、 神奈川の県立高校の出来る子は偽装までしなくてもいいのでの偽装履修問題はなかったんですね。 何故ないか、 これが 2 つです。 3 つ目は、 偽装している他県のシステムは、 トップダウン式の学校運営で、 実際に担当している先生が疑義を唱えても上が聞かないで、 そのまま偽装が成り立ったということではないかと考えました。 何故こんなことを言ったのかというと、 今神奈川でも定時制の苦悩の話があります。 今また、 前期改編に該当せず残された底辺校の苦悩の話をされていました。 この問題は目隠しされて、 誰にも見えなくなっているんじゃないかという気がしています。 底辺校や定時制に大変な状況の子どもが押し込められているという事実が中堅校やそれ以上の学校の先生の多くは見えなくなっていて、 自分たちの中堅校は満更悪くないと思っているんじゃないでしょうか。 このところをきちんと検証しないと、 「組合や研究所は定時制のことばかり扱っているが、 そんなことはどうでもいいことではないか。 ピントがずれているんじゃないですか」 と思っている先生がたくさんいたら、 寂しい話です。 でも当たっていないこともないということじゃないでしょうか。 昔、 1980年代は先生が生徒を攻撃して、 生徒が防衛するというのが高校教育だと言っていましたけれど、 今は生徒と親が先生を厳しく攻撃する時代で、 これも緊張の種になっています。 先生はますます萎縮して、 いろいろなことが出来なくなって、 本当は一番仲良くしていかなければいけない先生と生徒の間が崩れて、 内側から教育が崩壊していくのではないでしょうか。 そしてそれを文部科学省は、 いいぞいいぞ、 と見ているということなのではないでしょうか。 先ほど金沢さんは、 「親父ギャグを飛ばして行かなければやっていけない」 という話をしていましたが、 そういうシビアな現実が金沢さんのところにもあるのか、 という変な質問をして終わります。 ◆本 間:研究所でも課題集中校の問題や定時制の課題について取り上げてきましたが、 全体の中でどう位置づけるかということにも意を用いてきたところです。 発言された問題提起を受け止めさせていただいて考えていかなければならないと思います。 金沢さんに補足していただきます。 学校が崩壊寸前 ◆金 沢:学校では、 保護者と子どもの要求は非常に強くなりました。 教師を選別するのを強く感じています。 それが弱い先生のところに集中的に集まるんです。 弱いというのは優しいいい先生のことなんですが。 授業崩壊も発生することがあるようです。 今お休みしている先生の話が出ましたが、 休職者や療休が複数名いる学校があります。 休みの先生の代わりに、 新しく来た方は授業で精一杯です。 初めて先生になって来る方などに、 私たちはとにかく授業だけやってくだされば、 という感じで話すんです。 よくコンビニでわけも分からず店員を怒っている場面に出くわすことがありますが、 その感じで、 生徒がわれわれに理不尽な要求を出すんです。 あの理不尽さは授業評価に由来しているのではといつも勘ぐったりしています。 「何のために学ぶのか」 を 3 年前に定年退職し、 2 年間再任用で向の岡工業高校定時制で勤務して今年の 5 月より 6 ヶ月間キャリアアドバイザーをしてきました。 川崎地区で 3 名のアドバイザーがいて県全体で23名がいます。 何をやるかといえば県教委から要請されたことはインターンシップを受け入れてくれる企業の開拓です。 トップダウンで県教委からおりてきているため、 なぜキャリア教育かということが職場での論議がほとんどありません。 インターンシップを受け入れる大企業はほとんどなく中小企業ばかりです。 理由はいろいろあるんですけれど、 1 つは製造工程が変わってしまっていること。 高校生が就業体験をやるような仕事の中身がないのが 1 つ。 それから、 多忙になっていて余裕がないということもあります。 中小企業にはほとんど見返りがありません。 中小企業の社会的貢献という線でお願いしています。 就業期間が 3 日であれ 5 日であれ、 1 人ひとりに従業員をつけなければなりません。 だから中小企業の人にとっては大変なんです。 6 人の従業員のうち 1 人を高校生に貼り付けるようなところもあるわけで、 とても大変です。 