民間出身校長に聞く
宮 原   紳 氏
(神奈川総合産業高校退職校長)

◆実 施 日:2007年1月17日 (水)
◆実 施 場 所:神奈川県高等学校教育会館
◆聞 き 手:教育研究所員

校長への応募はチャンスに挑戦
  宮原先生はどういう経緯、 きっかけで、 日産人材開発センター社長から教育界へ転身なさったのでしょうか。
[宮原] われわれの頃は公募はしていませんでした。 県の教育委員会が商工会議所経由で企業に推薦を求めるという形であり、 最初は横浜銀行の石川さん、 現在横浜清陵高校の校長をしていますが、 彼が第 1 号です。 私は 2 番目ですが、 商工会議所から企業に問い合わせがあり、 企業の人事のほうで検討しまして、 あいつはどうかとノミネートされまして、 こういう募集があるんだが応募してみないかという誘いのあったのが直接のきっかけです。
  そのチャンスに乗ってみようとお思いになった真意はなんでしょうか。
[宮原] 私の人生設計の中に教師とか、 特に校長とか、 まったく考えておりませんでした。 すぐ断ったんですが、 その後数日考えて、 このことをチャンスと考え挑戦してみようと考え直しました。
 それに、 私が前にいた日産人材開発センターは日産の従業員とグループの技術技能の教育、 課長部長対象の経営的なマネジメント教育をやっていました。 また、 日産テクニカルカレッジという厚生労働省認可の短期大学が中にあるのです。 工業高校を卒業して 2 年ぐらいした従業員が対象で入っ
てくるのですが、 入ってきたときはどうしようもないという印象ですが、 2 年後は見違えるように変わって卒業していくんです。 人を育成するとか、 育てるとかいう仕事は非常にやり甲斐があって、 企業の範囲だけではなくて、 日本の国とか世界全体で見ても価値があると思いまして、 通るかどうか分からないけれども、 応募するだけでもいいという気持ちで応募してみたというのが経緯です。
  校長登用の試験は面接と何があるのですか。
[宮原] 面接と、 校長になって何をやりたいかという論文です。
  どんなことをお書きになったのですか。
[宮原] そのとき私に入っていた情報では、 学校という組織の運営がうまく行かないというのがありましたから、 民間企業の中にもエクセレントカンパニーという言葉がありますけれど、 素晴らしいといわれる、 また歴史の長く続いた会社がどういうことをやっているかを書いたわけです。 組織を運営するにはどんなことをやったらいいか、 というようなことを中心に書きました。

お客さんが満足する学校運営
  学校に入られて、 想像していた学校と実際にご覧になった学校との間にギャップがありましたか。
[宮原] まあ、 予想していたとうりですね。 校長と教員は対立構造にあって、 お互いにコミュニケーションがうまく行かなくて、 意思が伝わらないというようなことです。 採用されてすぐのことですが、 広島県で広島銀行から行った校長が自殺したという事件がありました。 管理職の立場には辛いところがあるんだけれど、 それは役割ですから、 やらなければいけないことなんです。
 先ほど話した論文ですが、 私の論文のキーワードはCS (顧客満足度) ということです。 学校はサービス産業の一種だと考えています。 教育というサービスを提供しているのですから、 受ける人がお客さんです。 一番は生徒です。 それから保護者。 送り出した生徒を受け取る進学先、 就職先、 地域。 そういう方々に満足いただけるような学校運営をしたいということを書きました。
  お客様の満足というのは、 例えば、 商品を売るのは食べ物ならおいしいとか、 洋服だったら綺麗だとか、 その場で分かります。 ところが教育の場合はその場で判断できませんよね。
[宮原] できません。 正確な判断は死ぬ直前です。 50年位かかりますけれど、 それではとても間に合いません。 プラン・ドゥ・チェック・アクションという管理職サイクルがあるのですが、 計画して実行して、 いいかどうか判断して修正するというこのサイクルを回していかないと改善のレベルが上がっていきませんから、 可能な限り短縮していくわけです。 可能な指標として、 5 年後、 10年後があると思います。 28歳になると、 人の生き方の方向づけができていると言われます。 昨今はフリーターばやりでフリーターの話になると28歳ではちょっと心もとないですが、 学校ができる最大の範囲です。 それ以上は追いかけられません。
  その場で厳しい先生でも後から考えればいい先生だったな、 ということもありますし、 企業の満足と学校が提供するサービスは異質だと思われるのですが、 その辺りは、 どのように学校の中に持ち込まれましたか。
[宮原] 企業でも、 ものによってはすぐその場で評価できない場合がありますから、 企業とか学校とかというのではなくて、 提供しているサービスによって、 どういう判断でお客様の満足度を考えるかが変わってくる、 と思えばいいのじゃないかと思います。 まず大事なのは、 そういう気持ちを持って授業をし、 生徒と接しているか、 保護者と接しているか、 マインドといいますか、 そこが大事だと思います。 教えてやっているんだとか、 校長だから生徒は黙ってついてくるんだ、 という態度で教育プログラムを決めたり、 中味を決めていたのではよくないということです。
  神奈川総合産業高校の新しいカリキュラムを拝見したのですが、 キャリア教育の実践・推進、 地域・産業界との連携教育の実践、 宇宙科学ワークショップ、 身体パフォーマンスアーツとか様々あって、 こういうカリキュラムは先生の言われている 「CS―客の満足度」 という観点から考えられたのでしょうか。
[宮原] CSというのは別のほうの軸です。 どんな仕事をしていても、 それを使ってくれるお客さんがいるわけですから、 その満足度を考えるのは大前提です。 カリキュラムは、 学校という組織の使命が考えました。 学校も組織ですし民間企業も組織ですが、 組織がある場合、 組織の使命、 英語ではミッションです。 日本語では存在意義、 何のためにその組織があるんだろう、 ということです。 学校の場合それは何か、 については教育基本法とかに書かれていますが、 それを私なりに解釈して、 ミッションとビジョンの 2 つを両輪に動いているわけです。
 そのミッションをどのように設定したかというと、 生徒一人ひとりに社会で生きていく能力、 (生きる力と言われていますが) を修得するチャンスを提供したい、 社会で生きていくために今何が必要か、 ということです。 民間企業で仕事をしてきた人間から見ますと、 国語や数学という基礎学力は当然必要なんだけれど、 それにプラスして、 何が必要か、 今の世の中の動きであるとか、 仕組みがどうなっているかとか、 を少しでも知ってから、 進学とか就職を考えたほうが役に立つと思います。
