映画に観る教育と社会 [5]
[17歳の風景]
手 島   純

ポレポレ東中野
  「ポレポレ東中野」 という映画館に若松孝二の映画 「17歳の風景」 を観にいった。 シネマ・コンプレックスなどでは上映されることはないであろうあの若松の映画は、 まずはどうしても東京周辺の単館上映になってしまうのだが、 こうした志をもった映画館がとりあえず存在していることに拍手をおくりたい。
 優れたドキュメンタリー映画を上映し続けたが、 残念ながら閉館した 「BOX東中野」 は、 「ポレポレ東中野」 として復活したのである。 ポレポレとは、 スワヒリ語で 「ゆっくりゆっくり」 といった意味だという。
 かつて新宿の蠍座・池袋文芸地下、 飯田橋佳作座、 銀座並木座に足繁く通い、 横浜では関内アカデミー、 シネマ・ジャック&ベティの映画がいつも気になっていた者として、 個性ある映画館がいかに日本映画を支えてきたかは知っているつもりである。 しかし、 それらの映画館は閉館に追い込まれていった。 あまり馴染みのない名ではあるが 「ポレポレ東中野」 という映画館で若松の新作 「17歳の風景」 を上映していると知った時は、 映画もさることながら映画館そのものも見に行かなければと思った。 映画館は、 単に映画を上映するという場所以上の意味があった気がする。
 今まで、 映画館の多くは、 椅子の座りごこちも悪く、 トイレの悪臭が漂い、 場合によっては、 ねずみなども駆けめぐっていることもあった。 近年の映画館はとても快適だが、 オールナイトでよく出あった、 映画に向かって観客が拍手したりヤジをとばす風景もまたなくなったように思う。
  「ポレポレ東中野」 は今風の快適な映画館であったが、 映画人や関係者を招いてのトークショーを企画したりで、 なかなかユニークな映画館だ。 「ゆっくりゆっくり」 でいいから、 志ある映画を上映し続けてほしい。

あんたはいつも遠くから見ているだけだ。  若松孝二。 その名はそのまま危険思想であるかのごとく、 「犯された白衣」 「赤軍−PFLP世界戦争宣言」 「天使の恍惚」 などの映画を量産していった。 彼の映画はピンク映画であり、 政治映画である。 そのふたつの世界を強引とも思えるように結びつけていく手法に違和感をもちながらも、 最も気になる監督のひとりであった。 その彼が、 現実に母殺しをした17歳の少年のことを描いたという。 観にいかないわけがない。
 冒頭がよかった。 自転車に乗っていた少年 (柄本佑) が、 自転車から降りて歩いていく。 少年の行く手には富士山がある。 富士山をじっと見ながら、 少年はつぶやく。 「あんたはいつも遠くから見ているだけだ。 そしてすべてを知っているようなフリをする」。 このナレーションはこの映画を語り尽くしていると思う。 いわば日本の象徴である富士山に向かって語ることばとして、 こんなことばがあったろうか。 富士山には賛美のことばこそあるが、 この挑発には驚いた。
 富士山に象徴される、 いつも見ているだけで知ったかぶりする日本の知識人、 いや大衆も含めて、 若松は冒頭から冷や水を浴びせたのだ。 この映画を観ていた観客に対しても同じだろう。 ナレーションに姿勢をただされ、 自転車に乗って走る少年とその周りの風景だけをひたすら追った映像を直視するだけには留まらせない状況に観客は誘導された。 しかし、 この映画には物語はほとんどない。 少年が母親を殺して北へと向かう映像に占領されている。 少年+自転車+風景だけが、 これでもかこれでもかと写されるだけなのだ。
 それでも間隙に、 駅舎で出会った老人 (それは針生一郎である。 針生は美術評論家で共産党除名の経験もある行動する文芸評論家) が〈日本〉を語るシーンなどが挿入される。 老人の、 いや針生本人のつらい実体験が語られる。 また、 雪道で動けなくなり少年に助けを求めた老婆を家まで送り届けた際、 朝鮮半島からやってきたというその老婆の過去にも耳をかす。 少年を取りまく現実が確かにある。 しかし、 少年の頭をよぎるもう一方の現実、 母親殺しの惨劇が突然シーンとして挟み込まれる。 繰り返し、 繰り返し・・・。 そしてまた、 少年+自転車+風景に戻っていくのだ。
 見るだけではダメだと若松に挑発されたが故に、 ある意味 「退屈な」 映画と対決しなくてはならない状況に強引に観客は誘導された。 しかし、 少年+自転車+風景はずっと続く。

北へと
 少年は北に向かう。 そこにはいつも日本海が少年を脅かすように荒れている。 荒涼たる風景。 まるで、 少年の心象風景のように少年に迫り一体化する。 こうして観客は、 遠くから見ているだけの自分を保つことができなくなり、 この少年に対して一体何を知りうるのだろうかという自問をしなければならなくなる。 そして何も分からないまま少年と伴走する。
 ついに自転車が壊れる。 タイヤが破損して、 もう乗れない。 その自転車を抱えて少年はさらに北に向かう。 竜飛岬なのだろう、 そこで、 少年は自転車を崖から投げおろす。 映画はこうして終わる。 きっと、 観ている者は荒涼たる風景だけを引きずったまま席を立つことになるのだ。 そして、 見ていただけの富士山と観ていただけの自分のどこに違いがあるのかと自問しながら、 またしても68歳の若松のアジテーションに心揺さぶられるのである。  
 かつて寺山修司は、 津軽半島と下北半島の形を、 頭とその頭を割らんとする斧にたとえた。 津軽半島最北端に位置する竜飛岬で投げおろされた自転車は、 割られた頭から吹き出た現代の寂寞そのものなのか。
  
(てしま じゅん  教育研究所員)