特 集 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
株式会社立高等学校と公設民営化路線の今 |
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金沢 信之 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
はじめに 構造改革特区は財界と官邸主導で、 官庁の強い反対を押し切りながら進行している。 民間の様々なニーズを背景に地方自治体が提案し、 2005年12月までに、 特区全体の30%程度がいわゆる教育特区として認定された。 数にして160件ほどである。 教育特区の特例措置の中には憲法や教育基本法を乗り越える内容を持ちながら、 十分な議論を尽くされたとは言い難いものもある (1) 特区の試みは全国展開を前提としているわけだから、 実質的な憲法・教育基本法の改正前倒しとも言えよう。 まさに憲法・教育基本法が市場経済に蹂躙されつつあると言っても過言では無い。 構造改革・規制緩和路線で日本経済は上昇基調にあるというのが政府・財界の論調だ。 しかし、 最近では様々な弊害も指摘されつつある。 格差社会や勝ち組負け組を実感する人々が増加した。 限られた一部の人々にとっての経済回復と考えた方が良いのだろう。 構造改革・規制緩和の結果、 劣悪な労働条件で働かざるを得ない非正規雇用が増大した。 日本を代表する企業にも偽装請負が蔓延している事実が報道されている。 ニートやフリーターは問題だといっても、 企業は正規雇用の数を増やす気持ちはほとんど無い。 それどころか正規雇用の人々を無制限に働かせたり、 金銭による解雇ルールの検討など労働法制の変更が盛んに議論されてきている。 一部の富裕層以外は安心して働き・暮らすことができない世の中なのだ (2) 。 拡大を続ける市場経済の中、 人々が現状と未来に対する不安を持ちながら、 教育に対して消費者の立場を鮮明にする時、 「公的な仕組み」 は 「分断された私」 に従属することとなる。 「私」 にとって 「公」 は何をしてくれるのかという一方的な要求の出現。 この不安と要求を背景に、 教育の場において、 様々な 「評価システム」 や 「説明責任」 が表出しているとも考えられそうだ。 しかし、 それは評価することを評価される側から要請されるといった受動的な消費者の出現であり、 評価することによって自らが主体的に問題を解決しようとする姿勢からは、 残念ながらほど遠いのである。 だが、 「分断された私」 はこの格差社会の影響を教育においても実感することとなった。 富裕層ほど高等教育を受けやすいという傾向が顕著になり、 家庭の経済力が子どもの進路を左右している現実がある。 結果として、 さらに教育に対する市民の不満はつのり、 そのエネルギーが教育の市場経済化を促す一面もありそうだ。 だが、 市場経済化による負の影響をもっとも受けやすいのはこの大多数の市民でもある。 本レポートは株式会社によって設立された高等学校と公設民営による高等学校の検討状況を報告することで、 教育の規制緩和・市場経済化の現実を見つめ、 今後の議論の材料とすることを目的としている。 1. 教育特区で設立された高等学校 規制緩和・特区の目的 経済の活性化の手段として、 民間活力を最大限に引き出し民業を拡大することが特区の目的であり、 その手法が規制緩和であると 「構造改革特別区域基本方針・構造改革の推進等の意義 2003年 1 月24日」 は説明する(3)。 また、 「地域の特性に応じた規制の特例を導入する特定の区域を設けることで、 当該地域において地域が自発性を持って構造改革を進めることが、 特区制度を導入する意義」 とも説明され、 「地域」 の重要性が強調されている。 しかし、 地方公共団体と民間事業者等の利害関係が一致した教育特区の状況は、 こうした 「地域」 重視の視点からは遠い。 「地域」 と事業者は税収や施設の活用と授業料・関連事業の収入などといった根を同じにする財政目的を持ち、 特区に設立した学校は全国規模の募集を行って生徒の確保をする場合がほとんどなので、 生徒達と 「地域」 の関係は限定される場合が多いのである。 主に利用される規制の特例措置 株式会社立高等学校設置において主に利用される特例措置は次の三点である。
