所員レポート
公立中高一貫校のある景色
〜秋田県の公立中高一貫校を訪ねて〜

 
本間 正吾

 1. 続々とつくられる公立中高一貫校

 いま公立中高一貫校は急速に増えている。 1999年の段階では 3 校にすぎなかったものが、 05年には120校、 06年には132校 (国公連携 1 校を含む) に達し、 さらに07年以降にも35校の開校がすでに予定されている。 これに対し私立の中高一貫校は06年段階で62校にすぎず、 今後の開校予定も 5 校にすぎない。 中高一貫校の数において、 公立は私立をはるかに上回る状況になっている。 (中高一貫校の開設状況についてはこの稿の最後に表を掲載してあるので参照されたい。)
 ただし中高一貫校という発想自体は新しいものではない。 すでに1966年の中教審答申において、 6 年制の中等教育機関について 「検討する必要がある」 とされていた。 しかしエリート教育機関化への懸念、 受験競争の低年齢化への危惧から、 現実化は先送りされてきた。 91年の中教審答申においても、 「中高一貫教育には受験競争の低年齢化を招くおそれがある」 という理由から、 最終的な結論は持ち越されてきた。 全国的に注目された94年開校の全寮制中高一貫校、 宮崎県立五ヶ瀬中学・高校もあくまでも特例であった。 ところが、 98年に中等教育学校、 併設型中高一貫校を制度化する学校教育法の一部改正が行われて以来、 公立の 「中高一貫校」 は続々と開設されたのである。
 ところで中高一貫校と言ってもその中身は多様である。 一般的な分類では連携型、 併設型、 中等教育学校型の三つとなる。 連携型の中高一貫校は既存の中学校と高校が様々な分野で連携をし、 中学校から高校への進学にあたってはかんたんな選抜をおこなうものである。 これに対し、 併設型中高一貫校は高校と中学校を一応分けながらも、 中学校から高校への接続にあたっては、 選抜なしで進学を認める方式である。 そして中等教育学校は高校と中学校を分けることなくひとつの学校にしてしまう方式である。 しかし、 中学校から高校への接続よりも重要なのは小学校から中学校への接続である。 連携型の場合には、 中学校の校区はこれまでと同じように設定され、 校区内の小学校卒業生をそのまま受け入れている。 併設型、 中等教育学校型の場合は、 中学校としての校区を持たず広域から小学校卒業生を集めることになる。 そこでは倍率が生じ、 何らかの選抜が行われることになる。 連携型と他の二つの型の間には小学校からの入学者の受け入れ方に、 大きな違いがある。 ここに来て、 当初多数を占めていた連携型の開設は減少し (06年には前年より 1 校増えたに過ぎない)、 中等教育学校、 併設型が新規開設の大部分を占めるようになってきた。 以下で問題にするのは、 併設型中高一貫校もしくは中等教育学校である。
 こうして続々とつくられてきた公立中高一貫校の人気は高い。 たとえば06年に開校した東京の区立九段中等教育学校の区外枠は10倍を越す倍率になった。 もともと首都圏では私立中高一貫校の人気が高かった。 いわゆる御三家を初めとする首都圏の中高一貫校は有名大学合格者の数を確実に増加させてきた。 他方、 首都圏の公立高校の凋落も取りざたされてきた。 だからこそ首都圏で公立中高一貫校ができれば、 注目されるのは当然だろう。 ところが公立中高一貫校の人気は必ずしも首都圏にかぎられたものではない。 九段と同じ06年開校の鹿児島市立玉龍中学校も、 説明会には3000人以上が集まり、 受験倍率も11倍を超えた。 最初の公立中等教育学校が宮崎県の五ヶ瀬だったように、 公立中高一貫校の開設は地方の方が先行していた。 佐賀、 長崎、 福岡、 高知など西日本の各県ではそれぞれ 2 、 3 校の公立中高一貫校がすでにつくられている。 それに比べ東日本の各県はやや出遅れた観がある。 ただその中で秋田県は、 すでに 3 校 (市立 1 校、 県立 2 校) の併設型中高一貫校を開設し、 形態は未定であるがさらに 1 校をつくる予定である。 もしこの数に人口比を乗ずるならば、 東京都には30校、 神奈川には20校ほどの中高一貫校がすでにできている勘定になる。 公立中高一貫校がつくられた現場では何がおこっているのか。 「先進県」 の秋田を訪ねてみた。