 経済の話などは経済関連の学校などへ行かないと基本的に分からないわけですが、 例えば、 貯金の金利はどうなっているか、 借金したらどうなるかとか、 日常生活で生きるためのベーシック的な側面を含めて、 もっとしっかり教育する必要があると思います。
 カリキュラムとして提供するのはこちらで、 選ぶ選ばないは生徒の意思ということになります。 このカリキュラムの基本方針は私が創り、 中味のディテールは教頭が創りました。

地域産業との連携教育
  神奈川総合産業の外部講師の名前を見て、 なぜこういう人を呼べるのかと不思議に思いました。 どうして総合産業だけこんなにお金があるのだろうと思いました。 その辺はどういうカラクリがあるんでしょうか。
[宮原] ハード面のお金については新校設置計画のとき、 私が行く前に決まっていましたので、 県教委のほうに聞いていただかなければ分かりません。 多分、 目玉をつくりたかったからではないかと思います。
 外部講師のほうは基本的に無料、 ボランティアです。 これは交渉力です。 こういう学校を創りたいという思いを熱く語れば、 無償で協力しようという人は今の世の中にいっぱいいます。 足で探すしかありません。 メールで結構やりとりできます。
 学校というクローズされた世界ですべて完結しようとするのではなくて、 世の中にあるあらゆるものを活用しようという、 アウトソーシングという言葉がありますが、 お金を使ってやるのでないやり方です。 私が総合産業高校に来たとき、 いろいろな外部の人とお話ししましたけれど、 今の日本の教育を何とかしたい、 協力をしようというのはNPOを含めていっぱいあります。 無償でやってくれるところもかなりあります。 民間企業のほうが有償という条件を付ける場合があります。
 外部からの力を活用するという、 そういう意味でキャリア教育というのは、 世の中に出て役に立つ教育をキャリア教育と呼びますが、 文部科学省や県教委がいうのとはちょっとニュアンスが違うかもしれませんね。 それをやるためには外部の力を使わなければいけないから、 地域産業との連携教育をやりましょうということになるわけです。
  知り合いの民間校長は最初に、 学校とは何てお金のないところかと思ったそうです。 教職員の机が狭く、 ものがいっぱいで、 生徒が来ても話す場所がない。 だから先生方にもっと広いスペースの机を提供したいと思って事務へ言ったら、 即座に 「そんなお金はありません」 といわれたというんです。 民間だったら、 トップがいえばそれなりのお金が用意できるのに、 本当に学校はお金がないというわけです。
 それに、 教員のパソコンはほとんどが私物です。 先生方が私物のパソコンで仕事をしているのを見てびっくりしたとも言っていました。
[宮原] それはまったく同感です。 企業ではパソコンは全部会社のものです。 出張の多い人はモバイルのと 2 つ持っています。 携帯電話もある職種以上は支給です。
  私たちはよく 民間に倣え といわれますが、 民間のいいところも学校に入れてほしいと思いますね。 その辺りはいかがですか。
[宮原] お金の話ですが、 日産の赤字のときはものすごく厳しかったですね。 日産は潰れかかった会社で、 カルロス・ゴーンが来なかったら潰れていました。 その意味ではトヨタのようにずっと成長している会社ではないところにいましたから、 利益が出せない会社は厳しいです。 県の財政も厳しく、 税収に比べて支出の多いところでは、 仕方がないと思います。
  何か新しいことをやれ、 という場合も、 お金はよこさない、 人もよこさないで、 教員に工夫しろという状況です。 民間だったら、 開発の時間や場所ぐらいは保障されるはずだと思うんですが、 それもない。 愚痴っぽくなりますが、 そんな学校現場をどう思われますか。
[宮原] 県教委からの指示は多く、 学校で消化できないこともあります。 何か対応が必要と思います。
  校長、 教頭、 県教委が教員に指示するのはいいんです。 でも、 現場の言うことも反映して欲しいと思うのですが。 例えば、 県民から苦情が行きますと、 県民にいろいろ説明するのはいいんですが、 「いや、 教育というものはそんなものじゃない」 とか、 「学校は今こういうふうに苦労しているんだ」 とか、 そういう発信もしてほしいと思うんです。 実際は上から下への矢印だけで、 それこそ組織として問題じゃないかと思うのですが。
[宮原] まったくその通りで、 校長という立場だったら、 上から来るのと下から上がってくるのをうまく整合性を取って、 自分の責任の範囲で最適案を作ってそれを実行するということで、 両方聞くべきだと思います。 今は上からの圧力が強すぎますね。
 組織運営が下手だと思います。 どうして現場の第一線の意見が上へ通じないのか、 みんなが納得してやるという姿でやらなければ、 みんな動きませんよね。

職員会議に代わる機能が必要
  職員会議も昔は多くの職員が発言し、 全体の意向を採決で確認して、 ことが決まったわけですが、 今はただ意見を聞くだけの場になってしまいました。 職員会議のあり方についてはどう思われますか。
[宮原] 私は実は職員会議は要らないと思っています。 私のところは80人ぐらい職員がいたんですが、 金をかけて、 これだけの人数で 2 時間会議をするのはコスト的にペイしません。 職員会議は要らないんだけれど、 もっと人数を絞って、 今ある主任制などのそれぞれのグループに任せて、 それぞれが議論してこうやりたいというものを企画会議に上げて、 そこで議論して、 その間でキャッチボールをするほうが時間的に遙かに効率的だと思います。  
 職員会議をあれだけの人数でやるのは、 ざっくばらんに本音が出てこないんじゃないですか。 対立構造が見えていて、 意見も特定の人しか言わない。 特定の人の憂さ晴らしの場みたいですね。
 だから私は職員会議に代わる機能が必要だという意味で言っています。 現場の第一線の人の意見を吸い上げて、 それを実行したほうがいいのか、 我慢してもらわなければならないのか、 の判断をして、 それを本人に伝えるということを含めて、 そういうようにやらなければ、 組織は動いていきません。
  宮原さんが仰るのは各分掌にもっと決定権を与えろということですが、 今の教育委員会の考えるところでは、 学校のトップは校長で、 その上に教育委員会があって、 ということで、 ちょっと宮原さんの考えるのと違うようです。
[宮原] それは解釈の違いだと思います。 学校で起こっていることは全部校長に責任があるというのはどこでも同じで、 長と名がつく人はそういう宿命を負わなければなりません。 ただし、 その人がすべてを分かっているわけではありませんから、 それぞれに権限委譲をしているわけです。 権限委譲して任せるのですが、 最後の決定のときは、 校長も入った場で、 これをやるかやらないか、 という意思決定はしなければなりません。 それが企画会議の性格だと私は思っております。