学校を設置する会社は、 「地域の特性を生かした教育の実施の必要性、 地域産業を担う人材の育成の必要性」 があるとし、 特区設定の趣旨である地域との関係を重視した。 だが、 「その他の特別の事情に対応するための教育又は研究を行う」 こともできるとし、 特に地域とは関係の無い理由での学校設置も可能としている。 また、 高等学校設置基準等に適合する施設・設備 (これらに要する資金)・経営に必要な財産と学校運営に必要な知識・経験ならびに社会的信望を学校経営の役員が有することも要件とされた。 法に則った基準による設置が示されながら、 校地・校舎の自己所有を要しない規定もあるため、 特区に設立された高等学校の多くは長期賃貸契約によって、 自治体から土地や建物を借り受ける場合が多い。 (校舎のみ自前で校地は借地という場合もある。) 結局、 少子化や過疎化で廃校となった学校施設を利用する場合がほととんだ。 また、 都道府県教育委員会の認定を受けた市町村は、 設置会社が教育職員に雇用する者に対して、 その市町村内でのみ有効な 「特例特別免許状」 を授与することができ、 教育職員雇用の柔軟性も担保されている。 特別免許状とは大学で養成教育を受けていない者に、 都道府県教育委員会の行う教職員検定により免許状を授与する制度であり、 1988年の 「教育職員免許法」 により制度化された。 教育特区においては、 それがさらに 「特例」 として弾力化された。 株式会社が安価な報酬で教師を雇用するためには外せない仕組みである。 2. 株式会社立高等学校 株式会社によって設立された高等学校の特徴をいくつかまとめてみたい(4)。 下記の表は現時点で資料・HPなどによって筆者が確認したものである。 授業料などの徴収金は分かる範囲内で記載したものであり、 詳細が不明な場合も多い。 株式会社によって設立された高等学校
広域通信制単位制高校普通科 上記のほとんどが日本全国の生徒を対象とする広域通信制単位制の普通科である。 (定時制併置校、 全日制普通科、 単位制総合学科もある)。 県内在住か県内への通勤者を入学生の対象としている一般的な通信制高校とは全く違う。 広域通信制高校と通信制独立校は、 1961年の学校教育法の改正によって設置可能となった。 翌年の通達によると、 広域通信制高校は協力校を設けることができるとされ、 実施校と協力校が設置者を異にするときは、 実施校の設置者は協力校の設置者の同意を得なければならないこととされた。 協力校は実施校の設置者の定めるところにより、 面接指導および試験等に協力するものとし、 添削指導は行なわないものとされている。 実施校における通信制の課程の生徒収容定員は、 三〇〇人を下らないものとされた。 地域の目的は収入増 高校設立の目的に不登校・高校中退者を受け入れをあげているものがほとんどであり、 株式会社が 「その他の特別な事情」 に基づいて、 特区に限らず日本全国から生徒を集めようとしていることがうかがい知れる。 もっとも、 少子化・過疎化した特区が大部分なわけだから、 地域の生徒を受け入れることで経営が成立するはずも無い。 少子高齢化・過疎化した地域 (地方公共団体) は税収増・雇用増が緊急の課題であり、 「地域の特性を生かした教育」・「地域産業を担う人材の育成」 を実施したくてもとうてい不可能なのだ。 そもそも地域の生徒が存在すれば、 各自治体は学校を廃校などにする必要もなかった。 通信制高校は年間に 1 週間から10日ほどのスクーリングも実施しているので、 地域交流も存在するだろうし、 そのこと自体は良い効果も期待できるだろう。 しかし、 それはあくまでも副次的なことである。 各地方自治体は校地・校舎の賃貸収入、 雇用創出、 税収増 (多くの会社が開校した地元に自社を登記する)、 スクーリング生による消費拡大といった経済的効果に期待する所の方が大きいのである。 