寄稿
全国在日外国人教育研究集会神奈川大会の報告
島本篤エルネスト

1. 関西で強い教員の外国人教育運動
 去る 8 月19日 (土) から21日 (月) の三日間にわたり、 標記の集会が神奈川県の川崎と横浜で開催された。 毎年 8 月に各県持ち回りで開催しているもので、 毎回数百名が参加する。 神奈川での開催は今年が 3 回目だった。 私は、 主催団体である全国在日外国人教育研究協議会 (全外教) の全国運営委員として、 また神奈川大会の現地実行委員の一員として、 今回の大会運営に参加した。 全外教は、 かつての全国在日朝鮮人教育研究協議会 (全朝教) が、 2002年に改称したものだ。
 全外教の事務局は京都に置かれている。 全外教を構成するのは、 主として近畿地方の教員団体である府外教・県外教 (京都・大阪・奈良・兵庫など) だ。 これらの地域では、 同和運動の流れから人権啓発活動の必要性が強く認識されており、 関心が高い。 人権教育に関わる集会は行政の支援を受け、 こうした問題にあまり意識・関心のない教員も気軽に参加できる土壌がある。 そのこと自体の是非はともあれ、 人権教育=偏向教育との偏見が助長されている関東では夢のような好待遇が、 いまでも続けられている。
 外国人教育も同様で、 府外教・県外教の多くは財政基盤にも恵まれ、 事務局員が学校現場を離れ専従を認められることもある。 神奈川では、 神奈川県在日外国人 (多民族・多文化共生) 教育連絡協議会 (略して神奈川県外連) という名の団体が、 前回の全外教 (当時は全朝教) 神奈川大会をきっかけにつくられた。 似たような名称だが、 組織的・財政的規模は比べようもなく小さい。 現在の事務局長である私が言うのだから間違いない。

2. 神奈川大会の意義
 上記の背景から、 神奈川で全外教大会を開くには一定の困難がある。 実行委員の人数が圧倒的に足りないであろうことは容易に想像できたし、 参加者が極端に少なければ赤字が残ってしまう。 全外教から打診を受けた私たちは、 それでも大会開催を受諾した。 神奈川での大会開催に、 積極的な意義があると考えたのである。
 まず、 在住外国人の構成である。 日本の多くの都道府県では、 そこに暮らす外国人の国籍が偏っている。 例えば大阪や東京では中国人が外国人の多くを占め、 東海地方では外国人といえばブラジル人だ。 このことから、 「外国人問題」 を彼ら外国人の国民性に起因すると単純化してしまい、 実はそれは日本社会の構造的ひずみそのものなのだと気づけぬ地域が少なくない。
 それにひきかえ、 神奈川の在住外国人構成はほぼ日本全体の縮図をなす。 古くから生活を営んできた韓国朝鮮人、 大和市に定住センターがあった関係でいまも多いインドシナ諸国の人々、 1990年の入国管理法改訂を受け県内各地の集約産業に就いた南米諸国の日系人とその家族、 日本人との結婚で定住化するアジア諸国の女性たちなど、 外国人の国籍・出自はさまざまだ。
 またこのことから、 外国人を支援する活動も多種多様である。 県内各地で、 賃金未払いや不当解雇に遭遇した人への支援、 日本人配偶者からDVを受けた女性への支援、 医療生協や医療通訳、 日本語教室、 母語による学習指導、 外国にルーツを持つ子どもたちを対象とする母文化教室など、 領域の異なる活動が、 あるいは日本人により、 あるいは外国人自身またはオールドカマーによってニューカマーのために行なわれている。 日本全体で 「多文化共生」 の実現に最も近いのは、 もしかするとこの神奈川かもしれない。
 基本的に教員団体である全外教は、 学校外への視点が弱い感を否定できない。 だがいま神奈川でみたび全外教大会を開くためには、 市民団体の力を借りるのが不可欠であり、 そうでなければ神奈川の姿を正しく伝えられない。
 分科会での報告は、 教員だけでなく市民の立場からも発信してもらおう。 市民が参加しやすいように、 全体会を日曜日に置こう…。 私たち実行委員会は、 こうして少しずつ神奈川大会のプランを構築していった。