是非こういうことをそれぞれの学校の中で、 周りの地域の人たちと連携するという観点から取り組んでほしいと思います。 いろいろな連携の仕方があると思いますので検討してみてください。 私はもう 1 つ、 神奈川労働相談ネットワークで労働相談をやっています。 賃金未払いだとか、 残業未払いだとか、 いろいろあるのですが、 1 つだけお話ししておきたいことがあります。 今大企業の、 特にエリートと呼ばれる人たちからの精神疾患に伴う休職だとか、 解雇だとかいう問題での相談が非常に増えています。 世間一般にいういい高校、 いい大学、 いい会社、 その果てが30代での心の病いでの休職、 またその果てが自殺というような問題がもう目に見えているんじゃないかという気がするんです。 あらためて、 「何のために学ぶのか」 もっと原点に返った形で訴える力を私たちが持たないと、 希望なんてどこにも出てきません、 待っていたって出てくるものではありません。 自分たちで創る以外にないのです。 だからこそ楽しいんだという発想をもって取り組みをしていかなければいけないんじゃないかと思います。 先ほど方は非常にいいことをいってくれたんですが、 私は神奈川県の公立高校がいわゆる偽装履修がゼロだったということに対して、 神奈川高教組はもっと自信を持ってメッセージを発すべきだと思います。 「私たちがチェックしているからだ」 これこそが労働組合の自浄作用だと自信を持って発言すべきだと思うのです。 ◆本 間:高校教育はいかにあるべきか、 また職場の実態について意見がありました。 引き続き活発なご発言をお願いします。 「締まっていこうよ」 私は茅ヶ崎市からまいりました。 教員ではありません。 今のお話も興味があるんですが、 先ほど話されたワークシェアリングは教育研究所ではなく、 組合のほうでしっかり捉えたほうがいいと思うんですけれども、 ワークシェアリングの発想はとても大事だと思います。 今、 公務員に対する反発心というか非常に厳しいものがあります。 退職しつつある男性たちがあらゆるところでよく怒っていらっしゃいます、 金沢さんが言われたとおりです。 窓口へ来ても、 公務員は平気で税金泥棒などと言われています。 「いつまで待たせるんだ!お前たちは誰に食わせてもらっているんだ」 とか、 平気で聞こえてくるようなヒステリックな状況です。 この背景には、 この男性の将来が危ないという危機感、 退職はしたけれど年金をもらうまでどうやって食いつないでいこうか、 家族から突き上げられたりとか、 そういうことがあるんだろうと思います。 だから、 ワークシェアリングの考え方を、 われわれのほうから打ち出したんだ、 ということが見えるやり方で早く提起するべきだと思います。 それからもう 1 つ、 学校現場の飲酒運転ですとか、 セクハラまがいの事件のことで、 今全体にタガが緩んでいるということが言われますけれど、 「締まっていこうよ」 ですね。 先ほど話に出ましたが、 定年退職した方が、 荒れた学校へ助けに行くということです。 ちょっとした気持ちの持ち方なんです。 全体にそのゆとりが今の社会にないことが問題ですが、 どうやったら定年退職した人たちと手を携えて行かれるか、 そういう発想を持ってみたらいかがなものかと思います。 ◆本 間:いろいろ出されましたが、 さらに話が広がってもいいと思います。 今こそ 「高校三原則」 を 商業高校に来て今 4 年目で 3 年生の担任なんです。 商業の生徒は地元の、 比較的学力の高くない生徒が、 同じような底辺校の荒れている普通科が怖いから来ているところです。 生徒は素直な子どもが多い感じです。 担任を持って接していて驚くほど、 自分を卑下するのです。 自分たちにはまったく何の取り柄もないんだ、 というんです。 商業科目が 3 分の 1 ありますが、 英数国社理といった科目についてはもっと賢い人たちがやるもので、 自分たちは食っていくためのバカみたいなものを身につければいいんだ、 という気持ちが居直り的に強いですね。 インターンシップに行く生徒に、 コネをつけるのでも、 仕事を覚えてくるのでもなく、 企業の裏を見てこい、 いろいろ汚いものもあるんだ、 そう言って送り出しました。 