通学する通信制 本校以外に通学する場所を確保する学校が多い。 通学日数は週五日の所もあれば様々であり、 同一高校内でも異なる通学日数のコースを持ち、 その場合は授業料も日数に比例している。 また、 通学場所もかなり多岐に渡る。 塾と提携していたり、 独自にサテライト校を作ったり、 自前のサポート校にダブルスクールとして通学したりといった具合である。 広域通信制高校は協力校の存在を容認しているが、 これらの通学場所は協力校とは考えがたい。 もし、 添削指導に類することが実施されるとしたら協力校の範囲を超えそうだし、 協力校 (=高校) として存在するためには設置者の認可が必要なので、 まず不可能だ。 サポート校が自前で通信制高校を持つことができれば経営上はプラスになりそうだし、 生徒にとってはサポート校と通信制高校を分けて認識する必要が無く、 自然に通学・卒業できるようにもなる。 事実、 現時点で最も安定した経営となっているのは、 サポート校が広域通信制高校を設置した場合である(5)。 これは、 サポート校が高校卒業資格を得るために特区を利用したと考えられ、 本来の特区設立の趣旨からはほど遠い。 いわゆる 「その他の特別な事情」 に該当するとしか考えられない。 また、 高校以外の教育機関・塾などを紹介する場合もあり、 家庭はその分の費用が必要となる。 語学学校や進学塾、 留学斡旋業者の紹介などを業務の一環としている会社が数社あり費用はかなり高額になる。 前述したサポート校とのダブルスクールの場合も、 結局はかなりの費用を必要としそうだ。 協力校を逸脱した仕組み? ある高校は塾に対して自校の通信制キャンパスの運営参加募集を行っている。 これまでに全国で10校前後開校したと資料に明記してあった。 また、 前述したようにサポート校やフリースクールなどに学習の場を設けている株式会社立高校は多い。 だが、 高等学校である協力校ですら添削指導は認められておらず、 通信制高校に協力して面接や試験などを実施する学校であるとされているのに、 もし、 運営に参加した塾で教科指導、 面接、 試験などを実施したとしたら、 協力校の範囲をはるかに越えることにはならないか。 また、 これまでも広域通信制高校とサポート校との関係については問題が指摘されたことがあった。 例えば、 担当指導者に教員資格があるか不明な中、 サポート校に通うだけで提携校の卒業資格を得ることができたり、 指導者が論文を生徒に丸写しさせて通信高校に提出させたり、 風俗店の近隣や中華料理店の二階で学習を行っていたりといった具合である(6)。 特区で設立した広域通信制高校がこのような問題を起こさないように、 誰かが監督しなければならないのだが、 当該自治体以外で認可された広域通信制高校の学習会場に対する指導監督権限はどこにあるのだろうか。 つまり、 北海道で認可された広域通信制高校の学習会場が神奈川にある場合、 その指揮監督権を神奈川が持つことはできないのではないかということである。 さまざまな学習場所はもともと高等学校ではないのだから、 広域通信制の制度とも齟齬をきたしそうだ。 自校以外で面接指導を実施できる広域通信制のシステム自体に疑問が残るからなおさら奇異に感じる。 自校の生徒の面接は自校で行うことが学校としての大前提ではないだろうか。 結局、 これはコンビニエンスストアのように高等学校をフランチャイズ化し、 利益をあげる手法であると言っても過言ではないだろう。 ITの活用 (We b学習システムの市場) インターネットを利用した教育システムを特徴とする学校がいくつかある。 この場合、 システムは自前でなく、 学校管理や学習管理のシステムを開発する会社から導入している。 インターネットを利用してデジタル化したカリキュラムの全国一斉授業が実現でもしたら、 格段に市場は拡大するだろう。 しかし、 パソコンを購入し、 回線業者と契約するなど保護者・生徒の負担はそれだけ増えるのも事実である。 