 ほかの学校の校長は全部自分で決めたがっているように感じますが、 そんなことができるわけがないじゃありませんか。 神奈川総合産業の場合、 全定併せて150人から200人近くいるんです。 一人ひとりが何を考えているかわかるわけありません。 ですから、 教頭がいますがそれでもダメです。 ですから、 主任中心、 総括教諭中心に、 それぞれの分掌で検討して、 分掌に権限委譲して案を作ってもらって、 自分たちのやりたいことを提案してもらう。 それをやるかどうかの判断だけを企画会議でやる、 私なんかはそういうイメージで話をしていましたね。
  そのイメージ通りに学校は回っていますか。
[宮原] 今年は見ていないからわからないですね。 1 年前からそういうふうに思っていましたから、 主任にはそう言いましたけれど、 主任自身がそう思っていないようです。 自分で案を作って、 ここまで決めようという意識がまだないんです。 権限委譲するよと言っても、 そこはまだ時間がかかるようです。  

目指すは 「スーパーティーチャー」
  話は変わりますが、 先生が想像していた高校生と実際に見た生徒との間に何か落差はありましたか。
[宮原] 相模台工業の生徒は想像と大きな乖離はありませんでした。 課題の多い学校の状況は、 予想以上でした。
  実際に生徒に接したのはどんなときでしたか。
[宮原] 生徒指導で校長室に呼ばれてくる、 というようなときが多いですね。
  呼ばれてくるような生徒は限られた特定の生徒になるんですが、 普通の生徒と接する機会とか、 接したいと思うようなことはありませんでしたか。 私たち一般の教師には、 生徒と一緒にいるときが一番いい、 ということがあるんですが、 校長という立場ではどうですか。
[宮原] それはなかなかつくりづらいですね。 今は授業観察がありますから、 ああいうときに行って声をかけるぐらいです。 あとは、 顔が分かっていると、 すれ違ったときなんかに立ち話をするぐらいですね。
  授業観察の話が出てきましたが、 授業観察で教員の能力が分かると思いますか。
[宮原] 初級レベルと言いますか、 浅いところはわかりますね、 私でも。
  初級レベルとはどういうことですか。
[宮原] その授業の生徒として自分が聞いていて、 面白いかどうかということです。 興味が持てるかどうか。 何か、 一方通行でただ喋っているだけの人がいるじゃないですか。 ただ黒板に書いているだけの人も。 生徒との対話がほとんどない。 初級といっても、 その辺のレベルです。
  来年ぐらいから、 評価と給料が連動することになっているんですが、 給料に連動する程度まで評価できると思いますか。
[宮原] かなり難しいと思いますね、 今のままでは。 ダメな人の選別はできると思いますが、 そこから上のレベルの判定は難しいと思います。 でも、 評価自体は必要だと思います。 今一挙に給料に反映するかどうかは別として、 緩やかに反映するようにすれば、 よいのではないでしょうか。
 やはり、 教師に限らず、 公務員の世界で、 仕事の成果と賃金が全然リンクしないというのはおかしいと思います。 世の中の常識からしたら、 アウトプットの多い人には、 少しは多くしたほうがいい。 一挙に10倍とか、 倍にする必要はないんですがね。
  先ほども申し上げたんですが、 教育の場合、 仕事の成果というものがすぐ出ないですよね。 例えば、 ブラスバンドで県 1 位になったとか、 明らかに外に向けて発信するものがあれば、 それは成果になるんでしょうけれど。 放課後生徒とずっと話をしていたとか、 たえず生徒と接触していたとかというのは、 それは成果として表には出ません。 そういう質の違いというものがあると思うんですが、 それをどう評価に結びつけるのかが難しいと思います。
[宮原] 仕組みがまだ不十分ですね。 授業の観察だけで評価するのは無理があると思います。 もう少し研究して、 何らかの仕組みで評価することを考えなければいけません。 自分の仕事が上司やお客さんにどう評価されているか、 わたしだったら知りたいですね。 自分の仕事のレベルを上げていきたいという潜在的な気持ちを持っていますから、 今自分がやっている授業が生徒や保護者やほかの先生から見て、 どういうレベルにあるんだろうと思うんです。 もっといいやり方があれば教えてほしいですね。 それを取り入れて自分の授業をもっとよくするんです。 ですから目指すところはスーパーティーチャーです。
 スーパーティーチャーとは何か、 まだ概念が固まっていないで、 いろいろな人の解釈が違うと思いますし、 ワンパターンではなくて、 いくつかのパターンがあると思いますが、 これが目指す教師像だというのがあれば、 それと自分を比較して改善していくわけです。 そういう評価のためではなくて、 仕事の中味をよくするために評価してほしいと思います。 また、 評価を通じ、 教職の適性も分かると思います。 はっきり言って、 辞めたほうがいいという教員が何人かいました。 向いていないよ、 あなたは、 と言いたい人。
  具体的にはどういう人ですか。
[宮原] 生徒と接するときに、 同じ土俵といいますか、 そこに上がっていない、 教育者としての資質に欠けているのじゃないかという人がいるということで、 大部分の人は大丈夫です。 そういう人は極一部です。
  生徒とレベルを合わせて話をすることが必要というようなことでしょうか。
[宮原] いや、 そういう意味のレベルではなくて、 生徒の目線まで下がって話をすることも必要なんですが、 どう言ったらいいでしょうかね。 逆に言うと、 生徒と話ができないとか、 生徒にとって少しでも楽しい授業をしようという気持ちのないこととか。 生徒にとって、 多分、 授業は面白くないですね。 まあ誰でも、 面白いと思う領域に行くまで相当時間がかかりますね。 あるレベルまで行くと面白さが出てくるんです。
  例えば国語だと、 どうしても月に 1 回ぐらい漢字のドリルをやって同じ漢字を 3 回書かせる、 なんてやりますね。 これは生徒にはつまらないことだと思うんですが、 バスケットだって最初からスラムダンクができるわけじゃなく、 ちゃんとドリブルの練習をしなければ無理ですよね。
 生徒は授業にバラエティ番組の面白さを期待するところがあるんですけれど、 基礎的なものはそんなにいつもいつも面白い授業はできないという気持ちがあります。
[宮原] 面白いというのはバラエティ番組のように楽しく面白いというのではなくて、 何か興味が湧くというもので、 90分があっという間に終わるというような、 集中するような仕掛けです。
  私はわざと雑談をするんです。 最終的には教科に結びつけるようにやっているんですが、 それは教科とは関係ないと言われて、 それで評価を下げられたというようなことがあったら堪らないなと思いますね。 でも下手をするとそういうことになってしまうような気がするんです。
[宮原] それは評価の仕組みが悪いからで、 雑談は必要ですよ。
  その辺の評価の仕組みとか、 評価する人の資質とか、 いろいろ難しいところがあるように思うんですが。