総合学科を含めて職業教育との結合とか言われていますが、 非常に疑問に思います。 元々そういうことは企業が企業の費用で検証すべきことでありますし、 企業には単なる労働力商品としての意識を刷り込ませる効果があります。 2003年のこの場でも、 いわゆる総合学科とか、 単位制とかを含めて、 共通教養を抑制し、 選択重視について危険だ、 と言ってきたつもりですが、 今、 従来からある商業高校を経験して、 人間として自分を否定しているような生徒の心の闇みたいなものを感じます。 そういう意味で先ほどの偽装履修ではありませんが、 文部科学省の指導要領の縛りつけを礼賛するような報道には腹が立ちます。 しかし、 そうではなくて、 高校生には進路以前に必要な共通教養があるんだという意味では認めなければいけない点があると思うし、 改めて、 今進行している高校教育改革なるもの、 ここに括弧がついているのが非常に疑問なんですが、 ふり返って 「高校 3 原則」 こそが今最も求められるものなのではないかと思われてなりません。 「学校文化」 を育む キャリア教育について去年担当していたものですから、 「キャリア教育はどうして始まったか」 先生方に説明するために調べたのですが、 県に請願が出て、 その文言をインターネットで調べていましたら、 まったく同じものが鹿児島県議会に出ていて議会を通っていることが判明しました。 今回の教育基本法のタウンミーティングのやらせではありませんが、 やらせの請願が政治の場では当たり前に出ているのだと思いますが、 その 1 つとしてキャリア教育があって、 そこからまたいくつかの施策が出ていますが、 その目的はおそらく市民を育てる学校を壊すことにあるのではないかと感じています。 高校改革というようなものが今壊しているのは、 もう死語になってしまっているかもしれませんが、 「学校文化」 というようなものではないかと自分では思っています。 子どもたちは、 仮に先生がちょっとぐらい駄目でも 「学校文化」 の中で育まれてきたのではないかと思います。 もちろんいい先生も立派な先生もいたのでしょうけれど、 その 「学校文化」 が高校改革の名の中で壊されて、 育む土壌のようなものが失われて、 選別作用のようなものに明らかに変わってしまった気がしています。 そしてそれを政治が助長している状況にあるという気がしております。 ◆本 間:ところで、 キャリア教育なる言葉ですが、 いかがなものでしょうか。 この言葉は行政のほうから提起されてきた言い方です。 日教組の場でも問題になったのですが、 われわれの側から進めようとしている職業・労働に関する教育に関する提起、 そういうものを作り上げていこうとするものとキャリア教育というものをはっきり分けて、 キャリア教育という言葉はわれわれは使わないで行こうということが提起されたことがあります。 この言葉を私たちも使っていますが、 何を盛り込むか、 はっきり分けて行く必要があるのかとは思っております。 このことについてはまた改めて議論していきたいと考えます。 学校は商品であってはいけない 昨年度まで県立高校に勤めていましたけれど、 4 月から児童相談所の一時保護所で指導員をしています。 一時保護所というところは究極のセイフティネットで、 さまざまな理由で家にいられない 3 歳から17歳までの子どもが来るんです。 高校生も預かることがあります。 子どもたちは家庭がある子もいるんですけれど、 家庭と呼べない状況の子どもたちも相当数いるんです。 父親が誰だか判らない、 母親はいたんだけれども蒸発してしまった、 あるいは父親が母親を追い出して父親は捕まってしまったとか、 本来家庭があるという前提の元に学校がスタートしたのだと思うんですけれども、 バブルが弾けて、 就職氷河期を過ごした20代後半から30代前半の子どもたちが今、 格差社会の進む中で、 虐待を受けていると思います。 少子化の中で県の養護施設も民営化されて、 養護施設全体の数が制限されたのだろうと思います。 本当は預からなければいけない子も預かれなくなって待ってもらっているいる状況です。 児童福祉士は今虐待問題で話題になっていますけれども、 一人100ケースも持っているんです。 クラス担任は 1 人40人でいいのですが、 児童福祉のケースワーカーは 1 人100ケース抱えているんです。 