また、 Webを利用した授業は全国一律一斉の形態を取ることが可能であり、 実は授業が画一化する危うさを持ちそうである。 そもそも、 インターネット上で授業を行うことに問題はないのか検証が必要だろう。 接続を切れば一方的に切断できる人間関係で、 豊かなコミュニケーション能力を形成できるのだろうか。 添削や面接、 スクーリングなどを組み合わせたこれまでの通信制の仕組みの方が優れているような気がするのである。 インターネットはあくまでもツールであり、 様々方法と組み合わせることで効果を発揮するのではないだろうか。 3. 株式会社立の次は公設民営化 評価はまだ定まっていないが、 株式会社による学校の設立に一定のメドがついたので、 規制緩和の次なる課題は学校の公設民営化となった。 新たに学校を設置することから、 公立学校の管理・運営を民営化することに論点が移行したのである。 2003年 6 月27日に閣議決定された 「経済財政運営と構造改革に関する基本方針 (いわゆる骨太方針第三弾)」 の中で、 株式会社立学校の評価・検討とともに公立学校への包括的管理運営について中教審で検討が開始されるよう明記され、 通信制・定時制については早急に公設民営化を実施するように要望されたのである。 財界・官邸からの強い要請を受けて、 文科省は高等学校と幼稚園については、 公設民営化を受け入れる方向へと方針を転換し始めているようだ。 中教審答申には幼稚園とともに、 次のように高等学校の公設民営化が記載された。 ただし、 小中については公設民営化は必要ない旨が記載されることとなったのである。 「公立の高等学校については、 社会の多様化が進む中で、 将来の進路選択についての生徒の希望も多様化しており、 これまでも総合学科の設置や単位制高等学校、 中高一貫教育校の創設など、 多様化や個性化を理念とする高等学校改革が進められてきた。 今後、 更なる対応を図るための一方策として、 多様な高等学校教育の選択肢を提供するという観点から、 その管理運営を委託することについて検討を行うことが考えられる。 (「中教審答申 今後の学校管理運営のあり方について」 より)」 中教審答申は既存の公立高校が公設民営化する手順を以下のように示した。 教職員の非公務員化も視野に入れたものとなっている。
中教審答申を受けて文科省は 「規制改革・民間開放 3 カ年計画の分野別措置事項」 の中に学校に関する 「公設民営方式」 の解禁を明記した。 しかし、 それはまだ完全な公設民営化とはなっておらず、 文科省の抵抗の姿勢が読み取れる内容となった。 文科省は 「公私協力学校法人」 方式による公設民営学校の導入のみを認め、 「法人」 による方式に限定したのである。 さらに、 学校設立については次のようないくつかの条件も付けた。 生徒・保護者にとって 「満足度が高いサービス内容」 であり、 「公的資金」 は他の私立学校と公平であること。 「参加する民間主体の選定・継続」 は 「公正な審査により行われることが必要である」 こと。 この 「公設民営学校は、 あくまでも私立学校の一類型として設立されるもの」 であること。 「運営全般に関する情報の公開を徹底」 し、 「学校・教職員の評価を最大限重視する制度とする」 こと。 評価や運営状況によっては 「地方公共団体から設立時に出資、 譲渡その他提供をした財産等」 は、 「地方公共団体に返還・返上」 すること。 運営が適切でない場合は 「在籍する生徒等の移籍等に配慮」 し、 「協力を解消できるようにする」 こと。 などといった具合である。 そして、 「契約に基づき公立学校の運営を包括的に管理・運営委託する方式については、 行政事務の民間委託の基本的な在り方等に関する考え方の整理を踏まえつつ、 引き続き検討を行う。」 とし、 完全な公設民営化については今後の検討としたのであった。 これを受けて、 2005年、 構造改革特別区域法 (旧特区法) が一部改正された。 その提案理由は次のように言う。 