[宮原] いろいろなアイディアで仕組みを作ってますけれど、 これから中味をつけていかないと、 何とか倒れになると思います。 これはこれからの課題です。

大事なのは現場第一線
  宮原さんに対しての教育委員会の関わり方について知りたいのです。 多分宮原さんが校長に就任することが決まった際に教育委員会が研修を用意したと思われます。 事前の研修が具体的にどのような内容だったのか、 校長に就任された後、 どのような支援がされたのか、 具体的に教えていただきたいです。
[宮原] 1 年間は教育委員会の総務室付きです。 学校ではなくて総務室在籍です。 その間何をやったかと言うと、 最初は教育行政のレクチャーです。 高校教育課がこういうふうにやっているとか、 教職員課はこんなことをやっているとか、 それが 2 週間ぐらい、 缶詰です。 あとはいろいろな学校へ行って、 校長とかの話を聞くというようなプログラムです。 その他、 会議、 議会の文教常任委員会。 傍聴というわけにはいきませんので、 教育委員会の職員の中に入り、 後ろのほうに座っているという具合です。
  そういう研修は宮原さんが校長をつとめられる上で参考になったと思われますか。 例えば、 宮原さんが困ったときに県教委が何か有効な手だてを与えてくれたとか、 そういうことはありますか。
[宮原] 校長になってから困ったこと、 直接県教委に相談しなければならないような困ったことの認識はありません。 県教委の担当者には、 校長としての普通の業務での連絡はしましたし、 分からないことのあったときの相談相手になってもらいました。
  校長としての宮原さんの考え通りにやってください、 という、 いわばお任せのスタンスで県教委は宮原さんに対応されたのでしょうか。
[宮原] そうです。 新しい学校の設置計画で基本的なコンセプトが決まっておりましたから、 その枠の中であれば自由という形です。 その研修で一番よかったのは、 教育委員会の中に人脈ができたことです。 先ほどの困ったときの話で、 こういう案件は何課の誰々さんに聞けば一番ということが分かります。 人には相性というものがありますから、 大体は、 何でも 1 人の人に聞いていました。
  宮原さんの職歴を見ますと、 技術系のことも担当されていて、 それから社員教育にも携わっているという多彩な職歴をお持ちでいらっしゃるのですけれど、 企業の中で実験されたことを具体的に学校の中で活かせたという具体例を挙げることができますか。
[宮原] 具体例はやはりどういう学校を創るか、 ミッションとビジョンをつくるときに活かしたかなと思います。 私の学校基本経営方針をA4 1 枚に書きまして全職員に数回に亘って説明しました。 その中にミッションとかビジョンを含め、 組織というのは校長が全部やるというのではなくて、 大事なのは現場の第一線です。 学校の価値を生むのは全部現場で生徒と接触している皆さんです。 校長は 1 円の価値も生んではいません。 皆さん方がやりやすい環境をつくるのが 1 つ。 もう 1 つは、 学校は組織であり、 かつ上に文部科学省や県教委がいるのだから、 その方向に従わなければいけないところは従います。 議論して意味のあるところは議論します。 議論しても変えられないところは議論は無駄だから、 これは納得してください。 そういう組織運営をしますよ、 という話をしました。
  以前NHKで、 リクルートから転身してきて、 杉並区の公立中学の校長先生になった藤原さんという方の実践した姿を追うような教育番組を見たことがあるのですが、 その中で、 藤原先生は、 人脈を活かして 「よのなか」 科という授業を自ら実践したりして校長としてやる気満々という様子でした。 ところが、 一方の現場の先生のコメントは非常に醒めているという印象が強かったです。 宮原先生も先ほど対立構造というようなことをおっしゃったですが、 その辺りの教職員との温度差について、 感じていらっしゃったなら具体的な事例をお聞きしたいと思います。
[宮原] 去年、 総合学習の少し発展したような 「総合産業実習」 というのをやったんですが、 これはキャリア教育の一番キーのところです。 2 単位90分を 1 年間ずっと通してやったんですが、 その中で、 日経新聞の教育開発部が開発した教育プログラムを取り入れたんです。 このプログラムはよくできています。 1 年次のクラスが 8 クラスあって、 担任団はプラス 2 名の10人で担当してもらったんですが、 これには異動してきたばかりの人も含まれていましたから、 消化不良でした。
 教える側がこの 「総合産業実習」 の狙いだとか、 実際に 1 年間展開する教育プログラムを十分理解できていなかった、 またその時間もなかった、 というところもあって、 積極的にやる教員もいたし、 そうではない教員もいました。 生徒の評価も50:50に分かれました。 ものすごくいいという評価と、 こんなのつまらないやという評価です。
 これまでまったくやったことのない授業ですから、 少し無理のあるところもあり、 反省しなければならないと思いますが、 ほかに方法がなかったために見切り発車してしまいました。 生徒にとっては、 こういう世界もあるという感じでは、 得ようとする者は得るものがあったのではないか、 と思います。 これではちょっと分かりにくいですかね。
  先ほど 「スーパーティーチャー」 という話がございました。 宮原さんはどういう教師がよい教師、 どういう学校がよい学校だとお考えですか。
[宮原] これは難しいですね。 よい学校のほうはCSの対象にした人たちからよい評価を受ける学校です。 評価を受けるというのは、 先ほど他の方も仰っていますけれど、 今日明日の 1 日の評価ではなくて、 10年後に評価を受けるだろうという想定評価です。 ですから今日明日は 何だ という生徒がいてもいいと思うんです、 後から分かるものもありますから。 そういうものも含めての評価です。
 CSというと、 よく生徒に迎合するとか、 生徒が今日満足するためだけのことを考えますけれど、 教育は10年後に満足するだろうという、 こちら側の想定でいいと思います。 よい教師というのは短時間で整理して出てきません。 いろんなパターンがあると思うんです。 授業そのものがいいということもあるし、 部活動の指導がいいとか、 生徒が困っているときに親身になって相談に応じるなど、 いろいろなパターンがありますので、 一律には言えませんが、 面倒見がいい などというと、 変な意味に取られかねませんからね。 もう少し頭を整理してから答えることにしたいと思います。

民間企業と違うのは組織のあり方
  今ふり返られ、 学校という世界と企業という世界で、 どういうところは同じ、 どういうところが違う、 と指摘できる点がありましたら、 教えてください。
[宮原] 一番違うのは組織のあり方で、 学校というところは文部科学省や県教委を含めて、 組織運営がまだ未熟だと思います。 何回も言いますが、 組織にはその組織のミッションやビジョンがあって、 それを全員で達成しようという組織運営をしなければ、 結果など出るわけがないんですけれど、 それができていないんです。