とてもケアしきれないんですね。 事件が起きると、 児相のワーカーは何をやっていたんだということになっちゃうんですけれども、 家庭があるという前提での学校教育の議論では済まないわけです。 家庭がないということも想定して学校教育を考える必要があるんじゃないかと思うんです。 高校は小中とは違う面があるかもしれないけれど、 学校はセイフティネットであってほしいと思っています。 学校自体が商品化されている、 でも学校が商品であってはいけない、 学校は子どもたちにとっての場でなければいけない、 それがどんどん切り崩されているということを、 具体的な問題を掘り起こす中で声に出していかなければいけないんじゃないかと思います。 かけ声だけの、 上辺だけの 「改革」 という言葉だけが滑っていって、 今まで何が出来て、 何が出来ていなかったのかという整理がきちんとなされていない。 行政も学校も結果責任を問わないで済ませてきたという面があると思うので、 今何が起きているか、 ということを 1 つ 1 つ掘り起こして、 現場が声を挙げていく必要があるんじゃないかと思います。 民主主義を守る教育を 学校や教育行政の中だけで考えていたのでは何の解決もない、 枠組みを変えなければ根本的な解決はない、 という先ほどの意見に賛成です。 ではその枠組みとは何かと申しますと、 今ほど労働者の階級と資本家の階級が判りやすく別れているときはないんじゃないか、 あからさまに出ている時代だと思います。 私が大学院にいた1996年か1997年には、 日本ではあまり話題になりませんでしたが、 MAI多国間投資協定が国連で結ばれそうになりました。 どのようなことかと申しますと、 EUとかアジア経済共同体とか、 2 国間で結ばれている企業が国家を超えて自由に資本移動をする仕組みですが、 要するに儲からなくなったらすぐあっちに行って、 また儲かる金はそっちに行く、 労働者も自由に解雇できる、 という内容です。 もっとすごいのは、 例えば、 その国で有害な商品をつくって規制にかかったりすると、 その企業は見込まれた収益を上げることが出来なくなるという場合に、 賠償を求めることが出来るという趣旨のことで、 企業が国家や法を超えることになる協定です。 これが全世界一気に結ばれそうになったんです。 このときは頓挫したのですが、 今、 2 国間ごとに結ばれようとしているのです。 10年くらい前にこのことを聞いて怖ろしくなったのですが、 今現実にそうなっているように思います。 日々接している生徒は生意気で、 理不尽な要求をするので忘れそうになるのですが、 忘れてはいけないと自戒していることは、 彼らも私たちと同じ労働者、 労働者予備軍だということで、 だから彼らに知識をつけさせなければいけないということです。 何故勉強しなければいけないのかといえば、 これがたたかうための武器だからで、 このことをいつも生徒に言っています。 キャリア教育についても資本の側がトップダウンで押し込めようとしているのは、 資本にとって都合のいい労働者、 実直に働いてくれて、 いつでも自由に首が切れる労働者を創ってくれればいい。 学校はその生産機関であってくれればいい。 これをいいとするのか、 そうではない、 やはり民主主義社会を守り、 民主主義を守るためにはこの世はどうあらねばならないか、 そういう意識を元に教師たちがプログラムを組むのであれば、 キャリア教育は、 世の中の生産の状況、 生産手段のありようが判るように行わなければなりません。 この 2 つの視点を意識して教えていかなければいけないと思うのです。 ここを忘れてしまうと、 いつの間にか、 資本の側に都合のいい教師として働かされることになるのであり、 今はその瀬戸際に来ているように思います。 貧困化が増加する中で 今、 児童相談所の方のお話がありました。 実は 2 年前私の学校でもこういうことがありました。 母子家庭の家の子どもですが、 子どもが家へ帰ったら母親が蒸発してしまって、 連絡が取れないんです。 妹は小学校の 5 年生なんですが、 この兄弟はアパートを追い出されてしまって、 1 ヶ月ぐらいホームレス生活をしていたんです。 