寄稿
教員評価はどのように行われるべきか
  東京都の教員評価の経験から
貫 井 朋 之

はじめに
筆者は東京都の公立小学校教師として35年間勤務、 最後の数年間は教頭を経験し 3 年前に定年退職した。 現在は、 青山学院大学大学院にて教育学を専攻し前期課程 (修士) を終了したところである。 教職最後の 3 年間は人事考課制度のもとで所属の教員評価を行い様々な問題点を感じたが、 この間の研究結果も加えてこの制度の問題点と解決方向を考えてみたい。

1. 人事考課制度としての教員評価、 その問題点

 教員評価と人事考課制度とは意味が異なる。 人事考課は教員評価を給与その他に結びつける。 東京都では2000年度から人事考課制度が実施され、 筆者が勤務していた当時は教員評価が 5 段階評定であったが、 給与その他に反映されていなかった。 それが2005年度から上位 2 段階は 6 ヶ月か12ヶ月の特昇、 下位 2 段階は 3 ヶ月の昇級延伸となる。 評価結果の本人開示は2006年度から導入される。 神奈川県の教育行政も東京都と同じ方向で進んでいると見られる。
 教員評価が必要であるかどうかについては多くの論議があるが、 筆者は教師という職業の公共性や専門性から教員評価は必要だと考える。 問題はその内容である。 評価の中心は授業になるが、 授業については様々な見方があり評価は難しい。 しかし、 管理職や教師たちが教師の児童・生徒に対する姿勢、 教材の把握、 学習活動の方法などを注意深く研究的に見るときに評価は可能であろう。 教師の授業の課題を発見することと言い換えてもよい。 そして、 評価はあくまで教師の意欲を高め励ますものでなければならない。 そのためには、 評価を行う管理職の授業を見る目を向上させることが必要であり、 教師たちが同僚としての自覚を持って互いに助言し合うことが大切である。
 こう考えると、 現行の人事考課制度は大きな矛盾を抱える。 評定は管理者が評価をもとにしながらも教師をいくつかある段階に当てはめることである。 しかし、 教師の教育活動・授業を評定するには無理がある。 授業については多様な見方や様々な側面があり容易に評価できないからである。 とくに、 最近の教育学の流れとしては、 授業の成果は目標に基づいた達成度ではなく、 学習者の学習過程を重視する考えになっている。 また、 下位に評定され段階づけられた教師が意欲を持つことができるであろうか。 管理職、 行政は自信を持って評定できるのか、 評定づけられた教師たちの間に亀裂が生じないのか、 管理職と教師との信頼関係は損なわれないのか。 これらは筆者の経験から見ていずれも否定的にならざるを得ない。 さらに、 評価する以上本人に開示するのは当然であるが、 これらの矛盾・問題点が表面化し学校が危機を迎える。 このような状況は行政も本来望むところではないはずである。 よって、 学校はこれらの問題点を行政と率直に話し合い協議していく必要がある。

2. 教員評価の課題
 このような環境では学校の内部努力でその矛盾を緩和することが大切である。 制度として行われるわけであるから管理職は執行せざるを得ないし教師もそのワクを出ることはできない。 そうした場合、 矛盾を完全に払拭はできないが義務づけられている授業参観や面談を活用して教育活動・授業の改善につなげることはできる。 評価の目的である教師の力量向上を目指して管理職が誠意を持って丁寧に教師の授業を観察し前進面を認める助言を行えば、 教師は自己の実践を振り返ることができ、 管理職との信頼関係を深める契機を作ることができる。
 筆者は、 2000年度から 3 年間、 普段の観察以外に授業研究として教師一人につき年間 5 回、 学校全体としては年間合計60回を超える授業観察を行った。 授業観察は科目・時間とも教師と相談し特別の事前準備や指導案はなしとし、 1 時間の間全部記録をとり放課後個別に話し合いをした。 そこでは授業のプラス面の助言を主とした。 その結果全員と平等に話し合いができ、 授業を中心とした研究の雰囲気を校内に多少とでも作ることができた。 また、 年間の個別のまとめと同時に学校全体の授業の成果と問題点を明らかにし教師との信頼関係を深める努力をした。
 この取り組みを生かすとすれば、 授業参観を教頭の発案と実行だけに終わらせず研究推進委員会の進める授業研究との関連を明確にし、 学校全体で授業研究を行うことが考えられる。 教師が相互に授業を公開して同僚の批評を受けることによって自己の実践の優点と課題を見いだし、 授業を向上させる意欲を培うことができる。 批評の中には評価も含まれる。 それを自己の発展のバネにすることができるであろう。 また、 管理職も授業をすることが大切である。 それは授業を行うことは難しいということを再確認し、 授業を見る立場に立ったときも教師の心理や困難さを想像することができるようにするためである。