 教育基本法が改正されましたが、 あれをもっと具体化して、 何をやるかというところまで落とし込んで、 それを実行する人たちみんなが共有して、 3 年間ぐらいのレンジで今年は順番で何をやるかというプログラムを共有化していけばいいと思います。 そういう中でAがいいか、 Bがいいかという議論はどんどんやっていけばいいと思いますけれど、 そういう組織運営ができていないというところで未熟だ、 と言うのです。
 民間企業の場合はそれができていないと潰れます。 結果がはっきり出て分かりやすいんですけれど、 公の場合は潰れない、 結果が出ないというところが動きにくいところです。 ですから、 これは学校に限らず、 公務員の世界はみんなそうだと思います。
  高校の校長というのは、 民間の一般企業で言うと、 どの役職に相当するものですか。
[宮原] 人数から行くと、 課長と部長の中間ぐらいですね。 企業によって変わりますけれど、 スタッフで部下が100人ぐらいいると、 部長ぐらいの位置になりますかね。 職種によっても違います。 研究開発などは人数が少ないですが、 製造などの部下は多いですが、 仕事はルーチンワークです。 学校の仕事はルーチンワークのところもありますが、 まあ、 部長と課長の間ぐらいでしょう。
  学校の校長は、 現場で働く人がいて、 現場監督のような役割を担っているはずなのに、 いきなり本社社長のゴーンさんが来て命令し始めるような、 権限のアンバランスがあるように思うんです。 本当は狭い裁量しかないのに、 広い裁量の仕事を押しつけられているというようなことってないんでしょうか。 逆に期待ばかり大きくて、 できることは小さいということはありませんでしょうか。
[宮原] 先ほどの質問に対してですが、 子会社の社長というのが一番正確だと思います。 校長には人と金の権限がありませんから、 経営者ではあり得ないわけです。 本社からの決まったことをやる子会社の社長というのが正確かもしれません。
 方針ごとはすべて本社が決めて、 その中の運営だけをする。 そういう性格の子会社、 形態だけで言えば、 そういう形態に似ています。 校長の権限ですが、 人・モノ・金の権限はありません。 何かしようと思っても何もできないのです。 経営資源の権限がない経営者なんて本当はあり得ないことです。
  お金の権限もなかったですかね、 校長裁量経費みたいな。
[宮原] ありません。 予算が決まったらその枠でやるしかないのです。 私のところは特別で、 ほとんどの学校は他に回すような予算はありません。
  パソコンなどは整備の予算があるでしょうから別として、 何か人を呼ぶとか、 新しい試みをやるというのに、 ちょっとしたお金が必要だというとき使えるお金はないんでしょうか。
[宮原] ないですね。 経営資源の自由度がまったくない社長です。 だから、 さっき言ったように、 意気込みに賛同してくれるだけで無償のボランティアを探すんです。 そういうことをやらないと、 新しいことはまず無理ですね。
 ただ、 私のところは新しい学校でしたから、 予算がついていて特別です。 予算は施設設備を買う予算で、 人の予算はついていませんから、 人についてはボランティアです。
  CSのことですが、 満足そのものが利害対立することもあると思うんです。 生徒が感じる満足、 保護者の満足、 就職先の満足の間で。 生徒の満足は、 簡単に易しくテストを通してくれれば得られるかもしれませんが、 保護者はそれでは困ります、 もっとちゃんと教えてくれなければ、 というわけです。 企業で言えば、 企業に入ってから役立つ力をつけてほしいということになるかと思いますが、 そういう性格上の違いに対して学校はどう対処すればいいのでしょうか。
[宮原] 非常に難しいところですね。 公立高校ですから、 県民全部が対象なんです。 1 つのアイディアですが、 私は、 お客さまの層がいろいろあるから、 こういう層に向く学校という具合に、 提供するサービスの中味を提起して、 それぞれに興味があり賛同する方に来ていただくという募集の仕方ができれば、 一番いいと思います。 今県立高校に入ってくる生徒全員が満足する教育プログラムを 1 個で語れといっても、 無理だと思います。
 ですから、 私の学校では、 キャリア教育というのをやります、 産業界とも連携して外部からいろいろな人が来るし、 外にも出掛けます、 こういう教育に興味関心がある生徒保護者は来てください、 というふうにやったわけです。 就職先企業、 進路先は、 こういうコンセプトでやるから、 そういう生徒を受け入れたいというところを探して、 賛同するなら提携しましょう、 というステップだと思います。 逆に言えば、 今全部に共通するベースのところはありますよ。 そこから上のところではいろいろな特徴、 (特徴という言葉を出すと県教委と同じで、 何が特徴か分からない特徴になるんですけれど) そこは校長が決めてもいいんですが、 新しいところは決められます。 長い歴史のある学校では、 今までの歴史を覆すのは大変なエネルギーが必要ですから、 校長は多分疲れると思います。 でも、 募集するときに、 どういう人材を育成したい、 だからどういう教育プログラムを実施します、 というようなことをPRして受検してもらうことにすれば、 満足はある程度自分たちの提供するところに絞られてくるわけです。 それをやらないで一般論で行けば、 今のニーズに満足できる 1 つの答えはとても言えないと思います。

普通高校での 「特色」 は難しい
  その特徴ですが、 神奈川総合産業高校では特色は出しやすいと思うのですが、 問題はいわゆる普通高校です。 ここではどういうサービスを提供しますかとなると、 結局 「受験」、 となるんです。 何人国立に合格しました、 何人難関私立に入りましたと、 どこの普通高校もそうならざるを得なくなる。 農・工・商などいわゆる専門高校と普通高校ではそこにギャップがあると思うんです。 特色のないのが普通高校じゃないかと思うのですが、 県教委はそれでも特色、 特色と 「特色づくり」 と言う。 そうなれば勢い進学率で争うより他はないんじゃないか、 ということになるんですね。
[宮原] 確かにそうですね。 普通科高校は難しいです。 進学校といわれる学校はそれで走ってきたわけですから、 その他の特色は出しにくいと思います。 普通科高校にも民間出身の校長が行っていますから、 何をやったらいいのか、 悩んでいます。
 今は学区制が廃止になっていますが、 もっと地域密着型で行くか、 とか。 進学から下まで全部幅広く掬うのも、 それをやったら教育は大変ですから。
  普通高校の特色づくりが結局、 大学受験、 進学実績に表されていく中で学校間格差の問題が浮かび上がってきますが、 格差と特色とがマッチングするのかどうかについて、 どう考えますか。 また、 格差そのものについてどう考えますか。
