ねざす談議(30)
「廉恥を思う」
小山 文雄

 明治30年というと今から 1 世紀余も前のことだが、 新聞 「日本」 を主宰する陸羯南 (くが・かつなん) は学校教育をめぐる諸問題を 「不和」 という切り口で論じ、 13回連載の社説とした。
 この年は京都にも帝国大学が設立され、 それまで唯一の 「帝国大学」 は東京帝国大学と改称された。 その一方、 小学校教育は依然として 4 年義務制、 高等小学校 2 年のままで、 6 年義務制にはなお10年余をまたなければならなかった。
 そうした過渡期にあって 「不和」 として羯南が論じたのは、 「内部の不和」 ―教員 (校長・教員・舎監) と生徒間、 生徒と生徒の間における生国、 身分、 貧富、 目的の差別、 等であり、 「外部の不和」 ―学校と学校間 (官公立と私立ほか)、 学校と行政の関係、 とくに視学官 (学事の視察、 教育の指導監督、 教員の任免を司る地方教育行政官) の不注意、 不能力、 教育方針の変更、 府県庁の無識、 卑屈、 俗吏主義の弊害、 府県会と学校との不和、 父兄と学校との不和、 新聞紙と学校との不和などであった。
 こうした項目を見ただけでも思い半ばに過ぎるものがあるだろう。 その一々について論じる余裕はないので、 以下、 論中の数節を引用しておこう。
  「教員たるものが生徒の非行を制する場合には、 軽々しく声色を励ます (声音や顔色を険しくする) ことあるべからず、 况んや自ら身を以て (体罰によって) 之を制するが如きをや」
  「教育の行政亦た敏捷機慧 (すばやさ) の手腕よりも寧ろ篤実老練の材 (人材) を要し、 新奇権変の策略 (目先を変え時勢におもねるような策) よりも終始一貫の継続を要す。 無経験の人々が文部大小の局に当りて其の私見を用い、 以て奇功を咄嗟の間に収めんとするは、 如何に一般の教育を誤る乎」
  「特に教育のことは、 行政上より言えば、 唯だ経費と人選との点に於てのみ他と交渉あり。 教育其事に付きては、 法規の範囲内に主任者の見込如何に在り、 他よりの牽束 (ひっぱる、 行動を押さえつける) を受くべきの点は最も少し。 然るに、 府県庁の卑屈なる常に文部省の鼻息を伺い、 府県会の顔色を憚り、 甚しきは生徒の向背をも慮り、 為めに主任者の施設 (施策力) を拒否すること実に甚しきものあり、 是れ大弊なり」
  「抑も (そもそも) 教育の事は一たび誤れば、 復た回服に容易ならざるものなり。 特に匡済 (きょうさい。 乱れを正し救う) は今日徒に (いたずらに) 一局部に向つて施すも、 其の効果を収め難し。 若し吾輩をして一言せしめなば、 文部省の改革は実に第一の急務にして、 之を仕遂げざる間は如何の画策と雖ども皆な百年河清を俟つの空望に過ぎざるなり」
 こういう文章に接して 今 に思いを致すと、 「百年河清を俟つ」 の語が妙にしみじみとしてくる。
 羯南より18歳年少だが、 昭和44年に没するまで94年の生を遂げた言論界の巨人に長谷川如是閑が居るが、 彼もまた羯南の元で日本新聞社から育った一人だった。
 彼は当時の社風について羯南や三宅雪嶺の人格に由来する 「ちっとも頑冥なのところない」 「記者全体が先輩も後輩もなく全く一つになって…」 と語り、 羯南その人に寄せては、 「私は、 生活上の仕事に奴隷的の感じを伴わない世界―ということを想う度に私の 『陸さん』 を思い出す」 と回想し、 敬慕の念を披瀝している。
 イギリス流自由主義を自身の底に据え、 大正―昭和初期の急進的民主主義に一臂を貸したジャーナリズム界の大先達如是閑の言だけに、 羯南に寄せるこの言は今も尚尊い。
 敗戦後の新制高等学校発足の時から、 それはまた 「民主主義」 がまぶしいほどの輝やきを示していた時だが、 私は教職に就き、 以来教育を大切に思い続けてきた。 前年の日本国憲法をうけて、 此の年 6 月に衆参両議院で教育勅語の排除、 失効確認が決議され、 教育基本法・学校教育法に即した教育委員会法も公布された。
 そして今、 60年ほどの時を経て今、 憲法改正がささやかれ、 教育基本法の改正も政治の日程にあがろうとしている。
 現在の首相は昭和19年に生まれたと聞く。 戦争も空襲も知らないし敗戦も知らない人だ。 知らないのはやむを得ない。 しかしどれほど学んできたのか、 それが気にかかる。 声高に 「基本」 に手を付けると叫ぶその姿に、 あの鳴り物入りで打ち出され空しく消え去った 「期待される人間像」 が重なって写る。 あのあやしさが私を捕らえて離さない。 それは 「民主主義」 がただ 「数」 に堕しつつある恐れを伴う。 「数」 に堕すると廉恥が失われる。
 以前若者言葉で 「ハレンチ!」 が流行した時期があった。 その軽い調子に、 私はそこに破廉恥を見た。 破廉恥は寡廉鮮恥 (心が正しくなく、 恥知らず)、 それは殺風景を作り、 殺気を漂わせ、 殺伐の世を生み出す。 むろんそこでは 「殺身成仁」 (一身をなげうって仁の道を完成させる) の 「殺」 は姿を隠す。 濁世だ。
 教育以て如何となす!
 先に触れた如是閑とほぼ同時期を生きた歌人太田水穂の最晩年に次の一首を見る。 「綜合と分析とまして人生の哲見なき史論はことの記述に終らん」、 この 「史論」 を 「政論」 に変えて読み、 「人生の哲見」 (優れた見識) を政治家に求めたいという思いがしきりである。
(こやま ふみお 教育研究所共同研究員)
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