2. 御所野学院・・・ユニークな試み

 秋田市に中高一貫校をつくろうという話は、 もともとは市立商業高校の改変案として誕生した。 たまたま市長選が重なっていたので、 その 「目玉」 として出されたとも言われている。 市長選の 「目玉」 になるということは、 それだけ公立中高一貫校が市民によって注目されるものだったと言うことでもある。 その後、 中高一貫校案は秋田市郊外の御所野につくる案に変わってきた。 御所野は人口が急速に増えているニュータウンであり、 新しく中学校をつくる必要に迫られていた。 そこで御所野に中学校を新設すると同時に高校を併設して一挙に中高一貫校構想を実現する、 その方向にすすむことになった。
 その御所野学院を訪ねてみた。 外部に対してオープンな学校のようである。 中学部は各学年120〜140程度、 4 クラス規模であるが、 秋田県の施策にしたがって一年次に加配をつけ、 5 クラス展開になっている。 高校部は 2 クラス80名が定員であるが、 かならずしも定員どおりになっていない。 実際の人数は一年79名、 二年82名、 三年67名と安定しない。 中学部卒業者の 7 割程度しか高校部に進学しないからである。 しかも高校段階でそれを補充する募集はおこなっていない。
 地元の御所野小学校の子どもたちの大部分は御所野学院中学校に進学する。 一部は近隣の中学に進学する。 もともと御所野学院は校区を持っていない。 御所野小学校は別の中学校の校区になっている。 あえて御所野学院に進学せず、 別の中学を選ぶものが出るのは自然ともいえる。 ただしその数は少数であり、 また御所野学院が不合格だったから行くわけでもない。 部活動や家からの距離等が主な理由だという。 他に全市からの入学者もいる。 いずれにせよ入学してくる生徒の学力の幅は大きい。 御所野学院では地元の小学校から入学してくる生徒を、 面接等の審査によって、 中学部までの生徒と高校部まで進む生徒の二つに分ける。 ただし、 中学部までという前提で受け入れた生徒でも 3 年次に高校部進学の願書を出すことができる。 そして可能な限り願いは受け入れられている。 他方、 高校部までという前提で受け入れた生徒の中でも、 高校部への進学を望まない生徒も出る。 それが高校部の入学者数が定員どおりにならない原因である。
 訪ねる前は御所野学院について一般的な中高一貫校の姿を予想していた。 しかし、 現場の話はちがったものであった。 地元の御所野小学校の卒業生が事実上そのまま受け入れられているところを見れば、 連携型と同じだと言ってもよい。 一方、 中高の接続を見れば、 併設型である。 先ほどの中高一貫校の分類にはあてはまらない。 御所野地区では、 子どもたちの大部分が、 希望するならば小学校から高校まで一緒にいることができる。 12年間の教育をほぼ保障しながら、 小学校卒業時点、 中学校卒業時点でそれぞれ選択肢が残されている。 もちろん、 子どもの成長を考えた場合、 これが一概にいいとは言えないかもしれない。 じっさい人間関係が狭くなってしまうことを嫌って、 他の高校に進学する生徒もいるともいう。 賛否はあるにせよ、 御所野学院はかなりユニークな形態、 地域に根ざした公立中高一貫校とでも言うべきものになっている。
 ただし、 公立中高一貫校は 6 年間の一貫教育を貫徹しなければならないという考え方に立つならば、 御所野学院は 「失敗」 だということになるだろう。 事実、 県が開設したサイト (「美の国あきたネット」) にも 「秋田市での学校はひとつの失敗校と言っても過言ではありません」 という声が寄せられていた。 県からの回答はこうであった。 「(県がつくった中高一貫校では) 県南、 県北の各通学区域内のすべての小学校から、 中高一貫教育の趣旨を理解し、 6 年間継続した教育を受けようという強い意志を持った子どもを入試によって選抜して入学させておりますので、 基本的には中学校入学者全員が併設する高校に高校入試なしで入学することになります」。 もともと県は市立の中高一貫校には冷ややかだったようであるが、 それにしても県の担当者は 「失敗」 という指摘に反論することもなく、 県立の中高一貫校では 「失敗」 をくり返さないとのみ答えるのである。 では県立の中高一貫校はどうなっているのか。