学校のほうは全然連絡が取れなかったんですが、 女の子のほうが栄養も取れなくて命も危ないという状態になったらしく、 どこかの人が児童相談所に連絡し、 そこから学校に連絡が入ったということがあるんです。 先ほど、 家庭のあることを前提としての学校教育という話がありましたが、 生活そのものが成り立たなくなっているというところに追い込まれている人が出ているのではないかと思います。 そういう生活に困っている人が増えたことを利用して自分たちの論議を組み多立てて、 どうしてその人たちが貧しくなったかの分析が国会の中で何も行われていないというところが非常に腹立たしいところです。 見えないところで貧困化が想像以上に増えているのではないかと思います。 家庭科の中で権利意識を 今の学校でもう10年やっているんですけれども、 キャリア教育の名を借りて実は労働者教育をやっているという話が出ていました。 2 年前から家庭科の中で、 キャリア教育というかけ声だけを借りて、 労働者教育プラス生活者としての権利をしっかり植え付ける教育をしようという提案をしています。 今、 労働者としての、 という話がたくさん出ていましたけれど、 働く時間と私生活の時間は常に裏腹にあるものです。 青臭い言い方ですが、 健康で文化的な私生活を送る権利があるというような権利意識のことを今はどこでも言わなくなっているので、 そういう権利を生徒にきちっと植え付けた上で、 男性と女性のワークシェアリングのこと、 ワークライフバランスの取れた社会のことなどを少しプラスして考えていっていただければ、 と思います。 進学を断念する生徒 横浜市の学校に勤務しています。 3 年生の副担任で奨学金の担当をしています。 本校では県の奨学金を申請して認められている子どもの数が30名近くで、 多分県内で多いほうだと思います。 3 年生で進学したいという生徒が大学予約の奨学金を申請して認められた生徒が20人ぐらいいます。 その中で現実に起こっている問題としては、 「大学には行きたい、 奨学金も約束された」 だけど、 奨学金の支給は来年の 6 月なんですね。 生徒の中には推薦入学を希望している生徒もいます。 そういう生徒で入学が決定したら入学金として何10万円を払わなければならないということになります。 そういうお金が手に入らないために実際は進学を断念してしまうという生徒が幾人か出てきています。 この格差社会の中で結果不平等は仕方がないとしても機会の不平等は問題だ、 という認識はありますが、 現実は、 低所得のために奨学金は得られたがその前の入学準備金が工面できないために進学を断念しなければならない生徒がいるのが実態です。 格差社会の中で教育の現場にも確実にそういう事実があり、 それがまた格差を固定してしまい、 低所得者層の固定化にもつながっているのではないかということを強く感じています。 ◆本 間:今 4 時半を少し回ったところです。 佐々木代表に 5 分でまとめていただく前提であと 5 分ほど時間があります。 国民全体に責任を持つ 10数年ぶりに去年から担任を持ちまして、 今 2 年生を担当しています。 担任を持ったときに、 格差社会が確実に進行していることを実感しました。 40人の生徒ですが相当数の生徒が困難な課題を持っています。 まとめの段階に入っていますから、 まとめに関わることを発言しなければいけないと思うのですが、 今問題になっている教育基本法の問題では、 教育の直接責任制が削除されて、 法律によって行うというように変えられるところが一番の問題だと私は思います。 これまでの基本法では、 教育は 「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」 という規定が一番素晴らしいところだと思っていたんです。 先ほどの方も言っておられましたが、 教員の職業倫理の問題で、 突き詰めればここがポイントだと思います。 改正案は法律でと言いますが、 地方公務員法が大きな問題だと思います。 「上司の命を受けて」 教育を行えということになるのが一番大きなところで、 直接に地域、 県民、 保護者、 生徒に責任を持って教育をしているんだというのが職員の誇りであり、 原点であると思うんです。 