3. 授業研究を教師の
  指導力向上・学校改革の中心に
(1) 児童・生徒が心を開く授業を目指す
 現在、 小学校ですら多くの学校では授業中発言するのは高学年になるほど少なくなり数名というのが珍しくない。 他は沈黙して表情に変化が見られず学習意欲に乏しい。 中学校ではこのような状況はいっそう深刻なように見える。 これには様々な理由があるが、 直接的には教師が自分の語る文脈に児童・生徒の発言を組み入れていくだけの学習になっているからである。 児童生徒の考えをよく聞くという考えや方法が教師の側にない。 教師が聞かなければ児童・生徒も他のいうことをよく聞くようにならない。 つまり対話が成立しないことになる。 学習者自身が文化を取り入れていく過程が学習だとすれば対話を深めることが授業の中心になる。 進度は気になるところであるが、 よく聞き合うということが今日の授業課題である。
(2) 授業者が納得する話し合いをする
 授業を参観する側はよく見えるし、 批判的な目になりがちである。 そして、 授業者の立場や心理を考慮せずに問題点を指摘することがたびたび見られる。 これは授業者の反発を招き同僚性にひびが入る。 授業者は授業後時間の経過していない段階では全体的に振り返ってみることは困難である。 とくに、 授業をしながら迷ったところ、 授業が行き詰まった部分の分析ができない。 そのような箇所は授業論として大切な事項であるから参加者の丁寧な分析が要求される。 また、 授業者の思い入れがあるはずであるからその箇所に応えた論議が必要である。 それがないと授業者は釈然としない気持ちが残り、 今後積極的に参加する意欲がそがれる。 研究会が互いに向上しようという精神に支えられているかどうかが試される。
(3) 授業研究をもとに据えた学校運営の工夫をする
 一人の教師が自分の授業の問題点に気づくには年に数回の研究授業が必要である。 全体会ばかりでなく学年や教科の研究会も含めてであるが、 学校全体として相当の数になる。 そのためには、 研究を行う時間の保障と運営上の工夫が必要である。 行事や会議、 文書の精選を行う。 今までの習慣にとらわれず、 時間は限られているのであるから大切なものからの順序づけをする。この件では管理職の決断が大きく影響する。

 人事考課制度を中心に学校・教師を管理する力は近年非常に強まっており、 管理職を含めて教師の精神に重い負担がかかっている。 管理の表れである文書の作成、 提出も増え事務に関わる時間、 エネルギーが消耗される。 そのような状況では本来の業務である児童・生徒の指導、 授業、 その準備・整理などが不十分なまま推移し精神的な疲労がたまる。 これらを解決するのは容易ではないが、 学校全体が授業研究を中心に据え教師の力量向上を目的とした態勢をつくり上げて学校改革を進めることが大切であると筆者は確信する。 現職の先生方の奮闘を期待したい。

  参考文献
・教職員人事制度研究会 『教職員の人事評価のあり方について』 2001年 9 月 (神奈川県)
・教員等人事考課制度導入に関する検討委員会 『教職員の人事考課制度について』 1991年12月 (東京都)
・ 「人事考課を給与に反映」 『日本教育新聞』 2004年11月26日
・ 「全教職員の勤務評価、 基本給に反映」 『内外教育』 2004年 6 月22日
・真原里実 「評価社会と教師」 『教育』 2005年 5 月
・長谷川容子 「管理職は説明責任を果たせ」 『毎日新聞』 20003年 2 月25日
・デニス・ロートン著、 勝野正章訳 『教育課程改革と教師の専門性』 学文社1998年 4 月

(ぬくい ともゆき)
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