3. 「神奈川方式」 の構成
 全外教大会は、 四つの部分で構成される。 フィールドワーク、 全体会、 分科会そして高校生交流会である。
 これまでの大会は、 フィールドワーク (金曜日)、 全体会 (土曜日)、 分科会 (日曜日) の順に行なうのが通例だった。 その裏で土日にかけて高校生交流会を持つのだが、 全体会のなかで高校生たちがステージに上がり、 「これから行ってきます」 と送り出され、 翌日曜の分科会後の閉会式に再び現われて 「こんなことを話し合いました」 と報告する。 このスタイルが定着していた。
 神奈川大会は、 これを少し変えた。 フィールドワーク (土曜日)、 全体会 (日曜日)、 分科会 (月曜日) と一日ずつ後にずらした他、 高校生交流会をフィールドワークと全体会の裏で実施し、 全体会の途中で高校生が報告するようにしたのだ。 交通費を節約するために、 近畿やそれ以西の高校生たちは貸切バスで神奈川にやって来る。 従来のように閉会式まで彼らを残すと、 家に帰り着くのがたいへん夜遅くになってしまう。 また、 近年は夏休みの置き方が学校ごとに異なるので、 8 月下旬と言えども金曜日は授業を行なう学校もある。 これが理由だった。
 全体会と分科会の会場は、 当初は県東部の大学を借りたいと考えていた。 しかし日程や施設等の面で折り合いが付かず、 困っていたところ、 大会実行委員長を引き受けてくださった山田泉さん (法政大学キャリアデザイン学科) のつてで、 川崎市中原区の法政大学第二高校が 「民主教育団体には喜んで協力する」 と、 分科会会場としての使用を快諾してくれたのはとてもうれしかった。 あわせて全体会会場は、 エポックなかはらのホールに決まった。

4. いよいよ大会当日
@フィールドワーク
 今大会では、 いつもより一つ少ない二つのコースしか用意できなかった。 予定したコースの受け入れ先の都合が合わなかったためで、 少人数の実行委員会では代案を立てるゆとりが無かった。
 実施した一つは、 ヨコハマハギハッキョに参加するコース。 ハギハッキョ (夏期学校) とは、 在日韓国朝鮮人の子どもたちが集まり、 互いに出会い、 母文化に触れ親しむ場をつくろうと、 1992年から続けられている活動である。 現在は、 毎年 9 月に鶴見会場と南会場の二カ所で開かれている。 今回は全外教大会に合わせて鶴見会場を前倒しで開催してもらい、 それに便乗したものだ。 踊りや工作、 中学生自主制作ビデオの視聴等を行なった。 15年の経験を持つハギハッキョに参加したのは29名で、 アンケートによればみな満足してくれたようだ。
 もう一つは、 川崎市川崎区の外国人多住地域を歩くコース。 これは私も案内人の一人をつとめた。 定員30名のところ、 申し込みが遅かった数人の方にお断りいただいたが、 結局35名が参加した。 川崎駅の近くから路線バスで桜本地域の端まで移動した後、 旧日本鋼管の社有地を在日が占拠して形成した池上町、 北朝鮮への帰国事業が始まった池上新町、 川崎市ふれあい館などの施設がある桜本をまわった。
 私は提供を受けたデータ等をもとに、 40ページに及ぶ当日配布資料を作成した。 川崎を歩く企画はときおり行なわれているようだが、 今回実施した経路とこの資料は、 当分は川崎フィールドワークの標準たりうるのではと自負する。 案内人もデータ提供者もみなこの地域での居住経験がある者ばかりで、 思い入れの深さは相乗効果をなし、 計り知れない。
 無論、 心残りはいくつかある。 その最たるのは、 80年代以降のニューカマー外国人増加にともなう地域の変化を十分に伝えることができたか、 不安なことだ。 これは現在も進行しつつあるので、 記録化があまり進んでいない。 幸い、 参加者のうち何人かは、 ふれあい館職員の説明を通して、 地域の課題が常に変化しつつある現状に目を向けてくれたようだ。