3. 横手清陵学院・・・陰ですすむ学校統廃合

 こちらは県の統廃合計画の一環としてできた学校である。 すでに秋田県では秋田市内の高校でのみ倍率が生じ、 他地区は定員割れが続出している。 まとめられた高校統廃合案は、 2006年から10年までの間に、 減少が大きい 5 地区で19校を10校へと半減させる計画になっている。 たとえば北秋田地区では、 現存の 4 校を 1 校に、 角館地区では 2 校を 1 校に、 大館地区では 5 校を、 普通科高校 (大館鳳鳴)、 商業高校を母体にした中高一貫校 (大館国際情報学院)、 総合制高校 (他の 3 校を統合) の 3 校にするなどのかなり大胆な案である。
 ところで、 横手清陵学院はもともとあった横手工業高校を母体としている。 そのため総合技術科と普通科からなる学校になっている。 その中の普通科部分が中高一貫となる。 進学校への道を歩むことが至上命題のようである。 授業進度も速い。 生徒指導もかなり厳しく行われているようである。 そして工業科は 3 クラスから 2 クラスへと縮小されていく。 また入試の場面では、 御所野のような 「失敗」 を繰り返さないために、 6 年間学ぶ意思のある子を集めようとしている。
 県の力の入れ方は相当である。 新入生には専用のパソコンも用意され、 TTも徹底して行われているという。 校舎も他の学校とは比較にならない豪華なものである。 もちろん冷暖房の設備もある。 他の中学に通う生徒の親から不公平だという声が上がると言うが、 それも当然だろう。 ただ施設を見ようにも、 残念ながら校内に立ち入ることもできなかった。 外部からの批判に対してはかなり神経質になっているようである。
 こうした一点豪華主義とも言える中高一貫校開設の陰では、 小中学校の統廃合も急速に進んでいる。 たとえば近隣の大森町では 4 つの小学校が 1 校へ統合される方向で廃校計画が進んでいる。 とうぜん歩いては通えない。 路線バスはたまにしか通らない。 だからスクールバスを用意することになる。 こうした学校統廃合の背景には自治体の統廃合がある。 横手市とその周辺の計 8 市町村が合併して、 あらたな横手市になった。 自治体の統廃合と小中学校の統廃合は連動している。 自治体の統合を促した理由が財政問題なのだから、 まず支出の抑制からはじまる。 学校数を三分の二に減らす方向が出てきている。 その検討過程では校区の自由化案も浮上したという。 子どもが集まらない学校から廃校にすれば説明しやすいというのだろうか。 だがそこに通うしかない子はどうするのか。 用意したスクールバスさえいつまで維持できるかは疑問である。 何しろ消滅する町の最後の予算で購入したバスなのだから。
 そんな中で県立の中高一貫校がつくられる。 わずかな人数でも清陵学院に流出すれば中学校のクラス減は必至である。 ある中学校の入学式では、 「この地区の中学を選んでくれてありがとう」 という感謝の言葉を校長が新入生にわざわざ言ったという。 だから各中学校の教員はことごとに言われる。 「お前たちの学校から何人が清陵に抜けたか分かるか」。 中高一貫校として県立大館国際情報学院がつくられた大館でも、 新しい中高一貫校に近い各小学校から、 成績上位者十数人がそれぞれ抜けるという事態も起こったという。 廃校すれすれ、 クラス減すれすれの地域の中学校にとっては死活問題である。
 ところで子どもたちは、 なぜ中高一貫校に抜けるのか。 良きにつけ悪しきにつけ地域社会の縛りはきつい。 それを振り切っての選択である。 いまの人間関係が嫌だから、 地域の中学が嫌だから、 これはないと小学校の教員は言う。 ではどうして清陵学院を選ぶのか。 高校入試がないから、 大学進学に適した学校だから、 そして何よりも 「新しい学校」 という宣伝が効いているから、 とその小学校の教員は言う。 たしかに、 もともと中学校は宣伝などしてこなかった。 また宣伝したとしても清陵学院に敵うわけがない。 一人二人しか受験しない小学校では子ども自身が宣伝に動かされる。 多人数が受験するところでは親たちが宣伝に煽られる。 中学生ならばまだ冷めた目で見ることもできるかもしれない。 しかし小学生である。 コンピュータがある、 英会話の勉強ができる、 立派な施設設備がある、 と目を輝かせる。 だからといって清陵学院の圧勝とも言えない。 それだけ地域の伝統的進学校の力は強い。 だから清陵学院も、 「地域で学力一番の学校になる (つまり地域の進学校である横手高校を抜く)」 と保護者、 生徒に向かって説明するのである。 ともかく予想できることは、 清陵学院に 「優秀な」 生徒をとられまいとする高校間の競争、 中学校間の競争が激しくなっていくということである。 そして親も子も小学校も、 この競争に巻き込まれていく。 親は小学校の教員に受験指導を求める。 小学校の教員は言う。 「親の願いは増大、 かなえられない学校や担任には不満が続出する」。 「合格した子は 『勝ち組』 意識が強く、 人の上に立ったかのような見方をする子も現れ、 厳しく指導した (同じような態度をしめす保護者もいた)」。 合格させられなかった担任は責められる。 責められるだけではすまない。 「不合格になり地元の中学に行くことになった子どもはどうなるのだろう」。 いじめが起きそうになった場面もあったと聞く。 だが救いがないわけでもない。 不合格になり落ち込んでいる子にまわりの子が言う。 「いいじゃん、 また一緒の学校に行けるんだから」。