[宮原] 生徒の立場に立ってみて、 進学したいと思う生徒が進学実績のある高校へ行きたいと願うのは極必然的な話です。 格差というのは多分学力の格差のことでしょうが、 これは昔からある話で、 私の高校受験のときもありました。 試験をする以上、 レベルで差がつくのはやむを得ないんじゃないでしょうか。 差をつけないというのであれば、 希望者は皆抽選で入れるようにしなければいけないと思います。
 普通科高校の特色は悩みますね。 キャリア教育みたいなものを 1 単位か 2 単位やっても役に立つと思いますけれど、 でも普通科でそういうことばかりやっていると、 進学実績が上がらなくなって、 クレームがつきます。 神奈川みたいに東京に近くて人口の多いところは特色づくりが難しいと思います。 田舎の高校なら、 町の高校という感じになってくれば、 地元と一緒に何かやるという方法がありますけれど。 神奈川では地元という意識も希薄ですから、 こういうところで特色を出すのは、 両極端で、 一方は進学を目指し、 他方は課題の多い生徒を専門に受け入れるというぐらいでしょうか。 確かに、 課題の多い生徒を受け入れるというのは特色だと思います。
 その中間が難しいんですね。 右にも左にも行くということですが、 ここのところは私は普通科高校ではなかったので、 あまり考えませんでした。 申し訳ありません。  

教育目標は 3 C
  いわゆる就職の問題を50年前と今と比べてみますと、 以前は地域の商店とか地域の中小企業とかにほぼ100%就職していって、 割に多様性があったのですが、 今はフリーターやニートが多くなっていまして、 高卒ではほとんど単純作業しかない状況になっております。
 つまり世の中の労働事情の激変がございます。 それと高校教育とのギャップを感じているわけなんですが、 エリートの場合は別にして、 というのは大部分はエリートではありませんから、 労働市場の受け皿の変化と高校教育というものをかみ合わせて考えなくてはいけないと思うんです。 それがうまく行っていないんじゃないかという感想を持っております。
 宮原さんは技術系にいらしゃったからおわかりだと思いますが、 そのほうでは、 単純作業が多くなったとか、 下請けが多くなったという現状と創意工夫を凝らすような労働が中間層や下層の労働者には少なくなっているように感じるのです。 そうしますと、 生徒に 「これをやっておけば将来役に立つぞ」 ということがなかなか言えないというようなことをお感じになられるか、 その点、 どうお考えでしょうか。
[宮原] 労働市場は90年のバブル崩壊後、 95年ぐらいから急速に変わってきています。 企業でも派遣社員とか契約社員が急速に増えておりまして、 女子生徒を含めて高校生の正社員としての就職が減ってきています。 特に神奈川・東京近郊では。
 工業高校で言いますと、 大手の企業はグローバル化していますから、 製造業は中国や東南アジアを含めて海外に拠点を持っていっているという事情があります。 日本国内では、 首都圏から地方へ工場が分散していますから、 九州の工業高校の就職率はかなりいいと思います。 北海道はあまりよくありませんが。 キャノンとか大手が最近九州などに工場を造っていますから、 同じ工業高校でも、 東京・神奈川と地方では、 就職先が全然違うようになっています。
 東京・神奈川で人手のいる職種は今、 研究開発で、 どちらかというと、 高度技能技術職の人材は結構ニーズがありますけれど、 実際にモノを造る単純的労働のところは減ってきています。 大手が行くと中小も一緒にくっついていきますから、 同じ現象が起こってきます。 ですから、 地方や海外に行っている。 そこで就職先がなくなっている。 これが 1 つ。
 もう 1 つは、 派遣だとか、 契約だとか、 そういうのを使っている。 この 2 つの要因で就職先が少なくなっているのです。
 日産自動車も最盛期には高卒を年間3000人ぐらい採用していましたけれど、 今は50人かいいところ100人です。 それも90年代はゼロが何年か続いて、 4 、 5 年前の2002年頃からやっと復活したという状態です。 これは日産に限らず、 首都圏にある東芝だとか、 そういうところに聞いても同じです。
 話が逸れますが、 神奈川県職業能力開発協会というところがあります。 ここに企業から高卒の人を入れて半年くらい訓練する学校みたいなものがあり、 その連合会があるのです。 多いときは受入れ生だけで5000人ぐらいおりましたけれど、 今は神奈川に入ってくる若者の数が少なくなったために、 維持できなくなって、 教育訓練の部会は解体というか、 解散状態になっています。 そういう事実からもこのことは証明できると思います。
 したがって、 今の高校生は就職という意味では非常にチャンスが少なくなっていて、 可哀想です。 普通科、 商業科、 女子生徒の場合はもっと悲惨です。 いわゆる事務職というのが全部派遣に切り替わっています。 そういう環境の中で何を高校教育で教えるかと言いますと、 これがまた難しい問題です。 この社会が閉鎖的で、 競争の激しい社会になっていますから、 何かの道のプロにならなければ、 そこそこの収入のある安定した生活は送れないというのが今の環境だと思います。 この環境にくっついていけるくらいの最低の腕を身につけてほしいというのが、 先ほどの私のキャリア教育の根源にあるものなのです。 学校では、 広く浅くでいいと思いますけれど、 いろいろ経験してほしいと思って、 教育目標として英単語 3 つのCでチャンス・チャレンジ・クリエイティブという目標を掲げました。
 どんな状況に置かれても、 それをプラス思考でチャンスと捉えて挑戦し、 そこで何か自分で達成して創造力を高めていく、 という行動パターンを身につけてほしいと思いました。
 この思考パターン、 行動パターンを身につけるために、 キャリア教育でいろいろなことを経験してほしかったのです。 一番大事なことは、 ダメだと思うんじゃなくて、 そういう環境においても、 何か自分の目標を見出して挑戦するということです。 そういうことを考えることができて、 行動することができたら、 少しはいい人生を送ることができるんじゃないかな、 そういう発想で教育目標も設けました。 それを実現させるようなカリキュラムを組んで、 基礎学力の獲得は当然のこととして、 それにプラスする授業内容を用意するのが専門高校としての任務だと思いました。 ですから、 今、 高校生は本当に可哀想ですね。
 逆に言って、 超優秀な進学校で東大に行くような連中が、 モラルの面でどうしようもないのが目に余ります。 そういう進学校ではモラルをきちんと教える授業をやってほしいですね。 不二家の事件など、 モノを造る仕事に関わってきた人間にしてみると、 とても信じられないことですよ。 お客さまに顔を向けたら、 あんなことは絶対できないはずですけれど、 でも起こるんですから。

教員はスーパーマンか?