「私立学校法の特例として、 特区において、 地方公共団体と民間との連携、 協力にもとづき設置、 運営される公私協力学校について、 当該地方公共団体が、 公私協力学校を設置、 運営する学校法人に対し、 教育に必要な施設、 設備の無償による貸付け等を行うとともに、 当該学校法人の設立に係わる寄附行為の認可の審査について特例措置を講ずる」 「公私協力学校」 は、 地方自治体と民間企業等が協力して運営する私立学校の一類型 (学法人) として位置づけられ、 地方自治体が学校施設等を無償または廉価で貸与又は譲渡し、 学校運営に要する経費の不足分を補助する。 学校設立にあたっては、 従来学校の安定した経営のために規制されていた資産審査 (寄附行為の認可) をせず、 認可できるようにした。 学校法人を設立する際に、 自治体の施設・設備の提供と資金を背景に、 株式会社等が簡単に学校経営に参入するシステム作りの第一歩となってはいる。 このような状況の中、 廃校になる定時制を公設民営化方式によって新たに設置をしたいと千葉県野田市が特区申請したが、 文科省は公設民営方式は現在検討途中であるとし、 現時点では対応不可能とした。 野田高校定時制は千葉県の県立高等学校再編計画により、 3 年後に廃止が決定されていた。 しかし、 「@高校には進学したいが学力的な問題で他の高校に進学できない生徒の受け口となっていること、 A不登校等の問題で、 他の高校に進学できない生徒の受け口となっていること、 B中途退学等で再出発を望む生徒の受け口となっていること、 C身体障害児を積極的に受け入れていること等から、 当該生徒の高校進学先としてのニーズは極めて高い。 また、 仮に当該生徒が近隣市の定時制高校へ通うとした場合、 通学時間が長くなること、 とりわけ、 鉄道から離れている関宿地域の生徒の通学が困難になることが想定される。」 ので公設民営化方式での新たな設置が必要とのことであった。 だが、 このような設置理由があれば、 自治体が当該定時制高校を廃校にする理由は全く無いのではないだろうか。 高校の統廃合で弱者が切り捨てられていく実態が、 かいま見られるといっても言い過ぎではないだろう。 文科省が打ち出した 「公私協力学校特区」 は2006年度 6 月時点で認可 0 校である。 私学助成が受けられないことが障害であるらしい。 前述の野田市の提案は私学助成を受けられることも前提としていた。 学校の管理や設置は株式会社立高校を含めて、 私学助成を受けられないことが最大の障壁となっている。 高等学校設置基準の改正・人件費の抑制へ 2005年、 高等学校設置基準が 「標準的基準」 から 「最低基準」 へと変更になった。 さらに、 教諭数については 「収容定員を40で除した数以上、 かつ教育課程の実施に支障がない数」 とされ、 クラス数が教員定数の下限となった。 公設民営校・株式会社立学校の大きな財政問題の一つである人件費を減らすことが法的に可能になったのである。 クラス担任以外は派遣か請負で、 短期的雇用の教師を雇う仕組みで学校を運営できる。 公立高校では自治体に雇用される非常勤職員であるが、 すでに私立高校には派遣や請負の教師が存在する。 人材派遣会社のHPには多くの教師求人情報が掲載されている。 (99年の派遣法の改正によって、 教員の派遣も可能となったが、 実態把握調査は今のところ無いようだ。) 公立学校も正規雇用の少数教諭とその他大勢の短期雇用の教諭によって構成される日が遠からずやって来るかもしれない。 東京都などで顕著な教員の階層化は、 この地ならしになってしまう可能性もある。 その時、 学校はどのように変質するのだろうか。 一部の株式会社立高校は人件費を圧縮しているようだが、 詳細は不明である。 しかし、 特区で設立されたある株式会社立の大学では教師の雇用問題が表面化している。 多くの教員が業務委託契約で働いていながら、 大学から指揮・命令されるという実態があり、 まさに偽装請負なのである。 また同大学は司法試験の合格者を水増しし、 公正取引委員会から排除命令を受けている。 利益をあげるためには手段を選ばない姿勢であり、 市場経済に巻き込まれた高等学校がこのようなモラルハザードを起こさないという保障は無い (7) 。 4. 民営化の困難・財政問題 2005年、 評価委員会教育部会が株式会社立の学校について調査報告をまとめた。 報告では次のような問題点が指摘された (8) 。