4. 公立中高一貫校は何をもたらすのか

 ここで秋田の二校からやや離れて公立中高一貫校について考えてみたい。 その手がかりとして、 ある受験情報誌 (学研 『公立中高一貫校に入る!』 06〜07年入試研究号) を開いてみる。
 その分析によると、 中高一貫校が成功するかどうかは、 どれだけ多数の小学校から成績上位者を集めることができるかどうかにかかっている。 だから人口集中地域、 あるいは交通の便の良い場所に設置することが重要になる。 また、 設置母体が人気を集めることができる学校だったかどうかも重要である。 伝統ある進学校が母体になっていればそれだけ期待のできる中高一貫校になる。 この情報誌は、 両国や小石川といった府立中学校以来の伝統校の改編によって、 中高一貫校10校を開校する東京都は 「意気込み」 のある自治体、 それに比べ大都市部から外れたところに、 歴史の浅い学校を母体に 2 校を開校する予定しかない神奈川県は 「意気込み」 に欠ける自治体とみている (84年開校の大原高校と85年開校の相模大野高校を母体校として中等教育学校を09年度に開校する予定)。 それが当たっているかどうかはわからない。 しかし、 受験情報誌のこうした分析は、 保護者、 受験生が公立中高一貫校に何を求めているかをあきらかにしている。
 高校受験の重圧から中学校生活を解放してくれるから中高一貫校を選ぶ、 とよく言われる。 だが、 そこで想定されている高校受験とは、 大学受験で実績を上げている、 あるいは上げることのできるような高校の受験である。 どの高校でもいいというわけではない。 もちろん中高一貫校を選ぶにはいろいろな事情があると思う。 だが、 中高一貫校への進学希望者の大部分が大学進学を目指していることはたしかである。 だからこそ、 この公立中高一貫校はどの高校を母体としてつくられているか、 そこに関心があつまるのである。 もし母体をもたない新設校としてつくられるならば、 「 1 期生国公立大学合格者数70%以上」 という目標を掲げることも必要になるのである (広島県立広島)。 秋田県がつくった二つの中高一貫校、 横手清陵学院も大館国際情報学院も、 それぞれ工業高校、 商業高校を母体としていた。 この見方からすればどちらの学校も、 中高一貫校としては今ひとつ生徒を集める力に欠けると評されるのかもしれない。
 とはいえこれまでつくられた公立中高一貫校が受験指導にだけ力を入れているわけでも、 受験向けの授業に偏っているわけでもない。 むしろ行事や部活動に力を入れる、 体験学習やキャリア教育に力を入れる、 などが宣伝文句とされている。 多くの公立中高一貫校の教育目標にはこんな言葉が並ぶ。 「次代を担うパイオニアとなる人材育成 (佐賀県立唐津東)」。 「リーダーとして活躍する生徒を育てる (都立白鴎)」。 「広い視野をもち自ら考える、 自ら行動する個性を育てる (高知県立安芸)」。 だが、 こうした文言も大学進学を前提にしているということは今さら言うまでもないだろう。 大学受験への強い期待があり、 それに対する一定の保障があると信ずるからこそ、 保護者も生徒も公立中高一貫校を選ぶことになるのである。