  私は民間で労働者として働いているサラリーマンの仕事と、 われわれ教師の仕事のそれとは一定の差があるんじゃないかと思っています。 昔アルバイトをしていたことはありますが、 両方を経験していないので、 両方を経験された先生から見て、 教師の仕事は辛く厳しい仕事だと認識されるでしょうか。
 私は普通科の教員で30年この仕事をしていますが、 実は教育委員会の仕事の役割分担で、 いつの間にか校内のIT推進担当教員になっているんです。 少しは興味があるので勉強して、 職員室の全員の机の上にインターネットができて、 サーバーを共有してホルダーを造って、 仕事を構築していこうというプランをつくってやってきました。 その間もちろん自分の教科の授業もやっており、 今担任もしています。
 担任をやっていると、 自分のクラスの中に、 様々な問題をかかえた生徒が出たりするんです。 それにまた、 部活動の仕事や委員会活動の指導があります。 があったりします。 活動するために外部の担当者と話をする必要も生じています。
 こうして 1 年間の自分の姿を見ていくと、 何か違うな、 と思うときがあるんです。 企業だったらどうだろう、 と考えるときがあるんです。 自分はある教科の教員なんだけれど、 広い職員室の中に60ぐらいの机があって、 ランがうまく通るようにハブを設置して、 ランに障害があるとそれを解決したり、 コンピュータに不具合が起きると直したり、 そういう仕事って、 何か違うんじゃないか、 と思うんです。
 あるときは、 学校中のITを元に、 文部科学省のインターネット上の調査に直に答えていかなければならないことがあって、 ずっとコンピュータの前に座ってデータの整理をしなければならないわけです。 それが 5 時頃やっと終わって、 それから明日の授業研究をしたりするという状態があるんです。
 こうしたことから、 教員の仕事の状況は民間の仕事の状況と比べて、 普通なんだろうか、 異常なんだろうか、 一度民間の方に聞いてみたかったんです。 そういう状況はどうなんでしょう。
[宮原] 異常です。 ジョブデザイン、 仕事の設計というんでしょうか、 それができてないと思います。 仕事がどんどん増えてきているのに、 分業化が何も進んでいないんです。 教科担当があります、 分掌があって、 部活動があって、 担任がある。 こんなこと全部はスーパーマンでなければできないですよ。 分掌のところで、 教科に関係するところは教員がやればいいと思いますが、 教科に関係ない分掌もいっぱいあるじゃないですか、 総務とか、 ああいうのはアウトソーシング、 事務がやればいいんですよ、 もっとも今は事務も人員削減ですか。 でも、 事務の仕事でいいと思います。
 部活動も、 これからの時代を考えたら、 1 つの学校で、 土日を含めて朝練から、 夕方遅くまで、 (それに生き甲斐を感じている人もおりますが) やることではないでしょう。 今も少し制度がありますが、 基本的には部活動指導の人を採用するとかして、 教員は教員の本業に戻るべきだと思います。 メインは教科担当で、 後は担任ですね。 分掌というか、 教育の中味をどう変えていくか、 これは教員でなければできませんから当然ですが、 ITなんかはもってのほかですね。 民間企業の場合は、 自分の担当する業務は決まっていますし、 その業務量で、 ここの部署は何人要るという人員計算をやります。 製造の場合は非常にシヴィアにやりますが、 スタッフ部門は緩やかですけれど、 何らかの形で原単位を持っているわけです。 教科担当で何時間、 ここで何時間、 1 日何時間で、 残業を含めて、 それでできるかどうかで仕事の割り当てを決めるんですが、 教員の場合は、 そんなことはないですね、 増やす一方です。
 根底には財源がないということがあります。 国は700兆円もの赤字になっている状態ですから、 根本的に変えないと、 みんながやりたいことはいっぱいあるんだけれど、 消化不良を起こす構造に陥っていると思います。 ますますひどくなっていくんでしょう。

教員と民間も質は同じ
  今マスコミなんかでも、 教員の質が下がっているというような記事がよく取り上げられています。 私は日産の社員に親しい人が何人かいて、 その人達は忙しいせいかストレスが溜まって、 一緒に呑むとひたすらカラオケを歌ったりしています。 そんな人たちと呑んで結構楽しいんですが、 教員は、 確かに高齢化してフットワークは悪くなっているかもしれないけれど、 民間に比べてそれほど質は低くなっているとは思わないんです。 日産の社員の雰囲気と教員集団の雰囲気はどう違うか、 仕事のこと、 モラルのこと、 考えていることなどの点で教えていただくと助かります。
[宮原] 質ということで言えば、 コミュニケーションのことや上司への報告・連絡・相談などの部分は仕事の中で年間計画をつくって日々トレーニングしていますから、 日産のほうがはるかにいいです。 でも、 基本的な質のところでは、 スタッフ部門と教員とは同じですね。
 マスコミが教員の質云々という点では、 日産にも中にはどうしようもないのがいます。 教員の中にも私が見た範囲でどうしようもない人がいます。 比率の問題ですが、 神奈川県の高校には今10000人ぐらいいますから、 1 %でも100人です。 マスコミネタに50人になったらすごい質が悪いということになるんですね。
 マスコミが公務員を目の敵にしているという気は私もしますが、 逆にそういう状況に置かれているということで自己防衛しなければいけないのですけれど、 それに感性のない教員がいるというのが残念です。 比率から見たら、 教員も民間もそんなに変わらないと思います。
  校長人事のあり方についてお聞きしていいですか。 何人かの校長が推薦して、 教頭や一般教員からというのが現行の形です。 今神奈川はオープンの試験ではないんですね。 その辺についてはどうでしょうか。