非常な困難が山積している中で、 教育行政への点検はやはりわれわれが組合に結集して、 取り組むべきことが必要だと思うんですが、 大変だ、 大変だを強調していると絶望的になってしまう怖れがありますから、 状況は厳しいところだとは思いますが、 仮に教育基本法が改悪されても、 われわれの職業倫理としてどう働いていくのかを明確にして仕事を進めていくことが大事かなと思います。 ここから希望が開けてくるような気がしています。 長期的なビジョンをもって 反対だ、 反対だ、 といっていたり、 教員が個々に頑張っているだけではどうにもならないと私は思うんです。 神高教・日教組・連合がシンクタンクを充実させて、 包括的で、 大所高所に立った教育政策を長期的なビジョンをもって国民に提示していかなければ、 われわれはいいようにやられてしまうと思います。 そうしなければ国民を味方につけることは出来ないと思います。 ◆本 間:時間があればまだまだ発言いただけると思うのですが、 時間に限りがありますのでここでフロアからの発言は終了させていただき、 最後に代表のほうからまとめをお願いいたします。 ◆佐々木:格差というと私は日本にはABCDの 4 つの階層が存在すると考えています。 A層は年間 1 億円以上の所得のある人で、 この数はメリルリンチの調査ではっきりしています。 1990年以降毎年10万人ずつ増え、 現在140万人おります。 全世界では 1000万人おりまして世界の富の半分を占め、 この層の存在が格差の元凶です。 次のB層が年収1000万円ぐらい、 C層は年収400万以下、 300万とか200万、 D層はワーキングプアや生活保護世帯で、 日本では500万人だと思います。 B層とC層の数は流動的ですが、 A層の収入が増えれば増えるほど、 B層からC層に、 C層からD層に下降する人が増えるという構造になっていると思います。 このD層の子がたくさん入ってきている学校があり、 困難校になっているという事情があります。 これは先進国の世界的な動向で、 D層は全世界で50億ぐらいいるだろうという感じがいたします。 WTOが進めてきた経済的格差を広げる政策が圧倒的な力を持っていることは会場からのお話でよく分かったと思います。 これに反撃することはそれほど簡単にできないと私は思います。 ではどうするか。 3 つぐらい考えることが出来ます。 1 つは体制を変えることができないので、 修正していく方法です。 ドイツでは 「プラーニングス・ツエレ」 といった参加型の民主主義が地方自治体でやり始めています。 ブラジルにもあります。 ブータンでは日本の所得の五十分の一ぐらいですが平準化政策を行い、 国民の幸福度が高いといわれています。 そうした国を参考に社会づくりをすることです。 もう一つはグローバル資本からそっぽを向いた生き方です。 例えばロシアの 「ダーチャ」 です。 モスクワでは、 家庭菜園が全野菜生産の80%になっているということです。 商品流通にのらないのはイタリアのスローフード運動もそうです。 地元の産物のみで生活する運動です。 日本では宮城県宮崎町の食の文化祭が盛況で、 地域起こしをしている所がいくつもでてきております。 三つ目は公然と反撃し、 会場からのご発言のように権利を主張することです。 世界的にはベネズエラ、 メキシコ、 エクアドル、 ボリビア、 チリといった公然とWTOの動きに反対する国が出てきました。 ベネズエラのチャベス大統領が国連で 「ブッシュは悪魔」 といったら拍手喝采を受けました。 ところが、 貧しいC層やD層がファシズム構造に組み込まれています。 ファシズム大衆は置かれた立場の恨みをB層に向け、 公務員攻撃をし、 隣国を敵視し、 対外的に強そうな発言をする指導者を歓迎します。 さらに、 プロ野球やサッカーやテレビやゲームで気をそらされます。 労働者の意識より消費者の意識の方が強くなり、 社会問題を個人問題にすり替えられます。 こうしたファシズム化の動きに負けている我々がいます。 この状況認識を共有して、 現状を打開していかなければならないと思います。 ◆本 間:今日はいろいろな方の発言をいただく形で進めることが出来て本当にありがとうございました。 これをさらに発展させる形でさまざまなことが出来ればと考えておりますので、 よろしくお願いいたします。 以上で終わりにいたします。 |
ねざす目次にもどる |