 ではこうした公立中高一貫校に入るためには高い 「学力」 が必要か。 建前上はそうではないことになっている。 どこの公立中高一貫校も 「学力」 による選抜をしないことになっている。 これが 「エリート校」 化させない担保だというのかもしれない。 たしかにこれまでの私立の中高一貫校に入るには小学校の通常の勉強では無理だと言われてきた。 早い時期から塾に通わせたり家庭教師をつけたりすることが必須とされてきた。 私立中学受験で定評のある塾も繁盛し、 入学後の授業料等とともに、 それが重い経済的負担となってきた。 その負担に耐えられる経済力のある家庭の子どもだけが、 私立中学受験を目指すことになった。 公立の中学校ならば授業料の負担はない、 しかも学力検査を課さなければ、 だれにでも開かれた中高一貫校になるはずだ。 そう期待したのかもしれない。 だがことはそれほどかんたんではない。 学力検査にかわるものが、 適性検査、 面接、 作文である。 その適性検査では、 計算の 「考え方」 を説明させる、 身の回りの現象への視点を問う、 あるいはグラフの読み取りをさせる。 作文や面接でも、 知識よりも考え方や表現力を重視する。 かんたんなものではない。 どうしたらこの試験を突破することができるのか。 公立中高一貫校に子どもを合格させた親たちは言う。 「いちばん大事にしたのはふだんの生活」。 「特別に何かをしたということではないですね。 ただ小さいころから寝る前には必ず本を読み聞かせてきたこともあり、 本当に本が好きで、 受験直前でもよく読んでいました」。 「うちは全員が朝 6 時に起きて 1 時間勉強するようにしていました」。 「家庭での受験対策としては、 親が例題を参考に問題を作ったりもしました」。 「適性検査の内容は、 その子の生きてきたものすべてが評価されるようなところがあると思いました」。 公立 (この記事ではすべて都立) 中高一貫校に子どもを合格させた保護者による座談記事である。
 そこでこんなアドバイスがならぶことになる。 「子どもに問いかけて調べるきっかけをつくる」、 「家族全員で毎日 「読書タイム」 をつくってみる」、 「親子の交換日記や手紙を書く習慣も」 …。 もし 「学力」 だけが問われるのであれば、 塾なり家庭教師なりに任せれば何とかなるかもしれない。 しかし公立中高一貫校に合格するためには、 家庭の生活の仕方すべてが問われることになる。 ものを言うのは 「家庭の力」 である。 また、 「家庭の力」 は別の面でも問われる。 公立中高一貫校はどこにでもあるわけではない。 中学生に遠距離通学を強いることになる。 秋田県の場合でも公立中高一貫校に通わせるためには、 親の送り迎えは必須であった。 朝学校まで送り届ける。 そして帰りは仕事を途中で抜けてでも迎えに行く。 もし通える範囲に公立中高一貫校がないときは、 一家をあげて引っ越すことにもなる (先の受験情報誌は京都府の家庭の例をあげている)。
 公立中高一貫校が各地につくられることによってもたらされたもの、 それは 「家庭の力」 すべてが問われる総力戦である。 そして、 この総力戦に参加できる家庭とできない家庭が分かれていく。

