ねざす談議(29)
「片影・漱石先生」 (その二)
小山 文雄

前稿の結びに 「色々な不幸の為に心が重くなったときに、 先生に会って話をして居ると心の重荷がいつの間にか軽くなっていた」 という寺田寅彦の言葉を引用したが、 その寅彦を先生と仰ぐ中谷宇吉郎には次のような言葉がある。 それは、 中谷が関東大震災による被害をはじめ、 物心両面にわたって、 色々と迷い悩む日の多かった時   「さういふ時に、 先生と個人的な接触に恵まれたことは、 私にとって非常に幸運な巡り合せであった。 <中略>時々どうにもならない切羽つまった気持に襲はれることがあった。 さういふ時には曙町の応接間 (寺田邸) へ出かけてゆく、 さうして十二時すぎまで、 ディノソウルスの卵の話や、 パブロワの踊りの話を聞く。 さうすると気持がすっかり新しくなって、 物理学に対する熱情が蘇って来るやうな気がした」
 漱石  寅彦、 寅彦  宇吉郎と、 なんと見事な照応ではないか。 心のこもる対応は時と処を超えてつながってゆく。 まさに先生冥利に尽きようというものだ。
 ここで又漱石先生に戻る。
  『虞美人草』 の末尾、 主人公で哲学者の甲野さんの日記の一節 「道義に重おもきを置かざる万人は、 道義を犠牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。 巫山戯。 騒ぐ。 欺く。 嘲罵する。 馬鹿にする。 踏む。 蹴る。   悉く万人が喜劇より受くる快楽である。 此快楽は生に向かって進むに従って分化発展するが故に   此快楽は道義を犠牲にして始めて享受し得るが故に   喜劇の進歩は底止する所を知らずして、 道義の観念は日を追ふて下る」   まさに現代!
  『虞美人草』 という小説はあまり好きではなかったが、 「甲野さん」 だけは大いに気に入り、 とくにその発する 「道義」 の語が好きだった。 「道徳」 も意味は同じだが、 戦時中のそれは 「国民」 「臣民」 が冠せされ、 「倫理」 の学を志す私も、 妙に色あげされ、 ご都合主義のついて廻る 「道徳」 を好まなかった。 それに比べると 「道義」 にはどこかきっぱりした響きがあり、 そこに惹かれたのだ。
 漱石先生はよく 「道義」 を口にした。
 たとえば 「それから」   「代助は人類の一人いちにんとして、 互たがいを腹の中で侮辱する事なしには、 互たがいに接触を敢てし得ぬ、 現代の社会を、 二十世紀の堕落と呼んでゐた。 さうして、 これを、 近来急に膨張した生活欲の高圧力が道義慾の崩壊を促したものと解釈してゐた。 又これを此等新旧両慾の衝突と見傚 み な してゐた。 最後に、 此生活慾の目醒しい発展を、 欧州から押し寄せた海嘯 つ な み と心得てゐた」
 こうした物言いは明治時代の文明論の典型だが、 ここに現代をどう重ねるか、 そこには私たちの重い課題も見える。
 喜劇より受ける快楽に酔いしれている時、 悲劇は突然として起こる。 生の境を踏み外して死の圏内に足を踏み入れてしまうからだ。 一辺倒は生きるという経験の範囲を狭めてしまう。 それは自分の命を貧しくするばかりだ。
  「生ノ内容ハexperienceナリ。 故ニ人ノexperienceノ単調ニスルハ人ノ生ヲ奪フナリ。 自カラexperienceノ範囲ヲ狭クスルハ自カラ命ヲ縮ムルナリ」
  「経験」 の場をどう作り出すか、 自身 「経験」 をどこまで内面化できるか、 その働きかけはすぐれて教育の問題なのだ。
  「経験」 と合わせて漱石先生は人情に迫る   「人情ハ一刻ニシテ生ノ内容ヲ急ニ豊富ナラシム。 此一刻ヲ味フテ死スル者ハ真ノ長寿ナリ」
 人情は人の情緒の活動として示されるが、 それは人間らしい思いのこもった心といってもよい。 しかし世に現れる人情が常に真情と重なり合うとは限らない。
 そこで漱石先生は 「俗人情」 や不人情を超えた畫工を理想的な主人公とした 「草枕」 の世界を展開した。
  「畫工は非人情的である。 沙翁 (シェークスピア) は純人情的である。 而して吾吾日々夜々にちにち や や パンに汲々として喧嘩をしてくらす人間は俗人情的である」
 この規定に沿って漱石先生は言う。
  「畫工は紛々たる俗人情 〇 〇 〇 を陋ろうとするの
である。 ことに二十世紀の俗人情を陋ろうとするのである。 否之これを陋ろうとするの極純人情たる芝居すらもいやになった。 あき果てたのである。 夫それだから非人情の旅をしてしばらくでも飄浪ひょうろう (ふらふらさ迷う)しやうといふのである。 たとひ全く非人情で押し通せなくても尤もっとも非人情に近い人情 (能を見るときの如き) で人間を見やうといふのである」
 これから一月とは経たない頃、 漱石先生は手紙に次のようにも書いていた。
  「僕は一面に於て俳諧的文学に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、 命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやって見たい」 と。
 漱石先生も不惑にして惑う、 か。

 (小著 『漱石先生からの手紙   寅彦・豊隆・三重吉』 が11月末に岩波書店から出版されます。 ぜひ読んで下さい。 そして批評・感想をお寄せ下さい。)
(こやま ふみお 教育研究所共同研究員)

 
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