このためかどうかは不明だが、 評価報告書には 「認定地方公共団体の意見として、 学校教育の継続性、 教育の質の安定的な確保、 公教育 機関としての役割について、 引き続き検証が必要 との意見が多い。」 と記されている。 私学助成がなく税制の優遇もない株式会社立高等学校が、 経営を安定化させるためには、 現状では人件費を抑制する以外に方法はないだろう。 よってこの経営問題を解決する手段として教育バウチャー導入が渇望される。 しかし、 財政的な支援を受ける必要があるのなら、 学校法人として現行の法制化の私立学校になったほうが問題は少ないように思う。 文科省は憲法第89条について、 「教育に関する公金支出は公の支配に属する学校法人に対して可能であり、 他の主体については、 同条との関係で慎重な検討が必要である」 としている。 5. 財政的困難を解決する方法として 教育バウチャーとは 生徒一人分の教育費 (授業料の全部あるいは一部) を証票・クーポン券 (バウチャー:voucher) として政府・自治体が保護者に交付することによって、 保護者・生徒に学校選択の機会を委ねる。 さらに各学校は入学者数に応じて学校予算を得る仕組み。 教育バウチャーの起源は、 経済学者フリードマンが1962年に著した 「資本主義と自由」 にさかのぼることができるといわれている。 学校に対する補助を個人に対する補助に変更することで、 学校間の競争を促し、 政府・自治体はバウチャーの額を操作することで教育予算の削減が容易になる。 また、 見かけ上保護者の負担は減るので、 各学校は授業料などを値上げしやすくなるという側面も持つ。 これが私学経営のモラルハザードにつながる場合もあるらしい。 私企業に公費を投入することは先の文科省の見解にもあるように問題がありそうだが、 個人に対する補助・助成であれば様々な手当と同様な性格となり、 形式的には問題は解消されそうである。 バウチャーの検討状況 「規制改革・民間開放 3 カ年計画 分野別措置事項」 の中で、 文科省は経営形態の異なる学校間の競争条件の同一化のために、 「教育バウチャー制度について、 我が国の社会の実態や関連の教育制度等を踏まえ、 海外事例の実態把握、 その意義・問題点の分析等様々な観点から、 今後十分な検討・協議を行う。」 とした。 現在、 文科省は 「教育バウチャーに関する研究会」 において、 研究・協議を継続しているが、 審議の内容からは導入についての慎重意見が多いことが窺える。 例えば第 3 回の会議における基本的な考え方の整理の中には、 「バウチャーの額を高くしていくと、 2 極化するような気がする。」 「バウチャーの額を上げ過ぎると、 私立学校が授業料を引き上げるといったモラルハザードが生じるかもしれない。」 「所得の高い私立に通う者のところにバウチャーが支給されるだけである。」 「学校同士で競争をさせるのであれば、 実はバウチャーはあまり意味が無く、 裁量権の付与の方が大事である。」 「少額のバウチャーには政策的な意味はほとんど無いと言うことになろう。 しかし、 不登校児童生徒などに対するバウチャーであれば、 安い額のバウチャーであっても効果があるかもしれない。」 といった文言が列挙されている。 だが、 自民党総裁選の公約の中で、 安倍新総裁が教育改革を重点課題とし教育バウチャーの導入に積極的な発言をしていた。 安倍内閣が設置した 「教育再生会議」 の中でも議論が開始された。 文科省が慎重に検討する方向性を打ち出しているとしても、 案外早期にトップダウンの手法で決まってしまうかもしれない。 また、 株式会社立の学校が 「学校設置会社連盟」 という団体を組織して活動を強化している事も、 バウチャー導入に影響があるかもしれない。 