5. 公立中高一貫校のある景色

 秋田に話がもどる。 秋田県ではゼロ時間目から 7 時間目までの授業、 その後に補習、 自習と続く、 いわゆる 「学力増進運動」 も相変わらずだという。 そのために予算をつぎ込む。 県内一番と評される進学校は豪華な校舎を見せつけていた。 公設民営方式とも噂される中高一貫校も開校される予定である。 さらに昨年度途中から、 算数・数学について単元ごとの到達度確認テストを全県下でおこない、 その報告が求められているという。 これは県財界の要請だそうである。 ノーベル賞受賞者を秋田から出せ、 有名大学への進学者を増やせと言う、 単純な要求である。 ともかく成果を上げろと言われている。 公立の中高一貫校がつくられた理由もこのあたりにあるのだろう。 だが成果が上がったとしても、 そこにどんな意味があるのか。
 案内をしてくれた教員に聞く。 「大学進学に力を入れると言うが、 子どもを大学に入れることができる親がどれほどいるんでしょうね」。 「じっさいのところ、 かなりの家庭は高校まででも精一杯でしょうね」 という答えが返ってきた。 高校までの段階でも親の負担はたいへんである。 「交通費に月 3 万もかかる子がいる。 二人も高校生がいたらやっていけない」。 「子育てできる環境ではない。 賃金が低いから長時間働かないと子どもの交通費も出せない」。 「共稼ぎで働いても、 一人分は子どもの学費、 交通費で消えてしまう」。 こんな状況で県外の有名大学に入る子どもに予算を傾斜的に配分することにどんな意味があるのか。 おそらく大学に進学した子どもたちは郷里には帰ってこないだろう。 帰って来たくとも仕事がないのである。 「家業がある家はいい、 ともかく仕事がない」。 「米をつくっても、 つくるだけ赤字になってしまう」。 「金属関係はまだ工場が残っているが、 他の工場はなくなってしまった。 最近はテレフォンオペレータの求人が増えているぐらい」。 秋田でも横手でもこんな話を聞く。 秋田県の 1 人当たり県民所得は東京都のそれの半分ほどにすぎない。 こんな状況のもとでひたすら大学進学率の向上だけを目指しても、 もたらされるものは地域の人的空洞化だけだろう。 否こんな状況だからこそ、 自分の子だけは県外に出そうとするのかもしれない。
 公立中高一貫校の校舎は真新しく、 堂々としていた。 他の中学に比べ物的にも人的にも手厚い支援を受けている。 ある小学校のPTA会長は総会での挨拶でこう言ったという。 「一貫校は、 設備もいいが先生方や授業の手厚さがすばらしい。 それに比べわが町の中学校は 3 年生になってもレベルの低い授業を受けている」。 市町村が合併され、 小中学校が統廃合され、 子どもたちはスクールバスで運ばれていく。 次々に高校がなくなり、 多くの高校生は駅までバスを利用し、 列車にゆられ、 またバスに乗る。 案内をしてくれた小学校の教員が宿に向かう途中で言った。 「地域で生きていこうとする子どもに、 どうしてお金をかけないんでしょうね」。 立派な校舎の周りに広がるのは緑豊かな田園風景、 だが裏を見れば空洞化し希望を失った地域社会、 こんな景色が広がっている。