A全体会
 今大会で、 「神奈川らしさ」 が最も顕著に現われたのは、 他ならぬ全体会だった。 三度目の神奈川大会でもあり、 神奈川から全国に発信するメッセージを込めようと考えた結果、 全体会は神奈川を紹介する一大スペクタクルと化し、 そこに多くの団体の協力を仰いだのである。
 全体会を貫くテーマはとても明白だった。 「なぜ外国人が日本に暮らすのか」 である。 ここに、 「外国人の子どもたちが抱える問題を考える」 「多文化共生の学校と社会をめざして」 を加えた三部構成で臨んだ。 ともに外国出身の二人の若者を進行役に立てた。 私は、 彼らが高校生の時から関わってきたことが理由で、 司会補助の任に着いた。
 第一場面は、 「植民地支配」 をテーマに、 川崎・桜本地域で 「トラジの会」 に集う在日韓国朝鮮人のお年寄りと彼女たちにインタヴューした小学生らが登場し、 それぞれの思いを語った。 在日のお年寄りたちの飾らぬ言葉のいくつかは、 一部の聴衆には同感できないものだったかもしれない。 敢えて統制はしまいとの神奈川の意志が伝わったとも思う。
  「難民」 がテーマの第二場面は、 厚木在住のインドシナ難民のみなさんに語っていただいた。 次いで第三場面は 「移住労働者」 で、 横浜市立潮田中学校の生徒が多数参加した。 祖父母が日本各地から南米や鶴見等に移住した子どもたちが、 今度は自分の世代になってから、 フィリピンや南米諸国等から鶴見にやって来た。 自分がなぜここにいるのか、 そんなことは分からない。 でも、 いまここに生きている。 彼らの言葉はまっすぐに私たちの心に伝わり、 響き渡る。  平塚市の横内中学校生徒とそのOBは、 第四場面で演劇形式の意見発表をしてくれた。 ここのテーマは 「差別・いじめ・親子関係・言葉と学習」 で、 第三場面の子どもたちが光とするならば、 第四場面の彼らは影の部分を示してくれたと思う。 外国にルーツを持つことを素直に表明できず、 日本人からの同化圧力を受けながらも、 母語・母文化を学んでいるという話は、 会場に集まった多くの外国人から共感を得たと思う。 非常に残念なことに、 一部の参加者は外国人のこうした苦しい現状を理解しないのか、 「発表のなかで元号を用いた」 「日本名を名乗った」 等の批判をしたという。 私たちは、 外国人が幸せに暮らしていると自己満足するために、 この集会を開いたのだろうか?
 次の第五場面は、 外国人青少年の当事者団体である HOME FOR VOICE による、 在留資格のない子どもたちの退去強制を扱う、 非常に深刻な演劇及びラップ音楽だった。 彼らの仲間だった一人が、 在留資格がないために日本から追放された事実を受けたものだ。 在留特別許可により日本滞在を許される人もいれば、 言葉も分からぬ見知らぬ本国に帰らされる子どももいる。 この問題は日本社会の至る所で密かに進行しつつあるが、 いまだ多くの耳目を集めるには至っていない。 だが、 こと神奈川では決して対岸の火事ではないと分かって欲しい。
 最後の第六場面は、 「共生への道」 を掲げた。 県内各地の学習支援活動を紹介したのち、 外国人青年と日本人青年がともにつくった 「エスニックジャパン」 のメンバーと、 在日韓国朝鮮人青年のラップデュオ 「KP」、 日系ブラジル人青年のラップバンド 「テンサイズ」 が対談を持った。 とても意地悪く見れば、 恐れを知らぬ若者の放談だったかもしれぬが、 彼らの持つ勢いこそが、 いまの日本社会に欠けているのではないだろうか。
 総じて言えば、 私たちは全体会を通して、 全国に向け発信したいと願った神奈川の現状と課題を表明することができたのではないかと思う。 だが、 私たちの拙さやら何やらのせいで、 十分に真意が理解されない局面も無くは無かった。 私はそう感じている。