[宮原] 推薦と試験方式のどちらが良いか判断が難しいところです。 日産の場合は、 試験と上司の推薦と 2 つで、 両方の組み合わせです。 そして、 評価する人が近いです。 直接仕事を見ている直属の人とその上の人が評価します。 直属の人は上に対してPRするわけです。 「Aさんを推薦したい」 それで過去の業績だとか、 試験の結果だとかを含めて決めています。 問題なのは遠いところです。
 教育委員会で校長を決める人はどれだけ全候補者が分かっているか疑問です。 どんな方法でもいいんですけれど、 校長に任命する人の過去の実績だとか、 行動だとか、 考え方だとか、 ある程度分かっている人の中で決めるというのが人事です。 1 人で決めてはいけない、 複数で議論しながら決めていくんです。 時間がかかるんですけれど、 これがキーのところですから、 時間をかけなければいけません。

民間出身校長へのインタビューにあたって
 2006年度までに、 神奈川の県立高校では 8 名の校長が民間から採用されてきた。 07年度も 3 名の民間出身校長が予定されており、 全国では102名が在職している*1。 いわゆる民間人校長の任用は全国的に増加しており、 これまでの任用実績は、 44都道府県市で、 132名 (昨年比16名増) となっている*2。
 民間出身校長をこのように多くの県で任用してきたのは1998年 9 月21日の中央教育審議会答申 「今後の地方教育行政の在り方について」 (以下 「中教審答申」) を受けた文部科学省が、 学校教育法施行規則を改正し、 2000年 4 月 1 日より校長の資格要件が緩和したことに起因している。 この学校教育法施行規則の改正にあたって文部科学省は 「事務次官通知」 で改正の趣旨を 「校長 (学長及び高等専門学校の校長を除く。 以下同じ。) 及びこれを補佐する教頭については、 教育に関する理念や識見を有し、 地域や学校の状況・課題を的確に把握しながら、 リーダーシップを発揮するとともに、 職員の意欲を引き出し、 関係機関等との連携・折衝を適切に行い、 組織的・機動的な学校運営を行うことができる資質を持つ優れた人材を確保することが重要である。 このため、 教育に関する職の経験や組織運営に関する経験、 能力に着目して、 地域や学校の実情に応じ、 幅広く人材を確保することができるよう、 学校教育法施行規則 (以下 「省令」 という。) における校長及び教頭の資格要件を緩和するものであること」 と述べている。
 このように校長の資格要件が緩和され、 民間から任用された校長には 「リーダーシップ」 が期待された。 なお、 上記の 「省令」 改正で、 他に 「学校評議員制度の導入」 「職員会議の位置づけの明確化」 が導入された。  
 この 「省令」 改正を受けた神奈川県教委も神奈川県立高等学校の管理運営規則 (以下 「管理規則」 という) の改訂をおこない、 「学校における管理運営」 の項目に 「校長を中心としてすべての教職員がその責務と責任を自覚し、 一致協力して学校運営に取り組むことが重要である」 といった文言を加えた。 さらに、 同 「管理規則」 に加えられた職員会議の項目にかかわる 「運用通知」 で 「公務に関する最終的な決定権は校長にある」 と校長の権限をことさら強調することになった。
 たしかに、 「管理規則」 では入学許可から学則、 教育課程の編成、 卒業まであらゆる事柄について 「校長は〜」 から始まる項目が羅列している。
  「しかしながら、 実際の学校管理規則においては、 許可・承認・届け出・報告等について詳細に教育委員会の関与を規定し、 学校の自主性を制約しているものが少なくない」 (「中教審答申」 より) わけで、 「このような学校管理規則について、 学校予算の編成と執行などに関する事項も含め教育委員会と学校との基本的権限関係全体を明らかにするとともに、 教育委員会の関与を整理縮小し、 学校の裁量権限を拡大する観点から、 学校管理規則の在り方についてその運用を含め幅広く見直すことが必要である」 (「中教審答申」 より)
とし、 学校裁量権限の拡大の視点を 「中教審答申」 は校長の資格要件の緩和とともに強く訴えた。
 このような中で2003年、 宮原紳氏は日産自動車 (株) より神奈川県教育庁に2005年に開校予定の神奈川総合産業高校の校長予定者として採用された。 神奈川総合産業高校の 1 年前に相模台工業高校の校長となった。 同校が再編で神奈川総合産業高校となったため、 そのまま 1 年間、 新校立ち上げに校長として携わってきた。
 そして、 学校の立ち上げを見届けて2006年 3 月末に退職された。 果たして、 民間出身校長として神奈川の県立高校はどのように映ったであろうか?
 教職員や教育委員会との関係などについて、 「中教審答申」 の 「できる限り各学校の判断によって自主的・自律的に特色ある学校教育活動を展開できるようにする」 といった指摘も参考にしながら当教育研究所はインタビューを試みた。

インタビューを終えて
  「すさまじきものは宮仕え」 という。 語源は 「菅原伝授手習鑑」 だとか 「幸若舞」 とか諸説あるが、 ともあれ 「雇われの身では意に添わないこともしなくてはならぬ」 ということであろう。 昨今の教育事情では、 この言葉を日々実感することのなんと多いことか。
 日ごろ教員と対立することの多い校長も、 その点は同じなのではないかと考えての企画であった。 「教員評価」 「給与への反映」 「特色つくり」 等々、 宮原先生の本音を伺って、 改めて今の教育施策の問題点が明確になったのではないかと思う。
 私自身 「学校現場は効率や利益という言葉になじまない」 と思い、 効率追求の施策に否定的であったが、 「学校の価値を生むのは全部現場で生徒と接触している教員です。 校長は一円の価値も生んではいません」 という宮原さんの言葉にはっとさせられた。
 教員のモチベーションが上がる施策こそが、 真の 「利益追求」 なのではないだろうか。
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