6. おわりに

 秋田で情報を得た二つの中高一貫校には大きなちがいがあった。 御所野学院は地域に根ざした中高一貫校とでも言うべきユニークな姿を見せていた。 横手清陵学院は典型的な中高一貫校になろうとしているように見えた。 おそらく全国各地につくられている公立中高一貫校の中身はいろいろだろう。 それぞれ置かれた環境も違う。 また多くの公立中高一貫校では、 様々なユニークな実践、 注目すべき実践もおこなわれているだろう。 ただし、 そうした学校の多くは、 行政からの手厚い支援、 選抜された生徒集団等、 他の学校とは比較にならないほどの有利な条件を与えられている。 個々の学校の 「成功」、 「失敗」、 あるいは個々の実践の善し悪しをとりあげて、 中高一貫校一般の是非を論ずべきではないと思う。
 また、 家族を挙げて引っ越しをしてまでも、 公立中高一貫校に子どもを入れようとする親を責めることもできないと思う。 自分の子どもの能力をより伸ばしてやりたい、 そのための環境を整えてやりたい、 少しでも豊かな可能性を開いてやりたい。 これは親として当然の願いである。 この欲求を否定することはできない。
 問題はこうした教育システムをつくる側、 あるいはその背後の考え方にある。 新しい高校をつくったと宣伝し、 学区をなくしたからどこでも受験できますと言い、 これまでも親と子の欲求をひたすら煽り競争させてきた。 今度は公立中高一貫校である。 小学校の段階にまで競争を広げ、 煽り立てようとする。 親と子の欲求を 「ニーズ (もともとは必要性という意味だと思うのだが)」 という聞こえのよい言葉に置き換え、 「ニーズ」 に応えればそれでよしとし、 「失敗」 は家庭の自己責任として片づけようとする。 他方、 「ニーズ」 がないという口実ができれば、 容赦なく切り捨てていく。 もちろん現在の小学校中学校が問題なく機能しているなどと言うつもりはない。 しかし、 勉強ができようができまいが、 どんな将来像を描こうが、 時間と空間を共有することで育まれる意識、 それを育てる役割をこれまでの小学校や中学校が担ってきたのではないのか。 少なくとも、 「いいじゃん、 また一緒の学校に行けるんだから」 と言って、 落ち込んでいる子を励まし受け入れるだけの力が育ってきたのである。 この力こそ、 社会を成り立たせるためにもっとも必要な力ではないのか。 だが、 この 「ニーズ」 を顧みることなく、 ひたすら自己を他から引き離し卓越しようとする欲求だけを煽っていく。 こんな考え方、 その上につくられたシステムのゆきつく果てにどんな景色がひろがるか、 いまさら言葉をつけ足す必要もないだろう。
(以上の記述は、 日教組全国教研 第54次、 第55次 における秋田県をはじめとする各県の現場教員からの報告と、 今年の 7 月末に現地を取材して得た情報をもとにしている。 貴重な情報を提供してくれた各県の報告者に、 急な取材の申し入れにこころよく応じてくださった秋田の現場教職員の方々に、 この場を借りてお礼を申し上げたい。)

   (ほんま しょうご 教育研究所員)

【参考文献】
  1. 『日本の教育』 第54集 日教組第54次教育研究全国集会報告集 潟Aドバンテージサーバー 2005.8.1発行
  2. 『日本の教育』 第55集 日教組第55次教育研究全国集会報告集 潟Aドバンテージサーバー 2006.8.1発行
  3. 『公立中高一貫校に入る!』 滑w習研究社 2006.6 発行

【資料】中高一貫校の設置状況

 文部科学省 「各都道府県等における中高一貫教育校の設置・検討状況について (平成18年4月)」
 www.mext.go.jp/a_menu/shotou/ikkan/9/06050103.htmより作成
 なお、 都道府県立、 市立、 町立、 区立はすべて公立として一括してある。
 また、 和歌山県につくられた国立中学校と県立高校の連携校は公立に数えてある。

(ほんま しょうご 教育研究所員)

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