学校の市場化は何をもたらすか 学校が市場経済 (株式会社立、 公設民営、 無制限なバウチャーなど) に巻き込まれると富裕層にとっては有利に働き、 そうでない人々にとっては不利な状況が固定化する傾向がある。 アメリカやイギリスの事例を参考に簡単に図式化してみたのが次の図である。 (設置基準の改正と派遣労働については日本の現状を書き入れてある。 義務制の状況も参考にした。) 学校の市場化に不可欠なものは広範囲で実施されるテストなどによる学校評価、 つまりは格付けである。 それによって保護者・生徒は学校を広範囲から選択する。 (イギリスではこれがリーグテーブルであり、 日本でも一部の自治体で学力テストの結果を公表していることがこれに相当しそうだ。) この時、 家庭の経済力によって選択の自由度も違ってくる。 有名な学校のまわりに転居したり、 高額な交通費を負担できることがまず必要となるからだ。 また、 現状でもその傾向はあるが、 早くから教育にお金をかけていた層ほど上位に格付けされた学校への進学が可能になる。 保護者の収入が高い層ほど有利な仕組みとなるのが学校の市場経済化である。 おわりに 自民党に対する財界の政策要求は教育改革の重要な柱として 「株式会社、 NPOによる学校設置の促進、 公設民営化学校の実現」 を掲げている(9)。 しかし、 これらはイギリスやアメリカの後追いにしかすぎない。 イギリスの小学校段階での報告であるが、 公教育の市場経済化による弊害として、 「学校間格差」 「人気校近隣の不動産価格上昇 (裕福な家庭だけが通学できる)」 「点数市場主義で美術や音楽が減少」 「ナショナルテストの不正 (年間600件、 増加傾向)」 などが報告されている。 これはナショナルテストの結果によって、 親が学校を選択し、 各学校の生徒数に応じて予算が配分されるといった教育の市場原理化の弊害なのである。 日本においても教育バウチャーによって、 学校選択の自由が拡大されれば、 イギリスの二の前になることは必然である (10) 。 公設民営の学校管理会社として、 アメリカのエジソン社が有名だが、 この会社は株価つり上げのために様々な問題を起こしている。 一時はナスダック市場から追放寸前というところまでいった。 また、 株価のためなら虚偽に近い手法で各校の成績を発表する。 さらに、 問題のある学校の再生を引き受けながら、 その実態の深刻さに学校管理から撤退するという事例も報告されている。 エジソン社は教育というものが如何に困難な仕事なのか理解できていなかったのである。 最近では学校管理よりも、 様々な学校管理ツールの販売に会社の存亡を託しているらしい (11) 。 日本においても評価委員会が特区の各学校に様々な問題があることを指摘している。 先行するアメリカやイギリスでも、 教育の市場化については問題が多いらしい。 特区の仕組みが全国化し、 無制限にバウチャーが導入されれば、 事態をさらに悪くする可能性のほうが大きい。 公設民営・株式会社立の学校といった教育の市場化は 「状況変化等に迅速に対応した教育の実施が可能となる面もある」 と経団連は自民党に対して言っている。 しかし、 教育の営みにとって大切なのは安定的で持続的、 過去から現在へそして未来へ繋がる継続性が担保されることではないのか。 そのための仕組みを作るのが政治の役割であり、 それは現行の憲法・教育基本法を生かすことによって可能になると思うのである。 そして、 教育に限らず様々な分野が市場経済化された競争社会の中、 困難ではあるが、 分断された一人一人の連帯から 「公」 の再生をめざしたい。 時間はかかるとは思うが、 管理職をも含めた教職員全員が職場で協力・協働し、 保護者とねばり強く会話をすることで、 この教育の市場経済化という大きな流れに対抗できるのではないだろうか。 全ては現場から始まるのであり、 誰かの机の上からでは無い。 【註】
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(かなざわ のぶゆき 研究所員) |
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