B高校生交流会
 これについては、 全体会での発表以外のことは現に見ていないのでよくは分からない。 日本各地から、 特に関西から多くの外国人高校生が関東に集まり、 100人を越える集会を持てたこと自体が大いなる成功と言えるだろう。 子どもたちのすることゆえ、 大人の目には引っかかることはいくつもあったようだが、 真剣な話し合いもあったと聞く。

C分科会
 毎年、 分科会は七つの分散会に分かれて開催される。 『異なる文化との出会い』 『本名 (民族名) を呼び名のる』 『学校をひらく』 『差別と排外に抗して』 『多文化共生をめざして』 『歴史と文化・世界に学ぶ』 『未来をひらく』 である。 今大会では、 すべての分散会に、 地元神奈川からの報告を盛り込み、 取り組みを発信した。 フィールドワークや全体会で紹介された活動をより詳しく報告した分散会もあった。
 神奈川大会開催に先駆け、 私たち神奈川のなかから、 分科会での議論が停滞しているのではないか、 惰性に流されてはいないか、 と反省する意見が出されていた。 この声を受け、 今年の大会から、 各分散会に現地実行委員会から分科会担当を出し、 議論の活性化を図ることとなった。 そこで私も、 『歴史と文化・世界に学ぶ』 分散会の担当を仰せつかった。
 私の分散会では、 滋賀の中学校教員による 『修学旅行を松代に』、 ヨコハマハギハッキョ実行員会の後藤さんによる 『朝鮮人虐殺を目撃した子どもたち   関東大震災における子どもの作文集から』、 そして横浜市立中学校教員の斉藤さんによる 『目の前にある 「国際教育」 をめざして   みずから語り始めた子どもたち』 が報告された。 後藤さんと斉藤さんの組み合わせは、 実は昨年度の日教組教研・国際連帯分科会でも見られたもので、 その分発表内容がさらに分かりやすく整理されていた。 後藤さんが取り上げた震災作文に関しては、 その後の新発見などがしばしば新聞紙上に登場するので、 ご存じの方もお有りだろう。
 この分散会では主題の他、 外国人児童生徒の在籍把握などさまざまな現実的課題にも話が及び、 充実した議論ができたのではないかと思う。 他の分散会の様子は報告で知るのみだが、 おおむね活発な議論が展開されたと聞いている。

5. まとめに代えて
 以上、 私の視点で全外教神奈川大会を概括してみた。 これはあくまでも私見であることをご理解いただきたい。 私の意見は実行委員会を代表するものではない。 また、 今大会は、 北は北海道から南は沖縄まで多くの人々が参加し、 総数は700名を超えた。 私とは異なる感想をお持ちの方も大勢いるであろう。
 神奈川の者として残念だったのは、 これだけ多くの人の協力を得て、 全国からの参加があった大会だったにも関わらず、 地元神奈川からの参加者数が当初の予定を大きく下回った事実である。 私たちが思いを込めて全国に発信した神奈川メッセージが、 肝心の神奈川で生きることがなければ、 何のためだったか分からなくなってしまう。
 外国人教育の理解と実践は、 いまだ発展途上にあるということだろうか。 日本社会が少子高齢化の一本道を突き進むなか、 外国人児童生徒の存在はますます大きくなっていく。 このままでも日本社会は変わっていくはずだが、 子どもたちの苦しみをいま減らすためには、 私たち大人が責任を持って主体的に関わるのが望ましい。 全外教神奈川大会は、 この大きな目的のための一里塚にすぎないのだ。

 
(しまもと あつし エルネスト 県立大師高校教員)
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